スプリット 《意図が改変された最低なポスター》
映画の点数…75点
ポスターの点数…2点(日本版)
シャマラン監督作
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《スプリット》です。
シックスセンスやサインで知られるM.シャマラン監督作。
具体的なネタバレはしませんが、本作は他のシャマラン作品とリンクしていたりと特殊な位置づけの作品です。
映画のストーリー
23(+1)人の人格を持つケヴィン(ジェームス・マカヴォイ)。
その主人格の一人が女子高生3人を誘拐してしまいます。
レイプや身代金目的というわけではなく、新たに生まれてくる人格“ビースト”への捧げ物として連れてきたとのこと。
女子高生3人は脱出を目指し、ケヴィンは人格の誕生を待つ。
映画のジャンルがいまいち掴みきれないあたりがシャマラン監督らしいとも言えます。
ホラーなのかサスペンスなのかヒューマンなのか。
映画の良かった点
特に前半は良かったですね。
サスペンス要素とホラー要素をうまく組み合わせてドキドキしっぱなしでした。
やはりジェームス・マカヴォイの演技が素晴らしいの一言で、さすがに24人分は無理でも(というかそもそも映画内に出てこない)7人くらいは見分けがつくくらいに演技だけで人格を表現できていました。
今の時代ちょっと人格のチェンジをCGで手伝ってあげたりも可能だとは思うのですが、ちゃんと正統に演技だけで表現しています。
ちゃんと「別の人に見えた」というだけでもすごいことだなと思います。
まぁあとこれを言っちゃあなんですが、女子高生側の主人公の女の子が可愛すぎてスタイル抜群で。
彼女を見ているだけで幸せというのは正直あります。
映画の不満点
前半は良かった映画なのですが、後半すべての謎や目的が判明したあとは「すごく普通」な映画になってしまいます。
自己のトラウマを克服したり、もう一人の人格が誕生したり、友人が死んじゃったり。
起こっていることは確かによくある映画のパターンなんですけど、僕がシャマランに求めていることとは違うというか。
シャマランに期待しているのは「ちょっとピントがズレた恐怖」であって、ストレートな映画運びをされちゃうとちょっと残念でしたね。
ポスターの感想
まず日本語版ポスター以外をいくつか紹介します。
一番シンプルなポスターがこちら。
もはや説明すら不要かも知れませんが、人格が分かれているということをガラスのヒビで表現していあます。
それと同時に、「今まさに人格が壊れようとしている(24人目の人格が解放されようとしている)」という予感も感じさせます。
もっと言えば、ガラスを割ってこちらに犯罪者が来るという恐怖感の表現でもありますね。
アイデアはシンプルながら、いくつかの意味合いを持たせることが可能ないいデザインです。
デザイン2
先ほどのポスターたはまた違ったデザインですが、意図は共通していますね。
下に様々な人格の影がシルエットとして確認できます。
さらに24人目の人格・ビーストが誕生しようとしているという予感もポスターから伝わってきますね。
先ほどのポスターもこのポスターも、書いてあるキャッチコピーは同じです。
「ケヴィンの中には23人の人格があって、24人目が解放されようとしている(意訳)」とあります。
ポスター内にはケヴィン以外はまったく存在していません。
このことからもこの映画は「ケヴィンという人間の多重人格」がメインテーマであることが分かります。
日本語版ポスター
では日本語版ポスターはどうなのか。
はい、非常に残念なポスターになってしまいました。
なんですかねこれは。。。
色々と突っ込みたいところが多くて心配になってきます。
まず許容範囲というか、色々な人格をガラスの中にうつしだしたのはアリなアイデアだと思います。
日本人すべての人が「スプリット=分かれる、分離する」ということをすぐに理解は出来ないでしょうし、だったらあらかじめ「多重人格の話ですよ」と提示してあげるのはいいですね。
ところがその割れたガラスの中に、誘拐された女子高生達まで出てきています。
そうなると急に話は変わります。
ガラスは「分離した人格」を表現しているわけで、そこに他人が混ざっちゃうと「ただのデザイン」に見えちゃうんですよね。
そもそもこんなにゴチャゴチャしてたら何が何だかどうせ分からないでしょう。
あと「2週連続No.1ヒット」って煽り文字。
真っ赤な上に黒のシャドーに極太フォント。
ダサい。
すげー芋っぽい。
元のポスターのスタイリッシュさをここまで台無しに出来るかね。
ひどいデザインだと思います。
キャッチコピー
なぜ女子高生達をポスターにのせたかというと、キャッチコピーを見ると理解出来ます。
「誘拐された女子高生3人vs誘拐した男23人格」というビックリするようなキャッチコピー。
え、そういう映画じゃなかったでしょ???????
このキャッチコピーをつけた人は映画を全く見ていない、もしくは「こっちの方が緊迫感あっていいよね」ということでしょうね。
まぁおそらく後者でしょう。
非常に腹立たしいなと思います。
この映画を見たら分かる通り、後半は特に「女子高生の脱出」という要素は無くなっていきます。
それよりももっと「自分との対峙」の話であって、誘拐犯も女子高生も「自分を解放する」というクライマックスがシンクロするような作りになっています。
おそらく「誘拐された女子高生3人vs誘拐した男23人格」というキャッチフレーズにつられて映画を鑑賞した人は「こんな映画と思わなかった」と感じたのではないでしょうか。
このような行為って、監督やスタッフに対する冒涜ですよね。
映画のテーマをねじ曲げて宣伝して、鑑賞した人の感想までねじ曲げて。
ここまでひどい改悪のキャッチコピーってそうないんじゃないですか?
「とりあえず勢いでつけた!」みたいなキャッチコピーの方が1000倍いいですよ。
この映画のキャッチコピーは、明らかに映画のテーマ自体の改変です。
まとめ
映画自体は最終的にちょっとこじんまりしたエンディングになります。
とはいえこの映画も続編があるわけで、評価はまた後日になるとも言えますが。
それより何より、映画ポスターの改悪があまりにもひどかった一作だと思います。
こんなの見せられると非常にガッカリしちゃいますね。
気分が悪いです。
それでは、また。
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アナと雪の女王2 《さすが。及第点は楽々と越えてきた》
M
映画の点数…82点
ポスターの点数…85点
※注意!!ネタバレあり!!
今作に関しては全編ネタバレがあります。
良かったら映画を実際に観てから読んでくださいね。
偉大な作品の続編
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《アナと雪の女王2》です。
社会現象となった前作の続編が発表されたとき「やっぱりか…やめとけばいいのに」という感情が先にやってきました。
同じく偉大な作品であるライオンキングやリトルマーメイドやトイストーリーでさえ二作目はアレな出来だったのを観てきたので、ディズニーは決して二作目を作るのが得意な会社ではないという印象だったのです。
ましてやアナ雪、一作目で完結した話でもあるしその後スピンオフまで制作されています。
(特に“家族の思い出”の方は色々と良くない点も目立ちました)
ハードルがあまりにも高すぎる棒高跳び。
実際にはどうなったのか。。
結論としては「前作には遠く及ばないが、及第点は軽くこえてきた」という感じでしょうか。
ハッキリ言っちゃえば「Let it go」という名曲が無いアナと雪の女王なんですよね。
曲の力に頼らずに映画を観ていくとなると、色々とマイナス点は見つかるけど、でもまぁやっぱり魅力的な映画だなって感じでしょうか。
映画の良かった点
まず前作でもすでにすさまじいレベルだったビジュアル表現がさらに加速していました。
具体的には幼少期のアナとエルサの表現。
実に感情豊かに動き回るアナと、親の顔色を慎重にうかがうエルサの表情の変化。
もう単純に「か、かわいすぎる!!」と思いますね。
等身が人間と違うにも関わらずもはや生きているとしか思えないレベルでしたね。
トイストーリー4の時にも同じ事を思ったんですけど、もはやエルサやアナが画面で動いているのを観ているだけでちょっと泣けるんですよねぇ。
その技術の向上もあったためか、キャラクター達の性格の表現もさらに愉快になっていましたね。
泣いたり怒ったり大騒ぎのアナが、実はエルサの事を強く思っているという表情だけの演技。
しっかりしてそうに見えるのに、意外とポンコツでいっぱいいっぱいなエルサのコミカルさ。
クリストフに関しては何があったんだというくらいアホなキャラクターになっていましたが笑
特にクリストフの歌唱シーンではお腹を抱えて爆笑してしまいました。
会場の他の観客はあまり笑ってなかったんですけどねぇ。なんでだろ。
90’sのPV風な映像で歌い上げる展開はあきらかに今作の映画とのバランスが崩れており、多分後年では「あれはいらなかったよね」という評価に落ち着きそうな気がしますが僕は大好きなシーンでしたよ。
練られたストーリー
前作「アナと雪の女王」の時にも思ったのですが、かなり脚本、というよりは[正しいお話かどうか]ということに気を配ってある印象です。
物語上、差別や共生などをテーマとしているし、3つ連続させて同じ展開をツイストさせるような演出をたくさん用意していたりとかなり丁寧に作っているというか。
ですがそこに「Let it go」のような10年に一度の名曲が生まれたりした結果映画のバランスがどうにも悪くなってしまったと思っていて。
今作も同じようなことは目立つなと思いました。
「オラフが消滅する→復活する」というのは前作と明らかに重ねてあるし、復活する理由も前作とは違う理由にしてあります。
映画的にはオラフを消滅させた方が盛り上がるとは思うのですが、そうはさせないというか。
「水には記憶がある」という設定をちゃんと前振りとして用意してありました。
考えれば考えるほど、なるほどしっかり作り込まれたストーリーだなと感心します。
ただその分、ちょっと頭でっかちな点も前作同様目立つとは思っています。
公開前にあった懸念
前作「アナと雪の女王」は、エルサを【少数の者】としてのメタファーとして観ることが出来ました。
見た目がアルビノっぽかったりするのが顕著ですが、レズビアンであるとか外国人であるとか障害者などにエルサを見られたわけです。
アナと雪の女王が傑作たり得たのは、今までのディズニー映画のヴィランのように【少数の者は排除する】というエンディングでなく、さらには【障がいを癒やす】というエンディングでもなく、【少数の者との共生を目指す】という終わりにしたことにありました。
エルサは魔法の力を無くすことなく、モンスターとして城を出て行き、そのモンスターのままの能力で城に帰ってきたわけです。
さらには「エルサが呼び起こした冬が終わり、夏がやってきたらオラフは死ぬ」という暗示すらも否定し「少数の者との共生において、何の犠牲もあってはならない」ということからオラフも助かることになりました。
障がい者やLGBTの方などは生まれつきの素質を持って生まれてきた方々が多くいます。
言うまでもなく、エルサのように魔女の力を持って生まれてきた少女同様、それを理由として差別されることなどあっていいはずがありません。
ですが、今作「アナと雪の女王2」のキャッチコピーにはヒヤリとする言葉がありました。
「なぜ、エルサに力があたえられたのか」。
つまり「何か理由があっての魔女になった=理由があって障がいを持って生まれた」とも言えてしまう言葉だったわけです。
もしもここで大した考えのない理由づけでエルサの誕生を提示したとしたら、世界中から反発があったと思います。
実際にそこはどう描かれていたのでしょうか。
エルサの役割
まずエルサは「人間の男」と「妖精と暮らす民達の娘」との結婚によって生まれた子であるということが判明します。
これは「外国人との結婚」であったり「全く異なる信仰の方との結婚」と言えます。
結果としてエルサは魔法の力を持って生まれてきており、アナは人間として(自国の人間として)、エルサは妖精側として(外国人として)の素質を大きく持つことになりました。
エンディングでは【橋にはたもとが二つある。アナとエルサが架け橋になるのだ】という決着をつけました。
なるほど。
エルサの役割を【架け橋として生まれた】とすることで「少数派のあなたは、人と人とをつなぐ架け橋になる可能性があるんですよ」というメッセージとした、と解釈もできます。
「アナと雪の女王2」では前作アレンデール王国だけでなく、世界がもっと広がったという終わり方をしています。
そういう意味ではハッピーエンドと言えそうです。
エルサの扱いに対する不満
エルサになぜ力が与えられたのか、については理解できました。
アレンデールと妖精の民達との架け橋になるためです。
しかし、僕はやはり納得はいきません。
それは「なんでエルサがそんなことをしないといけないのか」という理屈としては通らないからです。
ただでさえ今まで「普通の人生」を送れなかったエルサは、映画序盤で「“今”が永遠に続きますように」と懸命に祈っています
永遠なんてないというのは当然ですが、今作のエンディングは人並みの幸せを願い続けた彼女の決着としてはやはりハッピーエンドとは言えないのではないでしょうか。
イジワルな見方をすると、「やはり魔女は魔女として暮らして、自分達のフィールドには合わないよね」という終わりにも見えてしまいます(実際には違っていたとしてもそう誤解をする人は一定数いると思います)。
もっと分かりやすい言葉を使えば、エルサが可哀想だと思ってしまって。
映画のオープニングで家族4人と幸せに暮らしていた様子を見たのもあり、ますます「エルサはもう二度と、いわゆる普通の暮らしは出来ないのだな」と実感してしまいました。
その他の不満点
前作と同じではいけないというのは分かるのですが、ちょっと過剰なアレンジが目立ちました。
前作では【魔法の力】が目に見えるのはエルサが使う能力とトロール達の存在の二点に集中していました。
ですが今作では妖精の能力の他にもサラマンダーや巨人なんかが登場します。
特にサラマンダーや巨人は物語上で絶対に出さないといけないキャラクターでもなく、映画としての幅をもたせるためだけに生まれたような存在です。
彼らには、オラフが担っているただのマスコットキャラクター以上の役割というものは特に発見できませんでした。
このへんはスターウォーズ Ep.8での新キャラの扱いにも近いものがありますね。
役割がないのなら新キャラなんて出すべきではないと思いますよ。
ポスターの感想
僕は以前のブログで「アナ雪の女王2」をポスターから想像するとこうなる、と書きました。
「このポスターから感じるのは、エルサは前向きな姿勢で未来を見ている。
アナは対照的に後ろめたく何か悩んでいるような雰囲気です。
ですが、別のポスターでは意味合いがかなり変わってきます。
アナとエルサが全く同じポージングで同じ方向を向いて歩いています。
二人の意志は一致しており、団結して前に向かっていくような印象です。
これはどういうことでしょうか?」
と書いています。
結果から言うと、どっちも正解でどっちも不正解でしたね。
自分の危険も考えずグイグイ進んでいってしまうエルサをアナは度々不安に感じていました。
エルサの方は(意外と前作から反省しておらず)、真実を確かめるために一人で暴走モードに入ります。
アナはエルサを見ているのですが、エルサはアナを見ていないんですよね。
この意識の差はポスターに現れているようです。
かといって二人で同じポージングで歩くポスターもおかしいというわけではなくて、こっちはこっちで意味が合っています。
スピンオフあたりからそんな感じだったのですがやたらとアナとエルサがラブとラブな雰囲気でしたよね。
今作もそんな感じで「二人でやってろよ!」みたいにイチャイチャするシーンがたくさんありあます。
エルサの方が暴走気味とはいえ、基本的には二人とも共通の目的のために行動しています。
なのでこのポスターもアリですよね。
まとめ
色々文句のようなことも書いていますが、アナと雪の女王の魅力ってそういうところだと思いますよ。
前作も「歌は良いけど脚本はさぁ」なんて散々言われた作品でしたから。
こうやってああだこうだ言い合っているうちは「映画を目一杯楽しんでいる」ということですからね。
そういった意味でもやはり今作も素晴らしい一作だったと思いますよ。
ただまぁしばらくスピンオフは控えた方がいいかな。
それでは、また。
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[リミット]《理想的な低予算映画》
映画の点数…60点
ポスターの点数…90点
ザ・低予算映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は[リミット]です。
今ではデッドプールとして「絶対に死なない男」として活躍するライアン・レイノルズ主演映画。
何故スペインで作られたか分かりませんが一応スペイン映画です。
制作費も日本円で3億円程度のザ・低予算映画ですね。
それもそのはず、90分ほどの映画のうち、本当に90分丸ごと棺桶らしきものに閉じ込められた主人公しか写らない映画です。
その他に写るのは携帯画面の先にいる浮気相手の女性と、棺桶に入ってきたヘビくらいですね。
むしろどうやって3億円かかったんだろうというくらい。
ヘビのギャラが5000万円くらいかかるのかも知れません。
サラッと楽しむくらいの感じで観たい映画を探しての鑑賞だったので、それはもう見事にサラッと楽しむくらいにはサラッと楽しめましたよ。
映画のストーリー
ある日、イラクでトラックの運転手をしているアメリカ人の主人公が、土の中に埋められた棺桶の中で目覚めます。
なんのこっちゃ分からない主人公ですが、徐々に自分がテロリストに誘拐されて埋められているということが分かってきます。
はたして携帯電話だけを頼りに主人公は助かることが出来るのでしょうか。
というお話です。
まぁ言ってしまえば出オチ映画というか。
90分の一人芝居の映画を作ろうよ、という企画から走り出した映画なのでしょう。
政治的なメッセージとかも特にないですし、映画ライターさんの中には「上質な反戦映画だ!」なんて言う人もいたみたいですけど、個人的には「うーん、やっぱり基本的にはシチュエーションコメディとかに近いんじゃないの?」という感じです。
あまり深く考えずに楽しむくらいがちょうどいい姿勢だと思いますよ。
映画の良かった点
シンプルに「よくこれだけのアイデアで一本の映画を作れたな」というところが美点でしょう。
度胸もあるし、アイデアに見合った演出も工夫されていると思います。
シチュエーションが一切変化しないなかでも「絶望していく主人公」とか「切迫していく状態」などうまく描けていたと思います。
画面は一緒でも映像を補填しながら楽しむことは十分に出来ました。
それとこの手の映画にしては「主人公がアホな行動をとる」というシーンが少なかったのは良かったです。
電話をかけたりキレたりする順番も「まぁそうなるよね」という行動で動いてくれるのでストレスは少なかったです。
映画の不満点
申し訳ないけど長過ぎです。
よく90分もたせたな!と褒めたいところですが、残念ながらもっていません。
途中でハッキリと停滞してくるし、そのピークがヘビが出るシーンですね。
あれは明らかに「ちょっと絵的にも地味だし、ここらへんで動物パニック要素をいれようか」という狙いありきでしょう。
何分から映画と呼んでいいかは分かりませんが、せめて1時間ですっきり終わらせた方がきっと面白かったのでは?
「1時間以内に救助されなければ死亡」みたいな要素があった方が楽しかった可能性もあると思いますよ。
ポスターの感想
低予算映画のポスターとしてはかなりいいポスターではないでしょうか。
情報を限りなく制限して主人公が埋まっていることのみを伝えています。
閉所恐怖症の人はこれだけでも怖いですね。
100億円かけた映画でこのポスターはありえないと思いますが、ひとつのジャンル映画としてならこのポスターはかなり理想的といっていいでしょう。
高さを活かしたレイアウトに控えめながら土の質感なんかが追加されていて芸も工夫されていますね。
あえて不満を言うならば、縦の圧迫感はあるものの横からの圧迫感をあまり感じません。
ライアンには悪いですが、もう少し縮小して横からの圧迫感も高めるべきでしょう。
まとめ
毎日毎日記憶に残るような大作ばかり観ていたら頭がおかしくなりますからね。
たまにはこういう映画でブレイクするのも悪くないなと思います。
期待しすぎず、サラッと観てみてください。
ポスターもまた控えめではあるのですがそれなりに気がきいているので出来はいいと思いますよ。
それでは、また。
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アフタースクール《ちゃんとダマされますよ》
映画の点数…89点
ポスターの点数…60点
どんでん返し映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《アフタースクール》です。
もう10年以上前の映画になるというのがゾッとしますが、当時なかなか衝撃だったのを思い出し見直してみました。
当時はキサラギなどを筆頭に「後半のどんでん返し!」みたいな邦画が流行っていた印象があります。
内田監督は後に堺雅人さんと共に鍵泥棒のメソッドを作りますが、これもどんでん返しものの一つでした。
伏線回収どんでん返しものの映画が溢れかえったなか、今観るとそんなに面白くないかもと不安だっったのですが、これがなかなか面白かったです。
二回目なのでオチなどは当然覚えていたにも関わらず、そこまで無茶を感じない伏線回収ものだったなと。
多くの映画が「伏線のための伏線」とか「よく考えると回収なんて出来ていない伏線」とかに陥った中でスマートに出来ている作品なんじゃないかなーと思います。
堺雅人映画
身も蓋もないことを今から言います。
僕は日本人俳優の中で堺雅人さんが一番好きなのですが。
今作の堺雅人さんはいいですね!
正直堺雅人さんだけで20点アップくらいしている気が。。
とはいっても主演は大泉洋さんの方だし、堺雅人さんは前半なんてほとんど出てこず出番も少ないです。
出ているシーンは少ないわりに、堺雅人さん独特の「何考えているのか全然分からない」表情がこの映画に非常に効果的だったなと。
堺雅人さん以外が演じていたら映画のニュアンスすら変わってきたんじゃないかなというくらい。
というわけで、僕がこの映画を好きな理由は堺雅人さんが出ているから、です笑
ポスターの感想
配色がうまく、一度観ると記憶出来てしまううまいレイアウトだと思います。
見ての通りピンクの使い方が印象的で、この配色だけでコメディ要素のある映画だということはすぐに理解できますね。
ポスター内のメインの三人は全く笑っていないので、もしこのピンクが黒やグレーであったら映画の印象すら変わっていたかも知れません。
さらに、パズルを敷き詰めた背景から「はいはい、ミステリー要素があるのね」というのもすぐに理解できます。
ポスターの配色とパズルの要素だけで「楽しい謎解き映画」ということが理解できます。
役者陣の向き
また、役者3人のポージングや表情にも注目です。
全員が正面を向いておらず、どこか違うところを見ていたり背中を向けたりしています。
これによって「彼らはウソをついているor本当のことを言っていない」という予感を感じさせます。
劇中の前半1時間ほどは大泉洋さんは一見ずーっと振り回されているように装っていますが、実際には彼もまたウソをついていることが分かります。
映画を見終わってからポスターを見てみるとまた違った印象になるわけです。
ポスターの不満点
よく出来ている面もあるのですが、不満点もいくつかあります。
まず、ちょっとゴチャゴチしすぎです。
パズルが散らばっていることでただでさえ騒がしいのに、常盤貴子さんや田畑智子さんらをポスターにのせるのは余計だったのではないでしょうか。
もちろん二人は映画の重要なピースなのですが、いずれにしても常盤貴子さんを二つのピースに分ける必要性は感じません。
田畑智子さんの表情もなんだか微妙だし。
せっかくポスターにのせるなら、ちゃんと専用に撮影するべきでしょう。
(細かいことを言えば、佐々木蔵之介さんの衣装も非常に目がチラチラするのです。だからこそ余計に情報は整理すべきと思います。)
あと、佐々木蔵之介さんや大泉洋さんの頭部に文字が少しだけ乗っかっています。
細かいようですがこれはいけません。
頭部は人間の最も目立つ場所ですので、ここに文字が少しかぶっているだけでも人物の印象がボケちゃうんですよね。
わずかな差とはいえ、少し人物を下げるだけでもけっこうスッキリして見えると思います。
キャッチコピー
一番の不満点は、キャッチコピーにあります。
うーん。
「甘くみてるとダマされちゃいますよ」。
ちょっといくらなんでもというか。
それを言っちゃう??っていうことじゃないですか。
たまに映画のコピーで見かける「あなたは必ず騙される」みたいな言葉。
これを言われちゃうと、映画を楽しめなくなると思いません??
前半から中盤にいたるまでは「どうせこの後話が転換するんだよな」と思いながら見ることになります。
映画に集中するというよりは、構えながら見ることになるんですよね。
それって「映画は作り物ですよー」と常に意識してしまうことと同じなので、逆に映画の人物達への共感度が下がるんですよ。
「騙されないように気をつけていたのに騙された!!」というよりも「気付かないうちにすっかり騙されていた!」という方がよっぽど心地よいと思うんですけどね。
作り手側から「今から騙しますよ」なんて言葉は言うべきでないと思います。
まとめ
わざわざ「ダマされちゃいますよ」なんて言われなくても作りがしっかりしているのでちゃんとダマされると思います。
それだけでも満足度は十分な作品でした。
あとは繰り返しになりますが、このときの堺雅人は本当に色気があって素晴らしい!
そこだけでいいので見て下さい。。
それでは、また。
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ルビー・スパークス 《個性の強いポスター群》
映画の点数…82点
ポスターの点数…85点
ザ・変な映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《ルビー・スパークス》です。
《リトルミスサンシャイン》《バトル・オブ・ザ・セクシーズ》のジョナサン・ヴァレリー夫妻の映画。
個人的にリトルミスサンシャインが大好きでして、どうやらこの監督さんとの相性が良いみたいです。
いずれの作品も「思ってた映画と違う!」という違和感が必ずある監督ですね。
いつもだったら「内容を正しく伝えきれていないポスターの出来が悪いんだ!」と言うところなんですが、この監督の場合は【映画を観ているうちに、だんだん様子がおかしくなる】というタイプの映画なのでポスターが悪いというわけではないのです。
一言で言っちゃえばいつも「変な映画だったな!」の感想になっちゃうんですけど、その変さを楽しめたらなかなかハッピーな映画体験が味わえます。
映画のストーリー
若くして大ヒット小説を出した主人公カルヴィン。
しかし彼はその後スランプに陥り二作目を書き出すことが出来ずにいた。
友達も恋人もいない彼は、理想の恋人を空想しながら小説を書き始める。
するとある日、目の前に自分の書いた小説の女の子が現れる………
ここまでだったらよくある小説・映画のストーリーです。
主人公にしか見えない幻というパターンですね。
ですがこの映画はここから狂っていきます。
女の子が実体化したことで自分がとうとう狂ってしまったと嘆くカルヴィン。
しかし街の人や兄に確認すると、どうやら本当に実体を召喚してしまったということが判明。
自分の思い描いた理想の恋人との甘い生活を楽しむカルヴィンだが、すべてが思い通りにはすすんでいかず……
みたいな話です。
画面全体はかなりオシャレ映画であるにも関わらず、起こっている事態は「世にも奇妙な物語」というお話。
相変わらず「俺は一体何を観ているんだろう」という気持ちのまま振り回された100分でした。
映画の良かった点
ストーリー自体は、極端に斬新というわけではありません。
理想の恋人を召喚する→理想と現実が乖離していく、というパターンのお話は他にもあります。
ただしこの映画の場合は「相手を巨乳にする(しようと考える)」とか「自分から離れられない」とか性的な欲望にまで踏み込んでコントロール出来る設定で。
そうなると観ている側はホラーにも思えてくるんですよね。
《リトルミスサンシャイン》の時もそうでしたが、この監督の作品は「笑えるシーンなんだけど怖い」とか「幸せなシーンなのに、絶望を感じる」とか感情が多面的にグラつく感覚があって。
話のオチ自体はある程度予想がつくような映画なのですが、感情がいつまでも不安定なままなのでずっと緊張感を楽しむことの出来る映画ですね。
なにはともあれ「変な映画」ですよ。
たまにはそういう変な映画を楽しむのもいいじゃないですか。
ポスターの感想
変わった作りの映画だけあって、ポスターも様々なパターンが見受けられます。
まず日本語版ポスター。
ぱっと見の印象はズバリ「オシャレな恋愛映画」というポスターですね。
背景には女子受けを狙ったかのようなピンクとライトなグリーン。
見つめ合う二人からはのぼせるようなイチャイチャ加減を感じます。
ただこのポスターからは「小説を書いていたらその人物が具現化した」というようなニュアンスはあまり感じません。
コピーを読んでようやく分かる程度でしょう。
日本の広告としては「オシャレ恋愛映画」として売りたがったのが分かります。
アメリカ版
こちらは恋愛映画というニュアンスよりも「小説から女の子が飛び出した」という面の方をビジュアル化しています。
映画のワンシーンを切り取ったデザインではあるのですが、主人公やヒロインの顔すらも分かりません。
スター俳優ではないからというのもあるかも知れませんが、なかなか斬新なスタイルです。
ですがこのポスター自体も元ネタを感じる部分があって、監督の前作である《リトルミスサンシャイン》と構図が似ているんですよね。
しかもキャストまで一緒。
前作を観ているファンへのサービスだったのかも知れません。
このポスターが映画の内容を示す意味でもデザイン的にも一番バランスが良いように感じます。
イタリア・フランス版
こちらはイタリアやフランス版
アメリカ版よりもやはり「恋愛映画より」なデザインになっていますね。
ただやはり色使いやデザインがいわゆる「ヨーロッパ的」な印象を感じます。
どのデザインがいいかは各国の広告会社が判断することですが、国毎の特徴が出ていて面白いですね。
まとめ
映画は「ザ・変な映画」だった分、ポスターがそれぞれ面白い作りになっていました。
映画のどの部分をフォーカスするかは広告屋の仕事なのですが、観る側を極端に制限するようなポスターにはしてほしくないなとは思います。
それでいて楽しいデザインのポスターが生まれてくれたらそれがベストですね。
それでは、また。
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シャイニング 《映画もポスターもクラシック》
映画の点数…85点
ポスターの点数…90点
クラシック・ホラー
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《シャイニング》です。
いよいよ40年ぶりの続編映画《ドクタースリープ》の公開が今月に迫っています。
まぁさすがに40年ぶりとなると「よっ!待ってました!」というよりは「どれどれ、あの映画をどう料理するのか」みたいな関心になってしまいますが。
なにせキューブリックが手がけた一作目の強烈なインパクトをそのままトレースするのは不可能なので、何かしら別のアプローチは必要だとは思いますが。
そのくらい一作目は映画として完璧なバランスだったと思いますし、その結果として原作者のスティーブン・キングはアレンジのしすぎで映画版シャイニングが大嫌いだったというエピソードもあるくらいです。
続編の公開に合わせ久しぶりにシャイニングを見直してみたのですが、さすがキューブリックというべきかほとんどのシーンを丸ごと記憶していました。
すべてのシーンに規律や美しさがあり、40年たった今でも全く古くなっていないのが分かります。
この映画は語り継がれるクラシックでもあり、現代でも通じる完全にフレッシュな作品だと言えそうです。
映画の不満点
まずはこの映画の不満点から書いていこうと思います。
後述するのですが、この映画の不満点と良い点は裏表になっているとも言えます。
なので今から書くことも人にとっては評価ポイントだったりマイナスポイントだったりするんだと思います。
まずこの映画、ジャンルはホラーです。
ホラー映画なのですから、映画の第一条件は「怖いかどうか」だと僕は考えます。
そう考えるとこの映画、僕は怖いとは全く思わないんですね。
もちろんジャック・ニコルソンの迫真の演技自体は「すげー」とは思うのですが、目を背けたくなるような恐怖はありません。
僕にとって映画の“怖い”とはリングや呪怨といったジャパニーズホラーが最高であって、洋画におけるホラーもイットフォローズとかは怖いんですけどジャパニーズホラーほどではないと。
シャイニングのような「人に取り憑いて豹変させる」みたいなやり方がそもそもあまり怖くないんでしょうね。
ここらへんは映画の趣味や性質が大きく関係してるのでシャイニングが悪い映画であるということとは全く違うのですが、とにかく僕は怖くなかったよということです。
映画の良かった点
先ほどの話の裏返しになるのですが、とにかくグラフィカルで画面が美しい映画だというのが分かります。
かなり作り込まれた映像だからこそ僕は恐怖を感じなかったのですが、確かにこの映画のように均整のとれた世界が崩壊していくという恐怖があるというのは分かります。
画面全体がおとぎ話のようで、何が真実か分からなくなりグラグラしていく様子は映画としてのスリリグでした。
観た人に強烈な印象を残すパワフルな映画なのは間違いないです。
役者を徹底的に追い込み演技を引き出すキューブリックの演出も加わり、役者にとっても監督にとっても映画界にとってもかけがえのない一本だったのだとおもいます。
ポスターの感想
映画ポスターもまた映画界、そしてデザイン業界にも影響を与えたポスターです。
まずはこれ。
このポスターを知らない人は映画好きには一人もいないでしょう。
確か「カメラを止めるな」でも娘役の彼女がTシャツとして着ていましたね。
もしかしたらジャック・ニコルソンという俳優よりも知名度のあるビジュアルかも知れません。
けっこうこのポスター自体がこの映画の本質でもあると思うんですよね。
というのも、このビジュアル、怖いですか笑?
多くの方が不気味だしギョッとはするが、恐怖を感じるようなビジュアルではないと思うんです。
なんならちょっと笑えちゃうんですよね。
奥さんの表情もあまりにも過剰な恐怖表現で、それが笑えちゃうという。
行きすぎた恐怖表現ってちょっとコメディにもなるんだよなと思います。
リングの貞子しかり、エクソシストの階段降りしかり。
グラフィックデザイン的な観点から言うと、白の使い方がとてもうまいですね。
ポスターのかなりの部分を白地にしておりそこにタイトルなどの情報があるのですが、本来は全面に写真がきてもいいはずなんです。
そうではなく白地をたっぷりととってあるところにグラフィカルな映画表現だった映画の質に近い部分を感じます。
このあたりのデザインは2001年宇宙の旅や時計仕掛けのオレンジでも共通するものがありますよ。
新作のポスター
続編であるドクタースリープのポスターはどうなっているのでしょうか。
こちらは英語版から一つ。
三輪車、奥から迫っている真っ赤な恐怖(超大量の血液)、そして左右対称な背景。
映画を観たことがある人ならすぐにピンとくるデザインですね。
ただし特に前作とポスターのテンションを合わせるつもりなどはなさそうです。
むしろその他の要素は特に似てもいなくて、かなり巨大なタイトル、色彩や重力のバランスがおそらく意図的にマッチしていない主人公。
この「なんだか気持ち悪い」と感じるところまで含めてのポスターワークなのでしょう。
日本語版ポスター
こっちは日本語版ポスター。
これはこれで「はいはい、シャイニングね」と分かるデザインです。
とはいえこちらもやはりそこまで前作に寄せすぎるようなことはしていません。
多少雑に切り取られた背景に主人公の顔がのっているだけです。
ポスターワークが前作よりもいいとは一切言えませんが、余計な情報は排除して「あのシャイニングの続編だよ、見てね」という姿勢はなかなか潔い判断ではないかとも思います。
まとめ
先にこんなことを言うのはあれですが、キューブリックのシャイニングを超えるなんてことはあり得ないと思うんですよ。
というのも、あれは唯一無二の映画監督の唯一無二の作品だから。
そことの勝負は初めからしないで、オリジナルの次回作を楽しませてくれたらと思いますよ。
それでは、また。
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アナと雪の女王 《つまるところ、歌》
映画の点数…95点
ポスターの点数…40点(日本語版)
結局は歌
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《アナと雪の女王》です。
今月にはシリーズ2作目の公開が迫っております。
1作目は記録的ヒット、そしてヒット以上に社会現象となり今では「映画界におけるクラシック」と言ってもいいくらいの作品でしょう。
最初に結論を言ってしまえば「作品のクオリティが完璧とは言わないが、そんなことよりも楽曲のレベルが突き抜けすぎている」という映画だと思います。
「脚本がダメだから傑作とは言えない!!」と主張される方の意見も否定しませんが、僕自身は「ミュージカル映画なのだから、歌が良いのであればその他のことはあまり気にしない」という感じです。
何よりも映画公開時、イディナ・メンゼルのLet it goがの歌唱シーンであまりの楽曲の圧力に後ろのシートに押さえつけられるような気さえしたんですよね。
あの衝撃が忘れられないし、どんなに映画の文句が出ようとも「でも俺、あの時信じられないくらい感動したもんな」という記憶があるので。
やっぱりこの映画は大好きな一本ですね。
楽曲という部分を除けば一番好きなディズニー映画はラプンツェルです。
映画の概要
もはや誰しもが知っている話でしょうから映画のストーリーラインなどは省略します。
この映画が記録的ヒットになっていったのは、とにかく楽曲の異常なレベルにあったと思います。
Let it beが出来上がったあと、あまりの楽曲の凄さに映画の脚本やエルサのキャラクター自体が変わったというのは有名な話ですね。
しかもLet it beを除いたとしても3曲〜5曲はかなりのレベルの曲が連発して出てくるという奇跡みたいな作品です。
となると、映画自体が楽曲に合わせてバランスを変化させたというのはある意味仕方ないし、結果的には成功だったのだとは思います。
主にエルサやハンスのキャラクターが変化したことで脚本に多少無理がきたのかなと。
なので後半に行くにつれ映画自体の印象がけっこうボケだすのですが、それにしてはなんとかまとめあげていると僕は思ってます。
ポスターの感想
記録的ヒットとなった本作ですが、映画公開時は特に騒がれていたわけではないと記憶しています。
公開から一週間、二週間たつごとに話題が話題を呼んだ理想的なヒットになった気がします。
このあたりの現象は「君の名は」のヒットの仕方に近いですね。
どちらも楽曲に恵まれ、徐々に観客数を伸ばした映画です。
ところでこの映画のポスターはどうだったか。
うーん。
改めてみても「なんだかよく分からない」ポスターですね。
ここまで有名な作品なので皆さんは誰が誰なのかご存じでしょうが、もし仮に「はじめてこのポスターを観た場合」で考えてみてください。
あんまり面白くなさそうじゃないですか笑?
タイトルに「雪の女王」とあるので、おそらく画面上部にいるのが雪の女王なのでしょう。
そして中央下部にいる人物と姉妹なのでしょう。キャッチコピーに姉とありますので。
あとはディズニーらしい雪だるまの生き物と、木こりみたいな男性がいます。
背景にはそれぞれの城があります。
お終いです。
これじゃちょっと、興味が沸かないと思うんですよ。
キャッチコピーの「凍った世界を救うのは真実の愛」とありますが、これじゃいまいち何のことか分かりません。
せめて「エルサが世界を凍らせた」という情報は伝えるべきでしょう。
ポスターを観る時点では、エルサをヒロインともヴィランとも思えるような作りにしていた方が映画への興味も高まると思われます。
あとクリストフには申し訳ないけどポスターからは消えてもらった方がいいでしょう。
あくまでも「アナとエルサが向き合う」という構図にした方がストーリーに入り込みやすいです。
中途半端な画面の分割でなく、二人が対立するようなポスターでも良かったと思います。
2作目のポスター
では2作目のポスターはどうでしょうか。
こちら英語版。
エルサとアナが背中合わせで森の中にいるようです。
どうやら雪は解けており、地面には落ち葉が目立ちますね。
このポスターから感じるのは、エルサは前向きな姿勢で未来を見ている。
アナは対照的に後ろめたく何か悩んでいるような雰囲気です。
日本語版ポスター
ですが、日本語版ポスターでは意味合いがかなり変わってきます。
アナとエルサが全く同じポージングで同じ方向を向いて歩いています。
二人の意志は一致しており、団結して前に向かっていくような印象です。
これはどういうことでしょうか?
まだ映画を観ていないので、どちらのポスターが映画の内容に相応しいのかは判断がつきません。
ただしこの時点で僕が好きなポスターは日本語版ポスターですね。
前作でアナとエルサは真の姉妹に戻れたので、2作目では協力して進んでいってもらいたいと思うからです。
このあたりは実際に映画を観てから考えてみましょう。
まとめ
かなりハードルが高くなりすぎた二作目までもう少し。
水準点を超えてくれるところまでは期待したいですが、あまりにも一作目が奇跡的な作品だった故のハードルです。
もう一度くらい一作目を復習するとして、二作目を楽しみに待ちたいと思いますよ。
それでは、また。
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アイアムアヒーロー 《典型的な「これじゃない」ポスター》
映画の点数…90点
ポスターの点数…10点
ざまぁみろ世界!!
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《アイアムアヒーロー》です。
同名の原作マンガの実写化。
監督は《GANTZ》《新デスノート》《キングダム》の佐藤信介さん。
これがなかなか評価の難しい監督でして、GANTZやキングダムは少なくとも世間的には大ヒット作でした。
一方でデスノートはなかなか目も当てられない惨劇だったと思っていて。
いずれもマンガの実写化ではあるものの、ムラのある監督さんなのかなという印象。
ではこのアイアムアヒーローはどうかと言うと、もうほとんど文句なしの大傑作だと思っています。
ファンというほどではありませんが、ゾンビ映画は基本的に好きで観ている身としては「やっぱウォーキング・デッドみたいなハリウッドには勝てねぇなぁ」と思っていたわけですよ。
それがこのアイアムアヒーローを観てひっくり返ったのですよ。
「全然ハリウッドに勝ってるじゃん!」と。
もちろん、銃社会のアメリカと同じ路線でのアプローチではないとはいえ、「日本にゾンビがいたら」という視点を見事に作品にトレース出来ていると思いました。
ざまぁみろ世界!!ですね。
映画のストーリー
古今東西のゾンビ作品と、フォーマットは同じです(そこも偉い)。
ある日どこからともなく現れたゾンビ達。
みるみるうちに感染はひろがり、政府や自衛隊もすぐに機能しなくなりました。
最愛の恋人もゾンビ化で失った主人公は、趣味で所持していた散弾銃を手に安息の地を目指します。
大きなルールは…
- 噛まれたら感染する
- 感染したら治療法は(少なくとも映画内では)ない。
- 脳に致命的な損傷を与えないとゾンビは死なない
- ゾンビに高度な知恵はなく、直線的に生きている人間を襲う
つまりは、よくあるゾンビものと同じですね。
このフォーマットの中に
- 日本が舞台なので、基本的に銃が存在しない
- 主人公は銃を持っている貴重な存在
というあたりが特殊ルールと言えるでしょう。
映画の良かった点
まずは何より、よくぞここまでのゾンビ描写を可能にしたということですね。
演出も良くて、一人目のゾンビが片瀬那奈さんという誰が観ても美人な方をチョイスしたのが偉いです。
あの綺麗な片瀬さんが目もひんむいて歯もガタガタなゾンビに変身したというショッキングな映像だけで「こいつぁ本気だぜ」というメッセージはビシビシ伝わります。
もちろんその仕事を受けた片瀬さんも偉いですね。
というより片瀬さん以降は美人な方がゾンビになるという描写がないので、片瀬さんは偉いうえにおいしいとも言えます。
そしてゾンビを破壊するシーンも全く逃げていなくって、ちゃんと血液も臓器もぶっ放します。
長澤まさみさんと有村架純さんがいようがおかまいなし、血みどろの大虐殺シーンが連続します。
特にラストの駐車場での銃撃戦は「ウォーキングデッドでもここまでのシーンは無かったんじゃないかなぁ」というくらい撃ちまくりです。
単にアクションやゴア描写がすごいというわけでもなく、ちゃんと主人公の成長物語としても素晴らしいです。
前述した「日本にゾンビが出現した場合」という点を踏まえ、「そもそも銃を撃ったり、ましてやゾンビといえども人間に対して発砲することなんて出来ない」という日本人らしさを活かした自分との葛藤シーンがあります。
ゾンビ映画とはいえ「自分だったらどうなのだろう」と物語内に入り込めるので、決して置いてけぼりにならないんですよね。
ポスターの感想
えー、せっかくのいい映画なのにこんなこと言いたくないんですけど、映画ポスターは酷いと思っています。
ビジュアルとしてはインパクトもあるし色使いもうまいと思うんですよ。
でも、映画のレベルに対してこのポスターはないんじゃないですかね。
まずそもそも何の映画か分からないじゃないですか。
大きな銃をもった大泉洋さんが、まるで長澤まさみさんと有村架純さんに向けて銃を向けているとすら思いかねないですよ。
一応背景に小さくゾキュン(ゾンビ)や荒廃した街を入れていますが、レイアウトの問題で全然目にも入ってきません。
もしも「ゾンビをドーンとのせるとお客さん減っちゃうからさぁ」というんだったらそもそもそんな映画作るなって話だし。
そうじゃなくてもマンガの第一巻のように「ありふれた日常の風景の中で銃を持っているという違和感」みたいな表現の方法はあるわけですよ。
キャッチコピーも散漫だしポスターのトーンとも合っていないでしょう。
長澤まさみさんが真剣な顔をしている横でこんなキャッチコピーをあてちゃうのは失礼じゃないですかね。
韓国版ポスター
これは韓国版ポスターです。
こっちのポスターはものすごくいいじゃないですか。
なんで日本もこれにしないの?
先ほど言ったようにゾンビが直接ポスターに登場するわけではないですが、「パーカーにキャップというカジュアルな格好の男性」が「大型の銃器を持ち」「無数の亡骸らしきものの中央に立っている」という違和感と不気味さ。
こっちの方がよっぽど映画に対しての関心が高まりますよ。
まとめ
典型的な「映画はいいのにポスターは残念な映画」の代表ですよ。
せっかく正々堂々とした本格ゾンビ映画だったのに。
なんでポスターで茶化すようなことしちゃうですかね。
もちろんこの映画はコメディ的な楽しさもたくさなる映画ですよ。
でもそれをポスターで全面に出したら絶対にダメです。
死の緊張感が常にあるからこそ、ちょっとしたことがコメディになるんですよ。
このポスターからは全然死の匂いがしません。
それでコメディシーンを見たって笑いは半分になるんですよ。
本当に残念です。
映画は本当に面白いので是非観てくださいね。
それでは、また。
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検察側の罪人 《惜しい映画、惜しいポスター》
映画の点数…81点
ポスターの点数…55点
原田監督×キムタク映画
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《検察側の罪人》です。
木村拓哉さん、二宮和也さん、吉高由里子さんらが主演を務める法廷サスペンス……ではないんですよね。
主役達が検察であるにも関わらず、法廷シーンというものは全く登場しないというのが特徴とも言える映画かも知れません。
また、テーマや脚本がどうであれ「原田眞人×木村拓哉」という組み合わせこそを楽しむ映画だと思います。
個人的な印象も含みますが、原田監督と木村さんには共通するところがあって「リアリティと、非リアリティがグラグラ揺れ動く感じ」がとても魅力的なんだと思っています。
また言うまでもなく木村×二宮という日本のトップアイドルの二人が共演するということに注目するなという方が難しいでしょう。
映画を観る際にフラットな姿勢で観ることが出来るとしたら人生で一度もテレビを観たことがない人くらいでしょうね。
そういう「アイドル映画」というフィルターも込みで楽しい映画かどうか、というのも焦点だと思います。
映画の物語
詳しい映画の脚本には言及する必要はないと思うのですが、要は「俺の正義とアイツの正義、どっちが正しいか」「大きな正義の為なら、小さな悪は許容すべきか」といった内容が主になります。
ひらたく言えば「大きな正義の為なら、真実をねじ曲げたり不正をしたりする木村」と「不正はしないけど、先輩を疑いつつもなかなか告発できない二宮」という構図でしょうか。
どちらが正しいかどうかについては映画内で直接的な決着はつかないので、あとは観た方の倫理観や価値観で判断されたらいいと思います。
映画を観ていていいなと思ったのは、(役名で言うとややこしいので本名で言いますが)木村さんにしろ二宮さんにしろどちらも不完全で気持ちがフラフラしている点ですね。
だからこそ決着がつかずに不完全燃焼を感じる方もいるとは思いますが、そもそも正義や悪自体が不完全なものなのでそれでいいんじゃないかなーと思ったり。
映画の良かった点
先ほど原田監督と木村さんの特徴を「リアリティと、非リアリティがグラグラ揺れ動く感じ」と言いましたが、まさにその点が面白かったです。
例えば劇中、リアリティがあるとはとても言えない大げさな台詞回しが多用されます。
まるで舞台を観ているような感じですかね。
一方で作品のテーマは「正義と悪」という普遍的なものなのでリアリティがあります。
木村拓哉さん側も「アイドルという枠から外れたカジュアルなスタイル」というリアリティがある一方で「とはいってもあまりにも巨大すぎる存在感のある非リアリティ」という側面もあります。
その二人が組み合わさるとどうなるかというと、「極めて変なバランスの映画」が出来上がるんですね笑
実際に僕の母親は「演出がわざとらしくて不快だった」そうです。
逆に僕はそういうヘンテコなところが映画を面白くしていると思いました。
リアリティと非リアリティをいったりきたりしている気持ち悪さが、正義と悪をいったりきたりしている感じとシンクロしていると僕は感じたんですよね。
そしてそういう特殊なバランスの映画が成立するのも、木村拓哉さんというドッシリとした核があるからではないでしょうか。
映画の不満点
これは他の方も指摘されている点ですが、映画に関係のない(少なくともそう感じる)箇所が多いのは気になりました。
しかもそれが二つに分かれていると思っていて、一つは「現安陪政権に対する批判的姿勢」。
そしてもう一つが「第二次世界大戦時のインパール作戦に対する批判」ですね。
一応、一応ですが「これは現代にも通じるテーマなのだ!」とされるシーンもあったりするんですけどいくらなんでも「映画にいれるには突然すぎる」という感じでして。
盛り込むなら盛り込むで、もっと自然に出来なかったのかなと思うんですよね。
本当に突然インパール作戦時の兵隊さん達のショットが出てきたりするんです。
そういう尖った演出が嫌いというわけではないですが、映画として不自然さの方が勝ってたなぁという感じです。
なんというか、現政権を批判するにしてもかなり直接的な描写が目立ちすぎて。
仮に「アベヤメロー」派の人が観たとしても「映画としては余計だなぁ」と思うと思うのですが。
ポスターの感想
ポスターもなかなか惜しい作りになっています。
キャッチコピーの「一線を、越える。」という言葉にしたがってポスターが作られているわけですね。
たしかにビジュアルとして赤が強烈な印象を持っていて目にとまるデザインだと思います。
また当然ながら「木村×二宮」というトップスターが画面たっぷりに登場しているというだけで大きな宣伝効果があるのは間違いなにでしょうし、それをアテにするの当然だと思います。
線をいれる箇所
とはいえその赤い線をいれる箇所とかがよく分からないというか、「なんでそこなの?」というのもあって。
これ単純に木村さんと二宮さんを分断するような線じゃダメだったんですかね?
単純なアイデアだとは思いますが、より木村VS二宮という構図を作った方が観客も映画の世界にスムーズに入りやすいと思うのですが。。。
写真のチョイス
一番の不満点はこれです。
なんでこの写真なの?
この写真からは、特になんのメッセージも感じないんですよね。
正義の顔でも、悪の顔でも、悩む顔でも、絶望した顔でもない。
「どちらとも言えない表情」と言えば聞こえはいいですが、そんなのお二人なら十分に表現できる実力のある方じゃないですか。
ちゃんと専用の撮影をされた方が絶対に良かったと思います。
申し訳ないんですけど、これじゃホントに「ジャニーズの二枚看板揃えました!」みたいなニュアンスしか伝わってこないですよ。
せっかくお二人ともこの映画に対して真正面から素晴らしい演技をされているのに、ただのアイドル映画として思われたらもったいないじゃないですか。
ここではもっとポスターからして本気度を伝えた方が良かったと思います。
別案のポスター
こっちのポスターの方がはるかにいいですね。
むしろこっちをメインのポスターにするべきだったでしょう。
映画のテーマとも、映画のテンションとも一致しているいいポスターだと思いますよ。
キャッチコピーの言葉遊びも面白いじゃないですか。
せっかくだから読んでみようと思うくらいの効果は十二分にありますよね。
このくらいのレベルをメインのポスターにも求めたかったところです。
まとめ
こういう尖った何か魅力のある映画は大好きです。
その題材に木村拓哉さんがドンピシャだったと思いますし、新たな木村拓哉像を作り上げた作品だと言えるでしょう。
一方で映画としてもポスターとしても「なんかあとちょっと…」な箇所もあるかなと。
とはいえその「あとちょっとかゆいところがある」感が原田監督の魅力のような気もする事実。
うーん。
何はともあれ一度ご鑑賞されることをお薦めしますよ。
それでは、また。
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英国王のスピーチ 《それぞれの国のタブーとユーモア》
映画の点数…86点
ポスターの点数…35点
天皇陛下の御即位を受けて
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《英国王のスピーチ》です。
2010年の映画になるんですね。
久しぶりに観てみようかなと思ったきっかけは、先日天皇陛下の御即位があったためです。
日本の皇室と英国の王室では似ているところと全く違うところがあって、それを細かく説明出来るほどの知識は持ち合わせていないのですが、参考になる部分はあると思っていまして。
それは「言葉を用いて、国民にメッセージを伝える」という共通点です。
皇室も王室も政治的に強い権限を持たない(振りかざさない)存在ではあるのですが、その言葉は国民に大きな影響を与えます。
その影響力の強さを可視化したという点で映画を観てみるとなかなか興味深いなぁと感じました。
タブーの違い
そもそも日本と英国の大きな違いとして「映画化するということが可能かどうか」というのがあります。
日本においては「誰か俳優が天皇を演じる」ということや、そもそも「映画内に天皇が登場する」ということ自体が一種のタブーになっています。
法律的な話でなく、例えば第二次世界大戦を描いた映画のなかに昭和天皇が出てきてベラベラ喋ったりするような描写はまず見かけません。
今でこそ「昭和天皇物語」というマンガがヒットしたりする時代ですが、他のマンガにおいてもキャラとして登場することはほぼありません。
皇室は日本にとっては今でもタブー、別の言い方をするならば神聖なものととらえているようです。
一方イギリスにおいてはもう少し王室に対しての距離感が近いように感じます。
週刊誌(パパラッチ)は王室を追いかけ回し、失言をしては徹底的に叩きくなど容赦がありません。
逆にロンドンオリンピックのオープニングではスパイであるジェームス・ボンドと供に飛行機からダイブするなどフランクな姿勢ももっています(もちろんスタントですが)。
日本の場合いくら正義の為の人物とは言えバンバン悪を殺害しいい女を見つけては抱いてまわる007のような存在と、皇室をセットにして映像化するなんて事は無いでしょうね。
どっちが正しいなんて言うつもりはもちろんありませんよ。
それぞれの国で決めたらいいだけのことです。
映画のストーリー
1936年に王として即位したジョージ6世が主人公です。
王には吃音という持病があり、国民の前でスピーチをする際にどうしても発音がうまくいかない悩みがありました。
そこで妻とともにクセのある吃音治療のスペシャリストという男に治療をゆだねるが・・・
みたいな話です。だいぶ省略してるけど。
怒りっぽく生真面目な王様が、吃音を治すために奔走するコメディ的な要素も含まれています。
一方で「思わぬ形で国王に即位することになり、国民を代表する者としてのプレッシャーに負けそうになる」という人間味ある人物としても描かれており、王としての成長物語でもあります。
映画の良かった点
上記の理由もあり、映画ではわりと容赦なく王室の様子を描いています。
特に主人公の兄であるエドワード8世はあきらかに「こいつはダメな男だ」として描いていますし、彼を引き立て役に利用することで主人公を王様へと導くような作りになっています。
一時とはいえ国の王だった人にも遠慮なしです。
そもそも主人公ジョージ6世の吃音を治療するシーンにしても、わざわざFワードを連発させるような演出が必然であったわけではありません。
もし日本の映画で皇太子様にFワードを連発させるようなシーンを撮るでしょうか?
ありえなさそうですね〜。
あくまでも映画として面白くなる方を優先して描いている印象です。
このあたりは良い意味で振り切った描き方をしているようで好感がもてます。
もしも現国王・女王を映画に登場させるとしたらどのように描くのでしょうね。
ハリウッド映画なんかだと、現大統領であろうが容赦ない描き方もするし。
やはり国によって色々だなという感じですかね。
映画のポイント
僕がこの映画に注目していたポイントである「国民に話しかける」というシーン。
場面と状況としては「これからドイツとの戦争が始まる(第二次世界大戦に本格的な参戦をする)」という宣言を国民にするわけですね。
少なくとも映画内では国民はその声に真剣に耳をたて、厳粛な気持ちでメッセージを受け取ったというような描き方になっていました。
一方で別のシーンではヒットラーがナチスに向けて高らかにスピーチをしている様子も描いています(実際のヒットラーの映像)。
この時点においてはどちらも「国民の心を一つにする」というのが目的であり、一部成功もしたのでしょうね。
さて、それを踏まえて先日の天皇の御即位のご様子などを観てみると思うところはあります。
今でも皇室の影響力というのはしっかりと残っており、何かを語れば国民の心をひとつにまとめることも出来るかもしれません。
僕自身は一部の政党が言うように「戦中へと逆戻りな危険な状況」だなんて思っていないのですが、皇室が力の振り回し方を誤ると一定数の人間がそれに引っ張られるくらいの力はまだあるのだろうな、と感じました。
もちろんそんな心配はないと日本という国を信じていますが、もしも当時のナチスのような状況になりたくないのならば国民ひとりひとりが今でも自国のあり方を考え続ける必要があるのだろうななんて思いました。
でもやっぱり基本的には天皇陛下のお言葉から励まされたり一致団結したりするポジティブな要素の方がはるかに大きいと僕は思っているんですけどね。
ポスターの感想
この映画、ご存じの通りアカデミー賞作品賞までとった偉大な作品なんですけど、どうもポスターワークがピンとこないんです。
まずは本国版のポスター
フォントのバランスやレイアウトは美しいと思うのですが、何せ写真が・・・・・良く言えばシックで安定感のあるデザインですが、悪く言えば地味で平凡という。
後ろにいるジョフリー・ラッシュが王を見上げているようなシーンは愛嬌やコミカルな雰囲気があっていいんですけど、とはいえやっぱり地味ですねぇ。
別案
こっちのポスターは僕は大好きです。
「さぁ、今から語りかけるぞ」という緊張感に満ち満ちていて緊張感があります。
とはいえさすがにこれでは情報が足りなすぎますね。
この映画の内容を知っている人にはいいのですが、何も知らずにこれを見ても「ラジオ局かなんかのポスターかしら」で終わりです。
配色の絶妙さもありとてもいいポスターなんですけど、「映画の案内チラシ」としては一枚では効果が不十分です。
日本語版ポスター
では日本語版ポスターの方はどうでしょうか。
これもなかなかに評価が難しいところでして、、、
まず、写真のチョイスはとてもいいなと思いました。
やたらと緊張した面持ちのコリン・ファースの表情がいいですね。
緊張してる、でもちょっとコミカルな感じがとてもいいです。
映画のテーマに非常にマッチした写真ですね。
とはいえ、全体を見渡した時にどうでしょうか。
まず全体のトーンを何故か黄色にしています。
映画タイトルのフォントもやたらとゴージャスにしていたり、コリン・ファースの頭の上に王冠なんて配置してみたり。
あまりにもコミカルすぎるんですよね。。
この映画は確かにコミカルな要素は大きいです。
ですが、ポスターがその上をいくようなコミカルなムードを出しちゃうのはいけません。
なぜなら、「ジョージ6世自身は真剣に悩んで傷ついて立ち上がる」人物だからです。
その人物がジタバタしている様がコミカルなんですから、わざわざ「これってコミカルな感じなんですよ」なんて説明してあげるのはナンセンスでしょう。
まぁあとは言いたくもないけど「英国史上、最も内気な王。」というキャッチコピーもどうかと思います。
そういう映画じゃないし、吃音に悩む人に対する配慮に欠けています。
内気だから吃音になるんですか?
そう捉える人がいてもおかしくないと思いますよ、これじゃ。
まとめ
映画は非常に重厚感のある素晴らしい出来でした。
折りをみて何度も観たくなる完成度と思います。
一方で何故か映画ポスターがなんともしょぼしょぼな出来です。
時間でも無かったんですかね笑
もうちょっとどうにかなったと思うんですが。。
映画の内容自体が地味だった分ポスターの表現も難しかったとは思うのですが、映画の完成度に見合ったポスターとは思えませんでしたよ。
それでは、また。
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リトル・ミス・サンシャイン 《感情のすべてがくすぐったい作品》
映画の点数…93点
ポスターの点数…80点
小粒ながらの傑作
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《リトル・ミス・サンシャイン》です。
監督はヴァレリー・ファリス、 ジョナサン・デイトンコンビ。
近年では《バトル・オブ・ザ・セクシーズ》を監督されていましたね。
この映画はまさにこのブログの内容にドンピシャな「映画が素晴らしく」「映画ポスターも素晴らしい」という理想的な映画です。
当然細かい不満点などはありつつも、一度目にするだけで記憶できてしまう完成度の高いポスターを観るだけで幸せな気持ちになるんですよねぇ。。。
それでは映画とポスターの感想を振り返ってみたいと思います。
映画のストーリー
ニューメキシコ州アルバカーキに住む5人家族+1人のお話です。
シェリル・フーヴァー(母)と夫のリチャード。
彼女の兄でゲイのフランクは自殺未遂事件を起こした後、彼女の家族と一緒に暮らしはじめます。
シェリルの前夫との子供であるドウェーンはパイロットになるためにアメリカ空軍士官学校に入るという夢を実現させるまでに「沈黙の誓い」を立てている15歳。
リチャードの口汚い父で第二次世界大戦の退役軍人のエドウィンはヘロインの使用のために最近老人ホームを追い出されて家族と同居するように。
オリーヴはカリフォルニア州レドンドビーチで開催される美人コンテスト「リトル・ミス・サンシャイン」の予選を通過したことを知り、有頂天となります。
しかしながら費用やその他の諸々の問題により、家族全員が同行しなければならなくなり、古ぼけた黄色いフォルクスワーゲンT2マイクロバスでの800マイルの旅が始まります。
ちなみに距離で言うとこのくらいです。
日本で言うなら、東京から鹿児島までタウンエースで旅するみたいな距離のようですね。
バスは老朽化によりクラッチが故障してしまい、部品の交換が不可能であったため、一家はバスを後ろから押し時速20マイルに達した時点で飛び乗るという方式で旅を続けることになります。
基本的なストーリーは「オリーヴの美人コンテストの為に家族で向かう」というロードムービーですね。
多くの映画がそうであるように、この旅を通して家族の一人一人が成長したり家族の関係性が深まったりするというストーリーです。
「バスをみんなで押さないとエンジンがかからない」という設定が象徴しているように、家族が向き合わないと物語が前に進まないわけですね。
映画の良かった点
物語自体はとても古典的な話です。
世界中で同じような映画は無数にあります。
あとは「どうアレンジするか」が監督の手腕によるわけですね。
そして今回の映画はそれが大成功だったわけで、予算1億円程度(日本映画としても安い方ですね)でありながら興行収入は100億円を超えアカデミー賞でも脚本賞や助演男優賞を獲得しています。
脚本家のマイケルさんは後に「トイストーリー3」や「スターウォーズ・フォースの覚醒」などの脚本を手がけることになりどちらも大好きな作品なのですが、特徴としては「正々堂々とした成長物語の中になかなかダークなコメディを散りばめる」のがうまいなという印象。
いずれの作品も泣いてしまうくらい感動するのに、映画を見終わったあとにチクチクとしたトゲを残すような感じですね。
この《リトル・ミス・サンシャイン 》もそんな感じで「娘のコンテストに向かう」という誰がどう見ても「良い話」の中にヒリヒリとした人間ドラマをドンドン放り込んできます。
そもそも全員おかしい
まず車内に「先日リストカットをしたおじさんがいる」という状況が既に痛々しいです。
じいさんは薬物常用者だし、父親は明らかにうまくいかなそうな仕事をして案の定失敗していたり、息子はメモでしか会話をしないし。
そもそも「美人コンテストに出る」目的なのに、その娘自体がわりと太っているし衣装もダサいという。
改めて見渡してみると「そもそも全員おかしい」ということが頭に引っかかった状態で映画はすすんでいくんですね。
その違和感こそが映画の魅力であって、コメディシーンなのにその人物の背景を考えると泣けてきたり、緊迫したシーンなのにエロ本についての会話を1分くらい長々と繰り返したり。
この爆笑しながら涙が出る感覚は松本人志さんのコントを観ている時と共通するようなおかしさがありました。
愛のある映画
ダークコメディな映画なんですけど、最終的にはとても愛を感じる素晴らしい映画でした。
物語のラストは当然「娘のコンテスト」になるわけですが、もう画面を観ていられないほどの惨劇が待っています。
でももう、泣けてしょうがないんですよね。
この映画に共通して感じるテーマ「でも、やるしかないだろう?」というあたたかいメッセージ。
一台のバンの中に「夢をみる少女」「夢に破れた少年」「夢を諦められない中年」そして「夢の終わりをむかえる老人」が同居しているという状況が物語のラストで交錯するんですよね。っても映画的には手際よく)人物の背景を描いてきた分、その全てがスパークする瞬間は本当に気持ち良かったです。
あのコンテストのシーンは映画史に残る爆笑シーンでありながら号泣シーンじゃないですかね。
ポスターの感想
ではこの映画のポスターを見てみましょう。
まずパッと観て「お洒落」なポスターなのは間違いないですね。
一大の黄色いバス、それに合わせたバックの黄色が印象的です。
映画を観たらすぐに分かる通り、バスをみんなで押して出発している要素をポスターにしてあります。
あとは登場人物を並べて、タイトルをつける。
極めてシンプルな作りです。
ですが、その一つ一つのディテールは「適当に並べただけ」とは全く違います。
まず画像のチョイスですが、ただ映画の内容を紹介するだけであったら「美少女コンテストの場面をポスターにする」とか「家族の集合写真をポスターにする」という選択肢もあるはずです。
このポスターのように、みんなの顔が横を向いていたりボケていたりするものをチョイスしたのは何故でしょうか。
それはやはり「一台のバスをみんなで押し、そして乗り込み、前にすすむ」という行程こそがこの映画のテーマだからですよね。
このポスターだけを観ると「ポップで楽しそうだな」という印象が第一に飛び込んできますが、映画を見終わったあとにもう一度観てみると不思議とグッとくるものがあります。
もしかしたら偶然なのかも知れませんが、キャラクター毎の構図すらも意図があるように感じます。
あれほど自分の成功のことしか考えていなかった父親が、みんなの方を向いている。
駆け寄る孫を迎え入れようとしている祖父。
最後までバスを押しているのは誰で、一番最後方から家族を観ているのは誰なのか。
映画を見終わった後にもう一度機能するポスターというのが最も優れたポスターであると僕は考えているので、まさにこのポスターはその通りの出来になっています。
タイトルのフォント
かなり細かいですが、タイトルの文字が少しずつ大きくなっている点も注目です。
リトル・ミス・サンシャインという大会名をタイトルにしているだけなので、文字の大小をつける意味は本来はないのですが、この「少しずつ大きくする」とすることで頭の中で読み上げる際に「サンシャイン」の意味合いを大事にとらえる効果が考えられます。
「サンシャイン」の印象が強まることで全体的なポジティブさが増し華やかさを感じます。
洋服を着る際に帽子やシューズなど先端にあるものに気をつかうように、言葉の端っこにあるものは全体のイメージを左右するということですね。
あえて不満を言うならば、ちょっと毒っ気のある要素がなさ過ぎますね。
映画自体はけっこうブラックなところもあるし、そもそもPG12だし。
もうちょっとだけ配色などの工夫で苦みのあるデザインだったらより良かったのではないかなと思いました。
まぁそんなのは贅沢な話ですね。
とてもいいポスターです。
日本語版ポスター
日本語版ポスターも今回大変良いと思います。
まず本国版のポスターに敬意を払い大きなデザインの変更は全くしていません。
その上でタイトルの入れ方もさりげなく、センス良くまとめています。
そして「夢と希望を乗せて、黄色いバスは行く」というコピーもいいじゃないですか。
過不足なく映画の本質をとらえています。
例えば「負け組家族が繰り広げる、愛と希望に溢れた物語」なんてつけちゃうと急にダサいですよね。
この「黄色いバスは行く」という言い切り型のコピーがいいです。
映画がロードムービーであるということを伝えるのと同時に、そのバスの行き先に何が待っているのかという興味を引き立てます。
まとめ
映画も良し、ポスターも良し。
もはや言うこと無しの傑作ですよ。
万人が喝采を送る映画ではないかも知れませんが、とにかく僕はこの映画が大好きですね。
笑って泣ける映画、デザインが良くてメッセージ性も高いポスター。
互いによい関係性を感じる素晴らしいコンビネーションです。
何か人生でつまらないことがあったら、黄色いバスに乗って彼らとともに旅をし直そうと思いましたよ。
それでは、また。
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ゲーム・オブ・スローンズ 《ドラマの出来と同じくらい重要なタイトルとポスター》
ドラマの点数…97点
ポスターの点数…87点
映画より上とか下とか超えた作品
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
いつもは映画とポスターに関するブログばっかりなんですけど、今回は海外ドラマ【ゲームオブスローンズ】についてです。
先日シーズン8をもって最終回を迎えた同ドラマ。
僕は正直ドラマを観る習慣がほとんどなくって、《24》途中まで、《ブレイキングバッド》途中までみたいな感じで最後まで観れないんですね。
日本のドラマも《半沢直樹》とか《カルテット》みたいな話題のドラマくらいしか観てません。
海外ドラマの中でも最後まで観ているのは《ウォーキング・デッド》と、この《ゲームオブスローンズ》のみです。
ウォーキングデッドはまだ続いてますけどね。
僕の頭の中では「所詮、ドラマより映画の方が格上だろう」というナメた姿勢があったのは確かです。
ですがその根底をぶっ壊されたというか「映画が上とか下ではなく、根本的に違うもの」という意識に塗り替えたのが《ウォーキング・デッド》と《ゲームオブスローンズ》で。
あくまで好みの問題で言えば《ゲームオブスローンズ》が大好きで、一時期は《ゲームオブスローンズ》の事しか考えられないくらいハマった時期もありました。
最終回が終わった今も、ドラマのことをグルグル考え続ける始末です。
ドラマの概要
あまりに長いストーリーなので説明は難しいのですが、ビジュアル的には古代中世ヨーロッパくらいのイメージで《ロード・オブ・ザ・リング》にルックは似てますかね(ドラマを映画で例えるという禁じ手)。
大陸の王様が亡くなったことから、その王座を巡って様々な領主、血族、部族、はたまたゾンビやドラゴンまでが戦いを繰り広げるファンタジーです。
元々は小説「氷と炎の歌」というタイトルが原作なのですが「ゲームオブスローンズ」、すなわち「王座を巡った椅子取りゲーム」がメインのストーリーとなります。
特に前半は大がかりな戦争シーンなどは直接うつさず(おそらく予算の問題)、むしろ王室での会話のやりとり・駆け引きがメインとなっています。
具体的な主役を設けず、「最後には誰が王座につくのか」を思い巡らしながら鑑賞します。
登場人物が多いうえに政治劇なので平気でウソをついたりするので、かなり混乱しながら見始めることになるのですが5話くらい観たあたりからは完全に取り憑かれちゃうくらいで。
そしてメインキャラクターというか「ほぼ主役」みたいな人までバンッバン死んでいく予想外の展開にクラクラします。
ひどい時には「1日くらい寝ないでも大丈夫なのでは?」などと睡眠時間を犠牲にしながらドラマを観ていた時期もあります。
ドラマの成功
ドラマの魅力については様々な人が既にブログやSNSで語り尽くしているのであえて語ることはしませんが。
僕なりに「なぜこのドラマが成功したのか」をグラフィックデザイナーなりに考えてみました。
すると成功のポイントになった点が二つ見えてきます。
タイトルの変更
まず「氷と炎の歌」というタイトルを「ゲームオブスローンズ(椅子取りゲーム)」としたのが大成功のキッカケでしょう。
「氷と炎の歌」という意味はドラマの後半あたりになると「ああ、この人達が主人公だからということか」と理解できてくるのですが、それだと「主人公と脇役」みたいなニュアンスが強すぎます。
あくまでも全員が主人公のような内容なのでそれではいけません。
そこで「ゲームオブスローンズ」としたのが良かったですね。
ドラマ内でどれだけ混乱することがあっても「最終的には王座を奪う人達の話」という前提があるだけで番組への集中力が高まります。
それと、劇中首をはねたり炎で焼かれたりかなり残酷な描写も多いのですが、タイトルに「ゲーム」が入っているのが救いになっていると思っていて。
「人を殺すのがゲーム?」ということではなく、「ドラマ全体が虚構である」というフィルターがかかることで残酷描写への不快感が減るんですよね。
むしろ人間の愚かさや滑稽さが浮かび上がってくる。
うまいタイトル変更だったと思います。
ポスターのビジュアル
映画と違って純粋にポスターというわけではないのですが、公式のビジュアルアートも注目ポイントが多いです。
椅子に座るビジュアルに「勝たなければ死ぬことになる」というキャッチコピー。
かなりダークなトーンの背景に、これまた暗い表情のショーンビーン。
明らかに「楽しい」雰囲気ではなく、自分の仕事や使命にうんざりしているような表情ですね。
ゲームオブスローンズシリーズは前向きな気持ちで椅子を奪いに行く人もいますが、仕方なく押しつけられる人もいます。
他のポスターでも必ずと言って良いほど「死」を思わせるビジュアルになっています。
実際にメインキャラでもバンバン死ぬので、公式のビジュアルが死を感じさせるのは当然のことですね。
劇中、常に死の匂いを感じながら鑑賞することになるのでこちらも番組への集中力を高めるのに効果的だと思います。
「あと何人、どこで死ぬんだろう」と自然と予想するのもいいですね。
ビジュアル自体も劇中のシーンを連想するものが多く、理解するとニヤッとする仕掛けがあるのもいい感じですね。
それと細かい話ですが、全体の色がいずれもかなり彩度をおさえられているのも良いです。
おかげで「遠い世界の遠い出来事」というおとぎ話のような印象があります。
まとめ
大ヒットドラマをデザイン目線から少し考えてみました。
ドラマの内容が面白いというのは当然のことなのですが、その魅力に補助線をつけるのがタイトルやポスターの役割です。
このポスターやタイトルがキッカケでドラマ鑑賞を始めた人も一定数はいるでしょうし、いずれにせよドラマとの最初の出会いは肝心ですからね。
ドラマと同様にタイトルやポスターも優れているよというお話でした。
ちなみに、いきなりの告白となりますが僕の“推し”はアリアでした。
それでは、また。
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女王陛下のお気に入り《快作、怪作。余裕すら感じる映画とポスター》
映画の点数…87点
ポスターの点数…90点
トップ女優達の殴り合い
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げるは《女王陛下のお気に入り》です。
原題もズバリ《ザ・フェイバリット(お気に入り)》ですね。
先日のアカデミー賞では主演のオリヴィア・コールマンが主演女優賞を獲得しています。
オスカー俳優3人(オリヴィア、エマ・ストーン、レイチェル・ワイズ)の豪華共演、というと聞こえはいいですが、実際は3女優による殴り合いのような映画ですね。
スター女優や美しいセットの数々にうっとりする気持ちで楽しむのも悪くないですが、どちらかと言えばフジテレビの昼ドラの超拡大版みたいな姿勢が良いのではないでしょうか。
文字通り命をかけた女同士のドロドロと、命がけだからこその滑稽さを面白がる映画です。
映画のストーリー
1700年代初頭の(今の)イギリスの宮廷が舞台になっています。
とはいえ難しい設定はあまり理解してなくても全然オーケーで、「自分の国が戦争していることもいまいち分からないアン女王」と「アン王女に取り入り事実上国家を動かす権力を持った愛人(女)」と「召使いから貴族まで上り詰めることを画策する女」の戦いこそがメインです。
やってること自体は「私の方がアン王女が好きよ!」「私の方が好きよ!」「私を二人が取り合うなんていや~ん嬉しい困っちゃう!」みたいなことなんで。
あとから史実と照らし合わせてみると「え!これは本当の話なの?!」みたいな箇所が事実だったりもして。
バカな支配者を持つと国民は困りますなぁなんてあたりは今も通用する概念ではありますね。
映画の良かった点
あえて男性達は「バカで下品な役立たず」として描くくらい割り切っているのですが、全体的にその割り切り方がうまくいっているように思います。
話し方は現代語風になっていたり、時代的におかしい箇所も「映画のバランスがとれるなら」いくらでも改変しているようで。
そもそも男性がかつらをかぶって化粧をしている時代の話ですから、画面全体からはフィクショナルな雰囲気なんですよね。
ただし画面がフィクショナルな分、演じる主演3人の女優の鬼気迫る演技がより浮かび上がってくるというか。
並の俳優だったら衣装や雰囲気に負けてしまうのでしょうが、それを跳ね返すだけの演技力とパワーがあります。
当然といえば当然なのですが、この3人のうち誰か一人でもレベルが下がるようだと映画の質が一気に悪くなるわけですから。
オスカーのノミネートも受賞も納得の素晴らしいアンサンブルでした。
その演出に成功した監督の手腕もまた評価されるべきですね。
雰囲気のいい映画
映画を評価するときに「雰囲気が好きなんだよね~」というほどバカな感想はないのですが、この映画、雰囲気がいいんですよね笑
開幕すぐの極端な口角レンズによる絵作りからすぐに「あ、面白い予感がする」と感じます。
もちろんそこから「画面が綺麗なだけの中身のない映画」になる可能性も十分にあったのですが、この映画に関してはそんなことは一切なく。
画面はものすごく綺麗なのに、胃がキリキリするような暴力とイジメとマウンティング笑
つまりサイコーということなんですけど。
外国の宮廷の話という自分と最も遠い世界の物語でありながらもリアリティを感じることが出来るのは映画の作りがうまいからに他ならないですよね。
ポスターの感想
いわゆる商業映画とは少し違うためか、ポスターもかなり自由度の高さが感じられます。
一言で言えばお洒落なポスターということなのですが、少ない情報ながらも映画全体の禍々しさは伝わってきますね。
まず手前にいるエマ・ストーンのやたら演出めいた不機嫌でぶっきらぼうな表情と、全体のゴージャスで華麗な衣装とのギャップが面白いです。
オリヴィアやレイチェルもすました顔はしてるんですけど構図が大概におかしいですし。
「好きか嫌いかは見てみないと分からんが、エッジのきいた映画ではあるんだろうな」というのはすぐに分かります。
その時点でこのポスターはある程度「勝ち」ではないでしょうか。
映画に興味を向ける層と、見て貰いたい側の意志がかなり近いポスターだと思うんですよ。
実際これだけ攻めたレイアウトのポスターでありながらも世界的にヒットし評価されたわけですからね。
映画同様に実にセンスを感じるポスターです。
別案
とはいえ僕はこっちのポスターの方が大好きです。
まぁこっちのポスターをメインにしちゃったらいよいよお客さんは半減しそうですが、家に飾りたくなるくらいのカッコイイポスターだなと思いますよ。
先ほどのポスターよりもより禍々しさが強く、なんなら不快感すら感じるくらいですね。
日本語版ポスター
今回、日本語版ポスターはかなりいいんじゃないかなと思っています。
全体のレイアウトは本国版と同じなのですが、まず全体の色味を黄色から赤に変更しました。
ノスタルジックな雰囲気は後退しましたが、より女性的な印象が強まっています。
女性=赤色というのは単純な記号化かも知れませんが、柔らかいピンクというよりはやはり少しダークさのあるピンクにしているのがうまいです。
また、キャッチコピーも主張しすぎずさりげなく添えられているのですが内容はというとシャレがきいてて皮肉っぽさがあるいいコピーだなと。
このキャッチコピーがあるおかげで「ちょっとコメディでもあるのかな」と予感すると思うんですよ。
この「ごめんあそばせ」の一言が映画全体の軽やかさと禍々しさをうまく表現できていますよね。
とてもいいポスターではないでしょうか。
まとめ
呆れちゃうくらいのダークなコメディ映画といった感じで。
画面で起こっていることはドロドロしっぱなしなのですが、実際に見終わってみると不思議と軽やかな余韻が残るいい映画だったなと思います。
ポスターの方もその映画のテンションに近くて、良い意味で引きずらず軽やかなタッチを感じます。
監督の手腕だと片付けるのもいいですが、この映画に関わった方の多くが影響し合っての傑作になったような気がします。
万人にまではお勧めしませんが、映画に少しでも興味があったらすぐさま鑑賞することをお勧めしますよ。
それでは、また。
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スターウォーズ Ep.9 《ポスターから読み解く最新作》
映画を観る前のポスターの点数…75点
公開迫る、スターウォーズ
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回は年末に公開を控えている《スターウォーズ エピソードⅨ スカイウォーカーの夜明け》の公式ポスターが届きましたので、そのお話をしようかと思います。
一応、サーガ(スピンオフとかではなく正式なタイトル)としては今作でお終いということになります。
こういう言い方はあれですが、俳優達の年齢などもふまえると「ルーク・スカイウォーカーから始まったスターウォーズの終わり」とも言えると思います。
これからいくつかの予想や仮設をお話しますが、あくまでも“ポスターから見えてくる映画”のお話です。
ファンの多いシリーズですし、異論反論もちろんオーケー。
世界中みんなでギャーギャー言い合ってるくらいが楽しいと思いますしね。
僕とスターウォーズ
まず、僕とスターウォーズとの距離感を少し説明します。
世界中にいるマニアと呼ばれる方々には遠く及ばないですが、シリーズのファンだとは思っています。
年齢的にはスターウォーズは完全に後追い世代ですので、映画館で初めてみたのはエピソードⅦ(フォース・アウェイクン)からです。
その頃にはすっかりファンでしたので、オープニングの「バーーーーン!!!」のタイトルの時点で号泣したのを覚えております。
「やっとスターウォーズを映画館で観ることが出来る!!」という感動ですね。
とはいえ別にスターウォーズ前面支持とかそういうことでもなく、作品によって好き嫌いは当然あります。
一番好きなのはエピソードⅦですね。
この時点で「はぁ!!?」と言われる方も多そうですが、とにかく【レイ】という主人公が好きすぎるからというか。
そもそも女性としてタイプなだけな気もしますが、とにかくまぁⅦが好きなんです。
そのあとはⅣ→Ⅴ→Ⅲとかそういう感じですかね。
一番嫌いというか、一生許すことが出来そうにないくらい怒り狂っているのは前作のⅧ(ラスト・ジェダイ)です。
おかげさまで正直に申し上げて、エピソードⅨへの期待値もかなり低いんですよ。
可能であればエピソードⅧは無かったことにして「うんゴメンゴメン、あれ嘘だわ。ちょっと作り直すから一旦忘れて」と言ってくれないかなと今でも思うくらいです。
そうはいっても再来月にはエピソードⅨは公開されますし、どうせ観るのは間違いないんだし。
とりあえず向き合ってみようと思いますよ。
パッと見た印象
それではポスターを具体的に見ていきます。
まず全体的な色味に注目ですね。
パッと見たときに、「青いポスターである」と言えると思います。
画面の7割くらいを青が占める。
これはかなり重要な要素でして、今シリーズ1作目のエピソードⅦでは青と赤が半々となっていました。
そして前作のⅧでは画面全体が赤い色で支配されています。
説明不要なくらいですが、ご存じの通り「青=ジェダイ(正義)」「赤=シス(ダークサイド)」を象徴する色ですよね。
ここから読み解くと「正義と悪の均衡(Ⅶ)→悪の勝利(Ⅷ)→正義の勝利(Ⅸ)」となるのではないでしょうか。
まぁ普通に考えてそういうストーリーになるであろうことは予想つくのですが、ポスターの色味からもそういう情報が見えてきそうです。
レイの扱い
今作の主人公レイですが、Ⅶの時点でのポスターでは武器と赤いライトセーバーが重なりあって描かれることで「ダークサイド(悪)に転がり落ちそうな危うさのある人物」を予感させていました。
Ⅷのポスターではよりそれが顕著になり「ルーク(正義)とカイロ・レン(悪)の狭間にいる」人物を思わせます。
ですが今作のポスターでは完全に青いトーンで描かれており、まるで「悪(赤い部分)からの侵略を正義の力で食い止めている」ようなビジュアルにも見えますよね。
エピソードⅧではあまりにも影の薄かったレイさんですが、次作ではついに大暴れするんでしょうか。
アベンジャーズ・エンドゲームが「みんなの力でサノスを倒す!」という話だったのに対し、ライズ・オブ・スカイウォーカーでは「最後はレイが銀河を救う」という話になるのかも知れませんね。
衣装もよく見ると全体的に白っぽくなっています。
ルークがそうであったように「だんだん黒っぽい服装になる→ダークサイドに引き寄せられる」という演出だとするなら、レイはやはりジェダイ側の人間なんだと思わせるメッセージが込められているのではないでしょうか。
レイとカイロ・レンの戦い
画面下部では、レイとカイロ・レンが一騎打ちをしているようなビジュアルが窺えます。
これが「イメージ」なのか実際にある戦闘画面の一つなのかは分かりませんが、レイとカイロ・レンの決闘が今作のキーポイントになるというのは間違いないでしょう。
ちゃんと背景が赤と青の境目になっているというのも細かくていいですね。
それにしてもなんでカイロ・レンはなんでマスクを作り直したんでしょうね。
直したといっても、赤いラインは残っており格安の板金屋さんに頼んで大失敗したみたいになっております。
金欠だったのでしょうか、カイロ・レン。
背景の宇宙船について
背景に見える宇宙船の位置にも注目です。
正義側のミレニアム・ファルコンは敵側の赤い方へ、一方敵側のスターデストロイヤーなどは青い側へ戦略してきており、「戦争は始まっている!」というような雰囲気を感じますね。
これが、それぞれ自分側に戦闘機があるようだと「これから戦争だ!」という雰囲気になるはずです。
細かい違いですが、受ける印象は違ってきます。
もう一枚のポスター
こういうバージョンのポスターもあるのですが、こっちの特徴はなんといっても背後にいる「あいつ」ですね。
彼が映画にどのように関わってくるのか分かりませんが、ランドも含めていよいよ旧作のキャスト全員集合感が強まってきましたね(面白くなるかは別の話ですが)。
それにしても右手に持っているのってライトセー………??
まとめ
新キャラなんかも画面に登場しているのですが、この辺の予想は割愛しますね。
もし当たってたりしたらイヤですから笑
以上のように、ポスターから見えてくる新作のお話でした。
少なくともポスターから感じるのは「今作はレイが戦うぞ!」というメッセージは感じるのでそこは期待したいと思いますよ。
グラフィックデザイナーとしての見方としては「ワクワクするような期待感はあまり感じないが、映画の意図は感じるポスター」といったところでしょうか。
どっちみち映画を観たらまた評価も変わるでしょう。
それでは、また、公開のその日まで。
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来る 《映画としては良いが、ホラーとしては・・・》
映画の点数…58点
ポスターの点数…15点
なんだったのかよく分からない
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画は《来る》です。
嫌われ松子の一生や告白で知られる中島哲也監督が手がけるホラー映画。
主演には岡田准一、妻夫木聡、黒木華、そして松たか子さんらが揃います。
なんだかんだで中島哲也さんの作品は大抵チェックしてますし、好きな作品も嫌いな作品も含め何かしら心を揺さぶってくる監督だと思います。
好き嫌いが分かれるのは当然という作家性の強い作品群であるのは間違いないし、今作も「中島哲也さんに作らせたらどうなるだろう」という前提を踏まえた上での映画化だったと思います。
そんな作品の僕の感想としては「なんだったのかよく分からない」でした笑
点数自体は低めにしてますが、理由は後述します。
ただし、見なくて良かったなんて全く思って無くて、むしろ鑑賞自体はとても楽しめました。
観て良かったなと素直に思っていますよ。
映画のストーリー
韓国映画の傑作「コクソン」や、それこそ老舗「エクソシスト」などとも共通する「なんか娘が呪われちゃったっぽい」というホラー映画です。
もちろんそれぞれ設定に差異はたくさんあるんですけど、王道のストーリーではあります。
物語は三部構成になっていて、「過去にお化け的なものと遭遇した気がする妻夫木聡パパ」の話。
その妻で「家族という地獄を渇望し、絶望している黒木華ママ」の話。
そして「事件の解決に首を突っ込んだものの、余裕ぶってるのは最初だけで後半はオロオロしているだけの岡田准一ライター」の話、です。
前半は正体不明の「あれ」に次々と妻夫木聡パパ周辺の人間が襲われていくという展開、後半は岡田准一・松たか子さんを中心に「あれ」との対決へとすすんでいきます。
映画全体の特徴として、段落ごとにバッサリと映画自体の雰囲気が変わるというか、特に後半からは「違う映画が始まったのかな」くらいにテンションが変わります。
もっと言っちゃえば「前半はホラー、後半はダークコメディー」というくらい違う映画です。
もちろんこういう仕掛けのある映画も大好きですし、「今何をやってるんだろう」と振り回される感覚がこの映画の魅力だと感じました。
映画の良かった点
これはもうやっぱり後半の「除霊フェスティバル」ですよ。
大ボスの松たか子さんのビジュアルがまずいいですね。
褒め言葉なのですが、一番松たか子さんが不細工に見えるヘアメイクとかをわざわざチョイスしている感じとかが役者として素晴らしい姿勢だなと。
その松たか子さんを中心に、おそらく日本全国から「我、除霊に自信あり!」という猛者達がマンションに集まってきまして。
集まる途中でもどうやらバタバタと戦死していくという過酷な状況の中、ついに除霊フェスティバルの開幕ですよ。
ルールは武器使用・流派問わずの時間無制限デスマッチ。
お経から舞踏から科学から巫女からなんでもありのスペクタクル。
しかし敵も黙っちゃいない。
姿こそ見えないものの、次々とフェスティバル参加者達を惨殺しながら突き進みます(どこに突き進んでいるかは映画を見終わってもよく分からないんだけど、とにかく進んでいる)。
このブラックコメディーな演出が見られただけでも監督に中島哲也さんを起用したのが大正解だし、逆に言えばこの除霊フェスが無かったら映画全体がどうなっていたか不安でもありますが笑
映画の不満点
これは映画を見る前から気になっていた点だったのですが、中島哲也さんとホラー映画という組み合わせが“基本的には”悪いんですよね。
中島監督の最大の特徴はやはり「超現実的なサイケデリックな画面演出」だと思うんですよ。
一方でホラー映画の大原則は「カメラの存在すら忘れるくらい可能な限り演出を感じさせずに撮る」ことです。
そっちの方がよりリアリティを感じて恐怖が増しますからね。
そのお互いに相反する特徴をどう埋めてくるのかなと思っていたのですが。。。
残念ですが、別に埋まっていないというか埋めるつもりも無かったようで。
やはり先ほど褒めた「除霊フェス」のシーンこそが映画のキモだとして中島哲也を起用したのでしょう。
その代償として「ホラーとしての怖さ」は犠牲になってしまいました。
はっきり言っちゃうと、一回も怖いとは思いませんでした。
それでホラー映画と名乗られるとどうかなというか。
僕がこの映画に感じる不満点はすべて「ホラー映画なのに怖くない」という点につきます。
細かい描写
例えばですが、松たか子さんはスーパーな除霊士だという設定にもかかわらずラーメンを食べ、ビールを飲み、ケータイでゲームをしています。
意図としては「ギャップがあって面白いでしょ」ということなのでしょうが、僕はそれよりもホラー映画の演出としてのマイナス点の方が大きかったと思います。
「得体の知れない強い人」として描きたいのであればやはり飲食シーンは避けるべきだし日常描写も避けるべきだと思うんですよ。
映画全体的にこういうホラー映画としての恐怖を遠ざけるような描写が多くて。
岡田准一さんの花柄のシャツとか小松菜奈さんのエロい格好とか、画面内に邪魔な情報も多すぎるし。。。
細かい積み重ねが無いとホラー映画は機能しないと思うんですが。
僕はこの映画を「怖い気持ちになるため」鑑賞したのであって、それが出来ていない以上は合格点ではないよなーという次第。
いいところもたくさんある映画だけに残念です。
ポスターの感想
けっこう複雑な思いもあるポスターです。
というのも、ビジュアルだったりアイデアであったりユーモアだったりは非常にあるのかなと思うわけです。
おそらく何回も会議したのだろうし、フォントのひとつにまで気をくばったデザインです。
とはいえどうしても僕がこのポスターを評価しきれないのは「全然怖そうじゃ無い」ということです。
配給側はおそらく「あんまりホラー色を出すとライトな観客が来ないでしょ」と判断したのではないでしょうか。
そしてそれはきっと正解なんです。
ポスターに散りばめられたポップなコピーの数々。
「あの、ポップでキラキラした絵作りが得意な中島哲也監督の映画です!!!」というのを隠す気も無く前面に訴えています。
僕はそのやり方が納得いきません。
だったらホラー映画なんて作らなきゃいいじゃないですか。
「トラウマになるくらいの恐怖を与えてやるぞ」という気持ちがないなら、そこから逃げるなら初めからやらなきゃいいんですよ。
このポスターを作った人達に、そんな気持ちは無かったはずです。
前述通り、ビジュアルはお洒落でかっこいいです。
でもやっぱり僕はこのポスターが嫌いですね。
タイトル文字
こういう洒落たデザインはとてもいいと思うんです。
わずかに切ってズラした文字になっていますね。
これは劇中「あれ」に襲われた際の様子や、お守りが切り取られた際の様子を表現しているのでしょう。
シンプルでいて、可読性も高く、映画との関係性もしっかりしているというタイトルは理想の形です。
だからこそ、ポスター内に入れる情報(文字)に無駄なものが多いことが悔やまれますね。
関連ポスター
こういう遊びはとても好きだし楽しいですね。
いいぞもっとやれ。
とはいえ、やっぱりこれもわざわざ映画を恐怖から遠ざけることになってるんですけど。
まとめ
時間がたてばたつほど「愉快な映画だったな」と思います。
鑑賞してない人には素直におすすめできます。
ただし「心の底からびびりたい人」にとっては無関係な作品でしょう。
それでいいのかと思ってしまいますが、ともあれこういう映画体験もいいもんですね。
それでは、また。