THE GUILTY 《これは日本版ポスターの方が上では?》
映画の点数…72点
ポスターの点数…90点(日本版)
ちょうどいい佳作
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《THE GUILTY/ギルティ》です。
デンマークのサスペンス映画が、世界中でヒットを飛ばした一作です。
ハリウッド映画との大きな違いは見たらすぐ分かる通り、とにかく低予算で作られたということ。
何せ上映時間90分のうち、すべて同じ部屋(と、隣の部屋)で展開される映画です。
警察(日本とはシステムがどうやら違うようですが)として働く主人公が、電話オペレーターとして電話の向こうにいる女性の命を助けようと奮闘する様子を描いています。
奮闘といってもかなり冷静な主人公と、役者の雰囲気もありやはりかなり静かなムード。
画面全体も青っぽい蛍光灯の色に支配されていて、とにかく画面から伝わる情報のみに限ると非常に地味な映画です。
それがかえって「お、新鮮な映画体験だな」とウケたというのも分かります。
僕も非常に楽しめた一作でした。
映画の良かった点
もちろん、ただのアイデア一発の映画というわけではなく内容も面白いです。
電話の向こうにいる女性や家族が命の危険にさらされていることは分かるのですが、その情報の出すタイミングや役者の声の演技だけでそれをエンターテイメントにしないといけません。
ましてやデンマーク語(デンマーク語ってのがあるのかは知りませんが)。
英語以上に何を言っているのか全く分からないため、声のニュアンスやテンションで状況を推察するしかありません。
でも見事にそこをクリアしているんですね。
そこだけですでに合格点。
でもこの映画はそれだけではなくて、ただ90分間電話をしているというだけの主人公が成長していくということまで描いています。
モノローグや回想シーンなども一切ないため、主人公がどのように気持ちの変化をしていくかすらも表情や声だけで判断する必要があります。
それすらもやってのけてるのはこれまたお見事。
この映画が世界中でヒットしたのも納得です。
映画のダメな点
とはいえ、映画の駄目な点も正直あります。
それは、やはり「アイデアに合わせた脚本」にせざるを得なかったことがハッキリと分かってしまう点です。
例えば電話の向こうで助けを求める人物が、やけに機転の利く行動をしてみたり、その逆に「バカかお前は!!」みたいな展開になったりとキャラクターが安定しません。
これは映画に起伏をもたせるため以上の理由がなくって、顔が見えないのをいいことに随分と都合良く行動しているなという印象はどうしても持ってしまいます。
エンディングでは「なるほどそういう事だったのか!」というサプライズもあるのですが、そうなると「あれ?でもさっきの話と矛盾しないか?」と映画を遡って不満が出てくるんですね。
とはいえ、それは映画に対する姿勢の問題でもあって。
気軽に楽しむ程度であればそのくらいの矛盾よりも面白さの方が優先されると思いますし、現に僕も初見は非常に楽しめたのは本当です(でも二回目は見れないかな…)。
ポスターの感想
このブログの中ではちょいちょい「日本版ポスターはダメだ!!」と文句をつけることも多いんですけど、いやいや、今作に関しては日本版ポスターの方が絶対にいいと思いますよ!
まずは(たぶん)本国版ポスター。
クールな主人公が、イヤモニで何かを聞いているというシンプルな構成。
画面の全体的な暗さと、逆光になっているドアから出て行く人物の様子からも「主人公には何か後ろめたいことがあるのかな」ということは伝わります。
でも、正直「何のポスター?」って感じです。
一応目線などから耳に注目する…とも言えなくもないですけど、でもやっぱり不親切。
別案
こっちのポスターはもっとダメですね。
これはハッキリとダメなポスターです。
電話の向こうにいる被害者や加害者の人物達の様子は、可視化されないからこそこの映画は素晴らしいのです。
だからこそ僕たち観客は想像し、祈り、ヒートアップするんです。
なのに何故それをビジュアル化してしまうのか。
ましてやかなり余分な彩色まで加えて、エンターテイメント色を悪い意味で増幅しています。
細かいことですが、斜めに傾いたフォントすらも完全に余計です。
映画のコンセプトそのものを否定する0点のポスターです。
日本版ポスター
さて、それでは日本版ポスターです。
これはいいんじゃないですか??
はっきり言って日本での知名度は0の主演俳優を写すことはせず、イヤモニの向こうで何か事件が起きているということのみをビジュアル化しています。
画面の比率に対して写真が占めている割合がかなり狭いのもプラスの効果になっています。
かなり閉鎖された空間の映画だということ、情報が少ないということ、圧迫された状況だということをうまく表現しています。
犯人は、音の中に、潜んでいる というシンプルなキャッチコピーも主張しすぎずいい感じです。
このキャッチコピーだけで「ああ、何か事件なんだな」「犯人がいるんだな、誘拐かな」とか必要な情報は伝わってきます。
そのうえで、読もうと思えばギリギリ読めるくらいで状況を指し示す言葉がたくさん並んでおり、やはり主張しすぎないバランスでタイトルがのっています。
デザイン的なことを言うならば、画面上部にある「驚異の満足度100%」とかの情報は邪魔なのですが、これはあくまでも映画ポスター。
主演も監督も誰も知らないデンマーク映画なので、何かしら宣伝するコピーを入れるのは必然でしょう。
インディー映画として非常にバランスのいいポスターですね。
「オシャレでカッコイイ!」というポスターではなく、あくまでも「映画ポスター」として非常に優れたものになっていると思いました。
まとめ
映画自体は「おすすめです!観た方がいいですよ」くらいのテンションです。
ですが、今作に関してはグラフィックデザイナーとして「おお、いいポスターだな」という方に興奮しました。
10年後にもう一度観たい映画かと言えばちょっと言葉に詰まりますが、この映画ポスターだけでも非常に勉強になったなと思いましたよ。
それでは、また。
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アバウト・タイム《瞬間を切り取った傑作映画&ポスター》
映画の点数…95点
ポスターの点数…40点
今年の初泣き映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《アバウト・タイム》です。
突然ですが、僕は恋愛映画をほとんど観ることはありません。
単純に、人の恋愛にほとんど興味がないからだと思います。
ですがこのアバウト・タイム、恋愛コーナーに置いてある映画なんですね。
人から聞いた情報でこの映画をオススメされたことをキッカケにして観た次第。
自分では絶対にチョイスしなかった映画でしょう。
それで観てみた結果……これ、そもそも恋愛映画ですか?
もっと、ドラマとかヒューマンとか、なんならSFのコーナーでもいい気がします。
そっちにあったらもっと早く観ていたかも知れないなと思うと残念ですぞ、TSUTAYAさん。
そう思ってしまうくらいかなり自分の中で大ヒットした一本でした。
まだ1月ですが、もしかしたらこのまま「2020年に観たDVD映画ナンバーワン!」の可能性すらある気がしています。
公開は2013年らしいので、なんだか7年くらい損した気がしてますよ。
今年一発目の映画で大泣き映画でした。
映画のストーリー
21歳のお正月、一家4人(+おじさん)で幸せな生活を送っていた長男に、お父さんが衝撃的な事実を伝えます。
「うちの家系は代々、男がタイムトラベルをすることができる」と。
はじめは「狂ったかこのジジイ」と思った息子ですが、実際に出来ることが分かると「よっしゃこれでいい彼女見つけるぞ!」と張り切ります。
何か失敗したらすぐにタイムトラベルで問題を解決していく主人公ですが、ある日「タイムトラベルでは解決できないこともある」と気付いていき……
みたいな感じです。
基本的な設定は、あえてかなりいい加減にしてあります。
タイムトラベルと言えば「これで金持ちになれるぜ!」となるのが普通ですが「金持ちになると不幸になるから」とかかなり雑な理由でそういう事には使いません。
ほぼほぼ「彼女をつくる」とか「家族を助ける」とか自分のまわりのことだけに使用します。
全体的にコメディなんですよね。
タイムトラベルが出来るというのはただの設定であって、話の要点は「もう一度人生をやり直すことが出来たとして、それが最良の結果を生むかは分からない。だから今日一日を大切に生きよう」というメッセージです。
いわば古典的な話でもあるわけですね。
それで実際に映画が面白くなればいいだけで、そしてこの映画は見事に面白かったと思いましたよ。
映画の良かった点
映画全体のトーンがかなり良い意味で肩の力が抜いてあるような作りなのが良かったです。
タイムトラベルなんて設定があると、ついつい「理屈として正しいか」とか「倫理的にどうなんだ」とかが気になるのですが、そこらへんは「まぁまぁ、あまり気にしないでよ」という作り手の姿勢を感じて僕は好感がもてました。
もちろん逆に「この設定が気持ち悪い」と感じる人もいるでしょうし、かなり作り手の都合通りにすすむ映画なのは間違いないので相性はあると思います。
でも僕としては、整合性とかをSNSで検証・監視しあうような現代の映画の姿勢にちょっと疲れていた部分もあったので、このくらいいい加減な映画も良いなと思うんですけどね。
後半に向けてのシリアスな展開
基本的にこの映画はハッピーな展開が連続します。
何故なら、タイムトラベルですぐに軌道修正しちゃうから主人公の思い通りの人生を送るんですよね。
そういう意味では結婚するヒロインとかの自由意志はどうなってるんだとか気になるんですけど、とにかく主人公の思うがままにすすんでいく。
ですが、後半にかけてそれがうまくいかなくなります。
自分にとって大事なものが増えてくると、タイムトラベルが使えなくなるという事態になっていきます。(過去を変えると現在も変わるので、自分の大切なものを失う可能性がでてくる)
そうなってきてようやく、映画の登場人物達と観客である自分達との共感度がグッとあがります。
「もしあの時ああしていたら」なんてついつい考えてしまいますが、そうしなかったからこそ今の友人や家族との関係があるとも言えるわけですよね。
そんなこと分かっているのに、ついつい自分の人生に疑問を感じてしまう。
この映画は自分自身に対する後悔に対して、優しく寄り添ってくれる映画だと思いました。
詳しい説明はしませんが、最後の「浜辺の散歩」のシーンでは音楽の素晴らしさと相まって号泣してしまいました。
表情こそまったく画面からは分かりませんでしたが、あんなに幸せな光景は観たことがありませんね。
個人的にずっと忘れられない名シーンになりました。
映画のダメだった点
個人的にはかなり大好きな作品なんですけど、フラットに観たら難点はあります。
まず、タイムトラベルのルールがかなり曖昧、というよりいい加減な点。
コメディだと考えると「まぁコメディだしな」と割り切れるのですが、後半は特に「いわゆる、ドラマチックなこと、感動的なこと」な展開も多いため、そうなるとタイムトラベルのルールの曖昧さが気になったりします。
それと、主人公の身勝手さに不快感を覚える人も当然たくさんいると思います。
後半は「家族を守るために頑張るぞ」みたいな姿勢なのはいいんですけど、彼女を作るパートでは何度も歴史を修正しまくってなんとか恋人同士になります。
もちろん、歴史を修正するということが「やっぱり間違いだよね」という着地をするということは分かるのですが、それはそうとやはり「でもこの奥さんも、もしかしたらもっといい旦那と知り合えた可能性あるじゃん」というモヤモヤは残りますよね。
このへんは映画にどこまでのリアリティを求めるかによると思います。
ポスターの感想
大好きな映画だからこそ、ポスターに対して不満は大きいです。
このポスターから伝わることは「ドレス着ているような特別な日に土砂降りにあったとしても、それでも愛おしいと感じる時間はある」というような印象です。
それがつまり映画のテーマである「やりなおしのきかない一瞬一瞬の連続こそが、幸福な人生である」ということを表しているのでしょう。
とはいえやはり、このポスターと映画全体のイメージの乖離は大きいです。
まず、このポスターではどう見ても主人公はこの女性だと誰しも思うでしょう。
でも映画を観たら分かる通り、映画は完全に男性主人公の目線からのみ描かれるストーリーですよね。
むしろ「時間を戻して可愛いあの子を落とす!」というAVみたいなゲスな設定でもあるわけです。
それをここまでロマンチックなビジュアルにするのは違うんじゃないでしょうか。
そして、あまりにも恋愛映画感が出過ぎなのが気になりますね。
もちろん恋愛要素はとても大きいのですが、どちらかと言うと「父子二人から紡がれていく家族という系譜」を描いているように感じます。
恋愛映画というよりは家族映画なのだから、せめて父親や子どもがうつるようなポスターにした方が良かったのではないか、そうした方がより幅広い観客層にウケたのではないかと思うんです。
20代の主人公の恋愛を描いた映画とはいえ、実際に観てみたら70オーバーの男性でもきっと感動するストーリーだと思います。
そういう配慮が欲しかったかな、と思いました。
まとめ
完璧な映画だなんてサラサラ思っていませんが、こういう「油断してたら後頭部を思いっきり殴られた」みたいな映画体験が年に数回あるから最高なんですよね。
もしまだ未見の方がいましたら、ご覧になってはいかがでしょうか。
思わぬ出会いになるかも知れませんよ。ブレイク寸前のマーゴット・ロビーが色気ムンムンで登場してたりと思わぬ発見も。
個人的に面白かったのは、主演の男性はこの後「スターウォーズ」のハックス将軍に。
ヒロインは「ドクターストレンジ」に。
そしてマーゴット・ロビーは「ハーレイ・クイーン」として登場します。
三人がそれぞれ違うヒーロー映画に抜擢されるのは興味深いですね。
ちなみにこのアバウト・タイムで一番の好演を見せるお父さん役の男性は、かつてパイレーツオブカリビアンでデイビー・ジョーンズを演じています。
そんな不思議なヒーロー大作映画との縁でした。
それでは、また。
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青い春《完全私情込完璧映画》
映画の点数…93点
ポスターの点数…85点
「自分的」傑作映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《青い春》です。
監督は豊田利晃さん、主演は松田龍平、原作は松本大洋という布陣。
共演には新井浩文、高岡蒼佑、瑛太、渋川清彦、塚本高史などここからスターになっていく俳優がゾロゾロいます。
さらにさらに、主題歌や劇中歌にはミッシェルガンエレファント。
もっとオマケで言えば、まだピースを結成前の又吉さんが出ていたり。
あくまでも今から考えれば冗談みたいに豪華なメンバーが揃った映画です。
映画のクオリティ
先に結論から言ってしまえば、一本の映画としてはかなりイビツで、ハッキリと不出来な点も多いと思います(シーンの冗長さが目立つ等)。
とはいえですね、この作品は僕にとって非常に重要な一作なのは間違いなくて。
誰しも青春時代に観て喰らってしまう作品ってあると思うんですよ、映画でもマンガでも音楽でも。
僕にとってはまさにこの映画がそうで、この映画を観たおかげで僕の十代後半を棒に振るという悲劇を生んでいます。
同時にミッシェルガンエレファントというバンドに取り憑かれたのもこの映画がキッカケで。
今まで「スピルバーグみたいな超大作」と「J-POP」しか知らなかった自分が、インディー映画の素晴らしさや本物のロックンロールの格好良さを体感した瞬間なんですね。
僕もこのブログの中で映画の出来や倫理観で批判することはあるんですけど、一方で「出来に難があっても倫理的におかしくても、人間一人の常識をひっくり返す作品はこの世にたくさんある」ことは十分に分かっているつもりです。
映画のストーリー
基本的には原作の松本大洋さんのマンガに沿っています。
とはいえ原作はたしか30ページくらいのマンガなんですよね。
極めて突き放してドライなタッチの漫画に対し、映画ではもう少しだけウェットなニュアンスを持っています。
それでも他の映画に比べたら随分とドライな行動をとる人物達が多いですが。
目標もなく、目的もなく、ただダラダラとした日常を過ごす高校生達の日常をとらえた映画です。
劇中で殺人事件も起きればヤクザに入る奴もいるし、それぞれ「命」に対しての価値観を薄めることで痛みをともなった快楽に逃げていくような。
まぁこういう説明自体がそもそも出来ないからこそマンガや映画にするんですけど、一定の男子高校生だったら理解できるような感情なんですよね。
最近「アオハル」なんてマンガが流行りましたが、僕にとっての「青い春」とはこういう「ああもう、生きていること自体が痛々しい」というような状況で。
あ、もちろん今となっては当時の自分は随分と幼稚だったしパフォーマンスだらけだったし、自分に出来ないことを言い訳にダダをこねてたガキだってのは分かるんですけど。
「ちはやふる」みたいな高校生活が送れていたらなぁなんて本当に思いますよ。
そんな気持ちをブリンブリンに揺さぶってくる内容です。
映画の良い点
最近になって改めて見直してみて思ったのは、とにかく「松田龍平と新井浩文が飛び抜けている」という点です。
松田龍平さんは初主演、新井浩文さんはたしかほとんど映画に出ること自体が初めてだったはず。
ですが、二人が演技をしている瞬間だけはかなり他の場面とのクオリティの差が大きいんですよね。
もちろんこの先にスターになる俳優さん達もたくさんいるんですけど、この映画においては二人の完成度が頭3つくらい出ている印象です。
もっと正確にいうと、技術的なところは未熟だとは思うのですが「生身の人間がその場に存在している」という実在感が全然違うんですよね。
もうこの二人を観るためだけに映画を観てもいいくらい。
それと、いかにもPVチックな使い方が若々しいテンションの音楽の使い方がいいですね。
映画音楽というよりは、音楽のための映画とも言える場面もあって。
特にオープニングの「赤毛のケリー」をバックに極端なスローモーションで登場する不良達と、エンディングの「ドロップ」をバックにこれまた極端なスローモーションで退場していく不良。
ミッシェルガンエレファントはこの映画の翌年には解散するのですが、解散ライブでもこの2曲は演奏しています。
映画の悪い点
前述の通り、悪い点は悪い点で普通にあります。
まずはハッキリとレベルの落ちる役者が何人か目立つこと。
松田龍平さんとかと比べるのはどうかと思うものの、そこはうまく演出でごまかすとかあっても良かったんじゃないかと思います。
それと90分くらいの短い映画とはいえ、それでもカットしていい場面は多かったかと思います。
ダラダラ話すことで不良達の目的のなさを表現するのはいいんですけど、いくらなんても会話として成立していないくらい引き延ばされたセリフのシーンなんかは現実感が無さすぎかと。
現実感はなくてもいいのですが、現実感のある台詞回しと、ファンタジーよりは台詞回しはシーンごとに使い分けた方がうまくいったんじゃないかと思います。
ポスターの感想
うーん、このそこはかとないダサさがいいですねww
いつもならこういう「キャストを並べただけ」みたいなレイアウトは嫌いなのですが、この映画に関してはこれでいいと思います。
例えばクローズだったらもっと「俺たち、不良です!」って感じなんですよ。
でもこの松田龍平さんなんかは、別に改造した制服でもないし線も細いんですよね。
でも表情だけで「ああなんかタダもんじゃねぇな」って分かる。
つまりは「松田龍平がすごい」ってだけでもあるんですけど、それをうまくパッケージできていると思います。
文句を言うとしたら、わざわざタイトルに鎖をつけたり有刺鉄線をつけたりするのは蛇足でしょう。
やはりここは松田龍平の眼光だけを信頼してもう少し控えめなタイトルデザインにしたほうが良かったと思います。
まとめ
今回は完全に私情が入りまくった映画でした。
でもみなさんもあるでしょう?、世間は知らんが俺はこの映画が好きで好きでしょうがねぇの!って映画。
そういう映画に出会えるかどうかだけで、人生まるごと印象が変わることもあるから油断なりません。
そんな映画のお話でした。
それでは、また。
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パラサイト 《韓国映画のひとつの結実》
映画の点数…88点
ポスターの点数…95点(日本版0点)
絶好調!韓国映画の集大成
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《パラサイト》です。
ここ10年くらいでしょうか、国際化に力を入れてきた韓国映画がとんでもないスピードでレベルをあげてきていました。
少し前の認識だと「昔の日本映画みたいで懐かしい気持ちになるなぁ」なんて評価があったのが信じられません。
今となってははっきりと「韓国映画の方が日本映画よりもレベルがはるかに高い」と認めざるをえないと思います。
もちろん僕にも大好きな日本映画は山ほどありますし、日本語を母国語としている以上は日本映画の方が馴染みやすいです。
ですがフラットな視点から見るとどうしても韓国映画の方が上回っている要素が多いんですよね。。
そのへんはまたいつか書けたらいいなと思うのですが、パラサイトはついに韓国映画として「アカデミー作品賞ノミネート」というところまで上り詰めました。
日本映画では未だ果たせていないこの快挙、正直なところ悔しい気持ちでいっぱいです。
でも最近の韓国映画を観ていたら遅かれ早かれこんな日はきたでしょうね。
アメリカにおいてはすでに「アメリカ内で最もヒットした外国映画」となっています。
世界の黒澤、北野、宮崎といえど、ここまでヒットをさせることは出来なかったわけです(いや、作品のエンターテイメント度が全く違うことは百も承知です)。
少なくともこのパラサイトも、極端に金のかかった映画というわけではありません。
予算の問題ではない以上、日本にだって出来る!そう願いながらレビューしていこうと思います。
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※2月10日追記
周囲の映画評論家等の前予想を飛び越えて、パラサイトがアカデミー賞・作品賞・監督賞・脚本賞という凄まじい快挙を達成しました。
発表の直後にこの文章を書いていることもあり、興奮がおさまりません。
このブログの内容通り、僕自身が大傑作と言っていたわけではないので恥ずかしい限りですが、本当に心から感動しております。
決して偶然や奇跡の結果ではなく、近年の韓国映画の良作の積み重ねがこの快挙を生んだのだと思っています。
本当におめでとうございます!!!!!
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映画のストーリー
貧民層として半地下の住居に住んでいる4人の一家のお話です。
ふいに沸いてきた「お金持ち一家の家庭教師」という仕事をキッカケとして、徐々にそのお金持ち一家に浸食していく主人公一家の様子を、5割コメディ・3割ホラー・2割ドキュメンタリックに描いた作品です。
映画を観ながら少しずつ映画のテイストが変化していくのが非常にうまく、最初こそニコニコしながら鑑賞していたら終盤ではドッシリと重い宿題をもらって家に帰ることになるという作りになっています。
日本でも既に「とにかく喰らってしまった…」という感想が多発しており、公開館数が少ないのが気になるものの近いうちに傑作の一本として記録されることになるでしょう。
政治的ニュアンス
こんなことを書くこと自体がバカらしいのですが、日本と韓国で抱える政治間の衝突や歴史間の問題などは映画の評価には全く影響しません。
実はパラサイトの中でも一部旧日本軍のことをコケにするようなセリフが出てくるのですが、それを言う人物の性格を考えると、さほど気にならない作りになっています。
政治は政治、映画は映画です。
映画の良かった点
まずはやっぱり脚本、というより「構想」ですかね。
どこまでを計算で作られたのか分からないくらい、映画のジャンルがシームレスに切り替わっていくことに驚きます。
最初こそゆったりした気持ちで観ていたものの、後半に向けて映画全体が重力をもって加速してくようで。
シートに押しつけられるようなGを感じるような体験でした。
基本的には家の中や車の運転だとか映像的には地味目なシーンが多いのですが、お金をかけるべき場所ではしっかりと使って迫力ある画面を作り出しています。
例えば大雨で自宅が浸水するシーンなどは「ああ、こりゃあもうダメだ」と観ている側が絶望するくらい迫力がありますし、そういうシーンをサボらないからこそ「この人達は、ここで生活している」ということをリアリティをもって感じることが出来ます。
そのリアリティの集大成として「痛みを画面から感じるような暴力」が最後に用意されているのは見事ですね。
映画の序盤から暴力シーンが散発していたら後半のサスペンスな場面はもっとチープになっていたと思います。
かと思いきや、最後の最後にはもう一度「これは…ファンタジーなのか??」とも錯覚するようなオチまで用意されています(このへんはジョーカーにも通じますね)。
役者陣はパーフェクト
僕は韓国語は使えないので、英語以上に画面から伝わってくる情報は字幕に頼りっきりになります(英語の場合、喋っている英語と字幕のニュアンスの違いを自分のなかで整理できるので)。
全く言語が使えないというハンデがあるにも関わらず、役者陣は全ての人物がパーフェクトだったのではないでしょうか。
ソン・ガンホさんは当然のことながら、個人的には女性キャストが良い人が多かったと思いましたね。
貧乏一家のお姉ちゃん、家庭教師として指導する女の子、気の良いバカな役回りを演じきったお金もち一家のお母さん。
それぞれ違うパターンでの生々しい色気を感じさせつつ(色気があるということは、実在感を感じるくらいイキイキしているということ)、もはや「そんな人」にしか見えないくらいキャラクターを作りあげていました。
時にはオーバーアクションなシーンもあるのですが、そういうシーンはしっかり笑えるコメディアンのようなことまでキッチリこなしていて。
役者さんもお見事だし、演出がまた素晴らしかったのでしょうね。
映画の不満点
この映画がアカデミー作品賞にノミネートされたことに対し何の不満もないのですが、僕自身としては少しだけ不満点はあります。
まず、映画前半が少し退屈だったこと。
具体的に「この一家をのっとるぞ〜」となるまでが長すぎる気がしたことと、それが成功するまではあまりにもスムーズすぎたこと。
もうちょっと「やっべ!バレそう!」「でも乗り切ったー!」みたいなシーンがあっても良かった気がしますけどね。
それと、殺意に至るまでの心情的なプロセスが分かりづらいこと。
後半で「ぶっ殺してやる!」と二人の人物がなる場面があるのですが、どちらの人物も「あいつだけは許さねぇ!」という気持ちに至るまでが分からないんですよね。
「あいつらイヤだな」から、実際に行動するまでに24時間もたっていないというのもちょっとどうなのかな、と。
そこをもう少し丁寧に描けていたら、主人公達にもっと同化できたのかなと思うのですが。
ポスターの感想
まず韓国版ポスターのポスター。
これはもう95点あげちゃいますよね。
だってこのポスターを観るだけですぐに映画観たくなっちゃうでしょ。
パッと見た感じではホラーの匂いが強く感じられますが、陽気な空や衣装デザイン、無造作に横たわった足からはどことなくコメディさも感じます。
「日常の中に異物が紛れ込んだ感じ」というのがうまく表現されていますね。
この「何かはまだ分からないが、とにかく強烈な違和感を感じる」というギリギリのバランスを発明したデザイナーに拍手です。
また、映画を見終わってからもう一度ポスターを観ることで「ああ、このアイテムが写ってるのか」とか「ということは、これはアレ、か」とかもう一度楽しむことが出来るようになっています。
宣伝の効果としてもバッチリ、デザインも素晴らしい傑作ポスターではないでしょうか。
日本版ポスター
書きたくもないくらい残念な出来です。
まぁ、100歩譲ってパルムドール受賞の表記とかはいいでしょう。
韓国映画を普段見ない方へのアピールは必要でしょうから。
でも、その他は全く必要ないですね。
まずコピーを二つに分ける意味が全く分からない。
そしてあろうことか、文字を斜めにして勢いのある表現をしているのが本当に神経を疑います。
このポスターの中に、あれだけ余計なものをよく入れることが出来るなと。
ましてや100%予測不可能〜とか鳥肌〜とか。
全然必要ないじゃんこのコピー。
そして何より、足ですね、足。
なんでとったの、足。
これを観るだけでもうウンザリします。
僕のようなある程度映画に興味がある人はいいですよ。
でも、なんとなく街をぷらぷらしていて、パッと映画館のポスターを見た時にこんな府抜けたポスターで興味を持ってもらえますか??
誰が決めたのか知りませんが、ハッキリと「無能」だなと思いました。
かなり強い言葉を使ってしまって気がひけますが、でもこれはいかんでしょ。
無能です。
まとめ
噂通りの傑作映画でした。
これから10年以上は軽く、30年くらい語り継がれる作品になるのではないでしょうか?
もはや韓国映画というよりは、映画史において「パラサイトありき」の歴史が始まったんだと思いますよ。
そのくらいの映画だったと思います。
同じアジア組としては、日本映画も頑張って欲しいですけどね。。。
それでは、また。
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フォードvsフェラーリ 《爆音で浴びる映画館用映画》
映画の点数…92点
ポスターの点数…80点
アカデミー作品賞ノミネートへ
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《フォードvsフェラーリ》です。
そもそも多少車好きなので興味はあったのですが、マット・デイモンやクリスチャン・ベイルのファンというわけでもないし、J.マンゴールド監督は作品によって出来のムラの大きい人なので慎重になっていたのですが結果的には「観といて良かったー!」と言える素晴らしい作品でした。
映画を見終わったあとに入った情報では、アカデミー作品賞にノミネートされたとのこと。
アイリッシュマンやジョーカーなどライバル達が強敵なのですが、少なくともノミネートされるだけの価値は十分にある作品だと思います。
特にクリスチャン・ベイルは素晴らしいキャラクターを作り上げたと感動しました。
今年のアカデミー主演男優賞はジョーカーのホアキン・フェニックスでいいとは思いますが、どちらが「好きか」と言われれば僕はクリスチャン・ベイルの方が好きでしたね。
もしノミネートされてたら「バットマンvsジョーカー」になって面白かったと思うんだけどな。
映画のストーリー
このブログをお読みの方で映画を未見で「いや車なんて興味ねぇし」と思われている方がいるとしたら、ちょっともったいないです。
そこで今回は、車のことなんて何も知らない方に興味を持ってもらえるように、洋服のブランドで説明します。
時は1960年代、今や世界的メーカーとなった巨大企業ユニクロ(フォード)は、さらなる事業拡大を目指し世界トップブランドであるエルメス(フェラーリ)の買収を持ちかけた。
その頃のエルメスは芸術的な作品を作らせたら世界一ではあったが、事業の面では苦戦していたという背景がある。
意気揚々と買収を持ちかけたユニクロであったが、エルメスは「お前らみたいなブランドは、工場で大量生産された洋服でも売ってろ!」と吐き捨てます。
これに怒ったユニクロ柳井社長、「エルメスの野郎調子に乗りやがって!次のパリコレの舞台が奴らの墓場だ!」とまさかの逆ギレ。
勝負は「世界一の洋服の祭典、パリコレ(映画の中ではル・マンレース)」で決着をつけることになりました。
このままでは勝てないと知るユニクロは、外部からルメールやJWアンダーソン(マット・デイモンやクリスチャン・ベイル)などのデザイナーを連れてきます。
あくまでも洋服ブランドのイメージを大切にしたいユニクロと、ただ素直に最も美しい洋服を作りたいルメール達とで争いも発生するなか、果たしてユニクロはエルメスに勝つことが出来るのでしょうか。
という、映画です。
まぁ、こんな冗談は全て忘れて映画を観てください。
ある程度ちゃんと説明してくれるので、ストーリーに置いていかれる心配はさほどありません。
かもめのジョナサン
個人的にこの映画で連想したのはリチャード・バック作「かもめのジョナサン」という小説です。
一羽のかもめが、餌もとらず、集団行動もせず、ただただ最も早い速度で急降下することを目的に飛んでいるという内容です。
群れの仲間からはおかしな奴扱いされ仲間はずれにされますが、本人は気にせず最速ということのみに取り憑かれます。
フォードvsフェラーリに出てくる主人公達は、そんなかもめのジョナサンが社会人になったらということを描いています。
本人達はただ速く走りたいだけなのに、家族を守ったり会社のイメージを守ったりしているうちに本質から外れていってしまいます。
最速のみにとらわれた主人公が、最後に選択する行動とは何かに注目して観ると興味深いものがあります。
映画の良かった点
この映画がモータースポーツとして初めてアカデミー作品賞にノミネートされたのは、実に多層的な意味合いをもっているからだと思います。
一つは巨大資本の会社が金に糸目をつけずに世界一の車を作るという、アメリカンマッチョな視点。
大迫力のカーアクションを存分に味わうことの出来る贅沢な映像。
親子の友情、愛情物語。
そのいずれもが高水準でした。
何より、カラッと抜けた映画であるにも関わらず映画全体を通してのっぺりと死の匂いを感じるのが良かったです。
ぶっちゃけワイルドスピードやミッションインポッシブルからは死の匂いは感じないじゃないですか(それが悪いということではなく、映画のテーマの問題)。
このフォードvsフェラーリからは、常に死の匂いがする。
何かのトラブルがあれば、あっさりと人は死ぬのだという恐怖。
それが映画全体をグッと引き締めています。
マシンへの深いリスペクトがあるうえで、あくまでも扱うのは人間だというバランスを守ってあるのが見事だと思います。
爆音・爆音・爆音
もしもこれを読まれているかたで「DVDが出てからでいいかな」と思っているとしたら非常にもったいない。
是非ともこの映画は映画館の爆音で浴び喰らってください。
僕は残念ながらIMAXでの鑑賞はしなかったのですが、時間が戻せるのならもう一度IMAX上映か見直したいです。
アクセルを回す音、シフトチェンジの音、タイヤゴムが焦げる音、そしてフェーン現象の音。
この映画においては、音の情報がものすごく大きな意味を持っています。
ポスターの感想
1960年代を舞台にしていることも踏まえ、ポスターもどこかノスタルジックな雰囲気になっています。
とても好ましく思う点は、タイトルこそ《フォードvsフェラーリ》ですが、あくまでも男二人の挑戦の物語であるということを強調するポスターになっていることです。
車というのはもちろん工業製品なのでメタリックな印象なのですが、それをポスターにおいてはイラストにすることでむしろ生と死の生々しさや温度を感じます。
全体的な色の彩度は抑え気味なのですが、タイトルなどにパキッとした彩度の強い色を持ってくることでバランスをとっています。
逆にこちらのポスターは写真を使っておりマシンの無機質な表情からはスピード感を感じることが出来ます。
その分背景が夕景になっており、やはりノスタルジックな雰囲気は画面の中に残していますね。
日本版ポスター
日本版ポスターも今回は元のポスターに準じた作りになっており、過剰な情報で映画の全体像をぼかすようなことはしていません。
ホワイトスペース(ポスターの中の白い余白部分のこと)をたっぷりとることでむしろ他のポスターとの差別化も出来ていますね。
まとめ
アカデミー作品賞ノミネートも納得の一本。
今年はさすがに乱発された「貧困家族映画」が受賞、もしくは大作アイリッシュマンあたりが受賞する気はするのですが、仮に本作が受賞することがなくても個人的には忘れがたい一本になりましたよ。
大満足です。
それでは、また。
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東京2020公式アートポスターについて
東京オリンピックポスター
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
東京オリンピックのポスターが公開されました。
正式な名前は【東京2020公式アートポスター】というらしいです。
最近では「オリンピック」と限定した言い方をすると、パラリンピックが含まれていないような感じがするからでしょうか、「東京2020」というかなり曖昧な表現がされています。
でも一般的には普通にオリンピックと言葉にしているし、テレビでもわざわざ両表記は厳密にはされていません。
それはおいといて、とにかくポスターが決まったわけです。
今回はそのお話を少ししたいと思います。
ビジュアル表現として
まず、いずれのポスターも「ああ、さすがだな、カッコイイな」と思えるポスターでした。
恥ずかしながら存じ上げなかったアーティストも数名いたのですが、いずれも素晴らしいビジュアルだと思います。
個人的な好みで言えば、ヴィヴィアン・サッセンさんの手がけたポスターが一番「好き」です。
「好き」と「適している」はまた少し違うのですが、このポスターに関しては「好き、だし、オリンピックのポスターとしても素晴らしいな」と思います。
選考に関して
メディアでこのニュースが扱われる際には
「マンガ家・浦沢直樹さんらが作成した~」みたいな表現をよく見かけました。
おそらく知名度で言えば浦沢直樹さん、荒木飛呂彦さん、蜷川実花さんあたりが広く一般的にも知られた方々と思います。
狙いは当然ながら、国民全体に対してオリンピックに興味をもってもらいたいというメッセージです。
すごく極端にいえば、日立や日産が嵐を広告に使うのと同じです。
何故なら、浦沢直樹さんや荒木飛呂彦さんはマンガ家としては世界レベル、オリンピックで言えば当然金メダル級なわけですが、ポスターを作るという点においてはプロではないからですね。
あくまでも「浦沢直樹さんのマンガとしてのパワーを」→「ポスターにする」→「ことによって、オリンピックのイメージアップをはかる」という手順があります。
一方で、佐藤卓さんや大原さんら「グラフィックデザイナー組」はニュアンスがまた異なります。
佐藤卓さんなんてグラフィックデザイナーで知らない人はいない方で、グラフィックデザイナー界では金メダリストです。
よって佐藤さんらに求められるものは「グラフィックデザインを通じ」→「オリンピックのイメージアップをはかる」とかなり直接的な力量が問われるわけですね。
このように同じポスターという扱いながら、それぞれ役割が少しずつ違うのが特徴ということが分かると思います。
過去のオリンピックポスターに関して
ここで、過去のオリンピックの公式ポスターを振り返ってみます。
過去の大会でも、いくつかのポスターが公式ポスターとして扱われています。
ただし、「メインのポスター」と「サブのポスター」でハッキリ使いわけています。
例えば近年ではリオ、ロンドンのポスターはこんな感じ。
モスクワオリンピックのポスターは、少し政治色を感じさせるポスターですね。
実際、複数の国がオリンピックをボイコットしたという苦い過去があります。
そして1964年の日本のオリンピックのポスター。
亀倉雄策さんという、日本グラフィックデザイナー界の父のような人が手がけたポスターです。
日本びいきな感じも含めてですが、僕自身は過去すべての大会ポスターの中でも最も優れたポスターだと本気で思っています。
あのー、別にナショナリズムがどうこうとか言うつもりは全くなくて、単純にグラフィックデザインとしてあまりにも素晴らしいなと思ってるだけです(こういうこといちいち言わないといけないの時代ってのがちょっと面倒だよなぁと思ったり)。
今回のポスターに関して
公式サイトの言葉を一部引用すると【東京2020大会では、国内外のアーティストにオリンピックまたはパラリンピックをテーマにした芸術作品を制作いただき、それらを東京2020公式アートポスターとして機運醸成に活用していきます。 】とあります。
うん。
ちょっと何言ってるのか分からない(サンドイッチマン風に)。
ようは、このポスターを使って「オリンピックを盛り上げたい」んですよね。
なるほど。
でも、メインのポスターというものは、ないんですよね?
2020年現在、世界中で「多様性」というものが求められるようになりました。
パラリンピックの注目度が増しているのも多様性に対する理解があってこそです。
このように公式ポスターが多様化しているというのも非常によく分かります。
コンセプトは分かります。
それでも僕はやっぱり、今回のポスターのあり方を好きにはなれません。
「結局のところ、誰も公式ポスターに対しての責任もとるつもりはないし、コンセプトも決める気がないだけでしょ」と思っています。
佐野さんの公式ロゴ騒動、メイン会場の設計の際から思っていたのですが、今回のオリンピックって何のためにやるんですか?
何故オリンピックをやらないといけないんですか?
そのコンセプトがついに決まらないまま進んだ結果のポスターだと僕はどうしても思ってしまいました。
責任者とコンセプトの不在
例えオリンピックのポスターであったとしても、基本的な目的は「集客」と「イメージアップ」です。
では、今回のポスターは「誰を集客したくて」「どんなイメージを目標としている」のでしょうか。
僕にはどうしてもそれが見えてこない。
というよりも、それを具体的に言葉に出来る人は日本にどれだけいるのでしょうか?
そのフワリフワリとしたイメージを、明確なビジュアルにすることを「グラフィックデザイン」と呼ぶのだと僕は思っています。
だとしたら今回のポスター群は、申し訳ないけどデザインとしては失敗しているのではないかと思いました。
「2020年の東京オリンピックのあるべき姿はこれだ」というビジョンのないままのビジュアル化。
その曖昧さがそのままポスターとして浮かび上がってきかたのようです。
繰り返しになりますが、一枚一枚のポスターはカッコイイんですよ。
でも、そのポスターを作るプロセスに大きな欠陥があったと思います。
あえて一つに選ぶのならば
では、たった一つ公式なポスターとしてメインにするならばどれが良いでしょうか?
僕はやはり公式ロゴデザインを作成された野老 朝雄さんのデザインポスターが最もふさわしいと思います。
多様性を感じるポスターでもあり、かつ明確な日本らしさ、力強さを感じるビジュアルだと思います。
1964年の傑作ポスターに対するアンサーのようでもあり、2020年の新しいデザインとして最も適していると感じました。
これから先、日本や世界においてどのポスターが最も使用されるかは分かりません。
僕個人の理想で言えば、このポスターがメインになるといいなと思います。
まとめ
僕自身、もうオリンピックには全く興味はありません。
この5年以上のドタバタを観ていて応援する気は全く無くなりましたし、おそらくどの競技も観ることはないでしょう。
ましてや今回のアーティストの方々のように、仕事で直接関わっているわけでもありません。
すべては「オリンピックに関心はなく」「オリンピックの仕事もしてない」人間の負け惜しみだと思ってください。
ただそれでも、グラフィックデザイナーとしてはハッキリと今回のポスターのあり方には納得いかないな、と思った次第でございます。
それでは、また。
映画ポスターランキング2019 《1位は自分でも意外な一本》
2019年映画ポスターランキング
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
スターウォーズEp.9の公開をもって、なんとなく僕の中で2019年も終わりになりました。
今回は、2019年の映画ポスターで優れていたと思うものをランキングにしました。
ルールとしては
- 2019年に日本の劇場で公開されたもの(本国公開が2018年のもの含む)
- 映画の出来とポスターの出来は関係ない
- ビジュアルとしてカッコイイかどうかも大事だが、あくまで映画の内容を踏まえたポスターになっているかが重要
って感じです。
まぁエンタメである以上は個人の好みが多少入ってしまうのですが、厳密さを求めずになんとなく読んでいただけると幸いでございます。
第5位 JOKER
ま、これはもう僕が評価するというよりも、世間的に十分評価されたポスターだと思います。
特に日本版ポスターもほとんど本国版と同じデザインを踏襲しているあたりが良かったのではないでしょうか。
このJOKERをキッカケに、日本のポスターも過剰に情報を詰め込んだポスターから離れてくれると嬉しいんですけどねぇ。
そんな期待も込みでランクイン。
第4位 グリーンブック
2019年のアカデミー作品賞ですが、この作品が好意的に受け止められた理由の一つはこの映画ポスターも関係しているのではないかと思っています。
劇中に登場する車のカラーを活かしたポスターなのですが、パッと見て「なんか幸せそうな映画だぞ」と感じませんか?
近年のアカデミー作品賞はヘヴィな内容の映画が受賞してきました。
そのカウンターとして、全体として楽しい雰囲気のある映画が評価されたのではないかなとも思うのです。
このグリーンブックに関しても、日本版ポスターの青空加工がしてあるのもアイデアとしてありだなと思いました。
第3位 女王陛下のお気に入り
どうしても本国版ポスターに比べ日本版ポスターは過剰な情報が多く文句ばかり言ってしまうのですが、なかには「いや、これは日本版の方が良いのでは?」と思うこともあるわけです。
そしてこの《女王陛下のお気に入り》の日本版ポスターはかなりいいんじゃないかなと思っています。
キャッチコピーも主張しすぎずさりげなく添えられているのですが内容はというとシャレがきいてて皮肉っぽさがあるいいコピーだなと。
このキャッチコピーがあるおかげで「ちょっとコメディでもあるのかな」と予感すると思うんですよ。
この「ごめんあそばせ」の一言が映画全体の軽やかさと禍々しさをうまく表現できていますよね。
もしもこの作品が興行収入1000億円を目指すタイプの映画だったら、こうはいかなかったと思います。
ある程度小規模な作品だからこそ、自由度と完成度の高いポスターになったのかなと。
本来は逆だと嬉しいんですけどね。
第2位 ジョン・ウィック3
ここにきてノリにのってるキアヌ・リーブス。
今や代表作になったジョン・ウィックですが、シリーズ3作目では映画もキレキレだしポスターもキレキレでした。
こちらのポスターは正直に言うと「映画の内容に合っているか」はあまり関係ないです。
それよりも「いかに!いかにジョン・ウィックがスタイリッシュでクールな映画なのか!!」ということを強烈に訴えかけるポスターですね。
この映画に関してはそういうポスターの方が相性がいいと思っていて、お客さんもキアヌ・リーブスにうっとりするために行くわけでしょう(半分以上は男性な気もするが)。
そういう意味においては「ポスターと映画の相性はバッチリ」とも言えますね。
第1位 ファーストマン
これは日本版ポスターではなく本国版ポスターのことを指します。
以前ブログ内で日本版ポスターを激しく非難しましたが、本国版ポスターはとても素晴らしいポスターだと思います。
宇宙飛行士の孤独、もう今はいない子どもを思う父親、妻と心が離れていく夫。
家庭でもなくNASAでもなく地球でもなく、ここではないどこかへ行ってしまった人間の顔というものを極めて少ない情報で描き出しています。
映画を観る前は「なんでこんなにつまらなそうな顔なの?」と興味を引き、映画を観た後だと「彼の人生は果たして幸せだったのだろうか」と思いはせる。
まさにビジュアルも優れており、映画ポスターとしても優れている傑作です。
ライアン・ゴズリングとアートディレクターがいかに良い仕事をしたか分かるポスターですね。
映画そのものは「こりゃ傑作だ!」とまでは思いませんでしたが、今振り返ってみるととても素敵なポスターだったなと思います。
ワースト1位 キングダム
うーん。
他にも「こんなポスターはダメだ!!」みたいに怒ったポスターはたくさんあった気もするんですけど、ここはキングダムをワーストで選ばせてもらいました。
「情報過多なくせに、何が言いたいのか分からない」点や、「過剰に言葉で映画を説明してしまう」あたりなんかが「よ!!これぞ伝統的ダメな日本映画!」みたいな感じがしちゃって。
これよりダメな映画はたくさんありましたが、いつまでたっても日本の大作映画ってこんなレベルなのかなぁと考えると悔しくなります。
そんなわけで申し訳ないけどワーストです。
まとめ
映画の興行収入とはあまり関係のないランキングになりましたね。
アカデミー作品賞をとったグリーンブックが特別な輝きをもっていますが、その他は基本的には「商業主義な作品ではないが、映画としての完成度をギリギリまで追求した意欲作」が多いように感じます。
温度の高い映画だからこそ、ポスターのディレクションも熱くなるのかなと思ったり。
さて、来年も色んなポスターが観ることが出来たらいいなと思いますよ。
それでは、また。
映画ランキング2019 《ベッタベタなランキングです》
2019年映画ランキング
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
スターウォーズEp.9の公開をもって、なんとなく僕の中で2019年も終わりになりました。
今回は2019年の映画ランキングを一応つけてみようかなと。
ルールとしては
2019年の映画であること
本国公開が2018年とかであっても、日本で2019年に上映されていたら2019年としてカウントすること
としてます。
まぁ、別に厳密なルールはないですけどね。
何の権威があるわけじゃあるまいし。
では、ご興味がある方は読んでいただけると嬉しいです。
第5位 ブラック・クランズマン
鑑賞体験そのものが思い出になるような映画でした。
観ている間、イヤな気持ちになったり笑っちゃったり勉強になったりハラハラしたり。
映画の最後にはトリップした演出もあったりと、とても多角的に楽しめた映画でしたね。
人種差別を取り扱った映画は観るのに体力が必要ですが、このような手法もあるのだなと感心した次第。
第4位 トイストーリー4
日本では低評価も目立った今作。
自分のまわりでも「3で終わっていて欲しかった」と言う人もいましたね。
でもやはり僕はこの作品は何があっても擁護したいと思っていて。
今までずっとアンディやボニーの気持ちを考えてきたウッディが、ついに自分の内なる声に従い出すというストーリーに涙が止まらなくて。
「自分の為に生きる」ということが、誰か大切な人とのお別れを意味することだという、ピクサースタジオめ、なんてこと考えやがる!という。
この20年以上、僕自身もウッディに幸せにしてもらったんだな、と本当に思いました。
ただただウッディに幸せになってほしいと願うばかり。
映画の出来としてはちょっと無駄な点も多かったという印象ですが、そんなの飛び越えての感動がありました。
第3位 グリーンブック
世間では「クラッシュ以来の最低のアカデミー作品賞だ」なんて声もあったみたいですけど、個人的には「ディパーテッド」以来の10年ぶりくらいに好きな作品でしたよ。
この作品が所謂【白人の救世主】として描かれているじゃないか、という批判も理解できるのですが、その苦々しさも含めての素晴らしい映画だなと思ったんですけどね。
僕は別にこの作品が「完璧だから好き」というわけでもなくって、不完全さも含めての良さだと思っています。
でも何よりもこの映画が好きなのは、演技、演出、旅の風景、心情の移り変わり、そして音楽が非常に高いレベルでミックスされているという点です。
映画が終わる二時間たっぷりとロードムービーの心地よさを味わうことが出来て「ああ、映画館に来て良かったなぁ」と幸せな気持ちを噛みしめました。
第2位 スパイダーマン:スパイダーバース
映画を見終わってしばらく、あまりの衝撃に興奮と絶望がグチャグチャになったような感情でした。
コミックスを映像化する、という手法の一つの完成形を見せつけられた気がして、「ああ、これはもう同じやり方では日本アニメは勝ち目が絶対にない」と思い知らされましたね。
映像レベルで遥かなレベルの差を見せつけられたうえに、ストーリーも一流、社会的テーマも押さえてある、キッズ向けアニメとしても十分(なんと2歳の息子までハマって見てました)、そして音楽が半端じゃなくカッコイイという、奇跡みたいな作品でした。
今年一番回数を多く観た映画でしたね。
第1位 アベンジャーズ エンドゲーム
これを1位にしちゃうってのもバカっぽくてイヤなんですけど、ここはもう気持ちに素直な評価にしようと思いまして。
別にこの映画を“単体の映画として”完璧だとは思ってなくて、3時間はやっぱり長すぎるしストーリーの展開も納得いっていない部分も多いです。
とはいえ、エンドゲームの公開前後、これだけ多くの人と「エンドゲーム観た!?どうだった!?」と語り合ったことはないですし、SNSでもかなりの情報がエンドゲームに占められていたし。
日本での興行収入は大したことなかったみたいですが、それでも観た人の心を大きく揺さぶり、とにかく「語り合いたくなる」映画だったという点でエンドゲームが2019年ベストだと思いました。
僕なんかは別にマーベルオタクでもなんでもないんですけど、それでもこの10年間、彼らと共に過ごせた映画ライフは楽しかったなぁとしみじみ思います(まだ続いていくけどね)。
ありがとう、アベンジャーズ。
次点
順不同ですが、他にも大好きな作品はあったのでいくつかご紹介。
スパイダーマン ファーフロムホーム
ジョン・ウィック パラベラム
ワンス・アポン・ア・タイム・イン ハリウッド
JOKER
女王陛下のお気に入り
あたりは、第5位に入ってもおかしくなかったかなと思います。
でもトップ4はガチガチに決まってるかな、みたいなランキングでした。
正直なことを言うと、2019年自体は映画の当たりは少なかった印象です。
全体的に小粒な作品が多かったなって気がしていて。
来年はもうちょっとぶっ飛んだ映画が観られたらいいなぁなんて思います。
そういえば、邦画が一本も入っていないのは残念ですね。。
どうしても時間がとれなくて「蜜蜂と遠雷」を観られなかったのですが、もし観ていたらランキングに入ったかな??
去年は「勝手にふるえてろ」と「カメラを止めるな!」という素晴らしい邦画に出会えたのもあったので、来年は期待したいと思います。
ワースト1位
一応ですけど、今年のワースト映画ものせとこうかなと。
えー、ファンのみなさん、ごめんなさい。
アクアマン
です。
こんなこと書くと「お前がマーベル好きなだけだろ!!」って言われちゃいそうなんですけどそんなことなくって。
アクアマンは「脚本に無駄が多いし、キャラクターの作り込みが甘いから共感も出来ないし観ていてイライラする」というような状態が常に続いていた印象。
DCもJOKERのような最高の映画を作る実力派あるスタジオだし、今後も公開されたら観るとは思いますが、今作のような出来が続くならちょっと厳しいかなぁ。
まとめ
結果的に「映画史上で最も売れた映画」と「オスカー受賞作」がトップ3にくるという非常に恥ずかしいランキングになってしまいましたね。
でもランキング内の作品はいずれも忘れがたい名作ばかりだったので仕方ないですね。
毎年そうなんですけど、今年は特にリメイクや続編ばっかりだった気がする2019年。
来年は可能で有ればオリジナル新作の傑作に出会いたいものですけどいかがでしょうかね。
それでは、また。
ブラック・クランズマン 《すっきり飲みやすい猛毒》
映画の点数…92点
ポスターの点数…75点
ストレートに面白い映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《ブラック・クランズマン》です。
僕がこの作品のことを知ったのは、監督のスパイク・リーが今年のアカデミー作品賞の《グリーンブック》を批判していたことが最初だったように思います。
けっこう色んなことに積極的にガブガブ噛みつくタイプの監督ですが、個人的にはグリーンブックは大好きな作品なので「まぁそこまで言わんでも…」とも思ったのですが、指摘されていた点も「なるほど確かに」と思うところもあり。
やはり映画で差別というものを表現するのは難しいのだなと改めて思いましたね。
ではそんなスパイク・リーが描く「黒人(ユダヤも含む)差別」映画はどうなっていたのか。
まず素直に思ったのは「想像していたよりも、ストレートに面白い映画だな」ということでした。
映画のストーリー
まず映画の脚本が優れているのだと思います。
KKKや黒人差別、ユダヤ人差別、ホロコーストが無かったという発言、そして実際に怒った事件を背景に映画は進んでいくのですが、それらヘビーな史実をうまく脚本に取り込んでいます。
時には時系列をバッサリ無視して「映画として面白いかどうか」で映画を組み立てているようです。
KKKに潜入捜査を試みる黒人警察が、いかにしてKKKの犯行を阻止するか、逮捕までもっていくかが映画の基本設定となっています。
差別を取り扱った映画ながら、「バレるかバレないかサスペンス」だったりコメディだったりするわけですね。
「シンドラーのリスト」や「デトロイト」のような描き方の映画もあるしどちらも好きな作品ですが、少なくとも2018年~2019年はブラック・クランズマンやグリーンブックのような軽やかなタッチで描く映画がウケたのでしょう。
近年は特にポリコレだったりフェミニズムが一部暴走したような事例もいくつか散見されたので、もしかしたら「もうちょっとライトに表現できないだろうか」と世界中がなんとなく感じていたのではないか、なんて思ったり。
そんな空気感の中でこの映画は軽やかに世間を驚かせたんじゃないかなと思います。
映画の良い点
上記にあるように、まず何より映画が面白いということです。
当たり前のことを言うようですが、これって結構難しい。
僕は大大大好きな作品ではあるんですけど、一部ストーリーがグラグラしている部分があるのも事実。
でも作品がどのようなメッセージを持っているのか紐解いてみると、実に考えに考えに考え抜かれたストーリーだということが分かります。
「メッセージが考え抜かれている」からこそ、それを映画化するに当たって脚本に不具合が出てくることってよくあると思うんです。
だから、その不具合だけを観て「この映画面白くなーい」と言われちゃうのは可哀想だなと思いますが。
ですがこのブラック・クランズマンは「映画として面白い」し、「メッセージもドッシリとある」映画です。
しかも色んな映画ジャンルのいいとこ取りでもあって。
ヒヤヒヤサスペンスもあれば、素直に笑えるコメディでもあるし、歴史的な重厚さも感じるし。
だから気付きにくいのですが、非常にすっきりしていて飲みやすいのに実は猛毒っていう映画で。
見終わったあとはしばらく体が麻痺しちゃうような感覚になりますね。
映画のラスト
ネタバレとまでは言いませんが、映画のラストにトリッキーな演出が待っています。
あれを映画の文法としてとらえると色々な意見が出そうですが、個人的はとても良かったと思いますね。
あれがあるおかげで「お前ら何安心して映画観てるの?ちょっとこっちこいよ」と現実に無理矢理放り込まれるような感覚になります。
それが映画を激辛にしてていいなと。
政治的主張の多い映画は好きでは無いんですけど、ホロコーストと同じで「実際にあったことは、実際にあったこと」として真正面からとられるのは必要なことと思うので。
ポスターの感想
英語オリジナルのバージョンと、日本のポスターのバージョンを見比べてみたいと思います。
まずこっちが本国版。
主演の二人を左右に分割して、中央に“色的な意味で”白を配置して綺麗なレイアウトになっています。
文字情報も目ですぐに可読でき、洗練さを感じます。
一方、日本語版ポスター
なんだか急にガチャガチャしだしましたね。
違いは「ポスター上部のキャッチコピーの面積がでかい」こと「主演の二人が画面中央に寄ってきている」こと「中央のKKKをイメージさせる白い布に、目がついている」という点がパッと目に入ります。
このうちの「主演を観やすくする」ということと「KKKを分かりやすくする」という点に関しては理解できます。
この時点でワシントン息子さんはまだまだ無名だし、アダム・ドライバーの知名度も映画ファン以外にはそこまで無いでしょう。
KKKに関しても、近年再び話題になっているとはいえ知らない人も多いでしょうから。
ただそれは配慮したとしても、いくらなんでもこれだけ文字がゴチャゴチャしているのはやはりどうかと思います。
元々あったスタイリッシュさがほとんど無くなっていますからね。
痛快リアル・クライムエンタテインメント、みたいなコピーは不要ではないでしょうか。
結局何言ってるのかわかないし。
中央の「俺たちがすべて暴く」ってコピーも不要だと思います。
別にいいコピーでもないし、特にそういう映画のトーンでもないですから。
別案
個人的にはすべてこのポスターで良かったのではないかと思います。
アメリカ国旗が黒くひっくり返っている、そこに黒人男性が立っている、というだけでもはや一つのメッセージを感じます。
タイポグラフィもオシャレで、この映画の持つ皮肉めいた姿勢やスマートさをうまく表現できていると思います。
まとめ
はからずもグリーンブックと鏡合わせのような映画であるブラック・クランズマン。
どちらが面白いかは人それぞれだとして、僕はどちらも鑑賞することでより自分の知識がより立体的になると思います。
グリーンブックにしろブラック・クランズマンにしろ、こういう映画がそんなにお客が入ってないってのはどういうことなんだと思っちゃいますけどね。
良かったら見てみてください。
それでは、また。
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スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け 《ネタバレ注意!!》
映画の点数…53点(大甘で)
ポスターの点数…70点
新シリーズ、ここに終結
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け》です。
スカイウォーカーの夜明け(邦題)と、ライズ・オブ・スカイウォーカーではさすがに意味が違いすぎるのではないかと思っているので、これ以降は「エピソード9」で表記します。
さてスターウォーズの新シリーズ7~9が、本作で決着を迎えます。
今後もスターウォーズシリーズは一年にひとつずつくらい関連作品を作る計画があるとディズニー社は発表していますが、真偽はともかくとしてそれも今作エピソード9の評価次第となるのではないでしょうか。
僕とスターウォーズ
おそらく映画ファンと同じ数だけ「僕とスターウォーズ」という思い出や思い入れがあると思います。
スターウォーズが嫌いだという人も、それが映画史や現代デザイン史に大きな影響を与えたことは否定しないでしょう。
で、僕にとってのスターウォーズというのをほんとに軽くお話すると、最も偉大な作品はやはりエピソード4「新たなる希望」だと思っています。
あとは多くの方の意見と同じくエピソード1~3は残念な出来だと思っていて。
個人的には“最も好きなエピソード”は実はエピソード7「フォースの目覚め」なんですよね。
というのも、とにかくレイというキャラクターが好きすぎて。
キャラクターとしても好きだし、こればっかりは仕方ないんですけどタイプにも程があるくらいタイプってのは大きいです。
もはや完全に「好きな女が出てるからその映画も好き」という、最もダメな映画ファンなのです。
ところがその次のエピソード8「ラストジェダイ」は、もうぶっっっっっっっっっちぎりで嫌いな作品でして。
僕はこのスターウォーズ8を観るために往復200キロをバイクで移動したのですが、その思い出も含めて悲しい気持ちでいっぱいです(アイマックスの良い環境で観たかったので、県をまたいで観に行った)。
その間に公開された《ローグワン》と《ハンソロ》も結構ダメな作品だと思っていて、はっきりと自分の中で「ああ、もう僕の大好きなスターウォーズは無くなったんだ」という気持ちを感じていますした。
ダークサイドに落ちきった状態で観るエピソード9、僕と世界中のフォースのバランスを取り戻すことは出来るのか??
以下、作品の完全なネタバレを含みます!!
観てない人は観てから読んでくださいね。
映画の感想
まず最初に結論的なことを言います。
J.Jエイブラムスよ。
君の意思は受け取った。
でも、ダメだったよな、わかるよ、しょうがねえ、とりあえず乾杯でもしようか
て感じです。
前述の通りですね、僕はエピソード8でスターウォーズは死んだものだと思ってるんですよ。
でもそんなことディズニーにもJ.Jにも言えないしさ。
どうにかするしか無かったわけじゃん。
で、どうしたかと言うと
スターウォーズ1〜7で積み上げた貯金があった→
しかし、エピソード8で信じられないくらいの借金を背負った→
仕方ないので、エピソード5〜6の貯金を下ろして返済した(しようとした)。
という方法でした。
皇帝の復活
映画の冒頭、画面がスクロールしていくオープニングがありますよね。
その一行目でもう笑っちゃったんですけど、『皇帝が復活した』っていう笑
皇帝が復活するのはもうCMとか観ていて分かっていたこととはいえ、まさかオープニングで言い出すとは思わなくて。
これってエピソード8を帳消しにするためには、もう時間がどれだけあっても足りないからいきなりぶっ飛んだ敵を用意したんだろうなって。
で、これも噂になってたけど『レイは皇帝の孫』ってのを比較的早い段階で説明して「ダークサイドに落ちないように気をつけながら、皇帝をやっつける」ってのが最終目標ってのを観客に示します。
つまりエピソード6の焼き直しなんですけど。
この時点でもう僕は腹をくくりました。
おそらくこの先、映画が終わるまで驚くようなことは無いって。
でも、もういいじゃん。
一度死んだ映画を、どうにかこうにか閉じようとしている監督を応援しようって。
映画の良かった点
もちろん映画に良かった点もたくさんありました。
冒頭、カイロ・レンが皇帝の元に辿りつく→スターデストロイヤーが膨大な数浮上するっていう流れはテンポよくて良かったですね。
「お、面白そうな映画が始まったぞ」って感じはしました。一瞬。
市場調査はかなりしたのでしょう、エピソード8で不満が爆発した点をなんとかケアしようとしていたのは良かったと思います。
まずローズは完全な脇役になりました(女優さんに罪はないのですが、やはりあのキャラは不要だったと思います)。
ヨーダとかベネチオ・デルトロとかジェダイの島にいた鳥とか、余計は人達は退場させました。
前回ひどい結末を迎えたルークをあっさりと復活させて、どうにかこうにか形にしてました。
えーーーっと。こんなもんかな、良かった点は。
もっと色々褒めたい気持ちはあるんですけど、特に思い浮かびません。。
ここから、かなり膨大な量の悪口を言いますが、「そんなの読みたくねえ!」って人はご遠慮くださいませ。
映画の不満点
これはエピソード8の時もそうだったのですが、また同じ失敗をしてます。
それは「映画として無駄な要素が多すぎる」ことです。
映画の最初の段階で「16時間以内に皇帝のアジトを見つけてやっつけよう!」ってのがテーマとして示されます。
そこからがひどい、ひどい。
- 砂漠の星にヒントを探しに行く→ダサい剣を見つける、チューバッカ死亡、剣も奪われる
- ポーが昔活動してた星に行く→元カノに会って敵の船の鍵をもらう
- 敵の船に侵入→チューイは生きてた、鍵も奪還
- エンドアに到着、皇帝の場所を示す鍵をゲット→次の瞬間に壊される
- カイロ・レン、お父さんに説得されていい奴になる(エピソード7でそうしろよ)
- レイ、ルークのところに逃げ出す→よく分からない理屈でやる気を取り戻す
- 皇帝のアジトを見つけて最終決戦
まどろっこしいわ!!!!!
どう考えても16時間で間に合ったように見えないし、それまでに大量の仲間が死んでたけどそんなに仲間がいたように見えなかったし。
ドラクエじゃないんだからさ、一個クエストをクリアしながら次の場所次の場所に移動していくだけってどうなのよ。
その度にレイは好き勝手な行動をしてみんなを困らせてばかりで。
今回レイは全然仲間のことなんか信頼してなくて、もうほんとに勝手なことばかりなんですよね。
キャラクターの描き込みがダメ
上記の理由で、映画を通じてたぶん1時間以上は「特に必要のない場面」がずっと続いているという。
理由はけっこう分かりやすくて、今作は「レイはダークサイドに落ちるのか」と「カイロ・レンは良心を取り戻すのか」がテーマとなっていて、その二つが解決すること=(イコール)皇帝に打ち勝つ、というストーリーになっているからなんですね。
よって、フィンやポー、ローズやチューイ、新キャラの数人なんかは全く映画に必要ないんですよ!!
いやぁ、それはダメでしょう。
J.Jはエピソード7で魅力的なキャラクターをせっかく作ったのに、なんでそれを放棄したんですか?
例えばフィンは「元ストームトルーパーが、ついに自分の居場所を見つける」とか「ローズ、あるいはレイとの恋物語」という描き方があったはず。
ポーは「レイアからレジスタンスを受け継ぐ」という大きな仕事があったと思うし、それを描く時間的余裕は十分にあったと思います。
でもそれがぜーーーんぶ中途半端で投げ出されちゃって。
フィンは「ほら、今じゃん、告っちゃえって!」みたいなグダグダの恋愛シーン。
ポーはラストバトルで「みんなゴメン、作戦ミスだった(オワタ)」とか言って諦める始末。
全然彼らは映画を通して成長してないんですよね。
そういうのがすごくもったいない。
デザインがダメ
ストーリーに隠れていて見えづらいですが、今回はデザインが非常にまずかったと思います。
元々スターウォーズは、映画としては不出来な箇所はありつつも1977年当時には考えられないくらいスタイリッシュなデザインが人々の心をつかんだわけです。
あれ以上のインパクトを与えるデザインを再発明するのが難しいのは理解できますが、それにしたって今作はデザイン要素がひどかったと思います。
例えば「隠し場所を示す剣」のデザインもダサい、新キャラのドロイドもドライヤーにタイヤがついたみたいでダサい、アントマンワスプみたいなキャラも新鮮味がない、元トルーパーの女性が身につけている衣装も安っぽい、洞窟にいたヘビみたいなモンスターもダサい。
ちょっとくらい新しいデザインはないのかと探すものの、全然ない。
それはスターウォーズとは呼べないですよね。
結局はルークのXウイングやヘルメットをかぶって出撃するとかおいしいところはC3POが持って行くとか、過去のデザインに頼りっぱなし。
ラストバトルの不幸
この映画で一番盛り上がった(盛り上げたかった)シーンの話ですが。
それは音楽の使い方からも分かる通り、圧倒的戦力差のあるファイナル・オーダーとの対決にランドが民間からの応援を大量に連れてきたシーンですね。
「こんなに…こんなに味方が来てくれたんだ!!」みたいなシーン。
ごめんなさい、ちょっと笑っちゃいました。
理由の一つは、「じゃあなんで今まで助けてくれなかったの?」という疑問に対しての答えが特にないから。
それで今更来てもらっても「いや遅い!こっちはもう大半の人間が死んだわ」としか思えなくて。
まぁこれも前作の「誰も救援に来てくれない!」というストーリーを作ったことが問題だとは思いますが。
それともう一つ笑えちゃった理由。
それは、半年前にアベンジャーズで似たシーンを見ちゃってたから笑
しかも圧倒的にそっちのシーンの方がかっこ良かったし音楽の使い方も良かったから。
「うわ〜かぶってる〜、アッセンブル〜」って誰もが思ったのではないでしょうか。
ただし、アベンジャーズもスターウォーズも同じ理由で不満な点があって。
それは「総攻撃 vs 総攻撃」で戦っているというシーンを用意したわりには、結局アイアンマンやレイ個人の頑張りによって一気に物事が解決してしまう、という点。
これはちょっと冷めちゃいますね。
ていうかそうじゃなくっても、なんでラストでレジスタンスが勝利したのか僕はよく分からなかったんですけどね。。。
敵の親機をやっつければ、他の艦も誘爆するの??
まさかあの量をやっつけれるとはとても思えないのですが。。。
既にこのあたりでは映画に対してとても温かい目線で観てたので別にいいんですけど。
まとめ
散々な書きようで文句ばかり言ってきたうえで言うのもあれなんですけど、僕はこのエピソード9に対してはそんなに怒りはないんです。
というのも、やはりスターウォーズはエピソード8で終わったと思っているから。
もちろん僕だって、エピソード9が尋常じゃ無いくらい出来がよく、前作を帳消しにするような作品が出来ることを期待はしていました。
でもそれはルッソ兄弟だろうとJ.Jだろうと、そしてジョージ・ルーカスにも不可能なミッションだったと思います。
なので僕はこの映画を、「かつて大好きだった友人のお葬式」だと思って鑑賞していました。
お葬式ですからね、今更故人の事を悪く言ってもしょうがないじゃないですか。
「ああ、こんな楽しい日々もあったよね」なんて振り返りながら2時間楽しみましたよ。
これからもエピソード1〜7までは何回も見直すと思うんですよ。
もうそれでいいのかなって。
それに今シリーズはデイジー、ジョン・ボイエガ、アダム・ドライバーという素晴らしい役者を発掘したというだけで既に偉大だと思ってるんです。
さようなら、スターウォーズ。
4年前、あれほどワクワクした日々のことを懐かしく思いながら、お葬式を終わりにしたいと思います。
それでは、また。
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X-MEN ダークフェニックス 《最後がこれってどうなのX-MEN》
映画の点数…68点
ポスターの点数…30点
19年目にしてシリーズ最終作
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《X-MEN ダークフェニックス(2019)》です。
2000年より始まったX-MEN映画シリーズ。
ウルヴァリン役のヒュー・ジャックマン最大の当たり役としてスタートしたわけですが、シリーズもついに19作目。
ヒュー・ジャックマンは先日X-MENから引退。
映画シリーズもついに今作をもって一応の締めくくりとなります。
シリーズの最終作で言うと、同じマーベルのアベンジャーズも一旦ファーストクラスのメンバーが卒業。
スターウォーズも最新の3作が終了、トイストーリーも一つの終わりを迎えたりと、考えてみるとなかなか切ない1年になりました。
さて、では世界最高の興行収入を叩きだしたアベンジャーズに対し、先輩であるX-MENの最終作はどうだったのでしょうか。
映画の感想
いや………面白い………けどさ。。。。
ストーリーは、けっこう王道のスタイル。
というよりも初期X-MEN3のジーンが暴走する話と通じる箇所は多く、「ダークサイドに落っこちちゃった仲間を救い出せ!」ってのが話のベースです。
「ここがおかしい!」みたいな点はそんなにないんですよ。
ちゃんとまとまっている。
でも正直、「え、これでシリーズ最終作なの?」という感想の方が大きいです。
X-MENっていうのは、コミックスがスタートした1960年代から一貫して「虐げられているマイノリティ達のカウンター」というテーマがあるものだと理解してます。
でも今作はそのテーマの扱いは極めて薄く、「あいつは仲間だから助ける!」とか「あいつは裏切ったからころす!」とか、その程度の話なんですよね。
今まで「差別してきた側の人間」は今回ほとんど登場することはありません。
ラスボスがあれって…
ネタバレになってしまいますが、今回のラスボスはなんと………宇宙人です。
う…宇宙人!!?
ミュータントでもなんでもなく、ちょっと力が強めくらいの宇宙人。
これで盛り上がれと言われてもけっこうツライ。
今の今まで「差別されないよう社会貢献してきた」とか「人里離れて暮らしてきた」とか描いておきながら、最終的には宇宙人をやっつける話になっちゃうって。
それはX-MENシリーズの幕引きとしてはどうなんでしょうか。
おかげで映画の終わりも「なんとなく人間とは仲直りしたともしてないとも言えません」みたいな非常に中途半端な形で終わっています。
2019年はブラック・クランズマンやグリーンブックといった差別を取り扱った映画が評価されました。
というより近年は良くも悪くもマイノリティに対する表現の仕方は映画界全体のテーマとなっています。
そのなかにおいて、X-MENってかなり早い段階から「子どもも観るアメコミを通じて差別が蔓延する社会を立体的に浮かび上がらせる」ことに成功した作品なわけです。
そのX-MENのラストがこれって……いやぁ。。
映画の問題点
この映画の最終的な敵を宇宙人にしたことで、確かに利点も少しはあります。
まず映像的な見せ場として、今まで敵対していたマグニートーと手を組んで「X-MENオールスターズ」として敵と戦う、というのは観てて楽しかったです。
それと、無理矢理解釈するならば「俺たちは差別なんかしている場合じゃない!もっと大きな脅威に対して手を組んで戦うべきだ!」というメッセージという風に、とれなくもないっちゃない(どっちだよ)。
例えば自然災害、環境問題とか?
あるいはテロルとの戦いとか?
でもやっぱりそれって無理矢理すぎますよね。
X-MENに求めるのはそれ以前の問題で、「差別は未だこの世にはっっきりとした形で存在している」ということを描いて欲しいんですよ。
今作ではジーンが暴走することで市井の人から恐れられるわけですが、それもホントに形だけしか描いてなくて。
X-MENがスタートしたのが2000年なわけですから、2019年度版、決定版としての「X-MENとは何か」を真正面から描いて欲しかったですね。
映画としてつまらなかったわけではないので点数的には低くはないですが、個人的にはけっこうガッカリしているところです。
ポスターの感想
ポスター……うーん、ポスターも別になんというか…。
良くないですよね笑
登場人物達をとりあえず並べたのはいいんですけど、そう、この映画って主要な数人のキャラ以外はけっこう暇な時間が長くて見せ場もそんなに無いんですよ。
だからこうして「ポスターの中にはいるけども、特にやることがない」みたいな感じに見えるんじゃないでしょうか。
だったらもうここは一気に振り切ってしまって、ジーン役のソフィー・ターナーをもっともっとデカくして「この人の映画です!!」とするくらいでいいんじゃないかと。
別案
そんなことを考えていたらこういうポスターもありました。
うん、こっちの方がいい気がしますね。
背景の「X」の文字がなんとも言えないダサさを演出していますが、もうそこは逆にアリってことで。
こっちの方がよほどいいビジュアルだと思うんですけどね。
まとめ
それなりに期待していた作品だっただけに、けっこうテンションが低めになってしまいました。
やはりアベンジャーズが奇跡だっただけで、続編をまとめあげるってのは非常に困難なのだなぁなんて思いますよ。
とはいえね、別にX-MENが今更「やっぱり続編作るわ!」とか言い出したところで別に誰も反対しないと思うんです。
もしもこの世に、どうしても描く必要のある差別が表出してきた時にはX-MENが再びやってくるんじゃないですかね。
と、言い訳なんてしつつ。
それでは、また。
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キングダム 《このやり方ではいつまでたっても…》
映画の点数…52点
ポスターの点数…6点
2019年度邦画実写No.1
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《キングダム》です。
ヤングジャンプ連載マンガの実写化。
主演には山崎賢人さんや吉沢亮さん、橋本環奈さん長澤まさみさん、一番おいしい王騎将軍役に大沢たかおさん等。
ちゃんと10億円くらいの予算をとって制作された日本では大型作品になりますね。
シンゴジラよりも多いのかな?
若手の主演映画でここまで予算をとったってのは今の日本映画産業を踏まえるとなかなか偉いなと思う次第。
日本での興行収入も2019年度でトップ10に入ります。
評判も上々で、近年のマンガの実写化作品の惨敗の歴史を考えると「よくやったぞ!」って感じじゃないでしょうか。
で、僕の感想としては………
ごめんなさい、けっこう普通にダメでした。
キングダムというマンガに対して
まず僕自身は、キングダムのマンガのファンです。
全巻所持してるマンガだし、ここ10年のマンガの中で最も優れたマンガの1つだと思ってます。
すでに50巻を軽く超える巻数出ているにも関わらず、大きな息切れもしない作者さんの力量が素晴らしいですね。
そんな大好きなマンガの実写化なので思うところは色々あるんですけど、基本的には「マンガと映画は別物」として観るようにしているので「マンガより良いとかダメ」という感じでなく「普通に映画としてどうか」で考えるようにはしています(もちろん完全には無理だけどさ)。
映画の良かった点
映画全体の印象になりますが、全体としてはとても良かったです。
まず、「スケール感」に関しては非常に計算されたのだろうなという印象。
2時間の映画の中で、安っぽさを感じるシーンはかなり少なかったです。
登場人物達の衣装もかなりしっかりしており、コスプレ感がする人も少なかったですね(長澤まさみさんはちょっと危なかった気もしますが。)。
CGでの処理や中国でのロケをうまーーーく利用して、「大きく見せる場面では大きく!!」「粗が見えそうな場面では小さく」写すなど工夫が見えて良かったです。
ちゃんと身の丈にあった映画の作り方が出来ていたと思います。
「そういう工夫そのものが安っぽいってことなんじゃないの??」って意見が飛んできそうですが、そんな事言ったって隣の劇場では《エンドゲーム》のような300億円かけた映画も同時にやってるわけですから。
同じ土俵で勝負する以上は、言い訳なんてしてないで精一杯工夫していい映画を作ろうとする姿勢の方が僕は好きです。
マンガのオリジナルストーリーの部分を残す箇所は残し、省略する部分はバッサリ切るあたりも潔くて良いと思いました。
そりゃ一本の映画として考えると河了貂(ハシカンさん)は丸ごと必要なかったし邪魔だなぁとは思いましたが、そこまで言い出すとマンガファンからの反発もありそうだしなぁとか。
アクションシーン
アクションシーンはかなり良かったです。
ワイヤーアクションで思い切り人がぶっ飛んでいくのですが、なかなか思い切りが良くて。
「そんなに人は飛ばねぇだろ!!」というツッコミなんてお構いなしにブンブン人が飛び散らかっていくので観ていて気持ち良かったです。
まぁマンガの実写化ですからね。
あのくらい勢いがある方が観ていて楽しいですよね。
映画の不満点
これを言っちゃうとお終いなんですけど。。。
でも言わないとしょうが無いので言いますが、主演の山崎賢人さんがダメでした。
彼が脇役とかだったら別にいいんですよ。
でも彼が主演である以上、彼を中心に映画は進むし彼の印象そのものが映画の印象になります。
彼の演技が気にならない人ほど、この映画を楽しむことが出来たのだろうと思います。
逆に言えば、彼の演技に引っかかってしまった僕なんかは映画全体に大きくストレスがかかってしましました。。。
山崎賢人さんは、この映画の中での演技パターンが二種類しかないんですね。
「チンピラっぽく(奴隷の身分なので言葉遣いがなっていない)強がる演技」と「うわあああああと泣きわめきながら怒る演技」の二種類。
ハッキリ言って、そのどちらも「演技」にしか見えなかったです。
演技パターン
まずチンピラ演技の方ですが、おそらく山崎賢人さん自身はとても「いい人」なんじゃないでしょうか。
あのー、全然チンピラ感が出てないんですよね。
怖くもないし、強そうでもない。
ただうるさいだけで、彼が喋る度にストーリーが止まってしまうので邪魔なんですよ。主演なのに。
「泣きわめき演技」の方は、なんていうかホントにいつもの「日本人的泣きわめき演技のフォーマット」でしかなくて。
どっかで観たことあるなと思ったら、進撃の巨人の三浦春馬さんとかデビルマンの主演の双子とか(名前も分からん)と一緒なんですよね。。。
なんであの泣き方しか出来ないんだろう。
その泣きわめき演技が映画の中で5回とか6回出てきます。
まぁ落ち着けよ。
親友が死んで悲しいのは分かるが、2時間の映画の中で5回も回想しないでよ。
ひどい時には死んでから2分後くらいには回想してたでしょ。
こっちも一応義務教育は受けてるから、そんなに頻繁に思い出さなくてもちゃんと君の悲しみは覚えてる。
だからもう泣かないで。
映画が止まっちゃうし、なんか敵の人も泣き終わるまで待っててくれてて可哀想。
演出の問題
この演技がダメな問題って、佐藤監督の演出の問題なのかなとも思いました。
何故なら、山崎賢人さんとか橋本環奈さんとかはダメなんですけど、吉沢亮さん、長澤まさみさん、大沢たかおさんとかは普通にいいんですよ。
特に吉沢亮さんなんて一人二役という難しい役どころなのですが、本当に別人に見えたし素晴らしかったです。
大沢たかおさんに至っては、一人だけ「完全にマンガ的なキャラ」にも関わらず、ギリギリ魅力的に見えるラインで演技を見つけ出してて感動しました。
これってたぶん、「もともと演技レベルが高い人は良い」ってことなんじゃないでしょうか。
つまり、それぞれの役者のレベルがそのままキャラクターの良さに繋がっているんじゃないかと。
例えば長澤まさみさんは、「普通に喋る演技」の時は良いんです。
ですが、アクションシーンになると急にダメダメになるんですよ。
これって、長澤まさみさんのアクションの演出がうまくいってないってことですよね。
アクションシーンがダメならダメで、ちゃんと「最強の女戦士」に見えるように演出するべきでしょう。
めちゃくちゃ鍛えて練習してもらうのか、CGで誤魔化すのか、アクションダブルを使うのか。
そのへんが全て役者さんまかせになってるから、映画全体の役者さんのトーンがチグハグに見えるんだと思います。
僕は別に山崎賢人さんが嫌いとかではありません。
でもね、そりゃ人には向き不向きがあるでしょうよ。
ジョジョの奇妙な冒険の実写化を観て、誰もが分かったはずです。
山崎賢人さんに、オラオラ系の役は向いてないです。
これはもう、キャスティングの時点でまずかったんだろうなと思います。
ポスターの感想
うーん、、
ポスターもなんていうか、いつもの日本ポスターって感じですね。
キャラクターをどんどん積み上げていったら、そりゃ迫力は出るけどカッコイイかと言われるとどうにもなぁという感じ。
こういうポスターって、「今までのキャラクター達が大集合!」してるからカッコイイ部分ってあるじゃないですか。
例えば《エンドゲーム》のポスター。
11年かけて積み上げた歴史があるからカッコイイんですよね。
でもキングダムは初の映画化なんだし、誰も知らない人達なわけでしょ。
こんな風に積み重ねても、単純に見にくいだけだと思いますよ。
ここはもう、山崎賢人さん一人、もしくは山崎賢人&吉沢亮&本郷さん3人とかの方が良かったでしょ。
そして、ビジュアルとしての美しくない原因は配色に問題があるようです。
全体的にホコリっぽくしてあるうえに色もバラバラ大きさもバラバラで何がなんだか分かりづらい。
このへんも進撃の巨人と全く一緒。
ていうよりポスター作った人まで同じなんじゃないかと思うレベル。。
例えばですが、スターウォーズのポスターはこんな感じです。
全体を青と赤の2色で統一して、敵と味方で分けています。
キャラクター自体は多いのですが、大きいキャラ、中くらいのキャラ、小さいキャラと大きさのバランスも揃えてあり、それぞれがあまり重なりあっていないのでスッキリして見えます。
キャラクターが多いからってゴチャゴチャするかどうかはあまり関係ないわけですね。
まとめ
けっこうお金もかけたチャレンジングな映画だったし、ハッキリと良いところもたくさんあった映画だと思います。
それでもやっぱり、今のような映画の作り方をしている以上はとても世界に輸出出来るような映画は出来ないと思うし、そうなると産業として先細る一方なわけですよ。
そういう意味においては個人的にけっこうガッカリした部分も大きかったです。
続編があったら観てみたいとは思いますが、とにかく「まず一本の映画として面白いものを作ろうぜ」という映画を作ってほしいなと。
今年日本で最も売れた映画は「天気の子」ですが、あれなんかは「売れるかどうかは知らんが、こういう映画を俺は作りたい」という極めて作家主義的な映画でもあったと思うんですよ。
映画に希望があるとしたら、そっちの方向だと僕は思うんですけどね。。。
そうやって映画全体のレベルを上げたあとに、ちゃんと商業的な映画が作られると思うのですが。
それでは、また。
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エンド・オブ・ホワイトハウス 《ちょうどいい映画、ポスターワーク》
映画の点数…78点
ポスターの点数…95点
きたぞ、ちょーーーーどいい映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《エンド・オブ・ホワイトハウス》です。
ホワイトハウス・ダウンではありません。
エメリッヒの方では無く、アントニーさんのエンド・オブ・ホワイトハウスです。
まぁそのうち僕も絶対にどっちがどっちやら分からなくなるので、「しまった!借りる方間違えちゃった!!」という方もそんなに気にしなくていいと思います。
どっちの映画も、貴方の人生を変える一本ではありません(断言)。
とはいえ《エンド・オブ・ホワイトハウス》の方はなんだかんだで好評なのでしょう、続編が作られており、先日も《エンド・オブ・ステイツ》が公開されたばかりですね。
超B級映画
近年、ジョンウィックやイコライザーなど、味のある「皆殺しアクション」が乱発されました。
おそらくきっかけは「え、オスカー俳優なのにこんなアクション映画出るの?」と話題になったリーアムニーソンの「96時間」でしょう。
それ以降、ビッグ俳優がアクションのプロと組んでかなり本格的な「B級に見せかけた超A級映画」を作ってきました。
僕も大好きなシリーズです。
そのなかにあっていまひとつ話題にならない「エンド・オブ・ホワイトハウス」。
理由はおそらく「そもそもアクション映画に出てるジェラルド・バトラー主演だから話題にならない」点と、「B級映画に見せかけた、超B級映画」だからじゃないでしょうか笑
でもね、それで良くない?(唐突なタメ口)
「俺の今日の心の傷は、B級映画でしか癒やせない」なんて日もあるじゃないですか?
そんな日はセガールやヴァンダムに泣きついてもいいじゃないですか?
この《エンド・オブ・ホワイトハウス》もまた、そうした男達の心の傷を埋めるための映画なんですよ。知らんけど。
日本中の女子がタピオカで心の傷を慰めるのなら、僕たちはジェラルド・バトラーに抱かれて眠ろう、今日はそんなお話です(もちろん違います)。
映画のストーリー
ホワイトハウスが襲撃されて、大統領が人質になったから助けに行く映画です。おしまい。
いや、でも本当にこのまんまの映画なんですよね。
一応途中で「妻を亡くした話」とか「大統領の子どもが何処に行ったか分からん」とかサイドストーリーもあるんですけど、まぁそんなものはそのうち解決しますから(暴論)。
見応えとしては「いかにしてホワイトハウスが制圧されるか」と「いかにジェラルド・バトラーが無双して敵を全滅させるか」を楽しむ映画ですから。
国際的事情なんか知らなくても楽しめます。
ただ他の映画との違いとしては、テロリストがイスラム系とかロシア系というお馴染みの方々ではなく「朝鮮半島統一党」みたいな北朝鮮よりの人達だというのが特徴ですね。
アジア人がFBIとかをメッタメタにするって映像はフレッシュでした。
映画の良かった点
とにかく「ホワイトハウスの制圧」シーンはお世辞でなく100点です。
いや、そりゃ「どこにこんな武器隠してたんだよ」とかそういうツッコミはありますよ。
でもそうじゃなくって、かなり徹底的に民間人も軍人も殺害しまくる映像ってかなり衝撃的でした。
人を撃ち殺すシーンに対しての遠慮がなく、こちらが不快感を感じるくらいにとにかく人が死にます。
それを逃げずに映像として見せてくるのでこちらも「あいつらだけは絶対に許さん!」となるわけですね。
監督のアントニー・フークアさんはこの翌年に《イコライザー》を撮るのですが、イコライザーはけっこう“スタイリッシュな暴力”だったのに対し、エンド・オブ・ホワイトハウスはかなり凄惨は暴力。
この映画のニュアンスに対してとても正しい姿勢だったと思います。
映画の不満点
褒めといてなんなんですが、最初のホワイトハウス制圧シーンがピークであとは結構グダグダなんですよ笑
いくらなんでも無茶だろう!みたいなシーンの連続がインフレしていって、最終的に「よっしゃ、タイマンだやろうぜ!」みたいなノリというか。
それでいいのかよテロリストって感じはあってですね。
でもそんなのいいじゃないですか。
これ以上の出来を期待する方が悪いんですよ(ハッキリ)。
ポスターの感想
ポスターの点数に95点という高得点をつけてます。
これはですね。ポスターのビジュアルの完成度が高いというわけではありません。
むしろ低いと言ってもいいでしょう笑
でも映画に対してのポスターとしては完璧に近いと思うんですよ。
これらのポスターを観ても「こ……これはアカデミー狙えるんでは?!」なんて誰も思わないでしょう。
「ほんほん、ホワイトハウスが陥落する。こいつは楽しそうだぜ!」っていうノリ。
それを過剰にもせず、引きすぎもせず非常に正しく伝えています。
このポスターを観たときの印象と、映画の内容の面白さのバランスが大変素晴らしいと思うんですよね。
映画ポスターとしては、これはもう文句無しでしょう。
すばらしいです。
まとめ
これはなかなか上質なB級映画が誕生したなと嬉しく思います。
どこからどう観てもB級映画。
それを面白いと思うかどうかは人それぞれなのですが、僕は非常に好ましい映画だなと思いますよ。
適度な映画、適度なポスター、そして適度に楽しみたい気分の観客。
これってとてもビジネスとエンタメとして正しいですよね。
もうじきスターウォーズなんかも公開されますけど、スターウォーズなんかはビジネスの方が実際の映画の内容をはるかに超えてしまったと思うんですよ。
いや、もちろんエピソード9には期待はしますけど。。。
B級映画だって、扱い方さえ合ってればどんな一流映画よりも楽しめるぞというのが分かりました。
それでは、また。
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未来のミライ《低評価は納得、だけど…》
映画の点数…82点
ポスターの点数…95点
細田守監督作品
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
まぁ細田守作品といえば、映画ファンならマスト、映画ファンじゃ無くても一応観ておこうとなるくらいのブランドは既に獲得していると思います。
僕自身はというと、大ファンだとは言いませんが作品が出る度にやはり感動し感心し嫉妬してしまうような素晴らしい作品群だなと思っています。
ところが今作《未来のミライ》、公開当初から「こ…これはどうなんだ???」とまわりがザワザワしていて、結果的に興行収入的には全作バケモノの子などには遠く及ばずとなったようです。
というわけで僕自身もそこまで期待せずに鑑賞したのですが、いやいやどうして、個人的には「やっぱすげぇ面白いじゃん!」と思いましたよ。
映画のお話
お父さん、お母さんと愛犬と仲良く暮らす「くんちゃん(4)」の元に、妹となる「未来」がやってきました。
最初こそ可愛がることを約束したくんちゃんですが、お父さんもお母さんも妹につきっきりになることに嫉妬してしまいます。
どうしても妹を可愛いと思えないくんちゃん、そしてその子育てに奮闘するお父さんとお母さんの成長物語です。
と、言えば普通の物語なんですが、細田監督らしいファンタジー要素もたっぷり詰まっており、擬人化された愛犬や未来からやってきた妹、青年時代のひいじいじ等との出会いと体験を通じながらくんちゃんは成長していきます。
この映画が低評価だった理由の一つに「事件おこらなすぎ」という問題があると思います。
大人が全部消えてしまうような危機は訪れないし(オトナ帝国の逆襲)、くんちゃんが車にひかれたりしないし(赤ちゃんと僕)、人類を超越した存在・スターチャイルドになることもありません(2001年宇宙の旅)。
「新幹線のオモチャで妹を殴る」とか「黄色いパンツが洗濯中だから履けない」とかそういうレベルの事件しか起こらないのです。
それをもって「つまんねぇよ」と言う人の気持ちも分からんではないのですが、前述の通り僕は楽しかったです。
映画の良かった点
まずは何を置いても「くんちゃんが可愛かった」という点が最大の魅力です。
逆に言えば「このガキ全然可愛くねぇな!」と感じた人にはこの映画はツライでしょうね。
これは「男の子を子育てしたことあるか」で決定的に映画の評価が変わると思いますし、細田監督もそんなこと分かって作っているはずです。
観ていたらもう本当にあるあるというか、まず映画冒頭「おもちゃ片付けといてね」と言った数分後に何故か壮大な散らかり方をしているとか日常茶飯事です。
お尻をプリリンとさせて寝る姿勢とか、信じられないような寝癖をつけて起きるとかもあるあるですね。
そして「可愛いと思えないくらい憎たらしい」点の描写すらも見事です。
こちらの言うことを聞いているようで理解はしてないとか、我が儘を言ってもしょうがない場面でこそ傲慢になるとか。
あらゆる子どもが出てくる映画に比べてくんちゃんは本当に「可愛くない」んですよ。
つまり、それくらい実在感があるということなんですけど。
「こんな子がいるとしか思えない」というレベルでキャラクターを作り上げる細田監督はやはり世界トップレベルだと言い切れるし、そこだけ観るだけでも十分に魅力のある映画です。
そんなくんちゃんが、色々な不思議な体験を通じて少しずつ成長していくのを観ているだけで泣けちゃうんですよね。
自転車の練習シーンとかたまらんかったです(でもいくらなんでも4歳児にはハードすぎないか?)。
映画の不満点
この映画の不評な点を観てみると、「未来から妹がやってくる設定の意味が解説されていない」とか「東京駅で迷うシーンが意味が分からん」とかあるようです。
これはですね、僕にもさっぱり分かりませんでした。
とはいえ、僕はそこはそんなに不満を感じなかったんですよ。
そういう「よく分からんところ」を楽しむのも映画だと思ってるし、子どもって「いつ学習したのか全く分からないことをいつの間にか知っている」ということが本当に良くあるので。
そんな時は「ああ、この子もきっと時空を飛び越えて学習したんだな」と思うことにします。
それよりも何よりも、僕ははっきりと一点不満があります。
それは「くんちゃんの声優」です。
声優問題
メインキャストの方々の多くは俳優さんや女優さんがやっています。
これは細田監督がかつて所属していたスタジオジブリのやり方と似ています。
そのやり方による成功例もたくさんあると思います。
例えばトイストーリーの唐沢&所コンビなんて完璧な組み合わせだと思いますし、近年でもアナ雪の松&神田コンビも素晴らしかったですね。
でも今作はダメだ。。。
あえてここでは名前を出しません。
だってその方は、ちゃんとオーディションで選ばれて全力で演じたのですから。
でもどこをどう観ても「まっっっっったく4歳の声に聞こえない」んですよ。
仕方ないから、観ているこちら側で「大人の女性の声を4歳児にもう一度変換して観る」というような工夫をしながら観ていました。
そんなのおかしいでしょう。
途中、公園で出会う少年達がいて、彼らはおそらくプロの声優さんが声をやっていると思われます。
ああ、あの声優さんでこの映画を観ていたらもっと楽しめるのに、と強く思いましたね。
だってレベルがあまりに違いすぎるんだもの。
俳優さんが声優やった方が本当に宣伝になりますか?良い効果生みますか?
この映画ほど「子どもとしてのリアリティ」が求められる作品はないのですから、ちゃんと声優を決めてもらいたかったです。
最近は映画版のアンパンマンやドラえもんもゲスト声優がやるのが定番になっていますが、はっきりとレベルが低いものが目立ちます。
重ねて言いますが、俳優さん達が悪いとは言いません。
そんなのサッカー選手が「お、お前サッカーうまいから運動も出来るだろ、ちょっと野球やってみろよ」と言われていきなり東京ドームに立たされるようなもんでしょ。
今回ははっきりと声優さんの件でガッカリしました。
ポスターの感想
未来のミライのポスターの感想というよりも、もはや細田守監督作品のポスター全体に通じるものです。
共通点は、黄色い文字、もしくは白い文字、であること。
ゴシック体のフォントで作られていること(というかどれも受ける印象は同じというくらい一緒)。
いずれも青空が背景にあること。
なんなら入道雲の形すらほぼ一緒だということ。
などですね。
特に未来のミライは時をかける少女のポスターをかなり連想させるし、それが狙いなのでしょう。
変わっていないところがないというわけではなく、人物の描写などは作品を重ねる毎にむしろシンプルにフラットになっています。
それでいて人物の実在感はむしろ増しているというのだから怖ろしい話ですよ。
これらのポスター達を観ていて感じるのは「もはやキャラクターとシンプルなレイアウトだけで細田守監督作品と瞬時に理解出来るほどにブランドが確立した」ということ。
そしてそれを可能にしている極めてレベルの高いグラフィックデザインだということです。
素晴らしいの一言ですよ、本当に。
いつの日かは分かりませんが、今までの細田守監督作品とは全く違うルールのポスターも観てみたいですね。
まとめ
やはりというべきか、僕は今作も「なんだよ、やっぱりちゃーーんと傑作じゃん」という感じです。
不満点がないとは言いませんが、それでも「日本には細田守という人がいる」というだけでも感謝感謝じゃないですかね。
特に3〜4歳のお子さんがいる方は観ないなんて選択肢ありませんよ。
是非ご覧になってくださいませ。
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ミスターガラス 《こうなるかな、と思ったらこうなった映画》
映画の点数…75点
ポスターの点数…85点
20年におよぶ三部作
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《ミスターガラス》です。
シャマラン監督の《アンブレイカブル》《スプリット》に続く3部作にして一応最後の作品になります。
アンブレイカブル以来となるブルース・ウィルスやサムエル・ジャクソンが再登場。
特殊能力を持つ【ヒーロー】達の結末を描きます。
シャマラン監督は、好きとか嫌いは置いておいて、「独特」としか形容しようのない不思議なテンポの映画が持ち味です。
もちろん僕は「好き」な部類で、全作とは言いませんがけっこう多くの作品を観ていると思います。
そのなかにおいて「ミスターガラス」はというと。。。。
うーーーーん!もうちょっと凄いのを期待しちゃったな!ってところです。
映画のストーリー
アベンジャーズみたいに「当たり前に超人がいる世界」ではなくて、誰にも知られないところで少しだけ存在している超人達を描いています。
精神病棟に「治療」のために閉じ込められた超人達は、自分の能力をネガティブに思い悩みます。
三部作の最後となる今作は、超人達の自己肯定やカムアウトが描かれていたりして近年の社会情勢も踏まえた上での映画になっています。
映画の良かった点
映画の基本的なストーリーはよく出来ていたと思います。
それぞれの超人達に対して、一応の決着がつくように作られています。
超人達の活躍だけでなく、今まで彼らを支えてきた人物達も再登場するなどファンサービス的要素もしっかりしています。
精神病棟での「治療」のシーンは、登場人物達だけでなく観ているこちら側も「あれ、もしかして超人なんていないのかも知れない」というくらいグラグラ揺さぶりをかけてきます。
そしてシャマラン映画といえば「最後のどんでん返し」ですが、今作もちゃんと用意されていました。
そのどんでん返しこそが今作のテーマそのものに通じているので、見終わって初めて「こういう映画だったのか」と理解することが出来ます。
映画の不満点
贅沢な言い方かも知れませんが、思ったよりも良く出来ていてちょっと拍子抜けしました。
物語全体に大きな起伏がないように感じられ、映画を見る前に予想していたような展開のままに進んでいったような感じがしたんですね。
別に「もっとたくさん人を殺せ!」とか言うつもりはないのですが、この映画は病室で細々しているシーンが多いです。
せめて最初の方でキャラクター紹介時に大暴れしてくれるとかあってくれたら良かったのかなとは思うんですが。
物語の結末が「ああいう結果」ということには納得してるので、だったら他の箇所で見せ場が欲しかったかなってところです。
ポスターの感想
ポスターは非常にカッコ良いものと、普通のものがあります。
まず良く見かけたポスター。
こっちはまぁ普通っちゃ普通。
キャラクターが色分けされていて見た目としてはスッキリしています。
とはいえ特に秀でた点があるとも言いがたく、ある意味映画と同じようなテンションというか。
もう一案のポスターの方がはるかにカッコイイですね。
こちらのポスターでは影を利用して「人間の姿」と「超人の姿」を描き分けています。
この場合あくまでも超人の方が影になっているのがポイントですね。
「本当に超人は存在するのか、ただの幻想なのか」ということを描いた映画のポスターとしてビジュアルがマッチしています。
先ほどと同様にキャラクターごとに色分けし個性を演出しています。
ビジュアルとしても良し、映画ポスターとしても機能しているいいポスターじゃないでしょうか。
まとめ
簡単ではありましたがミスターガラスのご紹介でした。
この映画は是非とも「アンブレイカブル」→「スプリット」と並べてご覧になってください。
「傑作映画だ!」とまでは言いませんが、ほどよい良作達だと思っています。
それでは、また。
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