桐島、部活やめるってよ 《映画もポスターも一言言いたくなる作品》
監督 吉田大八
脚本 喜安浩平、吉田大八
原作 朝井リョウ
出演者 神木隆之介、橋本愛、東出昌大、清水くるみ、山本美月、松岡茉優
主題歌 高橋優「陽はまた昇る」
ポスターの点数…50点
映画の点数…97点
映画ポスターとは何か
詳しくは後述しますが、まず僕はこの映画を吐き気がするほどに大好きです。
コンディション次第では鑑賞後に命を落としかねない危険な作品だと思っています。
絶好調時に鑑賞しても3日ほどは具合が悪くなります。
そんな特別な作品でもある本作なのですが、映画ポスターとして非常に考えさせられるものがあるので取り上げてみました。
映画にとって、映画ポスターには、どのような意味があるのでしょうか。
そんな話です。
インパクトとしては最上級
この映画を観たことが無い方でも、このポスターには見覚えがきっとあるでしょう。
そのくらいインパクトのあるデザインです。
タイポグラフィ(文字)を生かす青空も効果的ですね。
かなりクセのあるタイトルを、隠すでもなく押し出すでもなく良いバランスです。
多くの方が、このポスターを観て作品に興味を持ち鑑賞したのだと思います。
映画ポスターは広告で(も)ある
映画ポスターの役割の大きな一つは、広告として機能しているかどうかです。
その意味において、このポスターは正解の一つだと思います。
主人公(の一人である)神木さんのアップというだけでも十分に映画としての宣伝になっています。
一度見たら忘れられないビジュアルは多くのお客さんを映画館に呼び込みます。
映画の内容とのマッチング
広告としては優秀なポスターです。
ですが、映画の内容を正確に表現できているかと言うとそうとは言えないと思っています。
このポスターから連想されるものが、映画と一致しない点が多いからです。
まず、この映画の主人公は神木さん(前田)一人ではありません。
むしろ、彼は話の主軸から外れたところにいる点が特徴です。
群像劇であるこの映画は、主人公が複数いると言っていいです。
この映画の公開時点では役者として全く無名だった東出さん(ひろき)を大きくポスターにのせるのはリスクがあったというのは理解できます。
松岡茉優さんですらまだほとんど無名ですね。
それでもやはり神木さんのアップというのは映画の内容を考えると違和感があります。
普通に見ると、神木さんが主演の映画と勘違いするでしょう。
というか、単に桐島は神木さんだと思うでしょうね。
ちなみに小説デザインはこちら。
こちらの方が、印象をぼかしたような作りですが。。
これで映画ポスターとして成立するかというとかなり疑問です。
うーん。難しい。
一人称を思わせるカメラ
ポスター内でアップになったカメラは、神木さん(前田)が映画部に所属していることを示すアイテムです。
また、映画のクライマックスでの場面を思わせる効果があるわけですね。
それは十分に理解しつつも、このデザインだと神木さん(前田)から見た学校の物語という気がしないでしょうか?
先ほど言ったように、この話は群像劇であり登場人物がそれぞれの目線で見ている物語です。
一人だけの目線ではないのですね。
さらに前田自体はクラスの様子をあまり観察していないタイプの人間です。
となるとやはり、このデザインでは違和感を感じてしまうわけですね。
パキっとした彩度
このポスターは、後ろの青空を含めてかなり鮮やかな色彩をしています。
綺麗ではありますが、やはりこの映画のニュアンスとは少し違っている気がします。
映画はむしろ、みんなのぼんやりとした雰囲気の連続でできていますし、実際に色彩もあまりありません。
(だからこそ最後の屋上シーンの鮮やかさが効いてくるんですよね)
キャッチコピーの難点
このポスターのキャッチコピーは「全員、桐島に振り回される」です。
ただこれもちょっと・・・・と思ってしまって。
映画を観たら分かるのですが、この映画内では「桐島に振り回されない」人物がちゃんといます。
そしてそういう人物こそがヒーローになったりもするのが面白いんですよね。
あえて言うなら、初見時においてはこのキャッチコピーを観た「観客側」が振り回されるのは間違いないと思うので、観客目線とは言えるのですが。
じゃあどうすればいいんだよ
以上のような僕が言ったことを修正したとすると
- 主人公が誰か分からないようなデザインにする
- 話が一人称ではないようなデザインにする
- 薄ぼんやりしたデザインにする
- キャッチコピーは「複数人、桐島に振り回される」にする
ということになります。
はい、そうですね
これだけ見ると、すごいつまらなそうな映画ですね!
だからこそデザインは難しいんですよね。。。。
文句ならいくらでもつけるわけです。
だって文句を言う側に責任なんてないのですから。
だからこそ、実際に作った側のことを考えると本当に尊敬します。
デザインの追求
僕はこの映画が大好きです。
なので、世界中の人に観て欲しいと思っているわけです。
当然、吉田監督やスタッフ、役者さんも同じ気持ちでしょう。
そのために、僕らのようなデザイナーがいると思っています。
たった一人でも多く、映画を見たいという気持ちにさせたい。
そのための追求をいつだってしているつもりです。
人のデザインを批評しながら、自分のデザインに文句を言われながら。
映画評論と映画がそうやって進歩してきたように
グラフィックデザインもまた映画と進歩できたらいいですね。
映画のための最適解を誰しもが考えているのですが、
それがいつだってうまくいくわけではない。
桐島のポスターを観るとそんなことを考えてしまうのです。
それはさておき
とにかくもしもまだ『桐島、部活やめるってよ』をご覧になったことがない方。
悪いことは言いませんので、ぜひ一度見てみてください。
ポスターをみて『なんか乗り気がしねえなあ』と思っている人にこそ観てほしいと思います。
かつての自分がそうであったように。
この世には、4種類の人間がいます。
映画を見る人、映画をみない人、桐島をみても何も思わない人、桐島を見ると発狂してしまう人。
ぜひあなたも発狂してみてはいかがでしょうか。
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運び屋 原題: The Mule《グラントリノと鏡合わせのポスター》
監督 クリント・イーストウッド
脚本 ニック・シェンク
原案 サム・ドルニック
出演者 クリント・イーストウッド
ブラッドリー・クーパー
ローレンス・フィッシュバーン
マイケル・ペーニャ
ダイアン・ウィースト
ポスターの点数…55点!
クリント・イーストウッドがおよそ11年ぶりに監督・主演を務めた本作。
俳優としては引退宣言もしていた彼が、再度役者としてカムバックを決意したことにどんな意味があったのでしょう。
映画ポスターをヒントに、その真意とメッセージを探ってみたいと思います。
アメリカ版と日本語版はポスターがほぼ同じ
個人的には意外だったのですが、アメリカポスターと日本ポスターはほぼ同じでした。
レイアウトも同じですし、キャッチコピーすらほとんど直訳したような内容です。
「アメリカ版よりも日本版の方が、イーストウッドの顔をでかく表示し、名前もデカデカと表示しているのでは?」という自分の予想は外れました。
配給側から「デザインの変更はしないこと」という指示が無かったのだとしたら、あえて全くそのままのデザインでいくことを選択したということになります。
このデザインこそがこの映画に最もふさわしいと判断したわけですね。
11年前との違い
11年前、グラントリノという大傑作で監督と主演を務めたイーストウッドですが、そのときのポスターとは全く違うニュアンスになっています。
グラントリノをご覧になった方なら分かる通り、映画に登場する主人公はイーストウッドのイメージを意図的に投影したキャラクターになっています。
そして本作運び屋での主人公もまたイーストウッドの投影であるのは明白です。
ですがポスターの印象は全然違いますね。
グラントリノポスターではこちらを凶暴な視線で攻撃してくるような迫力を感じます。
一方の運び屋ではくたびれた老人の儚げな横顔のアップです。
このようにポスターから受ける印象は違うもののどちらもイーストウッドの分身であるというのも不思議です。
これは、グラントリノと運び屋の主人公では同人格の裏表のような意味合いなのでしょう。
どちらも軍隊経験があること、家族との間に問題を抱えていること、確固たる人格を持っていることなどの共通点があるのですがそれを映画にする際に真逆のキャラクター化にしています。
それにしても、運び屋にはモデルとなった実在の人物がいるにもかかわらず、どちらも同じような人格を持つ人物だという気にさせるのはイーストウッドの恐るべき点です。。。
消えていく車
車に注目してもらいたいのですが、ポスターの構図にこの映画を見事に表現する工夫が見られます。
車が画面の左から右に走っており、もう少しでポスターの端っこに到達するくらいの位置にあります。
このレイアウトにすることで『この車の行き先には未来がない』ことを表現しています。
同じ車のポスターでも《TAXI》のポスターでは『未来に向かって破壊的にドライブしている』感じがしますね。
TAXIのポスターが立体的なのに対し、運び屋のポスターは平面的です。
これもまた、この車の運転が楽しげで幸福なものでないことを表しています。
さらに、車が大事なキーアイテムの映画にもかかわらずポスターにしめる割合が極端に小さいです。
暗い空に押しつぶされそうな車の圧迫感が見る方の不安感をあおります。
車の占有率だけで言えば、車の登場シーンの少ないグラントリノのポスターの方が車に存在感がありますね。
これはグラントリノという車が、強くて頑固な主人公の投影でもあったからです。
同様に、運び屋のポスターにおける消えゆく車もまた主人公の投影です。
この映画の宣伝でのキャッチコピーは『人は、永遠には走れない』です。
ポスター内にある車も、いつか止まってしまう日を予感させながら走っているのでしょう。
ポスターとしては正解??
今までポスターのレイアウトの説明をしてきました。
そのうえでの評価ですが、実は僕自身はこのポスターはよく出来ているとは思っていません。
理由としては単純に『暗すぎる』という点です。
もちろんこの映画には負のオーラのある暗い側面もあります。
ですが、それ以上にこの映画はもっとコメディ的な要素のある楽しい作品です。
ポスターとのギャップを狙ったとも言えますが、それにしては少し極端ではないでしょうか。
映画のポスターに映画のどの部分をのせるのかは難しい判断なのですが、今回はちょっとウェットに寄りすぎたと思っています。
この映画の結末がいかなるものであるかは直接観ていただくとしても、『人間は何歳になっても、どんな局面であっても未来のある生き方はできるんだよ』というほんの少しの希望。
それがポスター内に感じられたとしたらもっと良かったのではないかと思うのです。
今後のイーストウッドに期待
先日、マリナーズのイチロー選手が45歳で野球選手を引退しました。
その倍の時間を生きているイーストウッドは、一体いつをもって引退するのでしょうか。
プレーヤーとして、そして監督として。
そんなに遠くない未来にその日はやってくるのでしょうが、それまではこうやって作品が出ることを幸せに思い楽しむことにします。
この映画を観た方、ポスターを観た方もやはり、自分の人生をついつい投影してしまうのではないでしょうか。
そういう楽しみ方も映画やグラフィックデザインの魅力です。
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E.T. イーティーのポスターについて《すべてにおいて完璧な作品》
脚本 メリッサ・マシスン
出演者 ヘンリー・トーマス
音楽 ジョン・ウィリアムズ
公開 1982年
E.T.と聞いて何を思い浮かべますか?
説明不要のスティーヴン・スピルバーグの世界的代表作。
映画の内容自体は多分世界中で65億人くらいは知っているので今更何も言うこともないですが。
ではE.T.と聞いたときに、あなたは何をイメージするでしょうか?
その後の日本のカルチャーにも大きな影響を与えたほどの映画ですので、たくさんの名場面があるこの映画。
ですが、多くの方にとって思いつくのはやはり『自転車が飛翔するシーン』ではないでしょうか。
ジョン・ウィリアムズのテーマにのせて、月をバックに駆け上っていく自転車の名シーンは、その後のユニバーサルスタジオの象徴ともなっています。
(世界一有名な)映画ポスター
このE.T.のポスターは、世界一有名な映画ポスターと言い切っていいでしょう。
なぜこのポスターが素晴らしいのか紐解いていきます。
一枚の芸術作品としての素晴らしさ
大胆に配置された綺麗な月に対し、小さくうつる自転車のシルエット。
なだらかなグラデーションが落ちた先にあるE.T.という文字はブレた手書きのような味があり、上部の整ったデザインとの対比になっています。
画面中央で交差する指と指が画面を上と下に分割しているのですが、ピントの少し合ってなさがこちらの集中力を逆に高めることに成功しています。
広告としての素晴らしさ
映画ポスターには、お客を誘客するという広告としての役割があります。
その観点から見ても良くできているのです。
真っ黒に塗られた自転車のシルエットからは、何が乗っているのかは分かりません。
前のカゴに何かが乗っているのが分かるのですが、正体をバラすことのないギリギリの範囲で興味をかきたてます。
一方で、どうやら人類のものではなさそうな細長い不気味な指が小さい人間の子供の指と交差している様子が。
これだけで『これは小さい子供と宇宙人の交流の話なのだな』と分かります。
E.T.というフォントが不安定に傾きおぼろげな印象をもっていることからも、これが未完成な子供からみた物語であるということが示唆されているんですね。
このように、興味をかきたてる要素をバランスよく必要最低限に散りばめています。
それと、E.T.の姿をメインビジュアルにしなかったのには理由が二つあるでしょう。
一つは、モロに姿を出してしまうとネタバレとして物語の魅力が半減していまうから。
今のようにSNSの発達していない時代ですので、情報をどこまで出すのかのコントロールはやりやすかったでしょうね。
もう一つの理由は、正直なところE.T.という宇宙人のビジュアルはお世辞にも全面的に可愛いとは言えない点です。
可愛らしさと不気味さを見事に共存させているあたりはスピルバーグしてやったりというところでしょうか。
仮にE.T.のビジュアルをポスターで見せてしまっていたら、多くの人にとって映画を見ることに抵抗感が生んだのではないでしょうか。隠して正解ですね。
思い出としての機能
映画ポスターには広告としての役割があるとの話をしました。その他にも映画ポスターには、その映画を見た人の思い出をパッケージする機能もあります。
つまり映画を観終わったあとにこそ意味があるんですね。
映画を観た人にとってこのポスターはどのように機能するのか。
まずは当然、映画内屈指の名シーン、自転車の飛行シーンを再び観てグッときてしまうでしょう。
『大人』からBMXで必死で逃げていく少年が、世界中のすべてから解放されるように舞い上がる姿。
何故その自転車が小さくシルエットで描かれているのかもここで意味をもってくるんです。
世界という巨大で真っ暗な夜から、小さな力しかもたない少年と親友がほんの一瞬のことかも知れないけれど抜け出していく儚さを見事に表現できています。
これがもっとポスター全面にうつったようなシルエットだと、なんか楽しそうな雰囲気をもってしまうんです。
そうではなく、この一瞬こそに意味がある、意味があったんだというのをこれだけで感じますね。
指と指が交差する絵がボケているのも同様です。
おぼろげでピントの合っていない感じこそが、少年とE.T.の短い時間の交流の儚さを感じます。
ちなみに、この指と指が交差するというシーンは劇中にありません。イメージなんですね。
ですが、観た方にとってはこの指と指の交差の意味は明白でしょう。
E.T.の持つ治癒の能力と、少年の心の交流が一致した見事な表現だと思います。
すみません、実は不正確なことを言っていました
実を言いますと、最初に公開されたポスターには
【自転車の飛翔シーン】は入っていないのです。
指と指が交差するシーンがメインビジュアルで、月も自転車もないんですね。
自転車シーンは後から追加されたイメージなんです。
公開時のポスターを観た印象からは、ロマンチックな要素がごっそり無くなっています。
むしろスピルバーグの前の作品である『未知との遭遇』のようなニュアンスが強いんです。
不気味さが全面に出ているんですね。
ところがこれがまた面白いもので、どちらかと言うとE.T.以前のスピルバーグのイメージはむしろ『少し気持ち悪い』方が合っているんです。
最初につくったポスターが悪いのではないのです。
むしろ最初のポスターの方がスピルバーグらしいのですから。
映画の評判に合わせてポスターが少しずつ変更されていったのでしょう。
映画の出来とポスターの出来は一致するのは当たり前ではない
優れた映画には、優れたポスターが必ず生まれるというわけではありません。
スピルバーグの作品ですら、後からイメージを変更することで多くの方の記憶に残るような調整をしたわけです。
ですがこのポスターの改変は大・大・大正解ではないでしょうか?
私たちは、映画というものをなんとなくのイメージで記憶しているものです。
そのなんとなくのイメージを決定づけたのが、このグラフィックデザインだったというわけです。
そういう作品に出会えたとき、グラフィックデザイナーとしてはとても幸福な気持ちになります。
みなさんも、自分の好きな映画のポスターがうまくその映画を表現できているか考えてみたら面白い発見があると思いますよ。
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キャプテン・マーベル Captain Marvel
監督 アンナ・ボーデン&ライアン・フレック
脚本 メグ・レフォーヴ
ニコール・パールマン
出演者 ブリー・ラーソン
音楽 パイナー・トプラク
ポスター…75点
映画…70点
『マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)』シリーズとして21作品目となる今作。
シリーズとしては初めて女性が単独主役となっただけでなく、スタッフも女性を中心に構成するなどのこだわりよう。
ブラックバンサーでは黒人を中心に映画を作るなど、新しいチャレンジを続けるMCU。
まずは映画ポスターから作品の性質を探ってみたいと思います。
迫力のある構図
日本版ポスターとアメリカ版ポスター。ぱっと見での構図は近いのですが、なんとなく印象が違うのが分かるでしょうか?
答えは背景にあります。
アメリカ版ポスターでは、青と赤の配色で画面を分割するなど全体的に明るい雰囲気です。
日本版では背景は真っ黒、スターの部分も金色に変更するなどしています。
日本公開版がなぜこのような変更をしたのかは不明ですが、おそらく『いかにもアメリカ!』な配色を避けたのではないかと思います。
世界ではどのような変更がされているのか気になりますね。
少なくとも日本版ポスターからはアメリカらしさが後退しています。
映画をどのように解釈するか
日本版ポスターでは、背景に『主人公の過去』を思わせるビジュアルが追加されています。
キャッチコピーも『失われた記憶』や『アベンジャーズ誕生前』などと、『今作は過去が重要な話なんですよ』と強調しています。
実際に今作は1995年を中心とした作品なのである意味その通りです。
アメリカ版ポスターを見るだけでは、これが過去の話だと予想するのはほぼ不可能ですね。
ビジュアルのカッコよさなどとは別の話で、日本版ポスターの方が観る方に親切と言えるでしょう。
ではアメリカ版が何故あのようなビジュアルにしたのか。
これは『今作は明るいタイプの映画ですよ!』という宣言であるように思います。
観てみると分かるのですが、今作はとても明るい雰囲気の映画です。
登場人物の多くが敵も味方も、どんな状況でもジョークばかり言っています。
その雰囲気をポスターに込めたんですね。
そう考えると、日本版ポスターはちょっと暗すぎるとも言えるのです。
強さの表現
キャプテン・マーベルでは3種類のメインビジュアルがあります。
いずれのアートワークでも共通している点がありまして、それは『コブシを握っている』ことです。
さらにどのポスターも、こちらを睨みつける演出がされています。
これによってマーベルの力強さを表現しています。
例えばですが、DCシリーズのワンダーウーマンではどうだったか。
そう、こちらを見つめる構図ではありません。
もっと『未来を見つめる』というような意図を感じます。
さらに後ろにいる人物達を率いているような構図は、ジャンヌダルクを思わせるような演出ですね。
こちらはこちらでいいビジュアルと思います。
マーベルの方のメインポスターの大事な要素として、こちらを見下ろすような構図になっています。
これもまた強さを感じるような意図があるんです。
近年の傑作に『ドリーム』という作品があります。
この映画もまた女性の強さを描いた作品でしたが、そのポスターワークがこちらでした。
ドリームのポスターでも、こちらを見下ろすような構図なんですね。
この『こちらを見下ろす』という演出は、ポスターだけでなく映画内でもよく使われる表現ですので覚えておくと面白いかも知れませんよ。
映画の評価
いよいよ再来月にせまった『アベンジャーズ・エンドゲーム』を楽しむために予習をかねての鑑賞。
エンドゲームの方のポスターにもキャプテンマーベルがかなり大きめに登場しているので、今作を見ていないと100%楽しめなさそうだなと判断したためです。
このへんは、MCU側にまんまと踊らされている感はありますが。
僕は映画を観る際に、あまり前情報はいれないで鑑賞するようにしています。
個人的には何も知らない方が楽しめるし、あとで資料を確認した際に『なるほど、やっぱりこのスタッフだったのか!』などと答え合わせをする面白さもあるからです。
ですが、わりと見初めてすぐに分かることがあります。
それはガーディアンズ・オブ・ギャラクシーを意識しているという点です。
クリー人が出てくるなど、そもそもの舞台が共通しているというのを別にしてもそれは顕著です。
冗談ばっかり言っているキャラクター達、既存の音楽を使った演出、キャプションの出し方、派手めな色彩。
鑑賞後に分かることですが、当然ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーチームとスタッフは共通している点も多かったで
す。
音楽という危険性
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとしての共通点に『既存の音楽』の使用という点を挙げました。
音楽を用いて映画を盛り上げるというのは定石中の定石ですし、それがうまくいっている作品もいっていない作品もあります。
うまくいった方では近年の傑作では『アトミックブロンド』やドラマ『ウォーキングデッド』などがあります。
では今作はというと・・・・・・
・・残念ながらうまくいっていると感じませんでした。
まず作品中、ニックがマーベルに『お、グランジか?』などと言います。
このへんでちょっと嫌な予感はありました。
1995年といえば、カートコバーンが亡くなって1年くらい。
このあたりでのグランジというのは。。。。。
すでにちょっと時代遅れ感があると思うんですよね。
ニックが言っている時点ですでに『なんかオッさんが知ったかぶりで若者文化に口出してる』ような印象なのです。
その時代遅れ感をあえて出しているのかと思いきや、別にそんな感じでもない。
わざわざナインインチネイルズのTシャツを着ていたり、ここぞという場面でニルヴァーナを流したりしているのですがそれがうまいとはどうしても思えない。
グランジミュージックが楽が常に鳴っているかというとそんなこともなく、たまに思い出したように流れる程度。
グランジという音楽が生まれた歴史なども踏まえると、物語にフィットしているとはあまり思えず。
そもそもキャラクター達の性格とグランジがまったく合っていません。
なぜこのような演出がされたのか何回考えても分からないんですよね。。。
さすがにMCUが何も考えずにそういった演出をしているとは思いにくいのですが。。。
詳しい人に聞いてみたいところです。
(音楽といえば、上映前にトイストーリー4のティザー映像が流れていたのですが、そちらの音楽の使い方はふざけ方も含めて100点でした。たった1分半の映像ですが音楽面ではこちらの方がうまいです)
インフレーションの最果て
キャプテンマーベルがなぜこのタイミングで参戦するのか。
これはもう観たらすぐにわかります。
つ・よ・す・ぎ・る!!!
こんだけ強かったら、彼女に対抗できるのはソーかビジョンくらいなものです。
こんなキャラが序盤から出てきていたら、アベンジャーズは5、6分で映画が終わってしまいます。
彼女の使い方は極めて限定的で、『ある程度パワーに制限をつける』という工夫をしないと彼女が暴れ出した途端に敵が全滅してしまいます(ビジョンもそんな感じでしたね)。
おそらくですが、エンドゲームをもってキャプテンマーベルは再び作品から離れるのではないでしょうか。
映画としての評価
音楽などでのケチはつけてしまいましたが、映画としてはそこそこの面白さはあったと思います。
変にフェミニズム要素を出さなかったのは大正解だったと思いますし。
キャプテンマーベルは女性としての強さではなく、本来の人間性として偉大であり強いという方向性は好印象です。
エンドゲームでどのように活躍するかも含めて、彼女の魅力を今後も楽しみにしたいと思います。
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アーノルド・シュワルツェネッガーのポスターについて
アーノルド・シュワルツェネッガー。
通称シュワちゃん。
もはや説明不要なスーパースターですけど、ものすごーーーーーく簡単な経歴だけ。
- 70年代後半〜80年代後半まではボディビルダーとして有名な時期。
- 80年代〜90年代前半くらいまでで世界的ドル箱俳優。
- 00年代〜政治家として活動後は映画俳優としての締めくくりを送っている最中。
本当に大雑把に言うとそんな感じです。
そういった背景のある映画俳優は、ポスターワークとしてはどのような歴史を辿ってきたのでしょうか。
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ターミネーター
シュワちゃん最大の当たり役といえばやはりターミネーター。
ある意味では彼の映画人生はこの作品で既に決定的になったと言えます。
そんなターミネーターのポスターはこちら。
もうこの時点で、『シュワちゃんと言えば』という要素がほとんど詰まっているのが分かるでしょうか?
サングラス、筋肉、革ジャン、そして銃器。
このポスター1枚でシュワちゃんのすべてが表現されていますね。
もちろん映画ポスターとしても非常に優秀でして、サングラスの奥と背景にある赤い光がサイボーグ感を演出しています。
それともうひとつ大事な要素がありまして、THE TERMINATORというタイトル。
この作品は84年の作品なのですが、いかにも80年代〜90年代の雰囲気を感じるメタリックなフォントですね。
このゴージャス感こそがシュワちゃんの特徴とも言えます。
良くも悪くもなんですけどね。
コマンドー以降
シュワちゃんの快進撃は続きます。
コマンドー、プレデター、ターミネーター2と代表作を次々と送り出します。
それらのポスターはこちらです。
もう見ての通り!
これらポスターはすべて
- シュワちゃん一人の構図
- 筋肉を生かしたデザイン
- 銃器むきだし
- シュワルツェネッガーという名前を大きく出す
という共通点があります。
世界中がシュワちゃんに夢中な時期です。
ポスターとしてどうなの?
『映画ポスターとしてどうなのよ?』という疑問は確かにあります。
ですが『映画広告としては』完璧なわけですね。
つまり、この映画を見たいと思う層と、映画側の意図が噛み合っているからOKなんです。
この映画を見るという時点で『シュワちゃんが筋肉と銃器で大暴れする』ことを目的としているのですから。
次のステージを目指して
とはいえシュワちゃんとしてはそのままでいるわけにはいきません。
俳優としての次のステージを考える必要がありました。
1994年にトゥルーライズという作品が発表されます。
そのポスターがこちらです。
この時期シュワちゃんはコメディも含めて作品の幅をひろげていきますが、
得意ジャンルであるアクション映画もこのようにポスターイメージが変わっています。
銃器、シュワちゃんのアップといった共通点はあるのですが、印象が違っているのは一目で分かるでしょう。
清潔感のある白いシャツ、にこやかな顔をしているシュワちゃん。
構図なんかは007 殺しのライセンスに近いですね。
トゥルーライズという映画もスパイものですのでオマージュしたのは間違いないでしょう。
アクション映画を撮るにしても、ジャングルで泥だらけで暴れまわるイメージではなく知的で清潔なイメージを目指したのでしょう。
この時点でシュワちゃんが政治家を目指していたのかは不明ですが、イメージを少しずつ変えていったことは州知事として当選したことと無関係ではないと思います。
近年のシュワちゃん
ではポンっと飛ばして最近のポスターはどんな感じでしょうか。
まず今の時点で一番新しいターミネーターのポスター。
この時点でも一番大きく写っているのはシュワちゃんです。
当然銃器も持っています。
ですが、まずシュワルツェネッガーとう文字がポスター内にありません。
そして一番の違いはシュワちゃん以外の俳優も多数ポスター内にいる点です。
配給側も、いつまでもシュワちゃんに頼りきるわけでなく新しいターミネーターを作っていくというメッセージをポスター内から強く感じます。
大好きな女優さん、エミリア・クラークも大きくうつっています。
タイトル『ターミネーター』という文字も現代的にアップデートされていますね。
晩年期のシュワちゃん
アフターマス(2017)という作品のポスターです。
もうここまでくると『これがシュワちゃん!?』というビジュアルです。
白い髭をはやし、筋肉も当然封印、目線も下がっている。
このポスターを見るだけでもシュワちゃんが『ああ、映画人生にひとつの終止符を打とうとしているのだな』と分かると思います。
友達のシルヴェスター・スタローンはエクスペンダブルズという作品とクリードという作品で同じように映画人生にケリをつけようとしているように感じます。
シュワちゃんとスタローンではそのケリのつけ方の方向性は違いますが、どちらにしろグッとくる魅力があります。
いつか語る機会があったらスタローン作品も語ってみたいです。
世界一のスーパースターであるシュワちゃんの映画人生の幕の引き方。
あと何本彼の作品、彼の筋肉を見ることが出来るかは分かりませんが、映画とともにポスターワークで彼の歴史を振り返ってみるのも楽しいと思いますよ。
おすすめです。
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マーベルシリーズ(MCU)のポスター
マーベル・シネマティック・ユニバース(Marvel Cinematic Universe)の最新作である、キャプテン・マーベルが公開になりました。
5月にはMCUの区切りともなるアベンジャーズ4(エンドゲーム)が公開されます。
この機会に、マーベルシリーズの11年におよぶポスターワークの歴史をまとめてみます。
実写ヒーローものの歴史を作り替えてきたメガヒットシリーズは、平面グラフィックデザインにおいてはどのような道のりを歩んできたのでしょうか。
ではExcelsior!
アイアンマン(のポスター)始動
記念すべきシリーズ第一作、アイアンマン。
そのポスターがこちらになります。
アイアンマンというタイトルにふさわしい重厚でメタリックな感触のデザイン。
ヒーローものでありながら、大人の鑑賞も想定したダークな印象。
結果としてアイアンマンは大ヒット。
それから11年以上続いていくシリーズの大きな大きな基礎となったわけです。
そして、それが呪いでもあるわけです。
ポスターって、動かないんだよね(当たり前)
マーベルシリーズには個性あふれるヒーローがたくさん登場します。
そのキャラクターが各映画の中で自由に動き回る面白さ、それこそがシリーズの魅力です。
ところが、当たり前ですがポスターは自由には動きません。
じっと止まったままなのです。
20作も超える作品群になると、どうしても似たような構図でポスターを作らなければならないわけです。
しかも、前述したようにシリーズ一作目のアイアンマンのビジュアル。
あくまでもそのイメージを基礎としながらも、そこから個性を出していくというデザイナー泣かせなお仕事なわけですね。
基礎がしっかりした仕事ほど、応用がきかなくなるジレンマが発生します。
では具体的にいくつかのパターンを振り返ってみます。
パターン化せざるを得ない宿命
まず、キャラクターがカッコつけてる系ポスター。
各シリーズの一作目に使いやすいデザインで、キャラクターをアップに使えるため迫力ある構図になります。
いずれのデザインもカッコいいですね。
映画の要素を散りばめデザイン
ある意味デザイナーにとってはやりやすいかも。
その映画に出てくるキャラクターや舞台を使ってデザインします。
多くの映画ポスターにとっても基本形の形となります。
ただし「なんとなく雰囲気系」にもなりがちで、注意を払わないと退屈なデザインになってしまいます。
こっちに歩いてくる系なんてのもあります。
キャラクターと自分の視線が合うため、ドキッとした演出が期待できます。
キャラクターの勇ましさが際立ちカッコイイポスターになります。
アルマゲドンなんかのシーンが有名です。
余談ですが、同じ構図を用いてモンスターズインクなんかではパロディにしていましたね。
そしてついには、
「キャラクター全乗せ特盛り御膳」
デザインが登場します。
ここまでくると、MCUを初めて鑑賞するお客様をお誘いするためのポスターというよりは、今まで応援してくれた方へのご褒美のような感じかも知れません。
一応シリーズ全作観ている僕ですが、名前がすぐには出てこないキャラもいますね。。。
とにかく豪華盛り盛りです。
パターンからの脱出
シリーズを重ねる毎に、気付けば幾つかのパターンに分類できるようになったマーベルシリーズのポスター。
しかしまだまだフレッシュなビジュアルを目指してデザイナー達の戦いは続きます。
まずシビル・ウォーのポスター。
キャラクターが向かい合う大胆な構成で緊張感あるデザインです。
ライバルであるDC系ヒーロー、バットマン v スーパーマンでも同じ構図が使われていました。
最近ではクリード2でも使われていましたね。
このような構図は他にも無数の作品で使われており、日本でいえば漫画ワンピースの表紙でも同じ構図を見つけることができます。
ですがこのデザインには大きな弱点があります。
あまりにも印象的なデザインのため、複数回使うことがとても難しいのです。
多用しすぎるとキャラクターの対立構造の緊張感がガクッと落ちてしまうからです。
この対面構図のデザインは、おそらくMCUシリーズで今後見かけることはないでしょう。
さあ、まだ他にも平面デザインの可能性は残っているのでしょうか。
起死回生の必殺技
ここで、思わぬ伏兵が新たな可能性を見いだします。
アントマンです。
なんと大胆な構成でしょうか。
キャラクターの魅力と、映画の持つコミカルな雰囲気をビジュアル一発で伝える完璧なデザインです。
アントマンというキャラクターだからこそ許される一発逆転のアイデアでした。
これ、とても大事なことでして。
つまり「キャラクターの本質を突いたデザインを追い求めれば、アイデアにはまだまだ無限の可能性がある」ということなんです。
まぁ、理論上はそうなのですが、それを表現することが一番難しいんですけどね。
ライバルの出現
先ほどDC系ヒーローの話を少ししました。
バットマンやスーパーマンが活躍するDCヒーローシリーズは、今のところ映画の興行収入的にも、そして映画の出来としてもマーベルシリーズに遅れをとっています。
ところがです。
ことポスターデザインの分野においてはどうでしょうか?
DCシリーズのポスターをご覧ください。
なんか・・・・・・カッコよくね??
そう、DCシリーズはポスターがとてもカッコいいのです!
マーベルシリーズとの分かりやすい違いは、全体的にスッキリしている点にあります。
「嘘つけお前、スーサイドスクワッドとかゴチャゴチャしてるじゃねえか」と思われるかも知れませんが、よくご覧ください。
ポスターの中にかなり大きく「何も要素がないスペース」があるんです。
これをホワイトスペースと言いますが、これがあることで「余裕のある大人なデザイン」が生まれるんです。
映画とは関係ありませんが、ホワイトスペースを大胆に使った広告がこちらです。
シンプルでこんなにすっきりしたデザインだからこそ、商品の存在感がより際立つわけですね。
もちろんこのようなデザイン特有の弱点もあります。
画面内に情報が少なくなるため「なんの映画?どんな商品?」というのが伝わりにくくなります。
あらためてマーベルシリーズのアートワークを見てみると。。。。
とにかく要素を可能な限り散りばめるというデザインですね。
DC系に比べるとゴチャゴチャしていることは間違いありませんが、映画の内容を伝えるという広告の役割を考えるとマーベル系の方が適しているとも言えるわけです。
どっちがいいとかではないが
デザインに絶対の正解なんてものはありません。
映画ポスターの役割は「一人でも多くの観客を映画鑑賞に誘い込む」ことです。
そのうえでMCUスタッフ達は「こういうビジュアルにした方が、お客さんは来てくれる!!」という戦略のもとにポスターを作ります。
こうやって歴代のポスターを並べて比較してきましたが、結局のところは「その時その時のベスト」を考えるしかないわけです。
その歴史の積み重ねがパターンとなってしまうのですが、それも全て「MCU映画が面白いから」こそ次々と続編が作られたと言えるわけです。
今後このシリーズがどのように続いていくのか。
映画の内容と共にアートワークにも注目していこうと思います。
アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー MovieNEX [ ロバート・ダウニーJr. ]
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カメラを止めるな! ONE CUT OF THE DEAD
監督・脚本・編集 上田慎一郎
特殊造形・特殊メイク 下畑和秀
特殊造形助手 中村夏純
衣装・タイトルデザイン ふくだみゆき
エンディング曲 「Keep Rolling」山本真由美
ポスターの点数…85点!
映画の点数…99点
ポスターの目的
2018年、最も話題になった映画と聞いて何を思い浮かべるでしょうか?
多くの人にとってボヘミアン・ラプソディ、万引き家族、そしてこの「カメラを止めるな!」のいずれかだと思います。
では質問を変えて、その中でポスターのインパクトが強かったのは?
それは「カメラを止めるな!」でしょう。
もちろん、他の映画とは方向性が違うのですから「どちらが上」とかではありません。
あくまでインパクトの話ですね。
同様に、最もインパクトの強いタイトルだけで選んだら当然「万引き家族」です。
では何故カメラを止めるな!のポスターがこれほどインパクトのある仕様になっているか、なぜその必要があったのか。
これはお分かりの通り、この映画が公開された時点で上田監督をはじめキャストの誰一人として、国民的知名度が無い方ばかりだからです。
ボヘミアン・ラプソディのポスターを考えてみて下さい。
フレディ・マーキュリーの顔すら写っていません。
あのシルエットだけで「あ、クイーンだ」と分かる知名度があるからこそ、あのポスターを作ることが可能なのです。
同様に、マイケルジャクソンのThis is ITなどもそうでしたね。
カメラを止めるな!のポスターはとにかくインパクト重視で見た人の記憶に残るビジュアルを優先すべきだったということです。
メディコム・トイ BE@RBRICK ONE CUT OF THE DEAD カメラを止めるな!(ZF57495)
ポスターとしての最大公約数
ところがここで問題が発生します。
この映画、見た方なら分かりますが「完全ネタバレ禁止」仕様の映画なのです。
こうなると困ります。
キャストも有名ではない、なのにどんな映画かをポスターで説明するのも制限がある。
つまり「ネタバレはしない」けど、「この映画見てみようかな」と思う程度の情報の出し方。
その最大公約数を計算し、結果的に出来上がったのがこのビジュアルということになりました。
アートディレクターの工夫
そもそもこの映画、ご存じの通り予算が300万円程度の作品です。
ポスターやタイトルなどにお金をまわす余裕はほとんど無かったでしょう。
現に、あのタイトルデザインは上田監督の奥様がされているそうです。(ちなみに衣装も担当)
うーーーーん。。。おそろしい才能ですよね。。
このタイトルも、キャストのスタイリングもほとんど完璧ではないでしょうか?
ではどのような工夫がなされているか。
まず、人物には極端に彩度調整を行い劇画タッチな雰囲気を出しています。
これだけを見ると「ハードなホラー映画」でも通用する雰囲気です。
ですが、一面バックに黄色がおいてあり、そして手書きフォント風のタイトルがあります。
この二つがかなり「幼さ、コミカルさ」を演出しているので、人物の劇画タッチとのアンバランスさが絶妙なんですね。
まわりに「いい感じにラフに」配置された血のりなんかもコミカルさを引き立てています。
つまり、背景とタイトルだけで「この映画はコメディです」と説明しているわけです。
うーーん。改めて素晴らしいタイトルデザインと言えますね。
映画の内容とのバランス
では実際の仕上がった映画との関係性はどうでしょうか?
まずキャチコピーの
「この映画は二度はじまる」
うん、もうこれしか言うことないよね笑
他にも「席をたつな」とか「衝撃の30分」とか書いてある広告もあるのですが、
「頼むから、途中でちょっと面白くなくても最後まで見て下さい!!」というメッセージを感じます。
そういう映画なのですから、コピーとしては正解でしょう。
後ろの方にいるゾンビを見ると「ああ、ゾンビが出るのね」と分かります。
ですが、ゾンビを前面に強調しすぎるとその手の映画を嫌う方は映画を観てくれません。
あくまでも控えめに配置しています。
一番目立つのは、カメラのレンズをこちらに向ける異常な顔をした男性です。
このインパクトがあるため、映画を観ている間中観客である僕たちは「カメラ」を意識しながら観ることになります。
そしてそれこそがこの映画の楽しみ方なのでやはりこの配置は大正解なんです。
あとこれを言うとセクハラくさくてイヤなのですが、「B級映画=露出の多い美女」というのは定番中の定番ですので、中央にヒロインを配置しているのも効果的なんですよね。
この辺は映画の仕上がりとあまり関係がないのですが。
というわけで、色々と言ってきましたが映画ポスターとしての完成度はかなり高いです。
この映画のヒットの要因の一つは、このビジュアルで映画を売り出したことも大きく関係していると思っています。
ちょっと奇跡的とも言える仕上がりなのではないでしょうか。
映画の感想
もう、映画を観ている間、なんと幸せな時間だったか。
個人的には2018年ベスト映画でした。
前評判があまりにも高かったため、ハードルが上げられすぎた結果あまり面白くないだろうなと思っていたのですが。。。
新人監督ビギナーズラックで80点の映画を出したので、みんなが凄い凄いと言っているんだろうと思っていたくらい。
実際、最初の一時間くらいはハッキリとつまらなかった。
「これはひどいな、これで高評価ならガッカリだ」と思っていました。
そこからだ。
自分の全ての感情をごっそりとさらわれてしまいました。
映画を観るときに、求めるものは何か。
どの映画を観るかによってそれは大きく違うはずですが、例えば「爽快感」「恐怖」「快感」「知的欲求」「人生を変える」「号泣」などなど色々あると思います。
それらの映画に求めるものが、この映画には凝縮されています。
コメディで描かれるほどにグッとくるし、観た人全員ではないとは思いますが個人的には涙をこらえることが出来ませんでした。
ああ、なんと愛にあふれた話なのかと。
そういう瞬間にこそ、「いま、俺は映画を観ているんだ!」という幸せを感じます。
さてこの映画、どこまでが狙い通りなのでしょうか。
あまりにも奇跡的な出来なので、ついついそんなことを考えてしまいます。
考えれば考えるほど絶妙。
監督、おそるべし。
すべての日本人に観てほしい一作。
完璧!
カメラを止めるな! [ 濱津隆之 ]
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ボヘミアン・ラプソディ Bohemian Rhapsody
監督 ブライアン・シンガー
脚本 アンソニー・マクカーテン(英語版)
製作 グレアム・キング ピーター・オーベルト ブライアン・メイ ロジャー・テイラー
出演者 ラミ・マレック
ポスターの点数…65点
映画の点数…87点
ビジュアルとしては最高点
映画のポスターについて。
日本版ポスターとアメリカ版のポスターで大きな改変はなく、どちらもとても良いポスターになっています。
映画を観て見ると分かりますが、ラストのライブエイドの映像も含めこのような夕方をイメージするようなライブシーンはありません。
では何故このビジュアルが素晴らしいかと言うと、このオレンジ〜紫のグラデーションがこの映画のストーリーと密接につながっているからなんです。
自分のセクシャリティに揺れ動いたフレディ。
「バンド」「家族」「孤独」の中を揺れ動いたフレディ。
「栄光」と「絶望」を揺れ動いたフレディ。
出生名「ファルーク・バルサラ」と「フレディ・マーキュリー」の間を揺れ動いたフレディ。
このように、劇中での心の動きをビジュアル一枚でうまく表現できていると言えます。
もちろん、このポスターを見た人が全て「なるほど、これはフレディの二面性を〜」なんて思いつくわけではありません。
ですが少なくとも「明るいだけ、暗いだけの映画ではなさそうだな」と感じるはずです。
アートディレクターの方がどこまで意図したのかは聞いて見ないことには分かりませんが、そういうプロセスを意識したのは間違いないと思います。
タイトルのフォント(文字)について
タイトルであるBohemian Rhapsodyの箇所に注目してみてください。
Bohemianの部分はゴシック体、Rhapsodyの部分は明朝体で書かれています。
(当然英語では明朝体とは言いませんが、便宜上そう書いてます)
これもまたこの映画における二面性を表現しているようです。
ゴシック体と明朝体の組み合わせ、あざとさに気付かれないように表現するのは結構難しいんですよ。
日本語版のポスターでもゴシック体と明朝体の組み合わせですね。
ただし、英語版よりも「ラプソディ」の文字がより女性的なフォントになっています。
普通の明朝体よりも、もうちょっとゴージャスな感じですね。
なんとなくですが「ベルサイユの薔薇」っぽいフォントです。
少し幼さが出てしまっているとも言えますが、このような改変は有りではないでしょうか。
キャッチコピーが残念
今までかなり褒めてきましたが・・・・・・
残念ながら見逃せない点があります。
日本版におけるキャッチコピーですね。
この映画、かなりロングラン公演になったので途中で色々とコピーが変えられてきたのですが、少なくともこのコピーはいただけない。
「伝説のバンド〈クイーン〉
彼らの音楽を唯一超える
〈彼〉の物語−。」
えーー・・・・・・。
このコピーを決めた人は、この映画を見たんでしょうか。。。??
そんな映画でした、これ?
フレディについて、クイーンについての知識があるとかないとかの話ではありません。
映画を見ればそのような内容ではないと分かると思うのですが。。。
この映画においてフレディは、
エゴ〈個人〉を全て捨て去りクイーン〈家族〉の元に帰っていく、そしてライブエイドにおいて人生の全てを取り戻す!
というストーリーです。
コピーにある「クイーンを超える」というのがまず意味不明です。
超えるとか下回るとかそういう対象としてクイーンは描かれていません。
では、「クイーンの音楽よりも感動する、彼の壮絶な実話」という意味でしょうか?
それも意味不明です。
この映画内ではクイーンの音楽をガンガンに流しまくり、そのメロディや歌詞を引用しながらストーリーを進めていきます。
クイーンという素晴らしい音楽ありきの映画であり人生物語です。
なんでこんなコピーがついちゃったのでしょうか・・・
そもそもですが、この映画を観た観客の中には「クイーンも聞いたことない、フレディとか誰か知らない」という人もたくさんいるわけです。
そういった方を映画館に呼び込むのに「伝説のバンド〈クイーン〉彼らの音楽を唯一超える〈彼〉の物語−。」というコピーが効果的とは思えないんですよね。
というわけで、コピーの分をまるごとマイナス点として65点としました。
アメリカ版ポスター2
ちなみに、アメリカ版ではこちらのビジュアルも多く使われているようです。
アメリカでどちらが多く使われていたなどは不明ですが、少なくともあまり日本では宣伝に使用しなかったのは正解ではないでしょうか。
このポスターだとあまりにもフレディの個人伝記のような雰囲気が強すぎます。
フレディに興味のない方を呼び込むには、ちょっと難しいデザインではないでしょ
うか。
ま、音楽性とかを全部抜きにすれば、フレディもヒゲのはえたオジサンですからね。
決してイケメンとして売れたわけではないフレディとクイーンですから、女性客をグッとこさせるのは厳しいでしょう。
個人的にはとても好きなデザインですけどね。
ここまで堂々としたポスターを作れるのはとても羨ましいです。
フレディマーキュリー ボヘミアンラプソディー クイーン フィギュア シンギング アーティスト アクション 人形 バンダイ
映画の感想
個人的な音楽の嗜好としては、中学くらいからパンクスやグランジにはまっていたこともありクイーンというバンドはほとんど聴いたことがありませんでした。
むしろそういった音楽側からすると真逆の音楽というか、生理的に相性の悪い音楽だと言えます。
なので、音楽が好きとかではなく映画として興味があったので鑑賞しました。
その結果から言うと・・・・・
クイーンにどハマりしちゃっています笑
とにかく音楽、音楽、音楽
この映画はかなり難産だったのは広く知られるところですが、監督や脚本や演者がコロコロ変更されていくうちになかなか歪な作品になったと思っているんですよ。
特に脚本に関してはうまくいっていない箇所が多いと思っていて、
「いくら史実とはいえ、このエピソードは映画に不要では?」といったシーンも多かったです。
では何が素晴らしいか。
そりゃあ音楽が素晴らしいんですよ!!
「今までクイーンをちゃんと聴いていなかっただけでは?」というわけではありません。
この映画の仕掛けとして「この音楽、このライブシーンでいかに観客を感動させるか」ということに注意を払って物語が作られているんです。
シーンごとに密接に音楽が絡み合っているんですね。
だから多少脚本がおかしかったりもすると思うんです。
それでもクイーンの音楽の力を信じて映画全体を構成した。
この潔さこそがこの映画の成功の秘訣だったのでしょう。
アナ雪と似ている現象
この仕組み、実はアナと雪の女王の作りと少し似ています。
アナ雪の方も、実は脚本(特に後半)はおかしな点が多々あります。
ですがあれだけのヒットを記録した。
それは間違い無く、レット・イット・ゴーという信じられないような名曲があったからです。
あの曲が誕生したあと、製作陣は楽曲に合わせて物語を変更したそうです。
それくらい音楽の力がすさまじかった。
映画のつくりとしておかしな点があること踏まえても、現にこちら観客は感動し涙を流したわけです。
その時点で製作陣の勝ちですね。
100億円超えに納得の一作
というわけで、この作品が2018年最大のヒットとなったことにはホッとしています。
そうでなかったら、もしかしたらヘリコプターの映画とか、少年探偵の映画とかが一位だったかも。。。
いや、みなまで言うまい。
というわけで、もしも劇場でまだ見てないかたはオススメです!
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ファーストマン First Man
監督 デイミアン・チャゼル
脚本 ジョシュ・シンガー
原作 ジェームズ・R・ハンセン(英語版)
『ファーストマン: ニール・アームストロングの人生(英語版)』
製作総指揮 スティーヴン・スピルバーグ
出演者 ライアン・ゴズリング
ポスターの点数…20点!
映画の点数…78点
最悪の改悪
まず映画のポスターについて。
最初に目にするのは自然と日本版のポスターだったので、それだけ見てみると
「お、なかなかカッコいいじゃん!」と思っていました。
ところがですね。映画を観終わったあとにポスターを再度観てみると
「なんか全然、ポスターの内容と違う」という印象。
ならばとアメリカ版ポスターを見てみると。。。。。。
「こっちは完璧なビジュアルじゃねーか!!!!誰だ日本バージョン作ったの!最低だ!!」と怒り心頭。
かなり腹のたつ部類の改悪だったと思います。
日本版とアメリカ版の意味が全く違ってくる
まず日本版のポスター。
これだけ見ると「宇宙を目指す青年の夢と希望の物語」じゃないですか。
そういう映画ならば、もちろんこれでいいわけです。
ですが、観た方ならわかる通り今作はそういった映画ではないんですよね。
むしろ「何かに取り憑かれた寡黙な男が、それでも手放せないものとは」みたいな映画なんですよ。
そうやって観て見ると、アメリカ版のポスターは実にうまくできていると思います。
日本バージョンでも十分寄りの画なのですが、それよりもグッとライアンに寄った構図。
これで「あくまでもアームストロング船長の一人称の話」というのが際立ちます。
まわりの赤い背景などは、ミッションの危険性を伝えるとともにアームストロングの心の葛藤を表現しています。
そして何を見つめるでもなく下を向いている瞳には、他者を寄せ付けない異常性が感じられます。
よく見ると「FIRST MAN」というロゴの中にさりげなく月があしらわれています。
月を目指した男の話であることは間違いないのですが、あくまで抑えめに表現しているんですね。
では日本版は
一方日本バージョンはどうでしょうか。
繰り返しますが、このビジュアル自体がダサいとかそういう話ではないんです。
むしろかなりカッコいい部類ですよね。
ララランドのポスターなどに比べたら1万倍いいです。
ですが、ファーストマンの日本ポスターでは「意味」が全く違ってくるんですよ。
わざわざ首の角度を変えてまで「宇宙に夢見る」感じを演出しているのが最大の改悪ですね。
さらに、ライティングが「上から光が降ってきている」ことで希望を感じるデザインになっています。
でもそういう映画じゃないから!
奥の方ではロケットが飛んでいます。
これはまぁ、お客さんに宇宙の映画だと説明するためなので仕方ないとは思いますが、やはり映画のコンセプトとは違うんですよね。
アームストロング船長の見た目戦でだけ映画が進行するところに意味があるので。
怒りっぱなしもあれなのですが、いいところもあると思っています。
例えば、コピーはいいですね。
「旅路を体験せよ」というのは映画のコンセプトに合っています。
まるで自分が飛び立つような演出が多い映画なので、内容とちゃんとリンクしています。
グッと抑えめの「ファーストマン」というフォントも好印象です。
気付きにくい点ですが、文字の端っこにエッジがたつようにしていることで硬質感が増しています。
せっかくの映画を台無しにしかねない
けっこう怒りの文章をぶちまけてしまいましたが、やっぱり僕はこのポスターの改変は良くないと思います。
「これを見てお客さんが一人でも増えればいいんじゃないの?」と思われるかもしれませんが(確かにそういう面もあります)、そう単純なことではありません。
例えばですけど、「うわ!このお菓子めっちゃ濃厚でおいしそう!」というパッケージがあるとします。
ところが、いざ食べて見ると「なんか薄味だしおいしくない」となったとしたら、その人はもうそのお菓子は買わないでしょう。
もしも最初から「甘さ控えめで上品そうなお菓子だな」というパッケージだったとしたらどうでしょうか。
味が気に入れば、またそのお菓子を買ってくれることでしょう。
「自分の感じた印象」と「実際の味」が近いということは、とても大事なことです。
それは今回の映画にしてもそうで、これだけポスターの意味合いが変わってしまうと
「なんか思ってたのと違うわ」とガッカリしてしまうんです。
今の時代、本当にいい作品はすぐにSNSを中心に拡散します。
本当に自信のある作品であるならば、ポスターで小細工などせずに正々堂々と自分の商品を売り出すべきではないでしょうか?
ファースト・マン 下 初めて月に降り立った男、ニール・アームストロングの人生 (河出文庫) [ ジェイムズ・R・ハンセン ]
映画の感想
ララランドやウィップラッシュなど、監督作は基本的に好きなので鑑賞しました。
あと、ライアン・ゴズリング作品は観なければならない義務があるので鑑賞。
ところが、この自分勝手な意気込みが失敗でした。
観ている間ずっと「監督もお若いし、アカデミーノミネート監督として次のステップを目指しているんですね~」などという余計な雑念が邪魔して作品に集中できませんでした。
このへんは先ほど言った通り、ポスターから伝わるビジュアルと実際の映画のテンションに大きな差があることも影響しています。
作品の手触りとしては、特にララランドとは対称性が強い作品。
ララランドにおける、自由なカメラワーク、極彩色なビジュアルは封印。
彩度のおさえ、極端に無駄を省いたカメラがぱっと見でこれまでと違うことが分かります。
もちろんただの実験的なチャレンジだけではなく、あくまで映画のストーリーに合わせた演出なのですが。
この映画において、見る視点の多くはアームストロング船長が実際に見ている視線のみが映るような演出がとても多いです。
シーンごとに使用するカメラが違うというのも、映画館だとより効果的に伝わってくる部分。
このへんは本当に「うまいなあ」と感心しました。
(とはいえ、やはりそのへんのカメラを変えているという感じも、観ているときに気付くと若干冷めてしまうんですが。。。)
観た方がいいかで言えば、絶対に観た方がいいと言い切れます。
おすすめです。
ただし、、、、最後にどうしても感じた違和感を。
僕は、ライアン・ゴズリングの大ファンです。
好きな俳優を挙げるなら、必ず上位3人にはいれると思います。
それでもどうしても。。。今作のニール・アームストロング役に彼は向いていなかったのではないでしょうか??
分かるんですよ、キャスティングされた理由も。そして、それに対してライアン・ゴズリング自身も100%で応えています。
序盤の泣きのシーンなんて本当に素晴らしかった。
それでもやっぱり、ライアン・ゴズリングはアームストロング船長に見えなかった。。。
このへんは見てもらわないと分からないんですけどね。。。
顔が似ているとかそういう話ではないのですが。。
役者が売れるってのも、違うジレンマが発生して大変だなあと思った次第です。
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グリーンブック GREEN BOOK
監督 ピーター・ファレリー
監督 ピーター・ファレリー
脚本 ニック・バレロンガブライアン・ヘインズ・クリーピーター・ファレリー
出演者 ヴィゴ・モーテンセン
マハーシャラ・アリ
リンダ・カーデリーニ
音楽 クリス・バワーズ
ポスターの点数…80点
映画の点数…95点
CD/グリーンブック オリジナル・サウンドトラック (解説歌詞対訳付)/オムニバス/WPCR-18181
タイトル通り【グリーン】が美しい映画
この映画においてデザイン的な美しさは、グリーンにあります。
まさにメインビジュアルにもなっている車の色、そしてロードムービーなので緑豊かな風景を画面いっぱいに楽しむことができます。
さりげなく引きのシーンを入れたり、マシンにグッと寄ってみせたりとなかなか撮影も工夫されていて素晴らしい。それが押し付けがましくいあたりがニクいですね。
パッと切り取ってもポスターにつかえそうな美しい映像の数々は、グラフィックデザイナーとしても大いに勉強になりました。
実際のポスターもそのへんをうまく表現できていて、『この映画観てみたいな』と素直に思える良くできたグラフィックだなと。
ところがですよ。
アメリカ版のポスターを見てください。
どうです?
ぱっと見は変わらないような気がしますが『なんとなく暗いな』と思いませんか?
『アカデミー⚪︎⚪︎〜』とか文字が入ってない分すっきりしているはずなのですが、なぜか暗い。
見たらすぐ分かるのですが、完全に違うのは『空』です。
もう一度日本版を見てください。
アメリカ版の暗めの緑色の空は、一枚のグラフィックデザインとしては色彩が統一されていてオシャレです。
そして、彼らが旅の途中で味わう苦しみも匂わせているようです。
これはこれで素晴らしい。
ですが、今回のポスターに関しては僕は日本版ポスターの方が良いのではないかと思ってるんです。
空を青空にしたことで、陽気な様子が際立っています。
確かにこの旅の途中、あまりにも辛いことがたくさん起きるわけです。
ですが、この映画を見終わって浮かび上がってくる風景は・・・・・
むしろこの青空の景色ではないでしょうか?
ポスターというのは、映画を観る前には広告として機能します。
そして、見終わったあとには思い出として機能します。
どちらが優先すべきかは考え方の問題ですので、正解はありません。
あくまでも個人的な気持ちとしては、今回の日本版ポスターを青空にした改変は僕は良かったと感じています!
アカデミー作品賞
ここからは映画の内容の話です。
見事、第91回アカデミー賞・作品賞など三部門を受賞した本作。
監督のピーター・ファレリーはこれまでコメディ映画を中心に活躍してきており、本作も確かにコメディであるのは間違いないのだが会場では涙をこらえきれない観客も続出なのだとか。
実際僕も終盤ではかなりグッときました。。
それと同時にスパイク・リー監督などが「この映画はアカデミー賞にふさわしくない!」と表明するなど、批判が散見されるあたりも話題をよんでいます。
ロードムービー、バディムービー
この映画の特徴であり、そして同時に大きな魅力であるのが「ロードムービー」であり「バディムービー」であるという点です。
近年だけでもネブラスカ、マッドマックスなどの傑作が思い出されますが、この二つの要素だけでとりあえず楽しいしストーリーが明確であるという点で非常に見やすい映画でした。
日本人である自分であっても途中で行程マップなどを効果的に出してくれるので「ああ、遠くに行ったのだな」と感覚的に分かる点も好印象。
このへんは作り手側が意図したのでしょうが「今、主人公が何をしているのかは明確にしておく」という工夫がされています。
近年のアカデミー作品賞の中では、見やすさという点ではかなり上位ではないでしょうか。
それは、この映画において他に見てもらいたいテーマの邪魔をしないための配慮と思われます。
主役の二人
具体的には主演と助演になるのですが、実質的にはW主演と言って遜色ないのでそう表記します。
まずこの二人が出た時点でこの映画は「勝った」と言えるでしょう。
マハーシャラ・アリなんかの演技レベルは言うまでもなく、2年前にもとったアカデミー助演男優賞を再び受賞。
近年の彼の演技はちょっと神がかっているレベルだと思います。素晴らしかった。
ただ個人的に驚いたのはヴィゴ・モーテンセン。
まさかアラゴルン(ロードオブザリング)がここまでの演技を見せつけるとは。
意外といっては失礼なのだが、ここまでのキャラクターを画面上に作り込めたことはキャスティングした側も含めてサプライズだったのではないでしょうか。
それくらい魅力的な人物に仕上がっています。
20kg太らせて映画に挑んだらしいのですが、彼のキャリアにおいて最も重大な役の一つになったことも考えると太っといて良かったなあと思います。
日本人俳優は、役づくりでここまで太ったりしませんが、たまにはこういう俳優がいてもいいのになと思ってしまいます。
別にこの役が必ずしも太っている必要はないのですが、トニーというキャラクターをいかに魅力的にみせるか考えた上での増量だったのでしょう。
素晴らしい!
差別
さて、ロードムービー、バディムービー、主役の二人とこれだけで映画としては「勝って」いるのだが、本作が評価されているのはそこだけでは当然ないわけです。
この映画、観ている間中、ずっと楽しい時間が続きます。
抑揚の効いたコメディ演出などではしっかり笑わせられるし、かけあいテンポも良くとても楽しい。
はずなのですが。
その画面のすぐ裏側にはべーーーーーーったりとした差別が常につきまとっています。
1962年、映画でいうならば、まだ「夜の大捜査線」が公開される5年前の話。
黒人であるシャーリーは、旅が南下するにつれより具体的な差別的な扱いを受けることになります。
それは言葉の差別、人権への差別、具体的な暴力へとエスカレートしていき、それがピークに達したときに主人公達は何を思いどのような振る舞いをするのか。
この映画の本質はそこにこそあります。
この映画を通して「誰が何を思うのか」が非常に大事であり、その意見の差がこの映画を賞賛する意見と批判するポイントに同時になっているようです。
賞賛と批判
この映画においてのイタリア系白人トニーは、あからんさまな差別主義者です。
黒人が単純に嫌い。
ただし、彼はその差別をあまり隠しません。
むき出しの差別と言ってもいいでしょう。
こう書くと「なんて非道な男なのだ」とも思えますが(実際非道な男でもある)、そう単純なことはないのが皮肉というか。
この映画内においての一番陰険な差別は、あまり目に見えないようコソコソと隠れているからです。
「黒人のピアノを聞きに行く」というステータスを欲しがる知識人。
直接本人にこそは言わないが、イタリア語でこそこそ差別的発言をしている人。
この「自分は差別している」ことをしらけた態度で認めない人たちこそが一番の難敵なのだと少なくともこの映画では言っているように感じます。
だからこそ、すべての観客に響くのではないでしょうか。
なぜなら、ほとんど全ての人間は、自分が誰かを差別したことがあるという心当たりがあるのだから。
一方でこの映画に対して批判的な態度の人は、結果的に白人が黒人を受け入れて救ってあげるという構図が不快なのでしょう。それは非常に分かる。
いわゆる「白人の救世主」ともとれる映画は今もまだまだ無数に公開されています。
それが日本に置き換えられたとき、ムカムカする気持ちは自分にもあるし、ましてやアカデミー賞をとられた日などにはアカデミー会場までプラカードを持って駆けつける所存です。
ところでアカデミー賞の会場ってどこなんでしょうね。
(今パッと調べたら、ハリウッドのドルビーシアターというところらしいです。)
結局グリーンブックはアカデミー賞にふさわしいのか
個人的にはこの映画が2019年にアカデミー賞を受賞したということには大きく意味があると思っており、そしてそれは実はあまりいいことでは無かったりします。
そもそも1962年の話を何故今やらなければならなかったのか。
アメリカだけをみてもメキシコ系、アジア系、そして黒人に対する差別は根強く残っており、トランプ大統領の不用意な発言によりそれが一部で加速している節もあります。
スペインだってカタルーニャとの分裂、日本だって在日の方に対する差別はなんら他人事ではない。
この映画を観たときの「チクチクした感情」の正体を一人一人が確認できたとき、ようやくこの映画が「古くて昔の映画」になれるのではないでしょうか。
【輸入盤】Green Book [ 映画『グリーンブック』 ]
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ブログについてご説明
はじめまして
日本の端っこの方でグラフィックデザイナーとして活動しています。
普段からデザインを通じて表現を生業にしています。
でもやっぱり、それだけじゃ表現しきれない思いのようなものもありまして。
それをブログにまとめていけたらなと思っております。
ブログの概要
世の中にはたくさん『デザイン』溢れています。
溢れすぎていて、ひとつひとつを整理整頓する時間も頭もありません。
ただそれが垂れ流しでこぼれていってしまうのももったいない。
そこで、このブログではそれらを自分の気になったものだけでも
ピックアップして記録していこうと思っています。
もちろん、単に雑記としても書いていくとは思いますが。
映画のビジュアル
多くとりあげていこうと考えているのは、映画のポスターです。
自分が映画が好きだからというのは当然の理由ですが、どうにも映画のポスターなど
平面ビジュアルとしての価値があまり重要視されていないようで悔しいなと普段から思っていまして。
特に日本ではアメリカ公開版と日本版ではメインビジュアルが大幅に変更されるとか珍しくないです。
もちろん、かっこいいポスターがそのまま売れるポスターであるとは限らないから難しいのですが。
なんにせよ、続けていくことが大事かなと思います。
せっかく読んでいただいた方にも、デザインの面白さが少しでも伝わると嬉しいなと思っております。
よろしくお願いいたします。