映画のように平面デザイン

年間200本映画を観る地方グラフィックデザイナーが、色んなものを平面デザインでとらえてみます

英国王のスピーチ 《それぞれの国のタブーとユーモア》

 

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映画の点数…86点
ポスターの点数…35点

 

天皇陛下の御即位を受けて


こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。


今回取り上げる映画は英国王のスピーチです。


2010年の映画になるんですね。


久しぶりに観てみようかなと思ったきっかけは、先日天皇陛下の御即位があったためです。


日本の皇室と英国の王室では似ているところと全く違うところがあって、それを細かく説明出来るほどの知識は持ち合わせていないのですが、参考になる部分はあると思っていまして。


それは「言葉を用いて、国民にメッセージを伝える」という共通点です。


皇室も王室も政治的に強い権限を持たない(振りかざさない)存在ではあるのですが、その言葉は国民に大きな影響を与えます。


その影響力の強さを可視化したという点で映画を観てみるとなかなか興味深いなぁと感じました。

 

タブーの違い


そもそも日本と英国の大きな違いとして「映画化するということが可能かどうか」というのがあります。


日本においては「誰か俳優が天皇を演じる」ということや、そもそも「映画内に天皇が登場する」ということ自体が一種のタブーになっています。


法律的な話でなく、例えば第二次世界大戦を描いた映画のなかに昭和天皇が出てきてベラベラ喋ったりするような描写はまず見かけません。


今でこそ「昭和天皇物語」というマンガがヒットしたりする時代ですが、他のマンガにおいてもキャラとして登場することはほぼありません。


皇室は日本にとっては今でもタブー、別の言い方をするならば神聖なものととらえているようです。


一方イギリスにおいてはもう少し王室に対しての距離感が近いように感じます。


週刊誌(パパラッチ)は王室を追いかけ回し、失言をしては徹底的に叩きくなど容赦がありません。


逆にロンドンオリンピックのオープニングではスパイであるジェームス・ボンドと供に飛行機からダイブするなどフランクな姿勢ももっています(もちろんスタントですが)。


日本の場合いくら正義の為の人物とは言えバンバン悪を殺害しいい女を見つけては抱いてまわる007のような存在と、皇室をセットにして映像化するなんて事は無いでしょうね。


どっちが正しいなんて言うつもりはもちろんありませんよ。


それぞれの国で決めたらいいだけのことです。

 

映画のストーリー


1936年に王として即位したジョージ6世が主人公です。


王には吃音という持病があり、国民の前でスピーチをする際にどうしても発音がうまくいかない悩みがありました。


そこで妻とともにクセのある吃音治療のスペシャリストという男に治療をゆだねるが・・・


みたいな話です。だいぶ省略してるけど。


怒りっぽく生真面目な王様が、吃音を治すために奔走するコメディ的な要素も含まれています。


一方で「思わぬ形で国王に即位することになり、国民を代表する者としてのプレッシャーに負けそうになる」という人間味ある人物としても描かれており、王としての成長物語でもあります。

 

映画の良かった点


上記の理由もあり、映画ではわりと容赦なく王室の様子を描いています。


特に主人公の兄であるエドワード8世はあきらかに「こいつはダメな男だ」として描いていますし、彼を引き立て役に利用することで主人公を王様へと導くような作りになっています。

 

一時とはいえ国の王だった人にも遠慮なしです。


そもそも主人公ジョージ6世の吃音を治療するシーンにしても、わざわざFワードを連発させるような演出が必然であったわけではありません。

 

もし日本の映画で皇太子様にFワードを連発させるようなシーンを撮るでしょうか?

ありえなさそうですね〜。


あくまでも映画として面白くなる方を優先して描いている印象です。


このあたりは良い意味で振り切った描き方をしているようで好感がもてます。


もしも現国王・女王を映画に登場させるとしたらどのように描くのでしょうね。


ハリウッド映画なんかだと、現大統領であろうが容赦ない描き方もするし。


やはり国によって色々だなという感じですかね。

 

映画のポイント


僕がこの映画に注目していたポイントである「国民に話しかける」というシーン。


場面と状況としては「これからドイツとの戦争が始まる(第二次世界大戦に本格的な参戦をする)」という宣言を国民にするわけですね。


少なくとも映画内では国民はその声に真剣に耳をたて、厳粛な気持ちでメッセージを受け取ったというような描き方になっていました。


一方で別のシーンではヒットラーナチスに向けて高らかにスピーチをしている様子も描いています(実際のヒットラーの映像)。


この時点においてはどちらも「国民の心を一つにする」というのが目的であり、一部成功もしたのでしょうね。


さて、それを踏まえて先日の天皇の御即位のご様子などを観てみると思うところはあります。


今でも皇室の影響力というのはしっかりと残っており、何かを語れば国民の心をひとつにまとめることも出来るかもしれません。


僕自身は一部の政党が言うように「戦中へと逆戻りな危険な状況」だなんて思っていないのですが、皇室が力の振り回し方を誤ると一定数の人間がそれに引っ張られるくらいの力はまだあるのだろうな、と感じました。


もちろんそんな心配はないと日本という国を信じていますが、もしも当時のナチスのような状況になりたくないのならば国民ひとりひとりが今でも自国のあり方を考え続ける必要があるのだろうななんて思いました。


でもやっぱり基本的には天皇陛下のお言葉から励まされたり一致団結したりするポジティブな要素の方がはるかに大きいと僕は思っているんですけどね。

 

 

ポスターの感想


この映画、ご存じの通りアカデミー賞作品賞までとった偉大な作品なんですけど、どうもポスターワークがピンとこないんです。


まずは本国版のポスター

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フォントのバランスやレイアウトは美しいと思うのですが、何せ写真が・・・・・良く言えばシックで安定感のあるデザインですが、悪く言えば地味で平凡という。


後ろにいるジョフリー・ラッシュが王を見上げているようなシーンは愛嬌やコミカルな雰囲気があっていいんですけど、とはいえやっぱり地味ですねぇ。

 

 

別案


こっちのポスターは僕は大好きです。

 

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「さぁ、今から語りかけるぞ」という緊張感に満ち満ちていて緊張感があります。

 


とはいえさすがにこれでは情報が足りなすぎますね。


この映画の内容を知っている人にはいいのですが、何も知らずにこれを見ても「ラジオ局かなんかのポスターかしら」で終わりです。


配色の絶妙さもありとてもいいポスターなんですけど、「映画の案内チラシ」としては一枚では効果が不十分です。

 

日本語版ポスター


では日本語版ポスターの方はどうでしょうか。


これもなかなかに評価が難しいところでして、、、

 

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まず、写真のチョイスはとてもいいなと思いました。


やたらと緊張した面持ちのコリン・ファースの表情がいいですね。


緊張してる、でもちょっとコミカルな感じがとてもいいです。


映画のテーマに非常にマッチした写真ですね。


とはいえ、全体を見渡した時にどうでしょうか。


まず全体のトーンを何故か黄色にしています。


映画タイトルのフォントもやたらとゴージャスにしていたり、コリン・ファースの頭の上に王冠なんて配置してみたり。


あまりにもコミカルすぎるんですよね。。


この映画は確かにコミカルな要素は大きいです。


ですが、ポスターがその上をいくようなコミカルなムードを出しちゃうのはいけません。


なぜなら、「ジョージ6世自身は真剣に悩んで傷ついて立ち上がる」人物だからです。


その人物がジタバタしている様がコミカルなんですから、わざわざ「これってコミカルな感じなんですよ」なんて説明してあげるのはナンセンスでしょう。


まぁあとは言いたくもないけど「英国史上、最も内気な王。」というキャッチコピーもどうかと思います。


そういう映画じゃないし、吃音に悩む人に対する配慮に欠けています。


内気だから吃音になるんですか?


そう捉える人がいてもおかしくないと思いますよ、これじゃ。

 

まとめ


映画は非常に重厚感のある素晴らしい出来でした。


折りをみて何度も観たくなる完成度と思います。


一方で何故か映画ポスターがなんともしょぼしょぼな出来です。


時間でも無かったんですかね笑


もうちょっとどうにかなったと思うんですが。。


映画の内容自体が地味だった分ポスターの表現も難しかったとは思うのですが、映画の完成度に見合ったポスターとは思えませんでしたよ。


それでは、また。

 

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