ウィンターオンファイアー
ずいぶんほったらかしにしたままでお恥ずかしいという気もするブログですが、
まぁよく考えたらそもそも立派な内容のブログでもなんでもないですし、今更失う恥もないので久々に更新します。
次の更新がいつかは分かりませんが、どうせ個人ブログですので好きなことを好きに書けばいいやという次第でございます。
良かったら読んでくださいな。
今回はNetflixのドキュメンタリー
【ウィンターオンファイアー】です。
ウクライナとロシアの戦闘状態
2022年3月1日現在、ウクライナとロシアの間で非常に緊張感の高い状態が続いています。
「これは侵略戦争だ!」とか「日本はロシアに対してどのような処置を」とか、
その手の話は今回はしません。
もちろん個人的に思うところはたくさんあるのですが、それはまた別の機会に。
紹介する【ウィンターオンファイアー】は、2013年の冬、今から8年半前のウクライナでの出来事をとらえたドキュメンタリーです。
私自身ウクライナについての知識があるわけでもなく、このドキュメンタリーで知ったことがたくさんありました。
そしてこのドキュメンタリーを通じて、今のロシアとウクライナ間の戦争状態が少し立体的に浮かび上がってきます。
詳細まで踏み込みませんが、おおよそのあらすじは
親ロシア派のウクライナ大統領ヤヌコビッチが、ウクライナのEU入りを白紙に戻すような行動をとった→ロシアにすり寄ろうとする姿勢に反発する大学生ら市民が独立広場(大きい公園)に集まりデモを開始→いつしかデモ隊とウクライナ政府による暴力を含む騒乱に発展していく〜〜
という内容です。
これだけ書くと、ホントによく聞くようなデモ活動のようですね。
でも観た人なら分かると思います。
「命がけで戦う」とは、本当の本当に「命をかけて戦う」ということなんだと。
このデモが収束するまでに90日かかったのですが、最初は本当に平和なデモ活動にしか見えません。
「大統領は辞任しろ!」とプラカードを持ちながら、町を行進します。
日本でも普通に見かける光景ですね。
それが常態化すると、警察が介入してきます。
「道路は占拠しないでね」とか「解散しなさーい」とか。
これも日本で見かけますね。
そこからまたしばらくすると、様子が変わってきます。
ベルクトと呼ばれる特殊部隊(日本でこれだと該当するものはないですが、政府寄りの武器をもった警察みたいなもの)がデモ参加者を武力で押さえ込もうとします。
警棒の攻撃による怪我人が発生したことなどをキッカケに、平和な抗議デモの姿が加速しながら変化します。
スマホでの撮影も含めたであろう映像からは、人々の表情がみるみると変化していく様子が映し出されます。
衝突はついに、実弾も使用した騒乱に発展していきます。
映像の中には今まさに被弾する様子、命を引き取っていく様子、地面にうち捨てられた様子、
数々の死体がそのまま記録されています。
「人は人に銃を発砲できるのか」
90日という時間をかけて、同じ国民通しで殺し合いにまで発展していく過程。
ウクライナという国が、血の革命の果てにEU側に寄り添い、ロシアと距離をおこうとしたかが少しだけ分かります。
今起こっているロシアとウクライナの衝突は、単にロシアの暴走だけで片付けていい問題ではないのだとドキュメンタリーは教えてくれます。
ウクライナは、命をかけて国の独立を目指してきたのだから。
ウクライナの自由のために戦って死んでいった100名以上の死者は、今の戦争状態をどう思うのでしょうか。
一秒でも早く、とにかく武力による衝突が終了することを願います。
↓ 面白いと思ったらクリックください!励みになります!
私がモテてどうすんだの映画化に対して
私がモテてどうすんだ、という作品が映画化されます。
もともと2013年から2018年にかけて連載されていた同名マンガが原作です。
先に白状いたしますと、マンガは未読です。アニメも観ておりません。
僕が観たのは、【映画の予告】のみです。
なので、映画本編の出来や、原作に対する評価や不満は一切ありません。
ただそれでも【映画の予告】だけから伝わる異常な嫌悪感はビッチビチに感じます。
気が狂いたい方は下記をご覧あれ
この数ヶ月のBLM運動からもみてとれますが、人種差別撤廃への気運がかなり高まっています。
というよりも、行きすぎてどうにもおかしな方向に向かっている傾向も見受けられるのですが、運動自体に関してはもちろん理解を示しつつ自らの考えもアップデートしていく必要があるなと日々感じています。
人種差別に関わらず、人はあらゆる差別を認めてはいけません。
性別による差別、生まれに関する差別。当然ですね。
生まれながらのものを差別するなんて、非生産的で最も愚かなことです。
ではでは、「あるいは努力でどうにか出来るもの」に関する差別やイジメはどうでしょうか。
例えば職業に対しての差別(性風俗業の方など)、成績に関する差別(出身校など)。
これらもまたナンセンスな差別だと思います。
人がどのような生き方をしてきて、いつどのような決断をしたのか、しなければならなかったかなど千差万別です。
それを表面的な理由で差別するのは良くありません。
ではではではでは、タイトルに戻って「私がモテてどうすんだ」という映画(予告)から伝わってくる気持ちの悪さの正体はなんでしょうか。
それは2020年にもなって「太ってた女の子が、激やせしてモテモテになった(けど性格はデブでオタクなまま)」という設定。
うん、気持ちわりーーーーーー!!!!!!
気持ちが悪いですね。
気持ち悪いの他に言う言葉があんまりないんですよ。
バカなんじゃない?とかですかね。
マンガは2013年スタートなんで、ここで批判するのはフェアじゃないです。
でも今って2020年ですよね?
映画を撮ってたのって2019年ですよね。
よくこんな企画を今更通そうと思ったな。
「太ってた女の子が、激やせしてモテモテになった(けど性格はオタクなまま)」
という一行の中に、ツッコミどころしかないですね。
まず「太ってた女の子」という価値観
そもそも日本の女性は痩せすぎだというデータもたくさん出ている中「太っている」という概念自体アップデートしなきゃいけないわけじゃないですか。
デブだの痩せたのではなく「健康で生き生きとした美しさ」に気付こうよ、という世界的な流れの中で、いつまでも「女子高生は痩せてなきゃ!だってデブって醜いじゃん!」という考え方、ああもうすっごいダサいし気持ち悪い。
次に「激やせしてモテモテになった」という考え
あのね、男も女もバカにしないでくれない?
「太ってる女の子と痩せてる女の子、どっちがモテるか」で言うならば、それは痩せてる女の子の方がモテるでしょうね、実際。
そこは男ももっとアップデートしていく必要があるし、くだらない価値観と思いますよ。
でもより多くの男性は、「健康的である」かどうかの方が見た目として大事にしていると思いますけどね。
ここでいう健康的、というのは持病の有無では当然ないです。
「痩せる=モテる」を受けれている女性って、男性からアクセサリー感覚で選ばれることを良しとしてるんですか?
それでいいんならいいですけど。
「痩せる=モテる」を単純化して表現する映画が未だに作られてるんだと思ってゾっとしますね。
そして「けど性格はオタクなまま」という感覚
あのー、デブって全員オタクなんでしたっけ?
痩せて綺麗な人って、オタクいないの?
ていうかここでいうオタクって、BLが好きで歴史好きっていう、かなーーーーーーり表面的なオタクですよね。
ていうか、BLブームも歴女ブームも、ただの流行り物じゃないですか。
この主人公のオタクって、ただのミーハーですよね。
ただのミーハーにオタクも陽キャも関係ないでしょ。
主人公の問題点って、デブとか痩せてるとかじゃなくって大した個性もない「そこらへんにいる普通の女の子」っていうだけのことで。
わざわざオタクっていう設定すら必要ないように見えるんですよ。
なんていうか、どこからどうみても「普通の人」。
その普通の人が、痩せたからモテた!だって。
勝手にやってろよ。
まとめ
なんか映画の予告だけでここまで気持ち悪くなることってそうないんですけど、久しぶりにキましたね。
もちろん僕はこの映画を観ませんけど、これだけ不快な内容で映画を作ろうと思うのなら日本映画ってまだまだ厳しいのかな、なんてガッカリします。
凪待ち《最低なキャッチコピーにうんざり》
映画の点数…79点
ポスターの点数…30点
最低なキャッチコピー
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《凪待ち》です。
元スマップの香取慎吾さんを主演に、現役監督として油乗りまくりな白石一彌さんが監督。
東日本大震災の傷跡の消えきらない福島で起こる、一件の殺人事件とそこに生きる人々の姿をうつした一本。
香取慎吾さん主演という時点で映画ファンもそうでない方も「どれどれ、どんなものかしら」と身構えるものだと思うものでしょう。
映画として
まず映画としては非常に楽しめました。
元アイドルとは思えないくらいダウナーで暗い主役をキッチリ演じきった香取慎吾さんと、脇を固める新人&ベテラン達の演技はいずれも良かったです。
部分的に「それはセリフで説明しなくてもいいじゃん…」とか「もっともっと深く掘り下げてよ」みたいな不満はあったりするんですけど、そいうのは映画を楽しめているからこその感想だったりするので。
それよりも「どうしても、どうしても、どうしてもダメな人間っていうのはこの世にいるし、そもそも人間って何かから逃げ続けているものなのでは?」という胸が痛い映画を見ることが出来ただけで十分に良かったなと思ってます。
ポスターのひどさ
それよりも今回腹がたっているのは映画ポスターです。
唯一、香取慎吾さんのどアップの表情はいいです。
これで30点で、あとはダメですね。
まず後ろにゴチャゴチャ人を配置しすぎです。
申し訳ないけど、誰もいらないでしょう。
映画の登場人物達はいずれも「何かから逃げているか、何かを諦めている」人達なのですが、それを全て背負い込んでいるのが香取慎吾さんです。
この映画は香取慎吾さんのもので、香取慎吾さんのみ観ているだけで自然とまわりの人間の実態も見えてくるようにちゃんと出来ています。
わざわざキャストを並べることもないでしょう。
デザイン自体も全然良くないです。
映画は全体的にずーーっと薄暗かったり雨が降っていたりするのに、なんでポスターでは青空なんでうすか?
僕が映画から感じる空とは全く違います。
映画のニュアンスすらもポスターは表現出来ていません。
キャッチコピー
何よりひどい、ひどいというか怒りが沸いてくるんですけど、キャッチコピーのひどさですね。
「誰が殺したのか?なぜ殺したのか?」
いや、そういう映画じゃないじゃん、どう観ても。
確かに劇中死んでしまう人がいて、それをキッカケに色んな人の人生が狂い出します。
でもあくまで殺人自体は映画におけるキッカケでしかなくって、主題は前述の通り「人間の業」を描いたヒューマンドラマなんですよ。
それを何故わざわざ違うテーマに置き換えてしまうのか。
そういう殺人ミステリーの方が観客を呼び込めるから?
だったらもうコピーライターや広報担当は仕事を誰か他の人に任すべきでしたよ。
ちゃんと主題に合ったコピーを考え、それでいて観客を呼び込めるコピーを作るべきでしょ?
出来ないんなら降りるべき。
僕は別に「自分だったら出来る!」なんて傲慢なことが言いたいわけではないです。
ですが観客を騙すような真似はしません。
何故ならその行為は結果として映画ファンを失うと考えるからです。
まとめ
せっかくいい映画なのに、ポスターが大きく足を引っ張っていると感じました。
もっと正々堂々とした姿勢を見せて欲しかったです。
目先の観客動員でなく、長く愛される映画を目指すことを自ら諦めているように感じました。
残念です。
日産自動車のロゴが変わるよというお話
日産自動車がブランドロゴの変更を発表しました。
現行の立体型ロゴは19年間使用したとのことで、ゴーン体制を象徴するロゴからの脱却を図ったとの見方もあるようです。
ゴーンさんがどうのこうのはここでは触れませんが、「イメージを変えたい!」という時にロゴを変更するのはよくあることで、洋服のブランドで言えばGU、バレンシアガ、バーバリーなんかはロゴを変えた後から業績が好調になった印象もあります。
近年日産が業績が悪かったというのは周知のことですが、このタイミングでのロゴの変更は基本的には前向きな発想だったと言えるのではないでしょうか。
まぁそのへんの経済のお話は他の方にお任せするとして、僕はデザイナーとしてちょっとお話しようと思います。
ロゴ変更の評判
さて、変更されたロゴですが、ちらっとSNSなんかで感想を見る限り「ダサくなった」「迷走がうかがえる」「弱々しい」などの意見がチラリはらり。
こういうロゴの変更があった時には必ずこういう拒否反応が出るので予想の範囲内ではあるのですが、良い意味でも悪い意味でもしばらくたつとロゴの変化なんてみんな忘れるものです。
ブランドのロゴというのは「イメージの象徴」なのであって、ロゴ自体が極端に目立つことを目的としているものではありません。
いずれは世間に受け入れられていくことになると思います。
フラットなデザイン
今回のロゴの変更、車好きな人、あるいはデザイナーなんかからするとある意味では「まぁそうなるよね」という予想の範囲内の変更だったと思います。
というのも既に海外の車メーカーなんかでは「ロゴのシンプル化、フラット化」はすすんでおり、例えばドイツのBMWやMINI、フォルクスワーゲンなんかは先んじてロゴの変更を行っております。
あるいはイタリアのアルファロメオなんかも変更を予定しているとか。
また、イタリアの名門サッカーチーム“ユベントス”なんかもロゴマークを大幅に変更しております。
全てに共通して言えるのはやはりシンプル化とフラット化。
好みは人それぞれでしょうが、このフラット化の流れはこれからも主流として続くと思われます。
日本の車メーカーも、三菱自動車あたりを除けば変更の可能性も十分にあるんじゃないかなと思っております。
フラット化の理由
何故これほどまでにロゴのフラット化がすすむのか。
理由はいくつかあるのですが、ここでは二点挙げます。
まず一つはスマホという巨大メディアへの対応。
現在我々はスマホを通じてありとあらゆる情報を収集しています。
自動車の情報すらもスマホで確認、あるいはスマホで購入なんてことも珍しくないでしょう。
10㎝5㎝のスマホで全ての情報を収集する人に何かを発信するとしたら、デザインはより「わかりやすく、シンプルに」なっていくのは自然なことです。
画面内にうつる5㎜くらいのロゴでも「あ、日産だ」と認識できるくらいのロゴは力強く見やすくないといけないわけですね。
もう一つの理由は、ロゴマークの価値観の変化です。
数百年も昔から、ロゴマーク、家紋などは権威とオリジナリティの象徴で有り続けました。
よって昔のロゴほど複雑で複製しにくく威厳にあふれたデザインだったわけです。
簡単に真似されちゃ困りますしね。
ところが現在においては、誰でもボタン一つでコピーできるしイラレやフォトショップでパクったり加工したり自由に取り扱えるようになってしまいました。
ロゴマークの持つ権威が残念ながら無くなってしまったんですね。
誰にでも取り扱えるようになったというのならば、いっそのこと「子どもでも書けるようなデザイン」にして視認性や可読性を増そうと考えるのもまたデザインとしては自然なことです。
一見すると「ただパソコンで字を打っただけ」のようなデザインこそが、より多くの人にストレートに届くデザインになり得るわけです。
(このパソコンで字を打っただけのようなデザインこそがいかに難しいかはいくらでも説明したい気分なのですが、そんなの見てる人には関係ないですよね)
技術の進化
これは見た目のデザインというよりも機能性としてのデザインの話なのですが、どうやら現在の車には車のエンブレム部あたりに追突防止機能のレーダーなんかを取り付けることが多いようです。
その結果、エンブレム付近はよりすっきりしたデザインが好まれるようです。
そういった事情からもロゴマークがより取り扱いしやすいデザインになるのはこれからもしばらく続きそうです。
まとめ
駆け足の説明でしたが、日産のロゴマークの変更が「世界的な流れとしてはごく普通」というのは少し分かっていただけたんではないでしょうか。
あくまで個人的には車の車体にあまりロゴマークを入れて欲しくないのですが、仕方なくでも入るとしたら今のシンプル化の流れは歓迎したい仕様であります。
ここから日産が立て直すのか、スマッシュヒットとなる車を作り出せるのか分かりませんが、引き続きゴーン去りし後の日産に注目していきたいと思います。
ローソンPB商品ボヤ騒動への所感
ローソンのプライベートブランド(PB)商品が、熱く燃えています。
コロナウィルス騒動でステイホーム、ホームご飯を大いに支えるコンビニ食品。
大手スーパーの売り上げすらも超えたコンビニの、しかも自社製品ともなれば相当に気合いの入った商品であろう、デザインであろうとお察しいたす。
ところがフタを開けてみれば「どれが何の商品か分かんねぇよ!」と日本全国で火の手があがる事態となっている。
人種差別運動で(文字通り)燃え上がるアメリカに対し、「デザインが分かりづらい」ことでボヤ騒動になる日本に生まれて良かったなどと胸をなで下ろしつつも、僕自身がデザイナーであることもあり対岸の火事、対岸の暴動ではないと意識を高める所存です。
では今回のPBデザイン騒動について少し考えてみたいと思います。
デザイン考察
まず実際の商品を見てみましょう。
浮かんでくる感想は三つあります。
まず一つ目。「いや分かるかこんなもん」
二つ目。「言うてもオシャレやん」
三つ目。「美味しそうには思えない」
この三つです。
SNSを中心に燃えているのは当然一つ目の「何の商品かパッと見て分からん!!」という点ですね。
実際に買い間違いやレジの打ち間違いなども既に発生しているようです。
お客さんが実際に買い間違えている以上はデザインとして失敗していると僕も思います。
ちなみにデザイン的に「何が問題でこうなっているのか」は他の方が既に語っているのでここでは語りません。
言うてもオシャレやん問題
さて、これはデザイナーである僕からすると大きな悩みどころです。
確かにこのパッケージ、オシャレだなと思います。
全体のデザイントーンを限りなく統一することで「ローソンのオリジナルやで!」ということは一目瞭然だし記憶にもすぐに残る利点があります。
ナチュラルな配色やフォントからは「コンビニ弁当の無機質なイメージ」は感じられず、まるで「ついさっき、出来たてをパッケージしました!」というような雰囲気もあります。
そう、デザインの意図としては理論上正しい部分もあるんですよね。
恐らく商品担当の広報さんやデザイナーさん達からすると、出来上がりは意図としてうまくいった分部もあるのでしょう。
「でもさぁ、商品の区別がつきにくいよね」という意見も当然出たはずです。
そういう意見が出ていないわけないし、そこまで商品開発部はポンコツではありません。
それよりも商品の分かりにくさの方が目立って炎上してるわけだし、恐らくですが「多少炎上してもそれが宣伝になるだろう」という意図はあったと僕は思ってます。
炎上を利用して商品を売るというやり方は好きではありませんが(そもそも勘で言ってるだけで確信はない)、話題になった以上はローソンの一種の勝ちではあるんですよね。
例えばセブンイレブンのコーヒーメーカーのデザインやウィダーインゼリーのパッケージデザインを佐藤可士和さんが手がけてこれまた「分かりづらい!」と炎上してましたが、少なくとも僕なんかはこの炎上によってセブンのコーヒーやウィダーインゼリーを認識しなおしたわけだし、ある程度の宣伝には実際なってるんですよ。
僕はわりと「お客さんに分かりやすいように!」をモットーにデザインするんですけど、そうではないアプローチからでもお客さんを呼び込む方法はあるんだなと軽く歯ぎしりなんかもするわけです。
※追記 6月12日
どうやらこのお仕事、社長直々のプロジェクトだったようですね。
だとすると少し納得です。
一部の権力をもった人がデザインに口を出してきて、もう何も収集がつかなくなるというのは本当によくある話です。
実際僕も今現在そういう仕事を一件かかえており、なんだかなぁと思いながら仕事をしているところでございます。
美味しそうには見えない問題
僕が今回のボヤ騒動で最も気になった点は、実はこの点にあります。
そもそも、美味しそうには見えない、という点。
商品パッケージにおいて“美味しそう”に見せる効果のことを「シズル」と言います。
ラーメンに湯気の加工をしたり、ビールの入ったグラスに水滴をまぶしたりすることで「シズルを出す=美味しそうにする」ということですね。
商品パッケージは常に「美味そうというアピールをして買ってもらう」競争をしているわけです。
ところがこのやり方にもジレンマがあって、皆が同じ方向を向いたデザインをしていると何が何だか逆に分からなくなるんですね。
というわけで今度は「高級感を演出するためにあえて抑えたデザインにする」とか「値段が安いことをアピールするためにあえてチープなデザインにする」とか違う手法も出てくるわけです。
では今回のローソンPB商品。
このパッケージから受ける商品のイメージは………
ごめんなさい、僕には美味しそうには見えないです。
僕が感じる印象は「巨大資本を使って大量生産された商品の一つ」というものです。
フォントやデザインが限りなく似ている分、ローソンという巨大企業の「どや顔」を感じとっちゃうんですよ。
それはそれで悪く言うつもりもなくて、お金のある企業が積極的に自社開発をするのは当然であり素晴らしいことです。
ただそこに僕はあまり乗っかれないのです。
僕が食品のデザインに求めるものは「僕に食べて欲しいと思って作られた(気がする)デザイン」です。
商品を選ぶ人それぞれに向けて、誠意のあるデザインをしてあるかを大事にしてます。
「デザインごときで何を言ってるんだ」と思われるでしょうが、まぁあくまでも僕の基準です。
ですが、一定数の人は僕と同じような感覚で商品を選んでいるはずです。
人は買い物をするときに、自分の意図で商品を選んだと納得したい生き物です。
例えそれがデザイナーや商品開発部の意図に沿ったものであったとしても。
ローソンの今回のPB商品はその点から最も遠いデザインだと思うのです。
「これ買っておけば間違いないよ」というメッセージは感じますが、僕はそれよりも「自分の目で美味しそうかどうか判断したい」と思うのですよ。
たとえコンビニであったとしても。
実際に美味しいかどうかなんて食べるまで分からない。
だったらやっぱり僕は食べる直前まで「おいしそうでしょ!」というアピールをするデザインに惹かれるのです。
まとめ
僕もデザイナーである手前、今回の商品デザイナーを非難する気は特にありません。
というよりも、特に何も思わないのです。
だって今回このようなデザインにしたのは間違いなくデザイナーじゃなくてローソン側の姿勢の問題だろうから。
まぁなんというんですかね、僕の正直な感想としては「いいんじゃないですかね」ってのが本音です。
「ダメだ売れない!」ってなったら変えたらいいし、「売れ行き的には問題ないや」っていうなら続ければいいんじゃん、と。
デザイナーとして無責任な言い方ですけど、これで誰か死ぬわけでもないし(アレルギーとかは気をつけないとダメだけど)。
一部の文句くらいなら気にしないで試行錯誤していくくらいが健全なスタイルだなと思う次第でございます。
ナイスガイズ《もっと高く評価されてほしい傑作》
映画の点数…93点
ポスターの点数…海外版90点、日本版20点
ライアン・ゴズリング週間
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
突然ですが、僕が最も好きな俳優はアル・パチーノです。
これは長い間ずっとそうなのですが、その次に好きな俳優となるとライアン・ゴズリングと堺雅人さんになります。
この三人だけは「こりゃあ面白くなさそうだな…」という映画でもとりあえず観ることにしております(あ、ごめんなさい、「鎌倉デスティニー」って映画は観てないし今後も観ないと思います)。
そんな大好きなライアン・ゴズリングですが、その中でもベスト・オブ・ライアン・ゴズリングの一本がこの《ナイスガイズ》です。
日本での公開がアメリカから遅れること7ヶ月の2017年の2月になったこともあり、当時話題だった《ラ・ラ・ランド》と公開時期が丸かぶりするという現象が起こりました。
だからなのかどうにもナイスガイズの方の評価がいまいち高くない気がしており、勿体ないなぁと思うところ。
(一応、ラ・ラ・ランドは一方で評論家から酷評されたりすることもありましたが、僕自身は2017年で一番好きな作品でもあります)
そんなナイスな映画を映画ポスターと一緒に振り返ってみたいと思います。
映画の内容
一部省略してあらすじを書くと、暴力的だが男気のある便利屋(ラッセル・クロウ)といい加減で酔っ払いだが憎めないところのある探偵(ライアン・ゴズリング)がバディを組んで、一人の売春婦の死をキッカケに明らかになっていく巨大な陰謀劇に首を突っ込んでいくというお話です。
そこに探偵マーチの娘(13歳くらい?)も巻き込んで、個性豊かなキャラクター達のドタバタコメディ&ミステリーが展開されていきます。
全体的には「不謹慎&デストロイ」な映画で、わりと簡単に人は死んでいくし、それすらもジョークで処理するくらいに軽いトーン。
それを「人の命をなんだと思っているんだ!」と言われれば「ですよね。すみません」としか言えないんですけど、この軽さこそがこの映画の魅力なので。
女性のヌードもちょこちょこ出てきたりするし、そもそもの目的が「自動車産業の不正を暴露することを目的に作られたポルノ映画のフィルムを見つけ出せ」という、もっと簡単に言うと「AVを見つけ出せ」って話ですからね。
不謹慎だということはこれっぽっちも否定しません。
ナイス・ライアン・ゴズリング
ではこの映画のライアン・ゴズリングの何が素晴らしいって、彼のキャリアの中でも飛び抜けて「ダサくて、卑怯で、軽くて、しょうもない」という点ですよ。
情けない男というキャラクターは《ブルーバレンタイン》や《ラ・ラ・ランド》でも披露してますが、ナイスガイズではそれに加えて「明るくてバカ」という要素がくっついています。
元々クールな役者が「今までのイメージを変えるためです!」みたいにハイテンションな役柄にチャレンジすることはままありますが、その成功例の最たるものじゃないかと。
観ていて本当に酔っ払いのクズにしか見えないし、それで何度も笑ってしまう。
キャスティングの時点でどこまでを期待していたのかは分かりませんが、見事にマーチというキャラクターを作り込んだなと惚れ惚れします。
もちろんですが、その他の役者陣も全て素晴らしいです。
実直だけどジョークの通じないラッセル・クロウとのコンビで続編も観たいんだけどな。。。
映画の不満点
まぁ一応不満点を書いておくと、細かいジョークとかを楽しんでいるうちに「あれ?なんで今はこの人を探してるんだっけ?」とか「なんでフィルムを追いかけてるんだっけ?給料は払われるんだっけ?」とかがよく分からなくなります。
でも別にまぁいいかと思うくらいにストーリーが軽やかに進んでいくので、特に気にすることでもないかという感じです。
ポスターの感想
今回もまた「海外版はこんなにいいのに、なんで日本語版ポスターはダメなんだ!」というトーンになってしまいます。
まず本国版ポスター。
衣装、表情、立ち姿だけで二人のキャラクターが実にうまく表現されています。
バディムービーである以上、この二人の個性というのは非常に重要です。
そのキャラクターの差を実にうまくまとめていると思います。
写真だけでも「この二人の映画ならハズレはないな」という安心感を感じますね。
背景にある線や色、そしてタイトルデザインの組み合わせからも「1970年くらいのお話なんだな」というのはすぐに分かります。
情報がかなり少ないポスターにもかかわらず、映画の魅力はたくさん伝わるとてもいいポスターです。
日本語版ポスター
一方で日本語版ポスター。
本国版ポスターの良かった点がまるで感じられません。
ライアン・ゴズリングは普通にきれいめな格好なので、ラッセル・クロウとの対比が全く出来ていません。
この写真だけではライアン・ゴズリングが今回はコメディ的な役割を持つということが何も分からないではないですか。
他のキャラクターもゴチャゴチャしすぎです。
上と下で敵と味方を分けているわけですが、わざわざポスターにいれるような情報でもないでしょう。
特に敵側の後列二人なんてただの噛ませ犬でしかないですし。
だったら主演二人、もしくは娘を入れての3人でいいじゃないですか。
ライアン・ゴズリングが体を張って笑いをとりにいった映画に対してのポスターとしては出来が悪いとしか言えないですね。
また、背景もわざわざ白と黒に変えてますけど全く良い効果を生んでいません。
1970年代のノスタルジーな雰囲気は消えているし、上下と白黒で「正義と悪」を分けたのでしょうけど、そもそも主役の二人も「ルパン一味」みたいな感じで正義とも悪とも言えないキャラクターです。
だからこそ魅力的なキャラクターなのに、これじゃ台無しですね。
唯一いい点
ただまぁ、唯一ですが褒めるべき点もあると思っていて。
タイトルをマゼンタにしたのは良かったかなと。
映画全体が怪しげでアダルトでちょっとエッチな要素もある映画なので、それにこのマゼンタは雰囲気が出ていていいかも知れませんね。
まとめ
ということで、「いい映画だから!もっとみんな観てね!」という希望を持ちつつも、それを邪魔しているのが映画ポスター、あるいはDVDパッケージだなと思います。
もしまだ未見の方がいたら、本国版ポスターの方を観てから鑑賞することをおすすめしますよ。
全体的な雰囲気はそちらの方が直感的に正しいです。
それでは、また。
スノーピアサー《正直に、つまらない》
映画の点数…51点
ポスターの点数…60点
ポン・ジュノ監督×ハリウッド
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
先日から【パラサイト アカデミー賞作品賞記念!ポン・ジュノ監督作品鑑賞週間】を設けて色々と観ているところです。
そのなかで今作《スノーピアサー》は、《オクジャ》と共にハリウッドの巨大予算で制作されたもの。
特にスノーピアサーはポン・ジュノ監督の代表作《グエムル》の主演二人(父と子)も出ていることもあり「ハリウッド映画なんだけどやっぱりポン・ジュノ監督」という姿勢も感じます。
とはいえそれが成功するかどうかは別の話。
主演には当時キャプテン・アメリカとして爆売れ中のクリス・エヴァンスを迎えており気合いは十分に感じたのですが……
残念ながら個人的には「つ!つ!つまらーーん」というのが正直なところでごぜえます。
映画のストーリー×パラサイトとの共通点
映画のストーリーは、生命が暮らすことが出来なくなった地球で(今作の場合、極端な気温の低下)、ひとつの列車の中で暮らす人類最後の生き残り達の話です。
超限定的な空間において極端な身分差がうまれたことをキッカケに、最下層にいるメンバーが団結して人権を取り戻すべく戦うみたいな内容です。
で、その最下層のリーダーがクリス・エヴァンスで、協力するメンバーにソンガンホがいたり。
下層にいる人間が圧倒的強者と対峙していくという内容自体はパラサイトにも共通するものがあります。
ポン・ジュノ監督の作品の多くが「不当な圧力をかける権力者と、それと戦うことになる一般市民」という構図になっていますね。
また権力者側を基本的にはコミカルにバカっぽく描くのも共通します。
リアリティに忠実であるということよりも、多少ファンタジー要素が生まれても面白い方を優先するというのがポリシーなのでしょうか。
ここまで観てみると「ポン・ジュノ監督作品の醍醐味をハリウッド資本で思い切りやる」と言えるのですが……そううまくいかないのが不思議なところです。
映画の良かった点
まず映画の良かった点を。
ティルダ・スウィントンさんが良かったですね。
彼女は後にオクジャでも非常に重要な役を務めておりますし、ポン・ジュノ監督が信頼している役者なのでしょう。
まさかこの人が後にアベンジャーズとしてキャプテン・アメリカと共に戦うことになるとは思いもしなかったと思いますが(共演シーンは無かったはず)。
他にもジョン・ハートやオクタヴィア・スペンサーなどそこにいるだけで画面に説得力の出る役者さん達、彼らが活躍するシーンはだいたい良かったです。
映画の不満点
で、この映画の不満点なのですが……とにかく全体的に華がなさ過ぎませんかね?
強烈なメッセージや、インパクトのある映像、泣けるほどの別れや憎たらしい悪役、感動的なエンディング。。。。
どれ一つも無い、とにかく地味な映画だなというのが最初の印象です。
画面自体にはしっかりお金はかかっているし、チャチなシーンは特にありません。
それでもやはり地味なのです。
限定的な舞台
まず、舞台が列車という限られた空間であるという設定を最後まで活かしきれなかったと思います。
映画は常にクリスの目線で進むので、かなり長い時間同じ場所にいて→次の車両へ→同じ場所でドタバタ→次の車両へ→同じ場所でドタバタ………の繰り返しなんですよね。
「わぁ、列車の中なのにこんな場所が!」みたいなのが見せ場だったのでしょう(寿司屋があったりダンスフロアがあったり学校があったりする)。
でもそれも特に意外性のあるものがあるわけでもないし。
「2時間の映画の為に用意された場所なんでーす」という作り物感がありありなんです。
このへん《パラサイト》では、あたかも初めからそこに建っていた家に、あたかもそこに住んでいる人と感じるくらいリアリティがあったんですよね。
パラサイトも基本的に2軒の家を行ったり来たりする限られた空間の映画なのに、全く地味さは感じないんですよ。
これはつまり舞台をどう扱ったら魅力的になるのかコントロールが出来ていなかったからだと思うんですよね。
「映画の為に作られた舞台」と「舞台ありきで作られた映画」の違いというか。
クリス・エヴァンス
僕はこの映画の一番残念な点は、クリス・エヴァンスだと思います。
ファンの方ごめんなさい。
おそらく「クリーンで誠実な役を務めているカウンター」として、今作の汚れたダークヒーローをやってみようと思ったんだと思うんです。
役者としてそれは自然なことだと思いますし、全く悪いことではないでしょう。
でも残念ながらキャラクターを作り上げることには失敗したように思います。
そもそもこの映画において、彼の持つ映画的な責任が非常に大きいのですが、それに応える力量が足りなかったのではないでしょうか。
彼一人で「アウトローとして、リーダーとして、元犯罪者として、友を亡くしたものとして、恩師に裏切られたものとして、世界の仕組みを知り絶望したものとして、子どもの命を守る大人として……」とかなり多面的なキャラクターを演じる必要があったわけなのですが。
その複雑なキャラクターを表現出来ていたかというと、残念ながら出来ていなかったのかな。
なので観ている側は「二転三転する自体に対して、ただなんとなく対応しているだけの人」にしか見えなくて。
「お前よくそんな態度でクーデターなんか考えたな!」ってくらい特に何も考えてなさそうなんですよ。
もちろんそれは役者さんだけの責任ではなく、ポン・ジュノ監督の演出や脚本にも問題があったとは思います。
ポスターの感想
まずこちらのポスター
巨大な機械の前に、斧を持った主人公が小さくうつっています。
キャッチコピーには「ただ前に向かって戦え」みたいな感じでしょうか。
前に進めというのは映画における最も分かりやすいテーマですし、それがそのまま人生を開拓していくことと一致しているので納得のキャッチコピーです。
巨大な何かの前に小さく写る主人公という構図は、主人公の非力さと孤独、敵の圧倒的な強さを表現しています。
ただそれでも挑戦的な視線で真っ直ぐこちらを見ている主人公からは力強さを感じます。
地味で良いポスターとまでは思いませんが、必要な要素はしっかりつめこんだ内容になっています。
日本語版ポスター
一方こちらは日本語版ポスター
画面そのものは明るくなったし、具体的に列車や雪原がうつっているので映画の内容はより飲み込みやすいです。
ただ褒めるとしてもそれくらいなもので、ただ役者をまるでフォーマットのように並べて「前へ進め。世界を変えろ。」なんていかにも聞いたことあるようなキャッチコピーをつけたところで何のインパクトも感じません。
せめてキャッチコピーは「前へ」だけにするとかもうちょっと工夫があっても良かったのではないでしょうか。
まとめ
非常に当然ながら当然のことですが、いくら今や世界的映画監督ポン・ジュノ監督とはいえ、今作のように「うん、特に何もなし」みたいな作品も撮っていたわけですね。
ポン・ジュノ監督はパラサイトの時のインタビューで、ハリウッドのような巨大な予算の映画でなく、自分のサイズに合った作品を作っていきたいと言っていました。
謙遜している部分もあるのでしょうが、もしかしたらこういうスノーピアサーのような作品で自分の思ったようにコントロール出来ないもどかしさからの発言だったのかもしれません。
僕はこの映画を支持しませんが、逆に言えば一番「なーーーんにも考えずに観ることの出来るポン・ジュノ作品」とも言えるかも。
良かったらチェックしてみてください。
それでは、また。
1917 《意志も意図も分かるのだが……》
映画の点数…75点
ポスターの点数…80点
アカデミー作品賞・有力候補
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画はサム・メンデス監督の《1917》です。
先日のアカデミー賞ではポン・ジュノ監督のパラサイトが見事に受賞しましたが、その最終候補、なんならパラサイトよりも有利という情報もあったのがこの《1917》でした。
日本公開は発表の後であったため、どうしても「賞はとれなかったが、最終候補までは残っていた」という事前情報を頭に入れた状態での鑑賞となります。
サム・メンデス監督は作品数がそこまで多くないのもあるのですが、だいたいの作品は観ている状態です。
個人的にはアメリカン・ビューティーとかも当然面白いと思うものの、それよりもぶっちぎりで《007 スカイフォール》が大好きでして。
なので人間ドラマも戦争アクションもハイレベルで表現できるという信頼はありました。
ただし今作は何よりも「全編をワンカットで撮った!」ということが話題になっていて。
1917年当時、実際に戦地で伝令係として従軍していたサム・メンデスさんの祖父の体験を映画にしたという戦争映画としての面よりも、どのような映画体験が出来るのかが注目ポイントでした。
映画の良かった点
全編ノーカットの利点は、何よりも緊張感の持続という点にあると思います。
例えば銃撃されるシーンだと、目線が主人公と一致しているため「どこからか分からないがとにかく狙われている!」という恐怖を共有することが出来ます。
一息休憩をしていても、いつまた銃撃音が鳴るか分からないので、観客である自分も休む暇がありあません。
戦争映画としてとてもうまく機能しているなと思いました。
また、《ジャーヘッド》や《スカイフォール》でも印象的だった「一発の絵で衝撃を与える」というのはもうお手の物。
今作でも「街が炎に包まれている」という描写などは特に素晴らしい映像でした。
炎を使うという表現は様々なアクション映画でいくらでも観たことがあるはずですが、「目の前で街が燃えていて、自分にまで熱さが伝わってくる」という体験的な映像の見せ方なんかは本当にうまいなと。
「人が目の前で死んでいく」とか「爆撃の中を疾走する」とか、シームレスな映像の見せ方であるからこそ伝わってくる戦争の恐怖を感じました。
映画の不満点
これはもはやこの映画の宿命なのですが、とにかく「カメラ」が気になります。
全編ノーカット、というのを売りにした以上「どうやって撮影したのだろう」とか「これはCGかな」とか「ここは編集でつないだのかな」とかがとにかく気になります。
なので先ほど「シームレスだからこそ緊張感がある」と褒めた点と矛盾するのですが、撮影技術の方に目がいってしまってなかなか戦争の中に没頭出来ないんですよね。
このあたりは《グラビティ》とも同じでした。
あちらも15分間ノーカットみたいな演出が話題になりましたが、だからこそ気が散るという不幸な感情を持ってしまって。
撮影技術の方にスポットがあたると、映画の内容に集中できないというのは難しいところですね。
ご都合主義的展開
このお話は「A地点からB地点まで行き、軍事的伝令を伝える」というのが目的です。
その間に銃撃にあったり隠れたり河に落ちたりするのですが……これがですね、なかなか「テンポ良く」起きるんですね。
つまり、とても映画的なバランスがいい状態。
でも戦争って……そんなテンポ良くないでしょう、きっと。
もっとボーーーーーっとしてたり、あるいはカオスの連続であったり。
あくまでも「映画の展開に合わせた事件」のつなぎ合わせであるという風に感じてしまって、それもノレない部分ではありました。
もちろんそれは監督自身も意図していると分かっているのですが、映画がうまく出来ているほど気になる点でしたね。
特に敵に追いかけられて川に落ちるシーンがあるのですが、命からがら川から上がった場所がたまたま目的としていた隊の場所だったっていう展開は「ないわ〜」って感じでした。
あきらかに「映画の残り時間」に合わせた展開だし、そこまでの偶然が働いちゃうと命をかけた伝令っていうのも「ただ運がいいだけじゃね?」って気もしちゃって。
そもそも彼が伝令として選ばれたのは多少地図に詳しいとかそんな理由なんですけど、後半は逃げ回っているうちにたまたま目的地に着いたりみたいな展開ばっかりで。
ポスターの感想
ポスターは非常に素晴らしい出来だと思います。
「命をかけた伝令」という副題は好きではありませんが、キャッチコピーの「走れ」というシンプルさは切れ味が良くていいですね。
英語でのキャッチコピーは「TIME IS THE ENEMY」なのですが、これを直訳してしまうと「時間は敵」みたいになってしまって日本人には伝わりづらいですよね。
だったらもっとさらに削り取って「走れ」の一言の方が切迫感があっていい感じです。
ビジュアルも大きく大きくフーツラ書体でしょうか、1917とドーーーンとビジュアル化。
そこに戦場の夕景や鉄条網のようなものがチラリと写り、1917年という100年以上前の一瞬を見事に切り取っているようです。
瞬間の美しさ、そして死の恐怖まで見事にパッケージできています。
別案
こちらはこちらでいいデザインですね。
むしろより具体的ではあります。
戦争のど真ん中で、今まさに死の局面が迫っているという状態と、それに取り残されたように静止している主人公のビジュアル。
写真からその状況の音や匂いまで伝わってくるような迫力があります。
このあたりは映像的センスが世界トップであるサム・メンデス監督作品なのだというメッセージを強く感じますね。
「この映画、ビジュアルはとんでもないレベルだから」という宣言でしょう。
まとめ
正直なところ、僕自身はこの映画を手放しで大好きだというわけではありません。
ワンカット映画で言うならば近年でバードマンという作品がありましたし、あちらの方が好きです。
また、戦争もので言うならば同じくアカデミー作品賞にエントリーしていたジョジョ・ラビットの方が好きです。
かといってこの《1917》が必要の無い映画というわけでは当然無くって、この映画を通じて戦争の恐怖を体験できることはある意味人類史においての財産だとも思うんですよ。
「全人類、必ず観るべし!」とも思うし、ましてや映画館で観ることが出来るならよりベター。
気になってる方は今のうちの鑑賞をおすすめします。
それでは、また。
ROMA 《美術品のような映画・ポスター》
映画の点数…90点
ポスターの点数…75点
【次の世代の】映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《ROMA》です。
監督は《グラビティ》のアルフォンソ・キュアロンさんですね。(ゼロ・グラビティとは死んでも言いたくない!)
この映画、作品の完成度が話題になったのも当然あるのですが、他にも議論を呼んだ部分が大きくて。
Netflix制作の映画なので、これをどこまで「映画」として認めるか非常に曖昧なんですよね。
ポン・ジュノ監督の《オクジャ》なんかもそうなんですけど。
アカデミー賞では結局外国語映画賞なんかは取りましたけど、今後「ほとんど映画館では上映してないけど、傑作の映画が動画配信サイトから飛び出した場合」どうするのかなんてのは議論がしばらく続きそうですね。
そのくらい完成度が高かったから議論を呼んだわけでもあるのですが。
ちなみに僕は内容を出来るだけ調べずに鑑賞するタイプなので、完全にイタリアのローマの映画だと思って観ていました。
登場人物が「オラ!(こんにちは)」って言わなかったら結構長い間分からなかったかも。
映画のストーリー
ストーリーらしいストーリーは無いと言ってもいい映画です。
何せ監督の少年時代の思い出を映画にした作品。
登場人物は1971年のメキシコシティに暮らす一組の家族、そしてそこに従事するメイドさん達です。
そのメイドさんの一人が主人公なのですが、まぁ正直キレイなタイプでもないし非常に地味。
それもそのはず、演技未経験の完全素人。
そんな彼女を制作費15億円の映画の主演に抜擢しているわけです。
逆に言えば、極端なオーバーアクションな演技もなく非常にスローなテンポで描かれた美しい映画です。
その家族のおよそ1年間を切り取って編集したかのような映画。
「アート系映画」なんて言うと敬遠されるかも知れませんが、でも誰がどう言おうとあまりにも芸術的で美しい映画なのは間違いなく。
「こんな退屈な映画よりもシュワちゃんがマシンガンをぶっ放す映画の方が最高だぜ!」という方がいても「まぁそうですよね」としか言えないというか。
でもやはり絶対に観て貰いたい映画ではあるのです。
映画の良かった点
いずれの方も指摘している通り、とにかく美しい映像にどっっぷりと酔っ払うことが出来る映画です。
それだけで「うひょー、最高!」となるのですが、もちろんそれだけではなくって。
キュアロン監督の得意技、極端な長回しショットがかなり映画との相性が良いんですよね。
グラビティの時も確かに良かったんですけど、今回のローマの方がよりストーリーとの繋がりを感じられて。
例えば出産のシーンでは、運ばれてきて→出産して→子どもが取り出されて抱っこして→連れて行かれる、までをずっとワンショットで描いています。
これがもう、心臓に悪いにもほどがある。。
切れ目のないワンショットの中に、痛みと歓喜と絶望とを同時に味わうことになるので、まるで映画の中に飛び込んだかのような緊張感があるわけですね。
逆に特に何も起こらない静かなシーンにしても、それはそれで登場人物達と同じ景色を観ているような気分になれるわけで。
長回しショットって使い方を失敗すると、むしろカメラを意識してしまう人工的なクールさを感じてしまうんですけど、今回はそれが非常にうまく機能しています。
映画の不満点
こればっかりはしょうがないというか人によると思うんですけど、何も起こらないシーンも非常に長いため退屈に思うことも確かにありました。
眠い時に鑑賞しちゃうとマズいことになるかも。
でもやっぱりこのじーーーーーーーっくり魅せるのがこの映画の特徴なので、たまにはこういう贅沢な時間を味わうのもいいと思うんですけどね。
ポスターの感想
メキシコが舞台ということもあるのか、非常にキリスト教の影響を強く感じるビジュアルの多かったこの映画。
ポスターもまたその影響を強く感じます。
まるで宗教画のような構図ですね。
三位一体を表現しているような、マリアを表しているような、贖罪・懺悔を表現しているような。
宗教画に詳しいわけではないので深い追求が出来ないのが残念ですが、映画全体から死と生を強く感じるのはキュアロン監督の資質とも大きく関連しているのでしょう。
ポスターもまた同様ですね。
とはいえ、映画ポスターとして観た時に少し不満点があるのも事実。
まぁこんなこと言っては身も蓋もないですが、どのような映画なのかはポスターからは全く伝わってきません。
家族が寄り添う、再生するというようなニュアンスは伝わるものの、他の情報が少なすぎますからね。
とはいえまぁ、そんなことも覚悟の上でのこのビジュアルというか。
おそらく監督や制作側も「やっぱりこのビジュアルしかあり得ない!」という覚悟の元でのポスターでしょう。
ならもうしょうがないかな、と思います。
だってカッコイイですからね。
まとめ
非常に上質な時間を過ごせた気になる素晴らしい映画だったと思います。
どんな映画だったか聞かれると非常に困るタイプの映画ではあるのですが、観る前と観た後では少しだけ世の中の明るさが違って見えるくらいの映画体験は出来ると思います。
良かったら鑑賞されてみてください。
それでは、また。
オクジャ 《好き勝手に出来るすがすがしさ》
映画の点数…85点
ポスターの点数…88点
オスカー受賞記念第2弾
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《オクジャ》です。
ポン・ジュノ監督がパラサイトでアカデミー作品賞を獲得しての記念レビュー2作目。
とかいいつつ、単に僕がこれを機にポン・ジュノ作品を見直したいというだけですが。
制作がNetflixという超巨大資本をバックに制作されました。
Netflix作品なので、厳密に言えば映画ではないのかも知れませんが、個人的には「でも家でDVD観るのも映画鑑賞って言うじゃん?」と思うので、一応映画扱いとします。
Netflixは監督の好きに作らせるという噂がありますが、Wikiによると制作費は50億円…。
日本ではキングダムで10億程度だったのに、「ブタちゃん、ニューヨークへ行く」みたいな映画に50億つっこめるNetflixの恐ろしさよ。。。。
そしてそれに見事に応えたポン・ジュノ監督。
改めて「ああ、これはもはや日本映画が太刀打ち出来ないレベルにあるな」と思いましたよ。
映画のストーリー
食料危機への対策を名目に遺伝子操作で作られた巨大ブタ。
韓国の田舎でおじいちゃんと孫で育てられていたオクジャ(ブタ)は、ついに食料にされるためにNYに移送されることに(これを孫のミジャは知らなかった)。
オクジャを救い出すために、ミジャのソウル、ニューヨークへと続く冒険が始まる。
みたいな感じです。
話の大筋こそ「家族同然のブタを助ける!」という感動ものなのですが、そんな甘ったるいものじゃないというのがポン・ジュノ監督の恐ろしさ。
少女のブタを助けたいという思いの裏側で、食品開発を全うする会社や、遺伝子操作を食品にまで行う安全性や倫理問題、超法規的なテロリズムを使ってでも動物を守ろうとする愛護団体、その奥に無数にある「うまくて安いものなら何でも食べるよ」という我々消費者側の視点。
どれが正解であるという明確な姿勢は避けつつも、「お前ら目をそらすなよ」というメッセージを痛快なコメディで描ききった一作。
まぁ見事なものだと舌を巻きました。
映画の良かった点
ポン・ジュノ監督のお得意技でもあるのですが「これは一体どういう気持ちで観たらいいシーンなの?社会派問題なの?コメディなの?」というジャンルレスなシーンはたくさん挟みつつも、観ていてストーリーに置いて行かれることがないという不思議な構成。
とにかく映画が観やすいというのが非常に優れた点です。
そういう「普通に撮ろうと思ったらいつでも出来る」という強固な実力があるからこそ、どんどん遊びの要素を放り込んでくるんですね。
特にこの映画は「グエムル」と違って具体的な“敵”がいません。
映画上の“敵”に見えるアメリカの大企業も、話を聞いてみると基本的には全うなビジネスをしているだけです。
もちろん動物虐待や、生産者を騙す行為もしていますが、それって僕らが暮らす実社会の中で普通に見かけるレベルの範囲なんですよね。
だから見ていると「あれ?これって俺が責められてる?」という不安に襲われたり、別のシーンでは「やっぱりこいつら酷いな」なんて気持ちがグラグラしてきます。
そういった観客の心を揺さぶりつつも、映画としてしっかりエンターテイメントしてるんですよねぇ。
一歩間違えばすぐさま駄作になりそうなものを、よくぞコントロールしきれるなと驚きます。
パラサイトとの比較
映画の内容はパラサイトと全く違うのですが、個人的には僕はこの作品があったからこそパラサイトのクオリティが上がったのではないかと思いました。
このオクジャはハリウッドスターもたくさん出ている超豪華な内容です。
ジレンホールやポール・ダノら個性派俳優をコントロールしつつ、決して超絶美人ではない韓国人を主役に、さらにはCGで巨大ブタを常にイメージしながらの制作になります。
制作費も50億ということもあり、恐らくではあるのですがポン・ジュノ監督も「素直に楽しめる箇所は楽しませる」ということをより意識したのではないでしょうか。
どこからどう観てもポン・ジュノ監督らしい作品でありながらも、所謂ハリウッド的な豪華な楽しみ方も出来るバランスになっています。
この経験が《パラサイト》の制作にも生きていると思っていて、「自分らしい個性のある映画」というバランスと「ここではしっかりとお金を使って贅沢な見せ場にする必要がある」というバランスを掛け合わせることに成功したのではないでしょうか。
さらには「朝に撮影を始めて、ちゃんと食事もとりつつ夜には撮影をやめる」という撮影スタイルを導入したようですが、このあたりも俳優やスタッフの権利の強いハリウッド的な考え方のように思います(このあたりはポン・ジュノ監督というよりも韓国国内の働きかけがあったようですね)。
成功を続けた結果として潤沢な制作費を用意しつつ(パラサイトは12億らしいです。ほぼ室内の映画と考えるととても贅沢な資金)、力のコントロールをマスターしたかのような余裕を感じる映画の作り方。
ポン・ジュノ監督自身は今後ハリウッドで撮ることに意欲的ではないようですが、このオクジャを撮ったことは非常に大きなレベルアップにつながったのではないでしょうか。
ポスターの感想
映像配信なのでポスターというのは少し違いますが。
このビジュアルにもやはり「普通の映画とは違うな」というのは見て取れます。
ビジュアル内の情報がかなり少なく、シルエットと文字だけで映画の内容を読み取らなければなりません。
そもそもポスターは「相手に情報を伝える」ことが目的なわけで、となるとどうしても「分かりやすく見やすく読みやすく」ということに意識が集中します。
このようにパッと見ただけではどんな内容か分からないビジュアルなんて普通は通らないと思うんです。
でもそれを通してしまうあたりにNetflixの余裕を感じるというか。
「巨大な生物の上に見える、工場のような資本社会の象徴」というキーワードだけで映画への興味をかき立てるわけですね。
滅茶苦茶な勇気を感じて怖ろしいなと。
でもこれってNetflixのシステムを考えると、決してマイナスではなくって。
Netflixは日本では1300円程度で見放題なわけですから、このオクジャも当然追加料金無しで見ることが出来ます。
面白くなかったら途中で消せばいいし、特に損することもないわけです。
だからこそ、攻めたビジュアルでデザインすることが出来る。
むしろ既存の他の映画のゴチャゴチャしたビジュアルの中においては逆に際立って目立つかもしれません。
これからの時代のビジュアルの方向性を読み解くことが出来るようです。
まとめ
ポン・ジュノ監督、恐るべし!
という話からついついNetflixのお話に広がっていってしまいました。
でもこれも日本映画に関係ないわけでもなくって、才能のある日本人監督もバンバンNetflixで映画作ったらいいと思うんです。
そのうえでもう一度日本映画に還元できたとしたらいいじゃないですか。
既に韓国映画は世界の潮流映画のど真ん中にきてしまいました。
周回遅れの日本は、いつ追いつくことができますかね。。。
それでは、また。
グエムル -漢江の怪物-《既に完成間近な異常なクオリティ》
映画の点数…83点
ポスターの点数…30点(韓国版)
祝!アカデミー賞作品賞記念!
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画はポン・ジュノ監督作の【グエムル 漢江の怪物】です。
先ほど(2020年2月10日)アカデミー賞の発表がありまして、ポン・ジュノ監督の【パラサイト】が作品賞!監督賞!脚本賞!国際映画賞!と4部門をかっさらいました。
Webで観ながら鳥肌がたちましたね。
こんなことが起きるんですね、本当に。
英語以外の映画では初、アジア映画としても初、パルムドールとのダブル受賞も2例目?かな、とにかくとんでもないことが起きたわけですね。
これが日本映画であったならなお喜びも数千倍であったのでしょうが、特に近年は韓国映画の良作がドッカンドッカン出てきていたのである意味では奇跡ではなく必然であったのかも知れません。
そんなわけで、今回はそんなポン・ジュノ監督のおそらくパラサイトを除いて一番知名度の高いこの作品をレビューしてみたいと思います。
映画のストーリー
無責任な化学実験によって、韓国の漢江に巨大な人食い生物が出現します。
最愛の娘を生け贄としてさらわれた父(ソンガンホ、パラサイトでも主演です)は、自身の父や兄弟と協力して娘の救出を試みますが……
という内容です。
大きなところでのストーリーは「怪物パニック映画」と「父娘感動もの」となるのでしょうか。
ただしそんな常識におさまらないからこの映画は面白いわけですね。
プレデターとかジュラシックパークを観たい人にはオススメ出来ないし、96時間みたいな作品が好きな人にもオススメ出来ません。
それでも映画ファンには強くお勧め出来る一本です。
パラサイトとの共通点
話のスケールこそ違う映画ですが、グエムルとパラサイトには共通点がいくつかわります。
まず、頼りのない父親ソンガンホ。
ブツブツと言い訳ばかりしているどうしようもない人物だが、基本的には常識や優しさもある。
そして主人公達は生活レベルの低い社会的弱者であるという点。
パラサイトではそれがメインテーマ、グエムルではそれが要素として機能しています。
最後に、「僕は今一体、どんな映画を観ているのか分からない」という状態にすぐに放り込まれてしまう点が同じです。
これが苦手だという人もいるでしょうが、個人的には大好きなふわふわ感ですね。
例えばですが、「お前ら、兄弟同士で仲良くするんだぞ!兄ちゃんをバカにするな!」と父親が演説するシーンでは肝心の妹と弟は居眠りしていて、何より馬鹿にされているソンガンホ本人も熟睡している、みたいなシーンがあります。
感動っぽいシーンをギャグシーンにすることで観客側もどういう目線で観たらいいのか戸惑ったはずです。
さらにそこからいきなり怪物パニックシーンにつながったりと、観ている映画が分単位でジャンルを変えていくんですよね。
このあたりは特にパラサイトとの共通点を感じます。
映画の良かった点
14年ほど前の映画ながら、すでにポン・ジュノ監督の確かな手腕は感じることが出来ます。
ただの怪物バカ映画では全くないんですね。
例えば、主人公の妹であるペ・デュナはアーチェリーの国際大会で3位という実力を持っています。
いざ本番という場面で、慎重になりすぎて失敗したというのがさりげなく示されます。
怪獣映画でアーチェリーが写る時点で、「ああ、武器として使うんだろうな」というのまではすぐに予想がつきます。
しかしそこから「3位という実力だけあって、どうしてもクリティカルヒットが撃てない!」とか「慎重になりすぎて期を逃す」という演出がそこに追加されるんですよね。
各キャラクター毎にそういった細かな設定が用意されているため、ただの怪獣映画を観ているつもりがちゃんと人間の成長物語にもつながっているんです。
さらにカメラの撮り方なんかも既にレベルが異常に高く、観客が混乱しないように位置関係を整理しながら分かりやすく撮るとか、いざという見せ場ではスローモーションでじっくり撮るとか、とにかく「観やすい」映画なんですよね。
この時点でとっくにポン・ジュノ監督のレベルの高さは突出していたのでしょう。
ポスターの感想
個人的にはこの映画、実は映画ポスターこそがこの映画の価値を大きく引き上げているのではないかと思います。
この「なんか、なんか分からんが、とにかく後ろに非常にやばいものがいる」ことがたった一人の少女の表情のみで表現されています。
こりゃあ観たくなるでしょう笑
ところがですね、これがどうも韓国本国ではメインのビジュアルではなさそう。
既にスター俳優であるソンガンホさんを大きくビジュアル化したこちらがメインビジュアルっぽいんですよね。
これは明らかに日本版ポスターの方が素晴らしいと思います。
日本版ポスターの方もポスタービジュアルと映画の内容にズレが大きいのが気になるので高すぎる評価はしにくいのですが、それでも十分に「うわ!面白そう!」と思わせるビジュアルです。
パラサイトのポスターはここからさらにレベルが数段あがって「ホラー……なんだけどちょっと笑える」みたいなバランスすらポスターで表現出来ているんですよね。
まとめ
あらためまして、オスカーの獲得を今は心から祝福させていただきます。
ギエルモ・デル・トロもそうですが、かつて怪獣映画なんか撮ってた人がアカデミー賞までたどり着くんだから夢しか感じないですよ。
非常に興奮した一日でした。
これからまたポン・ジュノ監督作品を鑑賞しまくりたいと思います。
それでは、また。
↓ 面白いと思ったらクリックください!励みになります!
マリッジ・ストーリー《皮肉の効いたポスターの構成》
映画の点数…92点
ポスターの点数…75点
絶好調!ネトフリ×アダム×スカヨハ
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げるは《マリッジ・ストーリー》です。
監督はノア・バームバックさんですが、どちらかと言うと「またNetflix制作による傑作が出てきたな」という印象。
もはやNetflixが本気で作った映画は必見というレベルになってきています。
映画に対する常識の意識変化が必要なんですねぇ。。
スカーレット・ヨハンソンは再評価、アダム・ドライバーは評価があがる一方という中での共演。
見事に二人ともアカデミー賞の男優・女優賞にノミネートされる快挙です。
いわゆる「離婚もの」映画ですが、クレイマーvsクレイマーではダスティンホフマン、メリルストリープが揃って受賞。
今回はどうなりますかね、楽しみです。
映画のストーリー
クレイマーvsクレイマーやブルーバレンタインなどの離婚映画と違うのは、映画の冒頭ですでに「離婚する」ことをもう決めている点です。
「色々考えた結果離婚する」ではなく、「離婚するのはいいけども、子どもの事はどうするの?住むところはどうするの?」という、いわば整理整頓をしていく内容です。
僕は幸運なことに離婚したことはないですが、他の映画では描いていないこの整理整頓が大変なんですよね。
例えば、ダスティン・ホフマンは映画の中で裕福な設定でした。
逆にライアン・ゴズリングはそもそもお金がありませんでした。
今回のアダム・ドライバーは、お金がないわけでも余っているわけでもありません。
ですが絶対に子どもと過ごす時間は確保したいし、金銭的な援助はしたい。
アダムもスカーレット・ヨハンソンも、基本的には「子どものことを第一に」考えているはずなのにどんどんおかしな方向に転がってしまうという点が面白かったです。
整理整頓していたはずなのに、もう取り返しがつかないくらい散らかっていってしまうという矛盾。
映画を観ている間中、心臓が発火しそうな痛々しさを感じました。
映画の面白かった点
監督の体験をベースにしているというのもあってか、やたらと生々しいのが魅力です。
普通に会話をしていたはずなのに余計な一言などが原因でいつの間にか喧嘩腰になっていく様子などは、誰しも経験があることではないでしょうか。
特に終盤の10分間長回しによる二人の大げんかのシーン。
普通の会話から始まって、最後には涙を流しながら「死んでしまえ!!」くらいの絶叫に変わっていく(実際のセリフは違いますよ)。
この会話がそのまま結婚生活をあらわしているようで、はじめこそ相手を思いやった言葉を探しているのに、気付けば自分が思ってもいないような言葉で罵ってしまうという。
映画を観ている側としては「この夫婦はまだ修復可能なのではないか?」と余計なおせっかい心を持ってみているのですが、途中から「やっぱダメかも知れない…」と思い始めたり。
映画を観ているだけなのに、何故かこちらまで疲れるくらいリアリティがありましたね。
映画の不満点
これは意図的なことだと思うので、不満ではない人も多いと思います。
それは、子どもが空気だという点です。
クレイマーvsクレイマーでは、ビリー少年も離婚に向かう二人と同じ「当事者」として描かれていました。
ですが今回の子どもであるヘンリー君は、基本的に「部外者」のような立ち位置にいます。
親が必死に「お前を愛してるよ」とアピールしても、本人は面倒くさそうで。
ニューヨークからロサンゼルスに引っ越しても、子どもらしい柔軟さで誰よりも早く適応してしまうんですよね。
まぁ確かに、子どもって実際そんな感じですよね。
親の心子知らずというか。
なのでいまいち子どもの心境は伝わってくることがなく、となると親が必死にアピールすることが滑稽に見えてしまうというか。
監督はそのように撮っているのでこれで正解なのですが、僕はそこがちょっと気になった点です。
ポスターの感想
不思議なことに、先ほどあげた「離婚もの映画」とポスターはいずれも構成が同じという現象がおきています。
テーマは離婚ものなのですが、ポスターでは「家族が仲が良かった瞬間」をチョイスしているんですね。
イジワルですねぇ。
とはいえポスターとしての機能としては理にかなっています。
仲の良い家族の状態をポスターで印象づけることによって、映画を観る人は余計に「なんでこの人達がこんな目に遭わなくちゃいけないんだ…」みたいな気持ちになります。
あるいは、どのような経緯で仲が悪くなっていくのか興味深く鑑賞してくれます。
特にクレイマークレイマーのポスターの方が分かりやすいですね。
記念写真をチョイスしているのは「写真=既に過去のこと」という意味合いがあります。
別案
マリッジ・ストーリーに関してはこちらのポスターも非常に良いと思います。
連作として観ないと機能しないのは難点ですが、夫と妻、それぞれのアイデンティティーが今どこにあるのかがシルエットで分かります。
開放的な景色(LA)と、知的な都会的風景(NY)は互いに相容れないような印象を与えます。
それにしても、スカーレット・ヨハンソンの方はともかくアダム・ドライバーはシルエットだけでも誰なのか大体分かりますね。
まとめ
今まさに絶好調の二人の共演による映画は、まさに大成功を生み出しました。
映画の内容ももちろん、妙にドライだったり妙にイジワルだったり妙に泣かせにきたりと不思議なバランスなのが良かったです。
噂によると、Netflixは監督に対しあまり口出しをしてこないのだとか。
それが本当なら、のびのびと作りたいように作った映画がここまで評価されたということになります。
これからもまだまだ二人とNetflixの快進撃は続きそうだなと思わせる一本でした。
それでは、また。
↓ 面白いと思ったらクリックください!励みになります!
タクシードライバー《素晴らしい映画、最高のポスター》
映画の点数…95点
ポスターの点数…99点
JOKERを踏まえた上で
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《タクシードライバー》です。
昨年話題を呼び、ついにアカデミー作品賞ノミネートまでいった《JOKER》。
そのJOKERの元ネタとなったとなっている作品の一つがロバート・デ・ニーロとスコセッシの《タクシードライバー》でした。
他にも同じコンビの《キングオブコメディ》も元ネタとなっていますね。
パクリとかそういうレベルの話ではなく、かなり明確に映画内に取り込んだ上で制作されているので《タクシードライバー》と《キングオブコメディ》へのアンサー的な作品だったとも思います。
もちろんそのJOKERも大傑作でしたし、個人的にも大満足でした。
そのうえで、やはり僕は「タクシードライバーとかの狂気の方が凄まじかった」と素直に思ったんですよね。
そのあたりを確認したくて久しぶりにタクシードライバーを鑑賞してみました。
映画のストーリーの違い
ジョーカーとトラヴィスの共通点は、共に「社会的には価値のない貧困層(と自ら思っている)」という点です。
女性にフラれたり、他人にバカにされた態度をとられることで徐々に狂気が増していき、それが最後スパークする、というのは同じです。
とはいえやはり全く違う点もいくつかあって、まず「コメディアンに本気でなりたいアーサー」と「そもそも仕事なんて何でもいいトラヴィス」では全く違います。
それと元々は良心のあったアーサーに対し、トラヴィスは映画の冒頭から既に精神的に安定していません。
気になる女性に対してアプローチをかけることをためらうアーサーに対し、トラヴィスはかなり積極的に話しかけるし、そのナンパの仕方もかなり痛々しいです。
キングオブコメディも、主人公は冒頭から既におかしい人物でした。
同じようなストーリーに見えて、設定などには違いがあるのが分かります。
映画の良かった点
スコセッシとデ・ニーロの素晴らしい点はなんといっても「画面から伝わってくる禍々しさ」だと思います。
メソッド法なんて演技アプローチがありますが、この映画にうつるトラヴィスはどっからどう観ても「イっちゃってる人」。
言うまでもなくデ・ニーロはミッドナイト・ランやディア・ハンターなどで観られる「普通の人」を演じるのも当たり前に出来るので、これが演技であるというのは明らかです。
このただでさえ様子のおかしいトラヴィスが、後半になるにつれさらに異常になっていき、ついにイキイキとした表情で銃の練習を始めるに至ります。
映画内で決定的に事件が起きるのは最後の10分程度なのですが、それまでを全く退屈させることなくエンターテイメントにするのは脚本や音楽だけではダメでしょう。
やはりスコセッシの演出とデ・ニーロの演技があるからこそ成立している映画であって、他の誰が演じてもここまでの傑作にはなっていないと思います。
ジョーカーとの比較
改めてタクシードライバーを見直したところ、あくまで個人的な意見ですが、やはりジョーカーよりもタクシードライバーの方が普遍的でありより傑作だと思うんです。
ジョーカーは「なりたい職業があるが、持病や病気の母のこともありうまくいかない」という面もあるのですが、単に才能がないとも言えます。
それで夢が叶わないとか「いやいやいやいや、すごく普通のことじゃない?」と思っちゃって。
「全員がジョーカーになれる!」みたいな内容だったのですが、僕からすると「こんなことで犯罪犯すなよ」って思っちゃって。
何よりバットマンというヒーローありきのキャラクターという点が引っかかって、全員がバットマンを知っているという前提で作られた映画が評価されるのもどうなのかと。
これがフランス革命とかWWⅡとか、実際にあった出来事を映画にするなら別にいいんですけど、架空のキャラクターのマンガ(映画)に対して、さらに架空のキャラクターと設定を加えて映画にするっているのがスマートだとは思えないなぁというか。
だったらやっぱりタクシードライバーのように、単体で成立している映画の方がいいと思うし、2020年に見直してみても設定とかは全く古くなっていませんしね。
改めて一応補足しておくと、ジョーカーという映画自体はものすごーーーーく面白かったと思っています。
ただ、比較すると、というだけの話です。
ポスターの感想
うーーーん!!
かっこいい!!!
なんなんでしょうか、この計算されつくしたような、されていないような美しさは。
まずビジュアルとしは100点ですね。
デ・ニーロがかっこいいというのは当然ありますが、配色、構図、テキスト全てにおいてハイレベルです。
さらに、映画ポスター、つまり「広告として」の機能も十分に持っています。
顔の陰影、ピントの合っていない感じ、深い夜の中で人工的な光に当てられた男。
着古したミリタリーウェアに、姿勢悪く佇む姿、さまよう目線。
これらすべてから、この男が真に孤独であるということが伝わってきます。
しかも単に孤独なのではなく、何か不穏さも持ち合わせています。
これらの情報だけでも「うわぁ、何かが起こりそうな映画だ」というのはビンビンに伝わりますよね。
これぞ映画ポスターだなと思います。
日本版ポスター
まず、スコセッシの表記が「スコシージ」になっていることに驚きます。
昔はスコシージって呼ばれてたんですね。
アル・パチーノも実際にはパチーノなんて言い方ではないみたいですし、昔から活躍している人達って色んな言い方があるのかも。
さて、ポスターの内容としては一点気になることがあります。
せっかく「この男、孤独なり」というのがビジュアルから表現されているのに、コピーの最後に「ニューヨークの夜が、いま明けていく」となっています。
いやいや、そんな映画じゃないでしょ。
むしろ永遠に夜なんじゃないかっていう恐怖を感じるような映画ですよね。
なんでこんなコピーをつけたんだろうか。
わざわざ45年前の映画コピーに言う文句でもないですが。
まとめ
ついつい「ジョーカーよりもタクシードライバーの方がすごいぞ」みたいな書き方になった部分もありますが、別にそれは僕だけの意見です。
ジョーカーは間違いなく素晴らしい映画ですし、ホアキン・フェニックスは本当に凄まじい演技をしました。
それに全ての人がわざわざタクシードライバーやキングオブコメディを見直す必要なんかないわけですよ。
どちらかを観るのであれば、新しく制作されたジョーカーを観るべきだと思います。
ただ興味があるのであれば、タクシードライバーも観た方が絶対に豊かな映画ライフになると思いますよ、くらいの感じです。
良かったら素晴らしい映画ポスターと合わせてご覧になってくださいませ。
それでは、また。
アイリッシュマン《僕たちへの贈り物》
映画の点数…92点
ポスターの点数…88点
老人達のラストダンス??
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《アイリッシュマン》です。
監督はマーティン・スコセッシ、主演はロバート・デ・ニーロですが、アル・パチーノやジョー・ペシ、ハーヴェイ・カイテルなどの豪華共演。
「あの、1970年代を駆け抜けた男達」による映画です。
上映時間は実に3時間30分にもおよび、どの角度から観ても超大作。
あえてハッキリ言いますが、これはもう上記の俳優達の最後の大型共演映画になるでしょう。
みなさんもうおじいちゃんですからね笑
イーストウッドのようなバケモノもハリウッドにはまだ存在していますが、みんなが元気なうちにデ・ニーロが銃をぶっ放したりアル・パチーノが大声で怒鳴りつけたりというような映画は今後間違いなく減るわけですから。
僕のような「世界で一番好きな俳優はアル・パチーノ」というような人間にとっての、あまりにも素敵な贈り物だと思っています。
そんな老人達のラストダンス、可能な限りフラットに見ていきます。
映画のストーリー
主演、つまりロバート・デ・ニーロ演じるマフィアの構成員フランクの視点で描かれています。
ですが実質的な中心人物はアル・パチーノ演じるジミー・ホッファ。
全米のトラック協会の支配者であり、巨大すぎる組織ゆえに大統領選やマフィアにも多大な影響力を持った人物です。
そんな二人の関係を中心に、登場人物達の人生と、ギラギラとべとついた時代の狂騒をテンポ良く描いています。
敵対者の殺害、大統領選の画策、それに伴う裁判、失脚、復権へのたくらみ。
僕の大好物のような展開が次々と巻き起こります。
3時間半という大作ながら退屈する箇所はほとんど無く、むしろラストには「え!これで終わりなの?!」と驚くくらいバッサリと突き放されるような印象すらあるくらい。
考えてみるとジミー・ホッファが謎の失踪を遂げるのが1975年ですから、時代的にはアルとデ・ニーロがゴッドファーザーを作っていた時、スコセッシがタクシードライバーを作っていた時代の話なんですよね。
そんな彼らがこうやってもう一度同じ時代の映画を作っているなんて奇跡のような話です。
映画の良かった点
まず大前提なんですけど、彼らが演技をしていてスコセッシが監督をしている時点で完全に100点なんですよ。
それはそれとして、出来るだけフラットに感想を言ってみようかなと。
まずオープニングの一発目、老人ホームのような病院のような施設をカメラがグーーーーーーっと進んでいき、軽やかに音楽が流れている。
これだけで既に「スコセッシ映画が始まった!!!」感がえげつないわけですよ。
あとはもう、3時間半この調子というか。
テンション的に近いのはグッドフェローズなんですけど、グッドフェローズほどにはハイスピード感はなく、ほどよいテンポで軽やかに進んでいく感じです。
グッドフェローズは本当にハイスピードで人が死んでいきましたが、アイリッシュマンもやはりテンポよくサクサクと死んでいく笑
とはいえ死を軽く扱っているというわけではなく、例えばジミー・ホッファが失踪した日を描くパートではバックで流れる音楽がなくほとんど無音の状態に。
特に派手な演出もしていないのに「ああ、何か怖い」と感じるあたりはもうベテラン技の極致。
見終わった後は確かに体は疲れているんですけど、不思議と気持ちは疲れていなくて。
「ああ、いい映画見たなぁ」というほどよい爽快感があります。
映画の不満点
あくまでも、あえて言うなら。
さすがにデ・ニーロ達が30代を演じているのは無茶がありましたね。
いくらCGで誤魔化そうにも、歩き方がおじいちゃんなんですよね。
逆に、「ああ、おじいちゃんって歩き方が若い人と違うんだな」と発見になってくらいです。
最新技術で彼らを若返らせるのは面白いチャレンジだと思いましたが、「まったく違和感が無かったよ」などとはどうしても言えません笑
とはいえやはり、その不自然さも含めての映画体験だと思ったのでやはり不満点はありません。
ポスターの感想
たまりませんなぁ、このビジュアル。。。
主演のデ・ニーロを中心に、メインの3人が配置されています。
役柄上彼らは協力関係、というよりも共犯関係に近いものがあるのですが、ポスター内では全員がバラバラの箇所を見ています。
つまりそれぞれに目指すものが違う、意見や考えが違うということが暗示されています。
高いビルを背景に、抜けの悪い構図になっています。
このことにより、この街でタフに生きていくことの窮屈さ・圧迫感を感じます。
光の当たり方も絶妙で、表情もアルやジョーは表情すら分かりにくいところに光りがあたっており、全体の彩度もかなりおさえられています。
光の表現だけでも、無機質さや冷酷さが伝わってきます。
下手におじさんファンに媚びるわけでもなく、現代版のかっこいいポスターになっていますね。
別案
こちらの方は、逆に1970年代を感じさせるポスターワークです。
これはこれで非常に大好物なポスターなんですけど、こっちがメインにされなくて良かったなぁと思います。
2019年の最新作として堂々たる魅力のある映画なのですから、変に懐古主義なイメージを観客に与える必要はありませんからね。
やはりメインビジュアルで使われている先ほどのポスターがベターです。
まとめ
別に僕は「スコセッシの最高傑作だ!」などとは言いません。
他の方もそうではないでしょうか。
それでもやはり、もはやこのアイリッシュマンは《存在しているだけ》で大きな価値のある一作だと思うんですよ。
2019年に誕生し、そのままアカデミー賞にもノミネートされるおじいちゃん達の映画。
なんとカッコイイことでしょうか。
全ての方におすすめは出来ませんが、それでも「俺映画が好きなんだよね」と思われる方は100000%で鑑賞マストな映画なのは間違いありません。
是非ご覧になってください。
それでは、また。
↓ 面白いと思ったらクリックください!励みになります!
ジョジョ・ラビット《僕的アカデミー作品賞!》
映画の点数…97点
ポスターの点数…82点
僕的・アカデミー賞受賞
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《ジョジョ・ラビット》です。
観たきっかけは一つで、アカデミー作品賞にノミネートされていたから。
主演の男の子が完全に新人だということや、監督のタイカさんの作品がそれほど好みでもない点などから特に注目していませんでした。
ダメですね、こういう思い込みは。
一応アカデミー賞関連は目を通しておくかくらいの気持ちで観にいったら、完全にやられました。
今の段階で僕の中ではアカデミー作品賞受賞です。
噂ではこの作品が実際に受賞することは無いような雰囲気ですが、僕の中ではナンバーワンですね。
もちろん現段階では日本でまだ観ることのできない作品があるのでそれを観るまではなんとも言えませんが、スコセッシ《アイリッシュマン》やタランティーノ《ワンス・アポン・アタイム・ハリウッド》みたいな大好きな映画監督には申し訳ないけど、僕は《ジョジョラビット》の方が好きでした。
映画のストーリー
終戦間際のドイツ、ナチス・ヒットラーに憧れを抱く10歳の少年ジョジョ。
臆病で純粋なジョジョは、頭の中の友達のヒットラーに励まされたり叱られながら過ごしています。
父親は戦争で家にいないようで、いわゆる【肝っ玉母ちゃん】のスカーレット・ヨハンソンと暮らしています。
ある日家の中で物音を聞き、ビクビクしながら調べてみると、壁の奥にユダヤ人の少女が匿われているのを発見します。
ナチス的思想に影響を受けるジョジョは、実際に目の前にいるユダヤ人の少女と対話をしていくなかで少しずつ考えを改めていきます。
みたいな話です。
ドイツ側から観た第二次大戦ものでいえば《戦争のはらわた》とか、ユダヤ人とドイツ人の交流で言えば《戦場のピアニスト》とか《シンドラーのリスト》のような佳作・名作色々あります。
しかしこの映画の特徴は「極めてコメディ的な軽やかなタッチで」「10歳の少年の目線から」終戦間際のドイツを描いたことでしょう。
登場人物が全員英語を話すし、ましてや特にドイツ的ではない白人や有色人種も普通に登場することから特にリアリティが大事な作品ではありません。
なにしろ映画のオープニングでは爆音でビートルズが流れます。
「近くで見れば悲劇であり、遠くから見ると喜劇である」と言ったのはチャップリンですが、まさにこの映画はかなり遠くからみた喜劇的視点から戦争を描いています。
そういう意味ではタランティーノの《イングロリアス・バスターズ》にも近いですね。
ただし両映画に共通するのは、油断していると急に【戦争の悲劇】を目の前に突きつけてくることです。
だからこそ映画として素晴らしいと思っています。
映画の良かった点
前述の通り、ただのコメディとして評価しているわけではありません。
そして、《博士の異常な愛情》や《フルメタル・ジャケット》のように突き放したような描き方でもありません。
コメディとして楽しく描かれていた映画ですが、おそらく20分後くらいに急に【死体】を画面内にハッキリとうつします。
それを10歳のジョジョに目撃させることで「あ、人は死ぬのだ」ということを強烈に植え付けます。
ベタと言えばベタですが、これはうまいですね。
そこから先は、どれだけコメディシーンが続こうとも「でも人は死ぬ。この後、いきなり死ぬかも知れない」という恐怖を感じながら見続けなければなりません。
ましてや舞台は終戦間際のドイツです。
多少なり戦争の知識がある人なら、このあとにロシアが進出してくることやヒットラーがどうなるかなど知っているわけですから。
ここで不思議なのは、今まで観てきたほとんどの映画では「アメリカ頑張れ!ドイツくたばれ!」みたいな目線で観ていたんです。(まぁこのあたりはアメリカはうまいなと。今ではまるでアメリカのおかげで戦争に勝ったみたいな印象ですからね)
ところがこの映画では「ああ、どうかこの人達は殺さないでくれ」と祈りながら映画を観ることになります。
数人「バカ丸出しのナチス」が登場するのですが、逆に「戦争に勝って無邪気にはしゃぐアメリカ兵」なんかも少し皮肉に描いているのでできる限りフェアな視点で描こうとしているのかなとは思いました。
「ナチスドイツやヒットラーをコメディとして描くのは危険だし、この映画はその点で失敗している」という意見も目にしましたが、個人的には「監督がバカにしているのは盲目的に暴走する人間の愚かさであって、その対象には2020年現在のアメリカやロシアやシリアなんかも含まれている」と思いましたよ。
スカーレット・ヨハンソン
それと個人的にはスカーレット・ヨハンソンがとても素晴らしいなと思いました。
サム・ロックウェルなんかは既に誰しもが素晴らしい役者だと知っているのであえて書きませんが、今まで僕はスカーレット・ヨハンソンを役者として良いと思ったことは特に無かったんですよ。
ハスキーな声とグラマラスな魅力のある、こんなこと言っては失礼ですがセックス・シンボルとしての魅力を買われている人物だと。
ですがこの映画では、母親であり人妻なのでセクシーさは特にありません。まさに演技のみの評価。
そしてこれが非常に素晴らしかった。
「自分のやるべきこと」を理解しているタフな一人の人間、母親としての強さと弱さを併せ持った女性を見事に演じています。
出演シーンがそこまで多いわけでもないに関わらず、映画全体のトーンを支配している人物です。
アカデミー賞助演女優賞でのノミネートももちろん納得。
他にも主演の男の子やユダヤ人役の少女もメチャクチャ良かったですね。
特に二人のラストシーンは、幸せと悲しみと喜びに溢れておりこちらの感情も爆発するくらい最高でした。
ポスターの感想
オリジナルのポスターに準じているので、特に日本版ポスターが良いとか悪いとかはありません。
非常に潔いなと感じるのは、ここまで真っ赤な配色を恐れずに使っていることです。
当然この赤からはナチスを想像するのでこの色だけで難色を示した人も多数いたはずです。
ですがちゃんとポスターを見るとヒットラーが明らかにコメディな表情をしていたり、ナチス兵もなんだか変な表情に変なポーズ。
この映画がナチスを肯定するような内容でないことは一目瞭然です。
オリジナル別案
こちらのポスターはかっこいいですね。
皮肉なピースマークの中に、ウサギの顔がフォントで描かれています。
さすがにこのポスターだと日本ではどのような映画か分からないですよね。
他のビジュアル
コメディ路線な映画ということもあり、他にも面白いアイデアがあります。
アカデミーにノミネートされたあとであろうポスターはこれ。
ジョジョがアカデミー作品賞ノミネートされたことを限界までシンプルな情報で表現しています。
オスカー像がヒットラーになっているのもまた攻めてるなという感じがして好感がもてますね。
アカデミー賞にノミネートされたことを喜びつつも、権威に対して少しピリッとしたメッセージ性を感じます。
さらにウサギに追われるナチスの鍵十字というデザイン。
これは映画を見終わったあとだとさらに違った印象が沸きます。
最初は「ウサギだってナチスの役にたつさ!」とジョジョは思っているわけですが、最後にそのウサギはナチス(ヒットラー)にどのような態度をとるのか。
それを知ってから見るとまた面白いものがあります。
いずれにせよデザインが豊富で一つ一つのクオリティは非常に高いです。
ポスターの不満点
全体のクオリティは高いのですが、わずかながら不満はあります。
デザインレベルは非常に高いのですが、ちょっとインパクトに欠けるところがあります。
この映画はマイティ・ソーで成功したとはいえまだ名前が浸透したわけではない監督と、完全新人の少年による映画です。
それを踏まえたうえでポスターを見てみると、華が足りないと思うのです。
せっかく劇中では「お腹から蝶が舞うようなファンタジー要素」や「人は無残に死ぬ」というようなスキャンダルな映像もつかっているのですから、ポスターももうちょっとキツめのインパクトのあるビジュアルを持ってきても良かったのかなと思います。
まとめ
アカデミー賞の発表まであと10日ほどですが、式の前に観ておいてとても良かったと思います。
結果が出た後に観てしまうとどうしても結果を踏まえたうえでの感想になってしまいますから。
もしもまだ観ていないという方は、お早めの鑑賞をおすすめします。
賛否両論という声もたくさんありますが、いい映画って賛否両論巻き起こすからいい映画だと思うので。
僕は完全に肯定派です。
おすすめします。
それでは、また。
↓ 面白いと思ったらクリックください!励みになります!