ブラックパンサー Black Panther《嘘はだめ。それはない。そんなキャッチコピー》
ポスターの点数…35点
映画の点数…76点
意味不明なキャッチコピー
まず、ポスターのビジュアルの前に許しがたい問題があります。
キャッチコピーの「国王として守るか?ヒーローとして戦うか?」。
いや、そんな映画じゃないでしょ。
どのような映画かも知らずにキャッチコピーをつけるとは思えないので、これには悪意を感じます。
このキャッチコピーだと、「国の守りを犠牲にしてでも正義のために戦わなければならないものがある」、みたいな解釈じゃないですか。
そんなシーンないでしょこの映画。
確かに映画の終盤では「自分の国のことだけでなく、他国とも協力しあっていこう」というメッセージはありますよ。
でも、戦うというのも違うし、他国と協力するのもヒーローとしてではなく国王としてです。
こういう勇ましいキャッチコピーの方がお客さんが入ると考えたのでしょう。
僕ははっきりと不快です。
こちらのポスターの「国王とヒーロー…2つの顔をもつ男。」だったら分かります。
少なくとも嘘はついていませんから。
でも「国王として守るか?ヒーローとして戦うか?」は嘘でしょう。
この理屈は、どちらかと言えばヴィランのキルモンガーの理屈です。
ビジュアルの評価
前述の通りキャッチコピーは大嫌いですが、ビジュアルの方はとてもいいですね。
いずれのポスターも「ちょっと異質な未来文明」チックな雰囲気を出していてブラックパンサーの世界観をうまく表現しています。
それはそうと、ブラックパンサーがレクサスに乗っているのは日本人としてはちょっと嬉しいですね。
でもこれだけの技術国家なら自分たちの車くらい作ってそうですけど笑
ブラックパンサーは肉体で戦うキャラクターなので、筋肉の立体感や躍動感を感じるポージングなんかもうまく取り入れています。
ヴィランの不在
とはいえ、ちょっと不満もあります。
僕は今回のポスターには、どこかに必ず敵であるキルモンガーを入れる必要があったのではないかと思うのです。
映画を観た方なら分かりますが、今作ほど血の通ったヴィランは他にいません
(ロキは魅力的ではありますが、多分血は通ってません笑)。
そのヴィランとブラックパンサーが向き合い、対決することがこの映画の本筋だと思います。
決して「新ヒーロー!ブラックパンサー誕生!ヒューヒュー!」みたいな映画じゃないと思うんですよね。
どうにかその辺の考慮があればもっと良かったなと思います。
映画の感想
世間的な評価もとても高く、興行収入的にも本家のアベンジャーズを超えたりとメガヒット。
ましてやほぼ黒人スタッフ、黒人キャストでのビッグバジェットムービーでしっかりと結果を出したというのは歴史的なことであり大大大尊敬しおります。
とはいえ、映画の感想としては僕は世間ほどにはノレなかったです。
例えば同じマーベルで言えばガーディアンズシリーズの方が映画としては魅力的だと思いますし、同じ監督作で言えばクリードの方が面白いと思います。
王子様設定
まず主人公が「王子様で、王様で、力も強くて、尊敬もされてて、いい感じの元カノと、いい感じの妹がいて、信じられないくらい金持ち」という設定の時点で「ノレねぇ〜〜」と思ってしまうのです。
そして彼の悩みは「いい王様に俺はなれるだろうか」というもの。
「ごめん、俺にはそれ分かんないわ」としか思えないので、気持ちがあまり映画に入っていかないんですよね。
映画としては魅力的ではあるのですが、全部が他人事のような気がしてしまうんです。
せめて「他は全部そろってるけど、実は童貞」とか「金はあるけど、常識がない」とか、こちらが共感できる要素を何か入れるべきだったと思うんですよ。
まぁ別に童貞である必要はないですが、弱点がなさすぎてこちらが応援する隙もない感じなんですね。
最高のヴィラン
一方でマーベルシリーズで最も魅力的なヴィランが登場します。
クリードの主演だったマイケル・B・ジョーダン演じるキルモンガーこそが、本作のメインテーマと言えるのではないでしょうか。
「お前らは弱者に何もしてこなかったじゃないか。だから俺がやる」というメッセージには普遍的な強さがあります。
はっきり言ってティチャラ王子よりも存在感も魅力も数段上でした。
MCUらしい一歩先の映画
不満がない映画ではありませんが、やはりこの映画が存在する意義というのは大きいと思うんですよ。
映画の最後に王子が「困っている人がいるとき、賢い人は橋をかける、愚かな人は壁を作る」というセリフ。
これは明らかにドナルド・トランプ政権に対するメッセージですが、当然ながらMCUシリーズが生まれた2008年当時にはトランプ政権なんてありませんでしたし、現在とは世界情勢も大きく違います。
時代の流れとともに自分たちの映画もチューニングをなおしていってるわけですね。
そこにまだまだ新人のライアン・クーグラー監督をぶつけていく当たりが、本当に素晴らしい会社だなと思うのです。
いよいよアベンジャーズシリーズも終幕します。
今後のブラックパンサーの流れがどうなっているのかは分かりませんが、続編が出たら当然追いかけようと思います。
それでは。
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ペンタゴン・ペーパーズ The Post 《観客の知識レベルを意識するということ》
ポスターの点数…65点
映画の点数…92点
監督 スティーヴン・スピルバーグ
脚本 ジョシュ・シンガー
出演者 メリル・ストリープ
トム・ハンクス
音楽 ジョン・ウィリアムズ
ごっつり骨太エンタテイメント
2018年、スピルバーグはレディプレイヤー1と本作ペンタゴンペーパーズという全く異なる作品を作りました。
かつてジュラシックパークとシンドラーのリストという悪魔の二本立て(同時上映では当然ないですが)を作ったこともありますが、もはや異次元すぎて何を言っていいか分からないレベルのことを相変わらずやってのけています。
スピルバーグがすごいというのが当然すぎて、逆に話題にすらなっていないというのがムカムカしてしまうんですが。
当然じゃねえっつーの。
アカデミー賞にはいくつかノミネートされたものの、ライバルも多くオスカーは手に入らなかった今作。
「もっと話題になってもいいんじゃないの?!」と驚いてしまうくらい骨太ないい作品だったと思うのですが。
ちょっと悔しいので、せめて自分も少しだけ触れてみようと思います。
気になった方は是非映画を観てくださいね。
まずは映画ポスターを振り返っていきます。
複数パターンのあるポスター
経緯は不明ですが、比較的多く公式のポスター、ビジュアルが発表されています。
おそらくですが、広報スタッフもどのようにして売り出したらいいか迷ったのではないでしょうか。
まず、日本ではほとんどこのポスターをメインに使ってましたね。
このポスターのいいところは、
●トムハンクスとメリルストリープが出演している
●小道具を見る限り、ちょっと昔の新聞社の話である
●シリアスな雰囲気である
ということがポスターから伝わってきます。
そして、このあたりがポスターとしての最大公約数だったのではないかと思うのです。
お客さんに興味をもってもらうための情報を可能な限り提供するとしたら、このくらいのバランスになったのでしょう。
お客さんの知識レベル
この作品の原題は「The Post」です。
日本版ではタイトルが「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」と変更されています。
この改題もまた悩ましいものだったと思います。
「The Post」というタイトルから伝わってくるのは、ワシントンポストという新聞社が主役だということと、女性CEOであるキャサリンの人生に迫った映画だというメッセージです。
一方で「ペンタゴンペーパーズ」としてしまうと、急にサスペンスの要素が前面にでてきます。
しかし、日本人にとってはワシントンポストというものに馴染みはないですし、改題はやむなしでしょう。
仮に他にタイトルをつけるなら「キャサリン~はじめての女性新聞社長~」とか「報道の自由の危機に立ち向かった新聞記者達!」みたいな方向のタイトルになるでしょうか。くっそだせえですな。
つまり映画タイトルやポスターは、お客さんの知識レベルを意識しないといけないわけですね。
ウォーターゲート事件ですら日本では知らない人が多いでしょうし、もしかしたらアメリカでもそうなのかも知れません。
ペンタゴンペーパーズというタイトルと、このポスター。
決して良いデザインとまでは言えないのですが、一人でも多くのお客さんの心をつかむのが映画ポスターの仕事です。
その点においてはこのポスターは役割を果たしていると言えます。
他のポスター
では他のポスターを見てみましょう。
まず僕が一番好きなポスターはこちらです。
レイアウトはシンプルながらも、どっしりとした重みのあるデザインですね。
主人公の顔こそ見えませんが、大きく名前も表記されているので分かりやすい。
そして何より、この二人が「てっぺんも見えない強大な何か」に立ち向かっていくという様子が見事に表現されています。
これが映画館に飾ってあったら間違いなく目がいくことでしょう。
ただし、実際に映画ポスターとして機能するかは疑問です。
まず、新聞社の映画であることがこれでは分かりません。特に日本人。
年代も不明なため、ペンタゴンペーパーズにまつわる話だとは思いつかないでしょう。
部屋に飾るならこれですけどねー。かっこいい。
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次にこちら。
このポスターなら、メインポスターとして採用したとしても良さそうですね。
色使いがオシャレです。
ただやはりこちらのポスターも、サスペンス要素が大きく後退しているという弱点はあります。
見方によっては「オシャレな雰囲気系映画」にも見えてきます。
そうとられるのは良くないですね。。
さらにこちら。
これはいくつかの評価が集まったあとのポスターのようですが、これもカッコイイ。
かっちりとセパレートされた主人公二人が、それぞれ自分の仕事と対峙している様子をあらわしています。カッコイイですね。
ある程度映画の情報が行き渡っているという条件であれば、こういう別ビジュアルのものを小出しにするメリットは大きいでしょう。
日本のポスターがやりがちな、滅茶苦茶に賞をとったことをアピールするゴテゴテさはありません。
情報は多いのにすっきりして見えるあたりにデザイナーのセンスを感じます。
最後にこちら。
これはレディプレイヤー1との対比とも見えるようなデザインですね。
レディプレイヤー1がディストピアを表現するのに手書きタッチを採用したのに対し、こちらのポスターは「かつて本当にあった真実の戦い」みたいな雰囲気が出ていて良い感じです。
ポスター内にたくさんの情報が詰め込まれており、特にホアワイトハウスがドンと真ん中にあることで「政権VS新聞社」の構図が良く分かります。
このポスターが採用されていても良かったとは思うのですが、そうするとちょっとファンタジー色が強すぎたでしょうか。
このペンタゴンペーパーズという映画には、40年以上前の物語でありながらも「今もまだ同じようなことが起こってるんだよ?」という強烈なメッセージもあるので。
ファンタジーっぽい雰囲気を出してしまうのは非常にもったいないとも思います。
ポスターのまとめ
というわけで、なんだかんだで現在のメインビジュアルになっているポスターが現状の最適解ということになるのでしょう。
ただしどうしても「オシャレなポスターだな」などとは思えません。
もう少しだけでも、単純にカッコイイと思える要素があればなお良かったのになと贅沢なことを考えてしまいます。
例えばですが、この映画の魅力でもある新聞記者達の体育会系なマッチョ感を出すとか。
その逆に、女性社長の孤独感を出すとか。
もうちょっとだけ、何かがあるとなお良かったと思うのです。
映画の感想
まず前提として、この手の映画が大好物なんですよね。
知的好奇心をくすぐりつつ、サスペンスとしてのドキドキ、さらに真相に迫っていくワクワク感。
近年だとスポットライトという映画がありましたが、一回映画を観るだけで色んな味を楽しめるのが好きなのかも知れません。
さらにここに、スピルバーグ才能が加わることで面白さが倍増しています。
具体的には、ホラー的な演出です。
E.T.やジョーズ、ジュラシックワールドなど、こちらビックリさせることが得意中の得意な監督なので、それをこの重厚なテーマの映画と掛け合わせるという離れ業をやってのけます。
ただ外に出て公衆電話から電話をするというだけのシーンでも、じわーーーっとカメラを動かしてみたり舐めるようなアングルにしたり。
それだけで恐怖を感じるような作りになっているのだから恐ろしい。
これだけのレベルの作品を、過去最短の製作時間で仕上げたというのだからもはや言葉もないですな。
ジョン・ウィリアムズのスコアも久々に良かったなと思う。
「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」オリジナル・サウンドトラック [ ジョン・ウィリアムズ(指揮者) ]
少し前の作品、ブリッジオブスパイもまた最高の作品だったが、やはりスピルバーグは今後も鑑賞がマストな映画監督であるのは間違いなさそうです。
それでは
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96時間 TAKEN《需要と供給と広告のバランス》
ポスターの点数…合わせて45点
映画の点数…合わせて70点
リーアム・ニーソン主演のアクションサスペンス。
この10年ほどでこの96時間、ジョンウィック、イコライザー、ジャックリーチャー、コンサルタントなどと「神経質な面を持つ殺人マシーン」というジャンルが乱立しました。
その主演俳優陣がすべて豪華で、何故このようなジャンル映画にオスカー俳優達がぞろぞろ集まってきてるのだろうとなかなか興味深い様相でございます。
映画ファンとしては単純に「どれが楽しいかなあ」などとポップコーンを片手にヘラヘラしてれば良いのですが、制作陣はたまったものではないでしょう。
今回はそのなかでも96時間【原題:TAKEN】のポスターワークから制作の苦労に迫ってみたいと思います。
いずれも似たような作品
上記にあげた作品、そしてそれぞれの続編もかなり大きな共通したテーマがあります。
- 主人公がめっちゃ強い
- 主人公がめっちゃ有名俳優
- 1人VS多勢
- 主人公が神経質
- 悪い奴をやっつける
という基本構造です。
さらに、ほとんどの作品はガンアクションです。
となると、自然とポスターの方向性が決まっていきます。
主人公は大きめにすること、銃をもたせること、ダークなトーンにすること、などです。
このあたりが、お客さんの需要に応える最低ラインとも言えるでしょう。
「ガンアクション映画が観たいんだよな」という方に対して、最低限伝えておくべき情報ということですね。
そこから先のデザインが、それぞれの映画の個性になっていきます。
シリーズ1作目ポスター
改めてシリーズ一作目のポスターです。
こちらは日本版ではありません。
こっちのポスターの方が興味深い点が多いです。
一作目の時点でみられる工夫はなんでしょうか。
まず一番分かりやすいのは、劇中でのセリフをポスター内にいれていることです。
特に「I WILL FIND YOU...I WILL KILL YOU」というセリフは劇中最もかっこ良く印象的なセリフの一つでしょう。
ポスターをみるだけで「娘がさらわれる話なんだな」ということや「主人公は冷静で怖い人なんだろうな」ということが分かります。
このあたりは誰にでも分かるように作られているメッセージと言えます。
その他にもポスターから分かることはあるのですが分かるでしょうか?
主人公の個性の説明
まず、主人公が前向きな殺人者ではないという点。
顔と表情に注目。
「よっしゃー!やってやるぜー!」という顔をしていません。
「参ったなー、やりたくねえなあ」という顔です。
これだけでも主人公ブライアンの個性が見えるわけです。
銃も構えているというよりは、隠しているという感じですね。
そして革ジャンを着ています。
「だから何だ?」と思われるかも知れませんが、これもまた大事な要素です。
この手の殺人マシーンというにおいて、革ジャンとスーツは定番中の定番です。
「 ブレード」や「ターミネーター」「007」などで使用されているように、衣装だけで強さを感じ取ることが出来るという大変便利なアイテムなのです。
あなたも是非、今日はちょっと殺人マシーンを気取っていきたいという時には革ジャンを一枚羽織って出掛けてください。
2作目のポスター
このあたりで早くもにネタに困っているような気がします笑
明らかに一作目のポスターの方が良く出来ていますね。
一作目のポスターの要素をおさえつつ、レイアウトを変えたバージョンといったところでしょう。
デザイナーとしては「これでいいのか?!」と思う部分もあるのですが、映画を観る方にとってはこれくらいがいいのです。
パッとみて「ああ、リーアムニーソンのあの映画の続編ね」と一瞬で理解できなければなりません。
広告的視点から見るとこのくらいのバランスもありでしょう。
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3作目のポスター
ついに、続編らしさすら消えました。
これだけではシリーズの3作目などということは分かりません。
映画の内容的に、今作では主人公が追われる側なので「隠れている」という構図にしたのだと思われます。
が、工夫と言えるものも特にないですし、映画同様にシリーズを重ねる毎にパワーダウンしていっているのがポスターからも伝わってくるようです。
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ポスターの評価のまとめ
ライバル映画達も多く、限られた条件のなかで作品作りが求められる映画とそのポスター。
今作96時間シリーズにおいては、残念ながら三作品やりきるアイデアと体力が持たなかった印象です。
「前作が好きだった人はきっと観てくれるはず」という気持ちでうまくいくほど単純なものでもありません。
どんな局面でも「これが最適解だ!」というのを追求していかないと、ポスターもたちまち陳腐になってしまいます。
そんなポスターが、多くのお客さんを映画館に連れて来られるとはちょっと思えないですね。
いずれジョンウィックなどのライバル達のポスターにも迫ってみたいと思います。
映画の感想
特に1作目は非常に楽しかったです。
アクション映画といえども近年は2時間とか2時間半を軽く超える映画が多いなか90分でコンパクトにまとめてあるのが素晴らしいですね。
「余計なドラマとかいらないんだよ」と言い切るような姿勢はとても好みです。
おかげさまで主役のブライアンは、一人の娘を救うためならば何人犠牲になろうと全く気にもしませんし、善悪の葛藤など全くありません。
とにかく一直線。そこが素晴らしい。
映画を見終わったあとに「うん・・・・・でもいくらなんでもやり過ぎだよね?」と考えてみるのもまた面白い。
そもそもジャンル映画は、ボケとツッコミみたいなものだと思うのです。
ツッコミありきで作って貰わないと、こちらがやることがないと思っちゃうんですよね。
ところが2作目以降ですよ。
ボケとツッコミの関係が崩れ出します。
優れたボケに対してはこちらも堂々と突っ込めるのですが、あまりにも突飛なボケをされるとこちらもノリきれません。
「えーっと、なんでこの人はここにいるんだっけ?」「なんでここに見張りはいないんだろう?」みたいなシーンが増えていき、そういう粗さが増える毎に「なんかどうでもいい」という気持ちになっちゃうんですよねー。
この手の映画をストレス無く楽しくみるためには、逆に丁寧な作りが必須なんだよなと思う次第です。
それでは。
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デスノート Light up the NEW world《全部が狂ってた平成の置き土産》
ポスターの点数…20点
映画の点数…25点
監督 佐藤信介
脚本 真野勝成
原作 大場つぐみ、小畑健
製作 中山良夫
出演者 東出昌大
池松壮亮
菅田将暉
一から十まですべておかしい!
当ブログでは、「映画が素晴らしい」か「ポスターが考察に値するものがあるか」という目線で作品をチョイスしています。
が、時としてこういう珍品に出会ってしまうこともあるので、一応の記録として書いていきます。
グラフィックデザイン含め、デザイン業に関わろうと思っている方の多少の励みになればいいなと思ってはいるのですが、こういう珍品が出てくるとなかなか言葉に詰まるものがあります。
それでは映画とポスターについて振り返ってみようと思います。
デスノートという作品について
デスノートは漫画は一通り楽しく読んでいました。
少なくともLが死亡する7巻まではとても楽しかったですし、ジャンプの発売を心待ちにしていた記憶があります。
DEATH NOTE(7) 零 (ジャンプコミックス) [ 大場つぐみ ]
映画に関しては最初から大嫌いでした。
漫画の実写映画化の成功例のように語られることが多い作品ですが、個人的には駄作だったと思っています。
漫画では「知能推理サスペンス」の要素を強く押し出すために、あえてキャラクターや設定のリアリティーラインを低くしています。
「あくまでもゲームなんですよ〜」という宣言ですね。
だから人が何人死んでも悲しくなったりしないようなバランスになっています。
道徳的にどうかは置いておくにしろ、作品の魅力をあげるには適当な判断だったと思います。
一方の映画が失敗しているのは、そのリアリティーラインの設定。
役者陣が頑張って「人が死ぬのが悲しい」という演技をするほどに、設定のリアリティーの無さが気になってきて最終的には「なんかどうでもいい」という気持ちになってしまいます。
人が死ぬ話を扱う時は、死ということがどれほどの重みをもつものなのかを丁寧に設定する必要があるのですが、そのへんがうまくいっていないのが映画版だったように思います。
新作映画のポスターのリアリティーライン
こちらが新作映画のポスターですね。
これを観たらすぐに理解できることがあります。
「この世界は、僕たちが暮らしている世界とは違うフィクションだ」と。
真っ白いライダースの上下を着ている人、白髪と黒髪の混ざった重ね着が過剰な人。
これだけで「はいはい、フィクションね」と観客は思うわけです。
いや・・・・・・・本当にそれで良かったんですかね・・・・・?
かなり大事なことを、結構テキトーな感じで済ませていませんか・・・・?
デスノートという物語は、死神がでたり人を殺害できるノートが登場する「ありえない話」です。
それらの素材を用いることで、人間や世界の本性を暴き出すというのが狙いなのではないですか?
例えばゾンビ映画がそうですよね。
ゾンビというありえない素材を使うことで、人間がその状況でどう振る舞うのかを描くから面白いのです。
佐藤監督の前作、アイアムアヒーローはまさにそこが素晴らしかったのです。
【何の特徴もない主人公が、ゾンビに支配された世界で初めて自分の価値を見いだしていく】という話です。
ではこのデスノートはどうなのか。
もうポスターの時点で観客に宣言しちゃっているわけです。
「この話は、リアリティーの無い人たちが、リアリティーのないことをするという映画です」ということです。
はい、分かりました。
別にそれは問題ではありません。
アベンジャーズなんかも、ありえない人たちがありえないことをするという映画とも言えます。
(実際のマーベルシリーズは、根底に社会的メッセージを詰め込んだコミックではありますが)
このデスノートも、それで面白ければいいわけです。
DEATH NOTE(デスノート) リューク FUNKO/ファンコ POP! VINYL ミニフィギュア
映画の評価
さて、実際に出来上がった今回の実写デスノートはどうなのか。
いや、びっくりした。
もはや何から手をつけていいのか分からないくらい面白くなかった。
佐藤監督は、この前にアイアムアヒーローという傑作も残しているので期待していた分もあるのですが。。
良い面としては、池松壮亮さんはやはり素晴らしかったです。
「これのどこがLなんだ!」と怒る人もいるでしょうけど、そもそも新キャラなのでどちらでもいいです。
単純に彼が出ているシーンのみ演技レベルがひとつ上がります。
これほど荒唐無稽な設定な人物を、よく血の通ったキャラクターに仕上げたと思います。
そのほかは全て駄目だったと思います。
つまり25点はすべて池松さんのもの。あとは全部足して0点です。
管田さんに関しては、キャスティングがそもそも悪い。
何故あのキャラクターに彼をあてたのか分かりません。
そこからすでに間違っていると思うので、彼にとっては不幸だったと思います。
「これが今回の衣装です」と、真っ白いライダースを渡された時の心情を思うと涙がでます。
東出さんは、残念ながらかばいようがないですね。。。
出ているシーンのすべてが間抜けでした。
エリート警察役のシーンも、正体がネタバレしたあとのシーンも全部駄目でした。
何を考えているのか分からないという演技ではなく、本当に感情がこちらに伝わってこないので彼が演技をしている間ずっと不安なのです。
東出さんはそもそも、血の通っていない演技をさせてこそ輝く役者さんです。
この映画内では唯一リアリティを感じさせる設定のキャラなのに、何故か東出さんが一番この世に存在しなさそうな演技になっています。
それが良い方向にまったく働いていません。大幅にマイナスの効果しか生んでいませんね。
他のキャスティングもひどい
戸田さんも船越さんもひどいものでした。
この人達は出たこと自体が損。
脚本の中にうまく入れることが出来ないなら最初からオファーしなきゃいいのに。
誰か船越さんにこの映画の話を一回くらいしたの?
なんで最後ロボット演技なのよ。
そんな映画じゃないですって誰か言えばいいのに。
「なるほど、心を操られてるからロボットっぽい演技にすればいいのかな」とサービスした船越さんが馬鹿に見える。
壊れた脚本
そして何より脚本がズッタズタにひどかったです。
登場人物のほぼすべてが行き当たりばったりな行動をしているだけで、すべてが「なんとなく」解決に向かっていくだけなのですよね。
説明がつかなくなりそうになったらすぐに「天才ハッカー」が出てきて強引に話をつなごうとします。
(関係ないけど、コンピューターを使う場面でピピピッとかジーッジーッとか機械音がする映画と、会議室が無駄に暗いという映画で上質な映画なんて観たことがありません。この映画ではどちらも登場します。)
誰が勝つとか誰が負けるとか、そんな単純な映画にしたくなかったのでしょう。
「一番怖いのは、人間の底知れぬ欲深さなのだーーーー!!!」って言いたいんでしょう。
それは分からなくはない。
ただあまりにもひどくないか??
全員がいい加減な行動をとったせいで、出す必要のなかった犠牲者が次々と増えていき、それに対して何も責任をとることなく曖昧に事態を終わらせてしまう。
最初の方にグダグダとデスノートの説明をたっぷりととったわりには、肝心のデスノートはほぼ使うこともないし。
そもそもあの説明じゃ初めて見た人は何が何だか分からんと思うんですよ。
だったら最初から説明なんかしなきゃいいじゃないですか。
分かる人だけ楽しんでね、みたいな映画もありだとは思いますよ。
僕は嫌いですが。
で、最終的にはデスノートはテロリストに奪われたり燃えたりしたんだって。
馬鹿なんじゃないの。
それでいいんだったら、この映画におけるこの世で一番怖いのはテロリストとハッカーじゃないですか。
ハッカーが有能すぎる映画にろくな映画はないですね。
だからこそリアリティーラインの設定は絶対に必要なんですよ。
最後の最後までぜーーーーーんぶ、ありえない人達のありえない話でした。
それで面白いわけがないじゃないですか。
この映画が面白くなるためには、「実際にデスノートがこの世に現れたら、自分自身はこうなってしまう」という体験型映画体験にするか。
もしくは、めちゃくちゃよく出来た脚本の推理サスペンスゲームにするか。
どっちかしか無かったはずです。
そしてこの映画は、どっちも出来ていない、というかやる気もない!
人気俳優と人気コンテンツを合体させた金儲けをしたかっただけでしょ???
だったらもう最初から映画ポスターは主演3人のフルヌードのどアップにでもしとけばいいんじゃないですか?
あとはたたみかけるように言いますが、
- 死神の造形も新鮮じゃなくつまらないです。
- 死神が恋をする話も前作で使ったしつまらないです。
- なんか女性警察がベラベラ喋って死んでたけどあれ全部つまらないし無駄です。
- 松田さんの無駄遣いと無駄死に。
- 安室ちゃんの無駄遣い、そして映画に合っていないです。
- 顔をかくすというやり方があまりにも馬鹿すぎてついていけないです。
- デスノートを奪い取ろうとする国家権力の実態が不明すぎるし安易すぎます。
- なんなの、国家権力って。どの省庁なの?どの政党なの?
というわけで、もう何から何まで全部駄目。
お疲れ様でした。
デスノート Light up the NEW world [ 東出昌大 ]
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ハングオーバー!シリーズ《シリーズもののジレンマポスター》
ポスターの点数…60点
映画の点数…75点
クレイジーコメディの金字塔
結婚式前夜、羽目を外したパーティーを開催した親友3人+1人。
朝目覚めると前日の記憶はまったく残っておらず、あげく花婿もいなくなっている。。。
アメリカのみならず世界中でヒットとなったハングオーバー!シリーズ、僕もとても楽しく観てきた作品ですが、シリーズはとりあえず3作目で幕をおろしました。
説明するまでもなく、コメディ映画ほど良質なコンテンツを作ることが困難なものはなく、ましてやシリーズ化するなんてそれだけで十分な功績だと思います。
映画の内容はまた後ほど触れるとして、まずはポスターワークから映画を振り返っていきます。
ポスターもまた、シリーズ化というものが困難なものだと気付かされます。
ハングオーバー!消えた花ムコと史上最悪の二日酔い【Blu-ray】 [ ブラッドリー・クーパー ]
第一作目ポスター
シリーズ第一作目のポスターです。
この時点では続編があることは決定していないので、自由にポスターを作ることができます。
ポスターの方向性としてはシンプルです。
メインキャストの三人がこちらを向いて自己紹介をしています。
この時点でブラッドリー・クーパーが最後列にいるのは感慨深いですね。
一作目公開時点(2008)ではほぼ無名だったというのが今では信じられません。
あとの二人はポスターの時点ですでに様子がおかしい(歯がない、赤ちゃんを抱えている)のが見て取れます。
背景の黄色といいタイトルの雰囲気といい、「この映画はコメディですよ」とちゃんと宣言しているのが潔いですね。
ちなみにアメリカ版のポスターはこちらです。
全体の構図は同じですが、タイトルの表記が大きく違います。
フォントはフーツラですかね、シンプルな文字だけのタイトルはとても洒落てはいますが、正直日本版の方がよりコメディ感があって良いのではないでしょうか?
舞台がラスベガスという雰囲気も、日本版の方がよりストレートに伝わります。
第二作目ポスター
二作目になると、急に制限が出てきます。
一作目と全く違うポスターにしては観る方が混乱しますし宣伝になりません。
よって「構図は似ているが、よりエクストリームな状況になっている」といった方向を目指します。
主人公達は明らかに前回ポスターよりも絶望度が大きそうです。
タイトル文字も傾いて倒れてきており、主人公達の置かれている状況のまずさを引き立てています。
画面全体のトーンもかなり暗めになっており、前作よりもひどいんだぞということを感じますね。
ただし、かなり不満な点もありまして、それはサブタイトルです。
「史上最悪の二日酔い、国境を越える」とついています。
僕はてっきり、「酒を飲んで目が覚めたら外国に行ってしまっていた」という状況を予想したんですよ。
それなら面白そうだと。
でも実際は、そもそも最初から外国(タイ)で結婚式をあげるという話であって二日酔いで行くわけではありません。
このへんちょっとタイトルの付け方としてどうなのかなと思います。
ハングオーバー!!史上最悪の二日酔い、国境を越える【Blu-ray】 [ ブラッドリー・クーパー ]
第三作目ポスター
映画の内容自体がシリーズ最終作である前提で作られていることに応えて、ポスターもまた最終作仕様になっています。
主人公達は喪服を着ており、タイトル文字もモノトーンに変更されています。
これは明らかに「シリーズへのお別れ」を意識したものですね。
主人公達の表情も明らかに今までと違い緊張感があります。
意味ありげにハンマーを握っていたり、背景にベガスの風景がうつっていたりとなんとなくの映画の状況説明はしていますが、あくまでも添えられいる程度です。
すでにお気づきかもしれませんが、ブラッドリークーパーはシリーズを重ねるにつれだんだんとポスターを占める割合が大きくなっていっていますね。
三作目では「私が主人公です!」というくらいの主張があります。
(実際の映画内ではむしろ目立たない側の役どころなのですが、サボらずにやり遂げているのは偉いと思います)
映画の内容が前二作とは構造が大きく異なるため、ポスターの印象も大きく変えたのは良い判断だなと思います。
ただし、やはりサブタイトルとキャチコピーが良くないですね。
「最後の反省会」と「もう しません」とありますが、本作では今までと違いトラブルに巻き込まれるという話です。
前二作のように「自分たちが酔っ払いすぎたのが悪い」という内容であればこのコピーで何ら問題ないのですが。
これではあきらかに観客をミスリードしていますね。
コメディというジャンルは、出す情報や出さない情報をかなり繊細に詰めていないと笑えるものも笑えなくなります。
「とりあえずお客さんを呼び込めればいいや」というだけでタイトルをつけたのだとしたら、それは結果として評価を下げることになるのではないでしょうか。
ポスターのまとめ
全体の工夫としてはストレートながらも良質なポスターを作ってきた本作。
シリーズの数字を「!」で表現したというセンスも良かったと思います。
作品がシリーズ化すると、どうしても表現の幅は狭くなっていってしまいます。
それでもこのシリーズは「前作ポスターに対するカウンター」としてうまく表現できていたのではないでしょうか。
あとはキャッチコピーだけでしたね。。。。
ハングオーバー!!!最後の反省会 [ ブラッドリー・クーパー ]
映画の感想
特にシリーズ一作目はかなり面白かったと思います。
全体の構造がサスペンスなのに、それがすべてコメディになっているというのは新鮮でした。
日本ではちょっと作れないなという規模の大きいコメディは見ているだけで羨ましいというか。
言葉のニュアンスではこちらが分からない箇所もかなり多いとはいえ、それでも楽しめたというのは作り込みがとても丁寧だからだと思うんですよね。
ところがその丁寧な作り込みというのはシリーズを重ねるにつれ難しくなっていったのかなと思います。
だんだんと大味な笑いの方向に走っていってしまった結果、繊細な箇所での笑いが成立しにくくなったのではないかと。
三作目で言うと、アランが高いところから落ちて死にかけるというシーンがあるのですが、そのシーンの以前に実際に死亡するキャラクターがいたりします。
こうなると「人が死ぬこともある」というルールが追加されるため、命を扱うシーンでは笑いにくくなるんですよね。。。
制作陣のやりたいことをやりきった三作品という意味では、やはり三作目までが限界だったのだろうなと思います。
こういう「倒れるときは前のめり」という姿勢の映画はとても好感がもてます。
続きを観たいとは思いませんが、監督のその他の作品はチェックしてみようと思いましたよ。
それでは。
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ポスターの点数…90点
映画の点数…77点
インパクトは最大級のポスター
少年の極端なアップのポスターと、正方形で切り取られたタイトル文字。
かなりデザインチックな作りのポスターは、映画を観たことがなくてもビジュアルは覚えているという方も多いのではないでしょうか?
どちらかと言うと独特な長いタイトルの意味を考える方に意識が向かいがちですが(もちろんそれが正しい姿勢ですが)、グラフィックデザインとしても興味深い発見がある一作です。
映画の内容にグラフィックデザインを通じて迫ってみようと思います。
あまり使われていないポスター
こちらのポスターに見覚えがあるでしょうか?
僕はありませんでした。
同じ映画のポスターなのですが、ずいぶんと印象が違います。
キャストの中では一番知名度のあるトムハンクスが大きくうつっていますね。
ポスターを観るだけでも「トムハンクス演じるお父さんと息子の交流を、お母さんが微笑ましく見守っている」というのがすぐに分かるいいポスターです。
実際の映画の内容も「お父さんと息子の交流」が最大のテーマなので、ポスターに矛盾点もありません。
こちらのポスターでも十分であるにもかかわらず、何故違うバージョンをメインとしたのでしょうか。
不可解なビジュアル
では改めてメインビジュアルのポスターの内容を考えてみます。
「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」というタイトルからすると、確かに少年がありえないほど近い距離にいます。
ではものすごくうるさいのは誰でしょうか?
この口を押さえている少年がうるさいのでしょうか?
それとも周りがうるさい?
まわりがうるさいのであれば、耳を塞いでいないとおかしいですね。
このポスターでは、映画の内容を予想することは極めて困難です。
まさかこのポスターを観て「9.11に関わる映画だ」などと予想出来る人は絶対にいません。
制作陣は、ポスターからトムハンクスというスター俳優を取り除いてでも、このような何が言いたいのか分からないポスターを採用しました。
ちょっと想像してみてください。
きっと広報部と制作部とで会議があったと思うんですよね。
「こんな無名の少年のアップなんて誰が興味を持つんだ?!トムハンクスをもっとメインに持ってきた方が客の食いつきもいいだろう?」
「いや、それでも少年だけでいこうと思います。なぜなら……」
この、「なぜなら…」の先が大事なわけですよね。
映画を観たあとにこそ効いてくるポスター
先に白状しておきますと、僕自身はこのポスターの意味を完全に理解しているわけではありません。
あくまでも予想のうえでの話になります。
このビジュアルにした意図は、大きく二つあると思います。
まず、一つ目。
少年の限りなく主観的な話であるということを強調するためです。
少年にはアスペルガー症候群とも思える症状がみられます。
他社とのコミュニケーションがうまくいかないシーンが多く、逆に信じられないほどの集中力をみせる場面もあります。
そんな彼独特の視点に沿いながら物語は進行します。
つまり、観客が「ここはどうなっているんだろう?」という疑問に思う箇所すらも特に解説はしません。
少年にとって興味がないことは、画面に登場することがないわけですね。
例えば9.11の内容ですらも、自分の父が亡くなった以上の感情は示しません。
テロリストを恨む描写もありませんし、他の犠牲者に心を寄せたりもありません。
あくまで父親のことだけを考えているわけですね。
その「超個人的な話」を強調するためにこのポスターを採用しました。
そして、理由二つ目。
少年は、誰にも言えない秘密をかかえています。
映画を観ていくと次第に判明してくることですが、少年は9.11以降誰にも、母親にすらも話していない秘密を抱えていることが分かります。
その秘密こそが彼を苦しめ、追い込み、二度と解消することができないような深い傷となっています。
このポスターは、口を押さえて必死に秘密を守っている様子を表現しています。
映画の観客は、彼が口を開く瞬間(=秘密を打ち明ける瞬間)に立ち会うために物語を追っていくということになります。
映画を見届けた人のみが、このポスターの意味が理解できる仕掛けになっているんですね。
制作陣の願い
このポスターには、制作陣の祈りのようなものが込められていると感じます。
9.11という、アメリカ全体を包み込んだ一種のトラウマ。
それはあの日から20年近い年月がたっても未だに根強く残っています。
そのトラウマの深さというものは、生半可なヒューマンドラマを見るくらいのことで解決するようなものではないのでしょう。
このポスターの少年ように、一人一人がかなり深い部分での自分との対峙を繰り替えしていくなかでしか見えてこないものだと思うのです。
映画の制作者、そしてポスターの制作者は、そこから逃げることなく誠実に9.11というものに向き合ったのではないでしょうか?
だからこそ、このような冒険のあるポスターを作れたのだと思います。
映画の感想
トムハンクスの登場時間はかなり短いにも関わらず、「絶対的に信頼できるお父さん」を演じきったのはさすがの一言です。
このトムハンクスの演技がうまくいっていなかった場合、映画全体のバランスがすべて崩れることになっていたことでしょう。
少年は父親の幻影を追い続けている設定なので、父親がしっかり描けていないと話の推進力が無くなっていまいます。
役者陣はほぼ完璧とも言えるこの映画でしたが、残念ながら話のメリハリがうまくいっていないかなと思える部分も多かったです。
原作小説がある関係からでしょうが、主人公の少年が何かを語るようなシーンがちょっと多すぎます。
キャラクターの説明は序盤で十分に出来ているので、後半はもっと「あえて何も喋らせない」ようにした方が良かったのではないでしょうか。
そちらの方が映画のテンポも良くなったでしょうし、最後に秘密を打ち明けるシーンもグッと効果があがったような気がします。
監督の以前の作品「リトルダンサー」もそうでしたが、監督は役者の良さを引き出すのは一流ですが、お話づくりが少しうまくいっていない箇所があるような気がします。
とはいえ十分に楽しめた一作でした。
良かったら是非鑑賞してみてください。
それでは。
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ワイルドカード Wild Card《まだこんなところにいたのか。絶滅危惧種との再会》
ポスターの点数…40点
映画の点数…70点
監督 サイモン・ウェスト
脚本 ウィリアム・ゴールドマン
原作 ウィリアム・ゴールドマン『Heat』
製作 スティーヴ・チャスマン
出演者 ジェイソン・ステイサム
映画ポスターの意味
このポスターから受ける印象は
「過去に闇をかかえている主人公が、愛車とともに荒くれ者と戦う映画かな」というところでしょうか。
その予想はほぼ外れました。
まず、主人公の過去はあまり重要ではありません。
強いという理由づけのための設定であって特にそれで悩んだりはしません。
愛車もあまり登場しません。カーアクションはありません。
荒くれ者と戦うのも「お前が先にやったんだろバーカ」「うるせーバーカ」みたいな感じなのでそこまで緊迫感がないというか。
ポスターで出すとしたら、もっとカジノ感ではないでしょうか?
舞台がラスベガスというのもありますし、主人公はギャンブル中毒です。
街の呪縛から逃れられない主人公の愚かさをポスターに込めた方が、映画を観る側の混乱もなかったのではないかと思うんです。
カジノ映画みたいなゴージャス感を出すということではなくて、匂わせる程度でいいと思うんですよ。
ロゴがネオン色で出来ているとか、そのくらいで。
とはいえ、ポスターの出来を批判だけするのもフェアではありません。
この映画がなかなかのクセモノでして、何を言いたい映画なのかよく分からないわけです。
アートディレクターも頭を抱えたと思うんですよね。
何から形にしたらいいか分からなかったことでしょう。
ちなみにアメリカ版はこんな感じみたいです。
手元にネタバレとも言える要素が見えるのは面白いですね。
映画の感想
点数こそ70点にしていますが、どうにも憎めない一品。
まず脚本がよく分からなすぎるというか、話の下手な女子高生の会話を聞いている気分なんですよ。
「えっと、まず用心棒の依頼があるところから始まるんだけど、すぐなんか乱暴された女の人が来て、で街の人とかから場所聞いたりしてマフィアと戦うんだけど、最初いらないって言ってたお金はやっぱりもらってカジノに行くんだけど、ちょっと様子がおかしいなと思ったらお金が無くなってて、それで偉い人に呼び出されて」
みたいな会話、という脚本。
観ながらずっと「俺は一体何を観ているんだ」という不安な気持ちにさせられました。
ではつまらなかったかというと、そうでもない、むしろ楽しかったとも言えるのが不思議なところ。
新鮮な感覚
自分感覚ですが、大体300本くらい映画を観たことがある方はあらゆる映画の方程式みたいなものは覚えてしまってると思うんですよ。
60秒の特報を観るだけで「これ全部ストーリー分かっちゃうな」という映画もあります。
話の構造が観客にバレていてもいかに面白い映画を撮れるかどうか、監督は頭をひねりながら頑張るわけですね。
一例をあげるなら、バーフバリというインド映画はストーリーはほとんど古典的であるにも関わらず、演出の素晴らしさで見事にフレッシュな大傑作を生み出しました。
このワイルドカードという映画はそういう映画ではありません。
今映画がどこに向かっているのか、観客はおろか制作陣も分かっていないような印象なんです。
主人公がどこに向かっているのか意図的に分からなくするという種類の映画ではないと思ったんですよね。
むしろ監督もよく分かっていないとすら思ったんですよ。
意地悪な言い方ですが、たまたま映画が良くなったという気がする。
撮影が終わって編集の段階になって、無理矢理バランスを整えようとしたけどやっぱり無理だったというような。
でもそれが良かったと思うんですよね。
だって、確かに今まで観たことがないような感覚にはなれたのですもの。
オチのつけかた
話のオチの付け方も面白いなあと思いました。
原作があるらしいのでどこまでが原作通りか分からないのですが、とにかく終わり方が読めない。
アイデアとしては
- マフィアとの決闘の末に死亡する
- お金なんて無くても幸せなのだと気付いて終わる
- 相棒を一人前にしたところで終わる
- 何も変わらない今までの日常に戻っていってしまう
なんとなくこのへんが思い浮かびそうなものです。
まさか、人に金を貰ってどこかに行って終わるとは思いつきません。
全体の感想
最初に思ったのは「お前、まだこんなところにいたのか!」という感想でした。
それは大昔に失くしたと思っていたオモチャを再発見したときの気持ちです。
最近の映画は脚本もしっかりしていて、大抵の映画を見てもそれなりにうまくまとめます。
ところが本作のような、何が何やら分からないぶっとびアクション映画。
そういう映画はかつてたくさんあったような気がするのですよ。
意味はよく分からないまでも、そういう映画はとても楽しかっんですよね。
久しぶりにそういう映画に再会しました。
でも不思議です、久しぶりに会ったオモチャなのに、初めて出会った頃のようなトキメキがあります。
これが恋なんでしょうか。
そんな素敵な恋に出会えたことに感謝し、今日はここまでといたします。
それでは。
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CREED Ⅱ クリード 炎の宿敵 《あれ?!様子がおかしくなった第二作ポスター》
監督 スティーヴン・ケイプル・Jr
脚本 ジュエル・テイラー
シルヴェスター・スタローン
製作 シルヴェスター・スタローン
製作総指揮 ライアン・クーグラー
マイケル・B・ジョーダン
ガイ・リーデル
出演者 マイケル・B・ジョーダン
シルヴェスター・スタローン
テッサ・トンプソン
ウッド・ハリス
フィリシア・ラシャド
フロリアン・ムンテアヌ
ドルフ・ラングレン
ポスターの点数…60点
映画の点数…83点
みなさんが一番大好きな映画はロッキーだと思いますけども(断言)、僕も例に漏れずロッキーは大好きです。
そんなロッキーシリーズから全く新しい主人公を作りだし世界中でヒットを飛ばしたCREED。
その続編となるCREED ⅡのDVDの発売が決まりましたので、改めてこのあたりでクリード2について復習しようと思います。
クリード 炎の宿敵 ブルーレイ&DVDセット(2枚組/特製ポストカード付)(初回仕様)【Blu-ray】 [ マイケル・B.ジョーダン ]
対立構造が大迫力のビジュアル
邦題についている「炎の宿敵」というタイトルは、1985年の映画『ロッキー4/炎の友情』が元ネタですね。
『ロッキー4/炎の友情』で登場したドラゴが今作で再登場するからつけられているわけですが、この発想はそのままポスターにも活かされています。
「ロッキーvsドラゴ」と「クリードvsドラゴ息子」というシンプルな構図なのですが、ボクシングというテーマともあいまってとても迫力のあるデザインになっています。
これを見るだけでも「アポロvsドラゴの再戦!!あがるぜーーー!!!」となるものです。
とはいえ、このポスターはそんな単純な構造ではありません。
そもそもロッキーとは何だったか
ロッキー1のポスターです。
もうこのポスターを見るだけでコンディション次第では泣いてしまいます。
ボクシング映画であるにも関わらず、その要素はポスターからは全く感じません。
ご存じの通り、ロッキー第一作は「かつて持っていたはずの自分の尊厳を、自らの手で全て取り戻す」という話でした。
そのテーマを描く素材としてボクシングを用いたわけです。
ところが、シリーズを重ねるにつれてスポーツ映画としての側面が強まっていきます。
それがいいとか悪いとかではないのですが、映画のテーマが変わっていったのは間違いありません。
シリーズ2作目の時点ですでにスポーツ映画としてポスターも作られています。
ドラゴとは何だったのか
そしてシリーズ4作目である『ロッキー4/炎の友情』のポスターになるとこうなります。
スタローン自身がそのとき接近していた政治家との影響もあったのでしょう。
国家のプロパガンダとしてロッキーは機能していました。
「個人の尊厳」を描いていたロッキーが、いつの間にか「国家の象徴」にまでなっていたんですね。
星条旗をまとったロッキーの姿をみて当時の映画ファンがどのように思ったのかは分かりませんが、少なくとも映画は大ヒットしています。
そして、そのロッキーのかませ犬として生み出されたのがドラゴでした。
ソ連という巨大国家によって生み出されたドラゴは、ロッキーに敗れた後は個人の尊厳を失っていきます。
ロッキーとは真逆の人生を歩むことになるわけですね。
その影響をまともに受けたドラゴの息子であるヴィクターが、敵役ボクサーとして立ちはだかります。
かつてのロッキーのように、失われた尊厳を取り戻すために戦います。
クリードの置かれている状況
一方のクリードは新チャンピオンとして活躍するとともに、結婚、子どもの誕生と人生のピークとも言える状況です。
幸せビッグバンです。
そんな時に、かつて父親の命を奪ったドラゴ親子が登場するわけです。
クリードは、今の家族のためなのか、父親のためなのか、それとも自分のためなのか、アイデンティティを見つけ出しながらドラゴと戦います。
だからこういうポスターになる
クリード2とは、憎き宿敵と戦っているように見えて実は自分自身との戦いを描いた映画なわけですね。
クリード1のポスターでは、クリードとロッキーが向き合う構図になっています。
相手に向き合うことで自分自身とも向き合う決意をするという内容でしたよね。
それをうまくポスターにしています。
つまりクリード2のポスターにおいても、相手を睨み付けている構図でありながらそれは鏡合わせになっていて自分を見つめているんだという意図があるわけです。
これは他の映画でも同じ意味合いのものがあります。
「シヴィルウォー・キャプテンアメリカ」のポスターでは、アイアンマンとキャプテンアメリカが睨み合う構図です。
どちらもそれぞれの正義を信じている、どちらも同じ物を見つめているということを表現してるんですね。
減点の理由
僕はこのポスターは60点くらいだと思っています。
というのは、ポスターの意図は十分に分かるのですが、映画の内容とちょっと温度差があると思うからです。
現在のポスターだと、あまりにも両者の対決構造に意識が向きがちになってしまいます。
ですが実際の映画はもっと、相手ではなく自分自身と葛藤することに多くの時間をつかっています。
映画の制作者はそこを感じ取ってほしいのではないでしょうか。
だとしたら、今回のポスターでは情報が偏りすぎだと思ってしまいます。
もうちょっとだけウェットな表現でも良かったのではないでしょうか。
こっちのポスターの方が、より自分と向き合っている感じが出るので好きです。
映画の感想とまとめ
個人的に「スタローンが脚本に口を挟み出すとろくなコトにならない」と思っているのですが、今作もそんな感じです。
ロッキーの登場シーンが多すぎるんですよね。。。
前作ではグッとおさえた演技が評価されてオスカーにもノミネートされました。
それを意識したのか、今作では度々クリードの前に出てきてはもっともらしいことを説教するといったシーンが多すぎます。
正直なところ、クリード側を見ているよりもドラゴ親子を見ている時間の方がずっと楽しかったです。
ラストのバトルもこっそりドラゴを応援していました。
ネタバレはしませんが、今回の「決着の付け方」は映画史上に残る名シーンだったのではないでしょうか。
決着のシーンだけにおいてはロッキーシリーズで一番ぐっときました。
本当に色々な意味で「ああ、終わったのだな」と感じます。
クリードシリーズが今後どうなっていくのかは分かりませんが、もっと観客を信じてもいいのではないかと思います。
ボクシング要素やスタローンの要素をもっと減らしてもいい映画であればちゃんとお客さんは観てくれるはずです。
それは映画もポスターも同様ですね。
クリード チャンプを継ぐ男【Blu-ray】 [ シルベスター・スタローン ]
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シング・ストリート Sing Street 《各国広報部が頭をかかえた?名作》
監督 ジョン・カーニー
原案 ジョン・カーニー
出演者 フェルディア・ウォルシュ=ピーロ
ルーシー・ボイントン
ポスターの点数…35点
映画の点数…99点
一生涯の大傑作
まず最初に申し上げておきますと、僕はこのシング・ストリートという映画がどうかしてるくらい好きです。
生涯ベスト映画には当然ながらランクインします。
音楽も最高、脚本も最高、演者も最高、撮影も最高、何もかも最高で何から褒めたらいいのか分からない傑作なんです。
そしてその「何から褒めていいのか」に、この映画を配給した広報部の苦労がうかがえます。
世界各国のポスターを見てみましょう。
日本版のポスター
DVDのパッケージも含め、日本版でのビジュアルイメージはこのようになっています。
非常に厳しいことを言いますが、僕はこのポスターをどうしても良いと感じません。
しかし!広報部様の血のにじむ苦悩は感じるのです。
それだけでもう、恨みとかは一切ないのです。むしろよくここまで考えた!とも思えるのです。
不満な点
このポスターからは「バンド感」をほとんど感じません。
「淡い青春物」といったジャンル分けされそうなビジュアルです。
背景にはいかにも青春を匂わせるグリーンがグラデーションで敷かれており、主人公のほっぺの赤さが未熟な若者像をかもしだしています。
タイトルなどのフォントを丸っこくしていることからも、バンド感からはむしろ遠ざけるような意図を感じます。
実際の映画は、上映時間の半分は音楽を作ったりPVを作ったりしています。
映画の脚本が歌詞と連動している箇所も多いので、もっとバンド映画なのだという要素をポスターに込めるべきだと思うのです。
これはおそらくですが、ポスター内にバンド感を前面に出すことで日本のお客の入りが悪くなるとの判断だったと思われます。
肯定的な点
バンド感を前に出さなかったのは、個人的には非常に悔しいのですが賢明だったと思っています。
この映画に登場するバンド・グループは1985年前後のポップでサイケデリックな印象が共通しています。
Duran DuranやThe Cureなどのバンド感をポスターに出したとしても、一定のファンは反応するでしょうが多くの人は「自分には関係のない映画だ」と思ってしまうでしょう。
そういうのはクイーンやマイケルジャクソンほどの知名度があってこそ成立する戦略だと思うのです。
だからこそ、日本版ポスターではあえて「青春もの」という切り取り方をしたのだと思います。
この映画は青春ものとしても傑作なのは間違いありませんから。
ポスターの内容が間違えているわけではないのです。
しかし、ただの青春ものとしてこの映画を片付けるようなことは日本の広報部はしませんでした。
このポスター、キャッチコピーがかなり優秀だと思います。
【君といれば、無敵。】
これだけ見ると誰のことを指しているのか分かりません。
ですが、映画を見終わったあとにガツンと効いてきます。
ここでいう【君】とは大好きな彼女のことであり、バンド仲間のことであり、尊敬する兄のことであり、そして音楽のことを指していることが分かります。
このキャッチコピーをつけた方々は、この映画を真剣に噛み砕いて理解したうえでこのフレーズをチョイスしたはずです。
映画のすべてを、たった7文字で表現しきったこのキャッチコピーは大変な傑作だと思います。
そういった点も含めて、やはり日本スタッフは大変な苦労をされたのだろうなと思うのです。
僕の苦情などどうでも良いことでしょう。
アメリカ版ポスター
では他の国の広報部の苦労を見てみましょう。
アメリカ版ポスターではこのようになっているようです。
日本版と同様にグリーンを背景にしていますが、印象が全く違います。
これはDuran DuranやThe Cureなど映画に出てくるバンド達のサイケデリックな色彩からイメージしたものでしょうね。
文字列もすべてが斜めになっていたりと、まるで音楽ライブのフライヤーのようです。
このポスターからは、音楽を通じた男女のラブロマンスを感じます。
ただし、この情報だけではバンドものであることは全く感じません。
むしろ二人だけのストーリーのようです。
実際の映画も、特に最後は男女二人の話になるのでおかしいというわけではありません。
恋物語の部分にスポットを当てたのでしょうね。
ポスターから女の子が消える
一方でこんなポスターもあります。
このポスターからは、ヒロインが消えてしまいました。
映画においてまだ知名度が多少ある彼女を消してまでも、むしろバンド感を前に出そうというわけです。
映画内ではもっとカッコイイ演奏シーンがあるにも関わらず、このモッサイ感じのビジュアルを採用したのは面白いですね。
少年達の成長ストーリーとしての側面をポスターに込めているようです。
北欧版のポスター
北欧版のポスターがこちらです。
これが映画の制作陣の意図したポスターなのでしょう。
たしかに、色々なことを複合的に考えるとこのような解答になる気がします。
- 手書きの力強いフォント=バンドらしさと若々しさの表現
- サイケな色彩=85年前後のポップスの表現
- 主人公のイケてなさと綺麗なモデル彼女=恋物語としての魅力
をそれぞれ感じますね。
U2のボノなんかのコメントがのっているのも北欧らしいです。
日本版のポスターもこれだったら良かったなぁーなんて思いつつも、やはりこのポスターでは日本の多くの人には伝わらないだろうなとも思います。
このへんは音楽文化の違いですから仕方ないですかね。。。
思わぬ国から良いポスターが
ところが、北欧版とはまた違った意味でなかなか良いポスターが見つかりました。
韓国版ポスターです。
これ・・・・・・・実はけっこういいんじゃないでしょうか。
パッと見は一番ダサいと思うんです。間違いなく。
ですが、映画の内容を考えると実はとても良く出来ている。。。
「お金も実力もない未熟なバンド」感が出ています。
必死にもがいている若者の反抗的な態度も出ています。
にもかかわらずカラっと晴れた空のアンバランスさに笑ってしまいます。
この「めちゃくちゃカッコつけてるのに、全部ダサい」感じがまさに青春そのものじゃないですか。
このポスターでお客さんが来るかどうかは置いておいて、映画の内容を一番表現できているのはこれでしょう!
素晴らしいですね、韓国スタッフ。
まとめ
いい映画だからこそ、それをポスターにするのは本当に難しいのだと改めて思います。
だからこそ思うのです。
おそらく世の中には「なんかパッケージが好きじゃない」という理由で見逃している傑作がたくさんあるんだろうなと。
映画だけでなく漫画や食べ物や観光地や、なんでもですね。
グラフィックデザイナーとしては悔しいところですが、皆さんも少しでも気になったものは表面だけのデザインにこだわらず一度手にとってみてはいかがでしょうか。
それでは。
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令和《新元号決定!》デザイナー様必見! 注意すべき10のコト!
新元号が先ほど発表されました。
令和。
個人的にはとてもいい元号なのではないかと思っております。
さて。
多くの方々にとっては実際に元号の変わる5月1日からの方が大事なことと思いますが、デザイナーや印刷業に携わる方々はすでに今から大忙しになります。
先ほど僕もさっそく新元号で校正データをお送りしたところです。
そこで、皆様にもご注意いただきたい点をいくつかシェアしていこうと思います!
お役にたてたら嬉しく思います。
氏名住所欄の変更
まずは定番の氏名住所欄の変更。
ここをまず押さえましょう。
例としてはこちらになります。
はい、もうお気づきですね。
大正がすっ飛ばされています。
このようなケアレスミスに気をつけましょう。
英語にするとこのような表記になります。
もはやTAISHOは無かったかのようです。
気をつけていきましょう。
令和元年生まれの子はこのようになります。
ピン芸人としての素質がありそうですね。
令和15年生まれの子はこのようになります。
いじめや暴力描写が鑑賞レイティングに引っかかる可能性があります。
ゴールデンタイムでの放送には気をつけてください。
令和18年生まれの子はこのようになります。
より過激な暴力描写、覚醒剤などの描写が多数みられる場合のレイティングになります。
地上波での放送はほとんど不可能です。お気をつけください。
会社名の変更にご注意
新しくオープンするスーパーマーケットのロゴになります。
このような「令和」をロゴにした会社が複数生まれることと思います。
使用されるフォントかぶりにはご注意ください。
洋服屋のロゴ
このように、「れいわ」という文字で遊んでみたタイプのブランドがいくつか立ち上がると思います。
こちらもフォントのかぶりにご注意ください。
フーツラやセンチュリーフォントが多くなるかと思います。
もっとも、多くのブランドはそう長く続かず店をたたむと思いますので、そこまで神経質にならなくても良いかもしれません。
楽天ロゴ
楽天がヴィッセル神戸あたりのロゴで何か遊び心のある仕掛けをしてくると思われます。
大きな企業とのお仕事ですので慎重に取り組む必要がありますが、よく考えたら僕にはあまり関係がなさそうなので忘れていいかも知れません。
中2感漂う発想
令和=レイワ。
「レイといえばRAY(光)という文字になるじゃん!!超かっこよくね!?」という発送のお仕事依頼が来るかも知れません。
発想が中2なお客様も一定数いらっしゃいます。
「ダサいと思います」と正直に申し上げると、お客様が気を悪くされるかも知れません。
「発想が斬新すぎて理解されない可能性があります」程度のやんわりした断り方を心がけてください。
まとめ
泣いても笑ってもあと一ヶ月で平成が終わります。
つらいお仕事もたくさんあるかと思いますが、全部平成に置き去りにしてスッキリした気持ちで新元号を向かえましょう!
2019.4.1 吉日
ロゴデザインの現場 事例で学ぶデザイン技法としてのブランディング【電子書籍】[ 佐藤 浩二 ]
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メカニック/メカニック ワールドミッション《背伸びをしない美学》
監督 サイモン・ウェスト
デニス・ガンゼル(ワールドミッション)
出演者 ジェイソン・ステイサム
みなさんは、どのようなシチュエーションで映画を楽しまれているでしょうか。
映画館で観る人、ツタヤで借りる人、Huluで観る人、金ローでのみ観る人。
どのような視聴態度もすべて正解だと思います。
あ、違法アップロードとかは論外ですけど。
こんな経験はないでしょうか?
「映画は観たい、けどあんまり重たい映画はイヤ、サラッと楽しいのが観たい」
という心境。
人生を変えるような素晴らしい映画を真剣に観るのも楽しいですが、なんとなくダラダラ楽しみたいという欲求は誰しもあるのではないでしょうか。
断っておきますが、僕はそういう映画を下に見ているということは一切ありません。
「ほどよく楽しめる」というのは最高のエンターテイメントのあり方の一つですから。
僕が下に見ている映画は、ドラマ版の焼き直しで同じような話をクドクドとする日本映・・・・まぁその話は置いておきましょう。
今回は「ほどよいエンターテイメントの美学」です。
ジェイソン・ステイサムは最高の男である
かつてこの「ほどよいエンターテイメント界」の覇者はシュワちゃんだったと思います。
なんと素晴らしい、ほどほど感。
何回見ても「フーーーーーーッ!!最高だぜ!!」となります。
ちなみに、スタローンはたまに大傑作を作るので油断なりません笑
ブルース・ウィルスはたまにゾッとする映画も出すので油断なりません笑
今の「ほどよいエンターテイメント界」を支えているのはジェイソン・ステイサムだと思っています。
だいたいの映画が「フーーーーーーッ!!最高だぜ!!」というほどほど感なのです。
人生を変えるようなシーンはありません。
気分が落ち込むような悲劇もありません。
今日も元気にマシンガンを片手に敵のアジトに飛び込みます。
ポスターもほどほど感
映画と同様に、ポスターもほどほど感でなければなりません。
映画がせっかくほどほどなのに、ポスターだけが芸術的な美しさを出してはいけないのです。
お客さんは、ほどほどの気持ちになるために映画を鑑賞します。
ポスターもその欲求に合わせる必要があります。
でないとお客さんは観てくれないわけですね。
ほどほどではないポスター
ほどほどではないポスターとは、こういうポスターのことを言います。
イーストウッドの名作【ミスティック・リバー】。
映画内には確かに銃やギャングが登場します。
ですが、このポスターからはほどほど感を感じません。
もっと重たい内容を予想します(実際に映画も重たい内容です)。
次に【アメリカンスナイパー】。
こちらもイーストウッド。
スナイパーだし、軍人だし。
いかにもアクション要素はありそうですが、ほどほどではないのは顔を見たら分かります。
この主人公は、銃を撃つのが楽しいとは思っていなさそうです。
ほどほど映画の主人公達は、銃を撃つときに考え込むような表情をしてはいけないのです。
人を50人くらい仕留めたあとに、普通にマクドナルドを食べるくらいのタフさが必要です。
というわけでこのような繊細なポスターはいけません。
メカニックのポスター
どうでしょうか、この「ほどほど感」。
日本版とアメリカ版ではポスターの種類がけっこう違うのですが、いずれのデザインもほどほどです。
基本的にはジェイソン・ステイサムが銃をもってポーズを決めればポスターは完成です!
敵の姿とかは入れる必要はありません。
どんな敵が現れようとも、勝つのはステイサムと決まっているのですから。
タイトル文字のなんともいえないダサさが観る方を安心させます。
「この映画は自分の人生に何の影響も及ぼさないだろう。でもきっと楽しいだろう」という信頼感ですね。
誰かの記憶に残ることはないかも知れない。
でも、少なくともその瞬間は誰かを幸せにできる作品。
そんな映画やポスターにも時々注目してみてくださいね。
映画の感想
1と2を短いスパンで観たので、まとめた評価になってしまいますが。
まず1の「事故に見せかけて暗殺する」という素晴らしい発想。
なぜか、これが2ではほとんど無くなっています笑
なんでこんなことになったのでしょうか。
「どうやって事故に見せかけるのだろう」というドキドキ感は早いうちに失われ、後半になるにつれパワーとパワーのぶつかりあいになっていきます。
これは非常にもったいなかった。
可能であればラスボスですらも「部下にも気付かれずこっそり息をひきとっている」くらいのことをやってほしかったね。
もしやる気があるのであれば、続編もどんどん出してほしいと思います。
「今日はダラダラ映画観たいなー」という時に必ず観ることでしょう。
まだ未見の方は是非チェックしてみてください。
得るものはありませんが、ストレスは少し捨てることが出来ますよ!
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呪怨《ルール違反!恐怖映画のポスターの系譜》
ポスターの点数…90点
映画の点数…75点
前提として僕はあまりホラー映画を観ません。
だって怖いもの。
昔から思っていたのですが、わざわざホラー映画を観て怖がりたがる人と、わざわざ牛に追いかけられるために祭りを開くスペイン人の気持ちが僕には分かりません。
ですが、人間とは不可解な生き物でして、こうしてたまーーーーーにホラー映画を観てみようと思うわけです。
なぜか牛に追いかけられたくなるのです。
今回は「呪怨」と「呪怨 白い老女」を二本立てで観るというクレイジーな鑑賞スタイルをとりました。
いやー、怖かった。
完全に呪われた。
映画の評価はあとから書くとして、呪怨の映画ポスターのデザインについて語ってみようと思います。
ちなみに今から挙げる映画は一応僕も観たことのあるホラー映画たちです。
どれもおすすめですよ。
掟破りのポスター
先に言っておきますと、「呪怨」と「呪怨 白い老女」のポスターはかなりルール違反なことをやっています。
他の呪怨シリーズも同様です。
どこがルール違反か分かるでしょうか?
映画本編でなくポスターだけでも恐怖を感じる強烈なビジュアルですよね。
このポスターを見るだけで「お、ホラー映画だな」とすぐに分かります。
広告としてはバッチリですよね。
なぜこれがルール違反なのでしょうか。
ホラー映画ポスターのルール
ホラー映画ポスターには基本的なルールがあります。
どの映画もそのルールを守りつつ、それぞれの個性を出していくわけです。
たとえばこちら
被害者出しパターン
です。
恐怖に顔をゆがめる被害者、今から恐怖を味わうであろう被害者をポスターにしています。
こうすることで「何があったんだろう!?何を見てるんだろう!!」と思わせることが出来ます。
ここで具体的な恐怖「つかまれる」とか「刺される」とかをビジュアルにしてしまうと台無しです。
あくまでも「今からやられる」という状況までを見せます。
恐怖の舞台パターン
「ここで怖いことが起きるのだ!」という舞台を提示する方法です。
工夫としては、極端に怖くしすぎないことです。
ボロッボロの廃墟などが写っていると駄目なんですね。
ボロボロの廃墟だと「そりゃお化けくらい出るだろう」と思ってしまいます。
そうでなく「お化けとかは到底出そうも無いけど、何故か怖い」ニュアンスが大事になります。
照明の使い方を工夫したりフォントを工夫して、怖い雰囲気を演出します。
雰囲気怖いパターン
具体的なパーツをポスター内にはあまり配置せず、雰囲気で怖さを演出しています。
小説の表紙なんかがまさにこういうパターンが多いですよね。
文字だけのメディアなので、どうしても雰囲気でデザインすることが多くなるわけです。
あらためて呪怨のルール違反
では何故、呪怨シリーズのポスターがルール違反なのか。
カンのいい方ならもうお分かりでしょう。
そう、それは「具体的な幽霊がドーーーーーーン!!!!」と出ていることです。
これはいけません。
なぜならこのルールを違反すると、基本的に制作側が不利になってしまうからです。
映画を観てみると、実際にこのポスターの幽霊が出てきます。
観客は「こいつが映画に出てくるんだ」と分かっている状態なのですから、出てきたところで恐怖は半減してしまいます。
ネタバレしているわけですからね。
なぜそのような真似を
なぜ呪怨シリーズはそのような掟破りをしてしまったのでしょうか。
それは映画の内容とも密接にリンクしています。
呪怨シリーズは、今までのホラー映画と違う性質を持った作品でした。
具体的には
- 「何回も幽霊が出てくる」
- 「画面内に幽霊がはっきりと映し出される」
- 「かなり長い時間、画面内にいる」
ことです。
映画自体がそもそもルール違反しまくりな作品だったわけです。
幽霊が何回出ても長時間出てきても、それでも怖いと思わせてやる!
という制作者達の自信を感じます。
ポスターもその意気込みに応えたわけですね。
ポスターで完全なネタバレがあろうとも、それでも映画は怖いんだぜ!という自信。
常識からはみだしたそのポスターは、当時(2000年前後)の人たちに壮絶なインパクトを残し、そして緩やかに消化されていく運命をたどります。
どのような分野でもそうなのですが、ある「カリスマ」が登場するとすぐにその模倣が始まり、使い古され、そして消えていきます。
一種の宿命でもあるため仕方ないとは思うのですが。
再び世間をひっくり返すようなホラー映画、ポスターは生まれることがあるのでしょうか。
映画の感想
かなりルール違反が多い作品です。
もちろん、いい意味でですよ。
例えばホラー映画の金字塔【リング】は、最後の最後、テレビから出てくる貞子のためにすべての物語が進んでいる映画です。
ホラー映画の基本的な作りとしては
「予感させる、予感させる、予感させる、小出しにする、予感させる、予感させる、小出しにする、ホッさせる・・・・・・・・・・・・・・・からの幽霊ドーーーーーーーン!!!」
というパターンがあります。
ところがこの呪怨は
「予感、からのドーーーーン!!」の繰り返しで出来ています。
それでいて怖いわけですよ。
一見関係なさそうなオムニバスストーリーが、実は一つにつながっていることを観客にうまく伝えているのが効いています。
だから「ああ、駄目だよ!!そこ行ったら怖い目に!!ああ、もう!!!」という恐怖の連鎖が広がっていくわけですね。
まんまとやられました。
なんて性格の悪い方達なのでしょう。
高橋監督、三宅監督。
もう二度と見ないぞと思うわけですが、どうせ数年たつと何故か再び手を出すのでしょうね。
あー怖い怖い。
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翔んで埼玉《緊張と緩和のポスター》
監督 武内英樹
脚本 徳永友一
原作 魔夜峰央
出演者 二階堂ふみ
GACKT
伊勢谷友介
ブラザートム
映画ポスターの点数…85点
キャッチコピーが少し古くて弱いかな。。。。
何気なく2019年度の映画の興行収入を見てみると、けっこう予想外なことになっていました。
映画評価ピクシーン(https://pixiin.com/ranking-japan-boxoffice2019/)様のデータです。
翔んで埼玉3位ですか!
最近よく耳にするなあと思ってはいましたが、アクアマンに大差をつけるくらいなんですね。
日本映画が調子いいのはいいことですね。
ドラマの再編集版みたいな映画が売れてばかりなのも面白くないですし。
7位とか10位のになると、何も分からないな。。。
アニメだろうか。
では改めまして、【翔んで埼玉】のポスターがなかなか興味深いデザインだったので掘り下げてみようと思います。
実は伝統的なデザイン
パッと見てのデザインを見て一言。
「なんてふざけているんだ・・・!」
という感想です。
もちろん褒め言葉です。
ポスターの構図は、アートディレクターさんがどこまで意図したかはともかく伝統的なデザインの一つです。
まずはこちら、スターウォーズのポスター。
ライトセーバーを掲げるルークに寄り添うレイア姫と、周囲にコラージュされたキャラクター達。
このポスターを描いたのは生頼範義(おおらい のりよし)さんという日本人です。
SF誌に投稿された絵を気に入った監督のジョージ・ルーカスが、直接それ以降のポスターの制作も依頼されたのだそうです。すごい!
生頼さんの作品は他にもたくさんあるのでチェックしてもらいたいのですが、代表的なところではゴジラシリーズが有名です。
このスターウォーズポスターは、後にセルフパロディー的な構図でエピソード8の時に再度登場します。
民衆を導く自由の女神
【翔んで埼玉】のポスターのルーツをさらに遡ると、1831年に発表されたドラクロワの名作『民衆を導く自由の女神』がまさにデザインの意図が近いです。
フランス7月革命時の様子を描いたこの絵画は、市民の力で悪しき政権に立ち向かう自由への戦いの象徴的な作品です。
迫害される埼玉県の地位を取り戻そうとする主人公達に重ね合わせたデザインなのでしょうね。
ポスターもわざわざ金色の額縁に入っているようなデザインになっています。
本物の絵画の方はここまでゴージャスな額縁ではないようですが。
緊張と緩和
【翔んで埼玉】はコメディ映画です。
当然、映画を作った方々は映画を観て笑っていただきたいわけですね。
その意思をポスターにする際に汲み取るとしたら、方法は大きく2つあると思います。
ひとつは、ポスター自体で笑わせる方向にすること。
世界のナベアツさんが撮った『さらば愛しの大統領』という作品はその方向でした。
それがうまくいったとは思えませんが。。。
もうひとつの方法は、「大げさなくらい真面目にすること」です。
つまり今回の【翔んで埼玉】はこちらの方法をとったということです。
ポスター自体が大げさで真面目なタッチな分、緊張と緩和で映画のコメディ要素が引き立つというわけですね。
この手法は昨年ヒットした「カメラを止めるな!」でも使われた方法です。
こちらも映画はコメディ、ポスターは真面目という作りです。
緊張と緩和の失敗例
緊張と緩和の失敗例もあります。
山崎貴監督の「三丁目の夕日」です。
(なんか英文字で変なタイトルが付け加えられてましたが省略します)
映画は大ヒットしましたし、ポスターもこの作品以降ありとあらゆる形でパロディとされた名作と言えるのですが、映画ポスターとして良かったとは思っていません。
というのも、いかにも「昔の人たちの感動的な話です!!もう本当に心あったまっていい感じ!もう感動!ほら感動!人情っていいよね!感動!」みたいなデザインから押しつけがましさを感じるのです。
そもそも東京オリンピックあたりの日本を描いたポスターとしては、いくらなんでも古くさすぎます。
これじゃ大正ロマンでしょう。
「感動」の映画に「感動」のポスターをぶつけても、お互いの良さを打ち消し合うこともあるという例ではないでしょうか。
実際の映画の中身はこのポスターが主張するほどには良い話でもないし。
まぁ僕がいくら言ったところで映画は大ヒットしたから全部オッケーなんですけど。
まとめ
最初にポスターを見た時の感想は
「なんてふざけているんだ・・・!」でした。
これはとても大事なことですよね。
つまり「全力で」ふざけてるんです。
大の大人が。
それが伝わるだけでも、映画としての興味がわくものです。
してふざけている分、体裁としては「大真面目なふり」をすることが効いてくるということです。
逆に言えば「なんとなく雰囲気で片手間に作りました!」みたいなポスターもたくさんあるということです。
その分、【翔んで埼玉】ポスターはインパクトのあるデザインになったと言えるわけですね。
みなさんも大人が寄ってたかってふざけてる様を観に行かれてはいかがでしょうか。
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VIVIAN KILLERS -The Birthday- 《センセーショナルな極彩色》
2005年から活動を続けるロックンロールバンド、ザ・バースデイ。
10枚目となるフルアルバム「VIVIAN KILLERS(ヴィヴィアンキラーズ)」が発売されちょっと浮かれモードになっている私でございます。
せっかくですので、このアルバムのジャケットを元に映画のポスターデザインについても語ってみます。
レコードジャケットやCDジャケットと比較してもいいのですが、映像とストーリーのある映画の方がより分かりやすいと思います。
VIVIAN KILLERSのジャケット
まず基本的なことから。
メンバー4人が黒いシルエットでこちらを向いている構図、それに被さるように手書き文字で彩度の低いグリーンのタイトル文字が乗っています。
このデザインを見た人で「ははーん、さてはバラードを中心にした癒やし系の音楽アルバムだな」と思う人はいないでしょう。
アルバムのジャケットだけでも、中身がどんなものかある程度イメージさせることは出来るものです。
逆に言えば、それを失敗してしまうと「なんか思ってたのと違う」と中身にもガッカリしてしまいます。
(ここだけの話ですが、「今回のアルバムジャケットはボーカルの○○君がイラストを描いてデザインしたものです!」とかいうパターンありますよね。あのパターン結構失敗例が多いと思います。確かに絵はうまいのでしょう。でも、それをパッケージする能力=デザインする能力に関してはそう簡単に身につくわけではないので。そこから先はデザイナーに任せた方が無難なのになとは思ってしまいます)
ビビットな色使い
ヴィヴィアンキラーズのジャケットはビビットな色使いが特徴です。
ビビットとは、このような色のことですね。
かなりざっくり言うと、派手で鮮やかで強い色、というところでしょうか。
上手に使えばインパクトのあるデザインに、下手に使えば下品になるカラーです。
それをどのように扱うかでデザイナーの腕が問われます。
その1.センセーショナルなデザイン
映画のポスターに使用する際には、当然ながら映画の内容を踏まえた上でデザインしなければなりません。
ではどんな内容の映画に相性がいいのか。
1つめ、映画の内容がセンセーショナルでハードなもの
言うなれば「非・現実的」ということです。
まずこちら
1994年公開、LEON(レオン)のデザインです。
ヘヴィな環境で育つ少女と、純粋な殺し屋が交流する物語。
特にラストシーンは有名ですね。
まさに非現実的なストーリーですが、だからこそポスターとの相性がとてもいいです。
続いてこちら
2016年のムーンライト。
自身の境遇、性的コンプレックス、人種差別などと向き合う男性の生涯を、美しい映像とともにパッケージした一作。
顔が色で分断されたデザインは主人公の心の分断などを表しているのですが、色使いだけで映画の内容を見事に表現しています。
青の使い方は、映画に出てくる夜空のイメージとの一致します。
そしてこちら
北野武さん監督・主演のYAKUZAムービー。
前面には「怖い人たち」が怖い顔をしているのですが、色使いは鮮やかなマゼンタとのコントラストが効いた一枚になっています。
このマゼンタが仮にもっと真っ赤だったとしたら、それは血なまぐさくなりすぎたのではないでしょうか。
悪人達とマゼンタの相性の悪さが逆に、悪人をより悪く思わせることに成功しています。
その2.未来のデザイン
ビビットの使い方その2は、未来を感じさせることです。
まずこちら
新作の方のブレードランナー。
K.ディックの小説が原作なのですが、近未来を描いた作品をポスターだけで表現するのは難しい。
そんなときには色使いで工夫します。
非現実的な色使いを加えることで、未来的な印象をだすことができるわけです。
また、画面の右と左で色を変えることで未来と過去の対比にもなっています。
一粒で二度おいしいというやつでしょうか。
違うかもしれません。
ちなみに原作の方の「電気羊はアンドロイドの夢をみるか」のデザインもビビットカラーを使用しています。
みんな大好きアベンジャーズ
今まで並べたものに比べると、かなり色数が多いのが特徴です。
アベンジャーズには特に、現実にはありえない「怪物」のようなデザインのキャラクターも多いですからデザインで工夫をしないと急に子ども向けなビジュアルになってしまいます。
サノスとか「○○レンジャー」とかに出てきてもおかしくないデザインですからね。
そのへんを色使いでカバーしています。
構図も大胆、マッドマックス!
マッドマックスのポスターでは、キャラクターや人物をビビットにするのではなく、タイトルを鮮やかにすることで非現実性を出しています。
こうすることによって、世界全体が狂っている(MAD)感じが表現できていますね。
他にも未来が舞台の映画では、ビビットカラーをうまく利用しているものが多いです。
注目してみると面白いですよ。
番外編
デザインが面白いものでは、こんなのもあります。
映画「NANA」です。
映画の内容はあれでしたが、ポスターはとてもカッコいいですね。
(画像はDVDのパッケージですが)
画面の大半をビビットなイエローが占めており、そこにバランス良くタイトルやコピーがのっています。
主人公二人の写真も、青空を大きくのせることで空間的な広さを感じます。
「私たち、二人でいるとMU☆TE☆KI」
「まるで世界が私たち二人だけみたい」
といった感じがします。
映画の内容はあれでしたけど(追い打ち)。
ビビットカラーのススメ
以上、映画におけるビビットカラーの使い方でした。
まとめると
「非現実性を出したい」時に大きな役割を果たしてくれる色と言えそうです。
最初に挙げたThe BirthdayのアルバムVIVIAN KILLERSも、聴いてる間は非現実のなかにぶっ飛ぶことができる音楽です。
最近色々なことがあったけどさ。
なんかしらドラッギーなもの使わなくても、いい音楽があれば人間どこまでもぶっ飛べると思うよ。
もちろん【電気】の音楽でも十分ぶっ飛べるよ。
あなたも是非「ちょっとイっちゃってる!イッちゃってる!」子を演じたい時にはビビットカラーなお召し物をチョイスされてはいかがでしょうか(唐突な不時着)?
それではまた。
ライブで会いましょう。
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万引き家族 《ポスターに騙された!気持ちよく》
監督 是枝裕和
脚本 是枝裕和
原案 是枝裕和
出演者 リリー・フランキー
安藤サクラ
松岡茉優
城桧吏
佐々木みゆ
樹木希林
音楽 細野晴臣
映画ポスターの点数…90点
映画の点数…90点
評価も当然の作品
第42回日本アカデミー賞各部門を根こそぎかっさらい、パルムドールでも最高賞をとった一作。
間違いなく2018年度日本映画最高の作品だし、これだけの評価も当然と思います。
映画の内容に関して、これだけ話題になりDVDも出ていることですからここから多少のネタバレ含みます。
まだ観ていない方で情報をシャットアウトしたい方はお気をつけください。
だまし絵のようなポスター
映画ポスターは「家族」が笑顔で集合してこちらを見ている構図です。
映画を観た方なら分かることですが・・・・・
こんなシーンは映画に出てきません。
家族をこうやって写真に撮るような人物もいません。
笑顔で仲良さそうにするシーンもありません(個人間では多少ありますが)。
住んでる家はもっとジメジメしてるかドロドロ暑いイメージなので、こんなに爽やかでもありません。
そして何よりも。彼らは家族ではありません。
そう、画面のほぼ全てが嘘で出来ているポスターなんですね。
もちろん、それは意図的なものです。
タイトルが元々違っていた
この映画は、撮影段階では『万引き家族』ではなく『声に出して呼んで』というタイトルだったのだそうです。
『声に出して呼んで』というのは、自分のことを家族として呼んでほしいという願望を表しています。
「お父さんと呼んで」とかそういうことですね。
このポスターはその『声に出して呼んで』というタイトルを意識しながら見ると分かりますが、これが家族であったらいいという気持ちが表出したものなわけです。
だから実際におかれている現状とは逆転している箇所が多いわけです。
嘘をついてもいいの?
とは言え映画ポスターですから。
映画の内容と違うポスターにしてもいいの?という疑問があります。
しかし今作に関しては、それが大正解なんですね。
なぜならこの映画は、謎解きのような構成もある映画だからです。
僕も含めて事前に情報を入れずに鑑賞した人は、このポスターの人物達は当然家族だと思い込んで映画を見始めます。
ましてやあのポスターです。
『万引きしながら暮らすほど貧しいけど、なんだかんだ幸せな家族なんだろうな』
と勝手に思うわけですね。
実際に映画の序盤はそのようにも見える撮り方をしています。
ですが映画を観ていくと
『あれ、なんかおかしい。なんかおかしい。おかしい、というか、ちょっとこれはマズいんじゃないか?』
と観客側が気付いてい来ます。
その過程と共に、映画自体もどんどんドライヴしていくという仕組みになっています。
ポスターが映画の大きな大きなミスリードとして機能しているのです。
ミスリードのポスター
他の映画でも似たような手法は見かけることが出来ます。
万引き家族と同じ2018年の作品、フロリダプロジェクト。
どう考えても幸せなイメージしか感じないこのメインビジュアルですが、映画の内容はやはりダークサイドの強いハードな一作でした。
ユージュアル・サスペクツあたりもミスリードに含んでいいかと思います。
このビジュアルだけ見ると、当然犯人はこの中の誰かだろうと思いますよね。
こちらもそのつもりで観ていると・・・・・・最後にはひっくり返る結末が待っています。
後味を引きずるデザイン
とはいえ、万引き家族のポスターが単に『観客をだますためのもの』としてだけ存在するわけではありません。
映画を見終わってから改めて見てみると、『もしかしたら、もしかしたらだけど、彼らにもこうやって幸せに暮らせた未来があったのかも知れない』と思ってしまいます。
映画内には出てこなかった幸せな光景を改めて見ることで、より映画の中で描かれたことが浮き彫りになるわけですね。
素晴らしいポスターだなと改めて思います。
映画の感想
今作は是枝監督の今までの映画の集大成とも言えるものであるし、堂々たる出来だなと思います。
映画としての『頑丈さ』が他の作品を圧倒しています。
格闘技における達人技でねじ伏せられたような気持ちですね。
ああ、僕は格闘技はやったことはありません。
散々評論された作品でもあるので、素晴らしいと思った点をいくつかだけ。
まず、家族の「正体」を謎解きのようにして少しずつ明かす構成にしたのが本当に大正解。
この正体が明らかになっていく度に映画がズンズンと不穏な空気に包まれていき、観ているこちらも「あれ?これ結構ダメなんじゃない?もう詰んでないかコレ?」と不安になっていきます。
だから映画の途中あたりから僕は「もうこの映画終わってくれ!お願いだから!だってこのあと絶対にいいことあるわけないじゃん!」と思っていました。
イーストウッド作品でこのような『映画とめてくれ』心境によくなるのですが、人を不安に不安にさせていくのが是枝監督は本当にうまい。
なんて嫌な人なんだ!
完璧な俳優陣
次に、これを言うと身も蓋もないが、俳優陣が完璧すぎますね。
具体的な指示を省くことで、ある程度俳優独自に演技をさせるドキュメンタリックな撮り方をしたそうです。
それに見事に俳優陣が応えてみせたのはほとんど奇跡にも近いのでは?
安藤さくらさんの泣きのシーンなどは、もはや言う事無し。
観た人にしか分からない。圧巻。一生忘れないシーンの一つです。
ただ、個人的に気に入っているのはリリーさんの演技です。
おそらくだが、ほとんど何も考えずにその場で喋っているのではないだろうかと予想しています。
これが本当に面白い。
全く内容のないセリフを二回も三回も繰り返し、それを誰も聞いてないし本当に邪魔くさい。
観ながらずっと「ああ、うぜぇ(最高!)、マジでうぜぇ(最高!!)」と思っていました。
是枝監督最高
是枝監督の作品は、撮る作品すべてが完璧だなんて当然思っていません。
ですが、いずれの作品も『いつまでも忘れられない』作品なのは間違いないです。
たまに思い出したかのように日常生活の中にスッと紛れ込んでくる映画の場面の数々。
万引き家族もまた、僕の地続きの生活の中でふいに顔を出すような作品になっていきそうです。
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