映画のように平面デザイン

年間200本映画を観る地方グラフィックデザイナーが、色んなものを平面デザインでとらえてみます

東京2020公式アートポスターについて

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東京オリンピックポスター


こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。


東京オリンピックのポスターが公開されました。

 

http://東京2020公式アートポスター

 

正式な名前は【東京2020公式アートポスター】というらしいです。


最近では「オリンピック」と限定した言い方をすると、パラリンピックが含まれていないような感じがするからでしょうか、「東京2020」というかなり曖昧な表現がされています。


でも一般的には普通にオリンピックと言葉にしているし、テレビでもわざわざ両表記は厳密にはされていません。


それはおいといて、とにかくポスターが決まったわけです。


今回はそのお話を少ししたいと思います。

 

ビジュアル表現として


まず、いずれのポスターも「ああ、さすがだな、カッコイイな」と思えるポスターでした。


恥ずかしながら存じ上げなかったアーティストも数名いたのですが、いずれも素晴らしいビジュアルだと思います。


個人的な好みで言えば、ヴィヴィアン・サッセンさんの手がけたポスターが一番「好き」です。

 

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「好き」と「適している」はまた少し違うのですが、このポスターに関しては「好き、だし、オリンピックのポスターとしても素晴らしいな」と思います。

 

選考に関して


メディアでこのニュースが扱われる際には


「マンガ家・浦沢直樹さんらが作成した~」みたいな表現をよく見かけました。


おそらく知名度で言えば浦沢直樹さん、荒木飛呂彦さん、蜷川実花さんあたりが広く一般的にも知られた方々と思います。

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狙いは当然ながら、国民全体に対してオリンピックに興味をもってもらいたいというメッセージです。


すごく極端にいえば、日立や日産が嵐を広告に使うのと同じです。


何故なら、浦沢直樹さんや荒木飛呂彦さんはマンガ家としては世界レベル、オリンピックで言えば当然金メダル級なわけですが、ポスターを作るという点においてはプロではないからですね。


あくまでも「浦沢直樹さんのマンガとしてのパワーを」→「ポスターにする」→「ことによって、オリンピックのイメージアップをはかる」という手順があります。


一方で、佐藤卓さんや大原さんら「グラフィックデザイナー組」はニュアンスがまた異なります。

 

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佐藤卓さんなんてグラフィックデザイナーで知らない人はいない方で、グラフィックデザイナー界では金メダリストです。


よって佐藤さんらに求められるものは「グラフィックデザインを通じ」→「オリンピックのイメージアップをはかる」とかなり直接的な力量が問われるわけですね。


このように同じポスターという扱いながら、それぞれ役割が少しずつ違うのが特徴ということが分かると思います。

 

 

過去のオリンピックポスターに関して


ここで、過去のオリンピックの公式ポスターを振り返ってみます。


過去の大会でも、いくつかのポスターが公式ポスターとして扱われています。


ただし、「メインのポスター」と「サブのポスター」でハッキリ使いわけています。


例えば近年ではリオ、ロンドンのポスターはこんな感じ。

 

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モスクワオリンピックのポスターは、少し政治色を感じさせるポスターですね。

 

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実際、複数の国がオリンピックをボイコットしたという苦い過去があります。


そして1964年の日本のオリンピックのポスター。


亀倉雄策さんという、日本グラフィックデザイナー界の父のような人が手がけたポスターです。

 

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日本びいきな感じも含めてですが、僕自身は過去すべての大会ポスターの中でも最も優れたポスターだと本気で思っています。


あのー、別にナショナリズムがどうこうとか言うつもりは全くなくて、単純にグラフィックデザインとしてあまりにも素晴らしいなと思ってるだけです(こういうこといちいち言わないといけないの時代ってのがちょっと面倒だよなぁと思ったり)。

 

今回のポスターに関して


公式サイトの言葉を一部引用すると【東京2020大会では、国内外のアーティストにオリンピックまたはパラリンピックをテーマにした芸術作品を制作いただき、それらを東京2020公式アートポスターとして機運醸成に活用していきます。 】とあります。


うん。


ちょっと何言ってるのか分からないサンドイッチマン風に)。


ようは、このポスターを使って「オリンピックを盛り上げたい」んですよね。


なるほど。


でも、メインのポスターというものは、ないんですよね?


2020年現在、世界中で「多様性」というものが求められるようになりました。


パラリンピックの注目度が増しているのも多様性に対する理解があってこそです。


このように公式ポスターが多様化しているというのも非常によく分かります。


コンセプトは分かります。


それでも僕はやっぱり、今回のポスターのあり方を好きにはなれません。


「結局のところ、誰も公式ポスターに対しての責任もとるつもりはないし、コンセプトも決める気がないだけでしょ」と思っています。


佐野さんの公式ロゴ騒動、メイン会場の設計の際から思っていたのですが、今回のオリンピックって何のためにやるんですか?


何故オリンピックをやらないといけないんですか?


そのコンセプトがついに決まらないまま進んだ結果のポスターだと僕はどうしても思ってしまいました。

 

責任者とコンセプトの不在


例えオリンピックのポスターであったとしても、基本的な目的は「集客」と「イメージアップ」です。


では、今回のポスターは「誰を集客したくて」「どんなイメージを目標としている」のでしょうか。


僕にはどうしてもそれが見えてこない。


というよりも、それを具体的に言葉に出来る人は日本にどれだけいるのでしょうか?
そのフワリフワリとしたイメージを、明確なビジュアルにすることを「グラフィックデザイン」と呼ぶのだと僕は思っています。


だとしたら今回のポスター群は、申し訳ないけどデザインとしては失敗しているのではないかと思いました。


「2020年の東京オリンピックのあるべき姿はこれだ」というビジョンのないままのビジュアル化。


その曖昧さがそのままポスターとして浮かび上がってきかたのようです。


繰り返しになりますが、一枚一枚のポスターはカッコイイんですよ。


でも、そのポスターを作るプロセスに大きな欠陥があったと思います。

 

あえて一つに選ぶのならば


では、たった一つ公式なポスターとしてメインにするならばどれが良いでしょうか?


僕はやはり公式ロゴデザインを作成された野老 朝雄さんのデザインポスターが最もふさわしいと思います。

 

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多様性を感じるポスターでもあり、かつ明確な日本らしさ、力強さを感じるビジュアルだと思います。


1964年の傑作ポスターに対するアンサーのようでもあり、2020年の新しいデザインとして最も適していると感じました。


これから先、日本や世界においてどのポスターが最も使用されるかは分かりません。


僕個人の理想で言えば、このポスターがメインになるといいなと思います。

 

まとめ


僕自身、もうオリンピックには全く興味はありません。


この5年以上のドタバタを観ていて応援する気は全く無くなりましたし、おそらくどの競技も観ることはないでしょう。


ましてや今回のアーティストの方々のように、仕事で直接関わっているわけでもありません。


すべては「オリンピックに関心はなく」「オリンピックの仕事もしてない」人間の負け惜しみだと思ってください。


ただそれでも、グラフィックデザイナーとしてはハッキリと今回のポスターのあり方には納得いかないな、と思った次第でございます。


それでは、また。