デスノート Light up the NEW world《全部が狂ってた平成の置き土産》
ポスターの点数…20点
映画の点数…25点
監督 佐藤信介
脚本 真野勝成
原作 大場つぐみ、小畑健
製作 中山良夫
出演者 東出昌大
池松壮亮
菅田将暉
一から十まですべておかしい!
当ブログでは、「映画が素晴らしい」か「ポスターが考察に値するものがあるか」という目線で作品をチョイスしています。
が、時としてこういう珍品に出会ってしまうこともあるので、一応の記録として書いていきます。
グラフィックデザイン含め、デザイン業に関わろうと思っている方の多少の励みになればいいなと思ってはいるのですが、こういう珍品が出てくるとなかなか言葉に詰まるものがあります。
それでは映画とポスターについて振り返ってみようと思います。
デスノートという作品について
デスノートは漫画は一通り楽しく読んでいました。
少なくともLが死亡する7巻まではとても楽しかったですし、ジャンプの発売を心待ちにしていた記憶があります。
DEATH NOTE(7) 零 (ジャンプコミックス) [ 大場つぐみ ]
映画に関しては最初から大嫌いでした。
漫画の実写映画化の成功例のように語られることが多い作品ですが、個人的には駄作だったと思っています。
漫画では「知能推理サスペンス」の要素を強く押し出すために、あえてキャラクターや設定のリアリティーラインを低くしています。
「あくまでもゲームなんですよ〜」という宣言ですね。
だから人が何人死んでも悲しくなったりしないようなバランスになっています。
道徳的にどうかは置いておくにしろ、作品の魅力をあげるには適当な判断だったと思います。
一方の映画が失敗しているのは、そのリアリティーラインの設定。
役者陣が頑張って「人が死ぬのが悲しい」という演技をするほどに、設定のリアリティーの無さが気になってきて最終的には「なんかどうでもいい」という気持ちになってしまいます。
人が死ぬ話を扱う時は、死ということがどれほどの重みをもつものなのかを丁寧に設定する必要があるのですが、そのへんがうまくいっていないのが映画版だったように思います。
新作映画のポスターのリアリティーライン
こちらが新作映画のポスターですね。
これを観たらすぐに理解できることがあります。
「この世界は、僕たちが暮らしている世界とは違うフィクションだ」と。
真っ白いライダースの上下を着ている人、白髪と黒髪の混ざった重ね着が過剰な人。
これだけで「はいはい、フィクションね」と観客は思うわけです。
いや・・・・・・・本当にそれで良かったんですかね・・・・・?
かなり大事なことを、結構テキトーな感じで済ませていませんか・・・・?
デスノートという物語は、死神がでたり人を殺害できるノートが登場する「ありえない話」です。
それらの素材を用いることで、人間や世界の本性を暴き出すというのが狙いなのではないですか?
例えばゾンビ映画がそうですよね。
ゾンビというありえない素材を使うことで、人間がその状況でどう振る舞うのかを描くから面白いのです。
佐藤監督の前作、アイアムアヒーローはまさにそこが素晴らしかったのです。
【何の特徴もない主人公が、ゾンビに支配された世界で初めて自分の価値を見いだしていく】という話です。
ではこのデスノートはどうなのか。
もうポスターの時点で観客に宣言しちゃっているわけです。
「この話は、リアリティーの無い人たちが、リアリティーのないことをするという映画です」ということです。
はい、分かりました。
別にそれは問題ではありません。
アベンジャーズなんかも、ありえない人たちがありえないことをするという映画とも言えます。
(実際のマーベルシリーズは、根底に社会的メッセージを詰め込んだコミックではありますが)
このデスノートも、それで面白ければいいわけです。
DEATH NOTE(デスノート) リューク FUNKO/ファンコ POP! VINYL ミニフィギュア
映画の評価
さて、実際に出来上がった今回の実写デスノートはどうなのか。
いや、びっくりした。
もはや何から手をつけていいのか分からないくらい面白くなかった。
佐藤監督は、この前にアイアムアヒーローという傑作も残しているので期待していた分もあるのですが。。
良い面としては、池松壮亮さんはやはり素晴らしかったです。
「これのどこがLなんだ!」と怒る人もいるでしょうけど、そもそも新キャラなのでどちらでもいいです。
単純に彼が出ているシーンのみ演技レベルがひとつ上がります。
これほど荒唐無稽な設定な人物を、よく血の通ったキャラクターに仕上げたと思います。
そのほかは全て駄目だったと思います。
つまり25点はすべて池松さんのもの。あとは全部足して0点です。
管田さんに関しては、キャスティングがそもそも悪い。
何故あのキャラクターに彼をあてたのか分かりません。
そこからすでに間違っていると思うので、彼にとっては不幸だったと思います。
「これが今回の衣装です」と、真っ白いライダースを渡された時の心情を思うと涙がでます。
東出さんは、残念ながらかばいようがないですね。。。
出ているシーンのすべてが間抜けでした。
エリート警察役のシーンも、正体がネタバレしたあとのシーンも全部駄目でした。
何を考えているのか分からないという演技ではなく、本当に感情がこちらに伝わってこないので彼が演技をしている間ずっと不安なのです。
東出さんはそもそも、血の通っていない演技をさせてこそ輝く役者さんです。
この映画内では唯一リアリティを感じさせる設定のキャラなのに、何故か東出さんが一番この世に存在しなさそうな演技になっています。
それが良い方向にまったく働いていません。大幅にマイナスの効果しか生んでいませんね。
他のキャスティングもひどい
戸田さんも船越さんもひどいものでした。
この人達は出たこと自体が損。
脚本の中にうまく入れることが出来ないなら最初からオファーしなきゃいいのに。
誰か船越さんにこの映画の話を一回くらいしたの?
なんで最後ロボット演技なのよ。
そんな映画じゃないですって誰か言えばいいのに。
「なるほど、心を操られてるからロボットっぽい演技にすればいいのかな」とサービスした船越さんが馬鹿に見える。
壊れた脚本
そして何より脚本がズッタズタにひどかったです。
登場人物のほぼすべてが行き当たりばったりな行動をしているだけで、すべてが「なんとなく」解決に向かっていくだけなのですよね。
説明がつかなくなりそうになったらすぐに「天才ハッカー」が出てきて強引に話をつなごうとします。
(関係ないけど、コンピューターを使う場面でピピピッとかジーッジーッとか機械音がする映画と、会議室が無駄に暗いという映画で上質な映画なんて観たことがありません。この映画ではどちらも登場します。)
誰が勝つとか誰が負けるとか、そんな単純な映画にしたくなかったのでしょう。
「一番怖いのは、人間の底知れぬ欲深さなのだーーーー!!!」って言いたいんでしょう。
それは分からなくはない。
ただあまりにもひどくないか??
全員がいい加減な行動をとったせいで、出す必要のなかった犠牲者が次々と増えていき、それに対して何も責任をとることなく曖昧に事態を終わらせてしまう。
最初の方にグダグダとデスノートの説明をたっぷりととったわりには、肝心のデスノートはほぼ使うこともないし。
そもそもあの説明じゃ初めて見た人は何が何だか分からんと思うんですよ。
だったら最初から説明なんかしなきゃいいじゃないですか。
分かる人だけ楽しんでね、みたいな映画もありだとは思いますよ。
僕は嫌いですが。
で、最終的にはデスノートはテロリストに奪われたり燃えたりしたんだって。
馬鹿なんじゃないの。
それでいいんだったら、この映画におけるこの世で一番怖いのはテロリストとハッカーじゃないですか。
ハッカーが有能すぎる映画にろくな映画はないですね。
だからこそリアリティーラインの設定は絶対に必要なんですよ。
最後の最後までぜーーーーーんぶ、ありえない人達のありえない話でした。
それで面白いわけがないじゃないですか。
この映画が面白くなるためには、「実際にデスノートがこの世に現れたら、自分自身はこうなってしまう」という体験型映画体験にするか。
もしくは、めちゃくちゃよく出来た脚本の推理サスペンスゲームにするか。
どっちかしか無かったはずです。
そしてこの映画は、どっちも出来ていない、というかやる気もない!
人気俳優と人気コンテンツを合体させた金儲けをしたかっただけでしょ???
だったらもう最初から映画ポスターは主演3人のフルヌードのどアップにでもしとけばいいんじゃないですか?
あとはたたみかけるように言いますが、
- 死神の造形も新鮮じゃなくつまらないです。
- 死神が恋をする話も前作で使ったしつまらないです。
- なんか女性警察がベラベラ喋って死んでたけどあれ全部つまらないし無駄です。
- 松田さんの無駄遣いと無駄死に。
- 安室ちゃんの無駄遣い、そして映画に合っていないです。
- 顔をかくすというやり方があまりにも馬鹿すぎてついていけないです。
- デスノートを奪い取ろうとする国家権力の実態が不明すぎるし安易すぎます。
- なんなの、国家権力って。どの省庁なの?どの政党なの?
というわけで、もう何から何まで全部駄目。
お疲れ様でした。
デスノート Light up the NEW world [ 東出昌大 ]
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