キャプテン・マーベル Captain Marvel
監督 アンナ・ボーデン&ライアン・フレック
脚本 メグ・レフォーヴ
ニコール・パールマン
出演者 ブリー・ラーソン
音楽 パイナー・トプラク
ポスター…75点
映画…70点
『マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)』シリーズとして21作品目となる今作。
シリーズとしては初めて女性が単独主役となっただけでなく、スタッフも女性を中心に構成するなどのこだわりよう。
ブラックバンサーでは黒人を中心に映画を作るなど、新しいチャレンジを続けるMCU。
まずは映画ポスターから作品の性質を探ってみたいと思います。
迫力のある構図
日本版ポスターとアメリカ版ポスター。ぱっと見での構図は近いのですが、なんとなく印象が違うのが分かるでしょうか?
答えは背景にあります。
アメリカ版ポスターでは、青と赤の配色で画面を分割するなど全体的に明るい雰囲気です。
日本版では背景は真っ黒、スターの部分も金色に変更するなどしています。
日本公開版がなぜこのような変更をしたのかは不明ですが、おそらく『いかにもアメリカ!』な配色を避けたのではないかと思います。
世界ではどのような変更がされているのか気になりますね。
少なくとも日本版ポスターからはアメリカらしさが後退しています。
映画をどのように解釈するか
日本版ポスターでは、背景に『主人公の過去』を思わせるビジュアルが追加されています。
キャッチコピーも『失われた記憶』や『アベンジャーズ誕生前』などと、『今作は過去が重要な話なんですよ』と強調しています。
実際に今作は1995年を中心とした作品なのである意味その通りです。
アメリカ版ポスターを見るだけでは、これが過去の話だと予想するのはほぼ不可能ですね。
ビジュアルのカッコよさなどとは別の話で、日本版ポスターの方が観る方に親切と言えるでしょう。
ではアメリカ版が何故あのようなビジュアルにしたのか。
これは『今作は明るいタイプの映画ですよ!』という宣言であるように思います。
観てみると分かるのですが、今作はとても明るい雰囲気の映画です。
登場人物の多くが敵も味方も、どんな状況でもジョークばかり言っています。
その雰囲気をポスターに込めたんですね。
そう考えると、日本版ポスターはちょっと暗すぎるとも言えるのです。
強さの表現
キャプテン・マーベルでは3種類のメインビジュアルがあります。
いずれのアートワークでも共通している点がありまして、それは『コブシを握っている』ことです。
さらにどのポスターも、こちらを睨みつける演出がされています。
これによってマーベルの力強さを表現しています。
例えばですが、DCシリーズのワンダーウーマンではどうだったか。
そう、こちらを見つめる構図ではありません。
もっと『未来を見つめる』というような意図を感じます。
さらに後ろにいる人物達を率いているような構図は、ジャンヌダルクを思わせるような演出ですね。
こちらはこちらでいいビジュアルと思います。
マーベルの方のメインポスターの大事な要素として、こちらを見下ろすような構図になっています。
これもまた強さを感じるような意図があるんです。
近年の傑作に『ドリーム』という作品があります。
この映画もまた女性の強さを描いた作品でしたが、そのポスターワークがこちらでした。
ドリームのポスターでも、こちらを見下ろすような構図なんですね。
この『こちらを見下ろす』という演出は、ポスターだけでなく映画内でもよく使われる表現ですので覚えておくと面白いかも知れませんよ。
映画の評価
いよいよ再来月にせまった『アベンジャーズ・エンドゲーム』を楽しむために予習をかねての鑑賞。
エンドゲームの方のポスターにもキャプテンマーベルがかなり大きめに登場しているので、今作を見ていないと100%楽しめなさそうだなと判断したためです。
このへんは、MCU側にまんまと踊らされている感はありますが。
僕は映画を観る際に、あまり前情報はいれないで鑑賞するようにしています。
個人的には何も知らない方が楽しめるし、あとで資料を確認した際に『なるほど、やっぱりこのスタッフだったのか!』などと答え合わせをする面白さもあるからです。
ですが、わりと見初めてすぐに分かることがあります。
それはガーディアンズ・オブ・ギャラクシーを意識しているという点です。
クリー人が出てくるなど、そもそもの舞台が共通しているというのを別にしてもそれは顕著です。
冗談ばっかり言っているキャラクター達、既存の音楽を使った演出、キャプションの出し方、派手めな色彩。
鑑賞後に分かることですが、当然ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーチームとスタッフは共通している点も多かったで
す。
音楽という危険性
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーとしての共通点に『既存の音楽』の使用という点を挙げました。
音楽を用いて映画を盛り上げるというのは定石中の定石ですし、それがうまくいっている作品もいっていない作品もあります。
うまくいった方では近年の傑作では『アトミックブロンド』やドラマ『ウォーキングデッド』などがあります。
では今作はというと・・・・・・
・・残念ながらうまくいっていると感じませんでした。
まず作品中、ニックがマーベルに『お、グランジか?』などと言います。
このへんでちょっと嫌な予感はありました。
1995年といえば、カートコバーンが亡くなって1年くらい。
このあたりでのグランジというのは。。。。。
すでにちょっと時代遅れ感があると思うんですよね。
ニックが言っている時点ですでに『なんかオッさんが知ったかぶりで若者文化に口出してる』ような印象なのです。
その時代遅れ感をあえて出しているのかと思いきや、別にそんな感じでもない。
わざわざナインインチネイルズのTシャツを着ていたり、ここぞという場面でニルヴァーナを流したりしているのですがそれがうまいとはどうしても思えない。
グランジミュージックが楽が常に鳴っているかというとそんなこともなく、たまに思い出したように流れる程度。
グランジという音楽が生まれた歴史なども踏まえると、物語にフィットしているとはあまり思えず。
そもそもキャラクター達の性格とグランジがまったく合っていません。
なぜこのような演出がされたのか何回考えても分からないんですよね。。。
さすがにMCUが何も考えずにそういった演出をしているとは思いにくいのですが。。。
詳しい人に聞いてみたいところです。
(音楽といえば、上映前にトイストーリー4のティザー映像が流れていたのですが、そちらの音楽の使い方はふざけ方も含めて100点でした。たった1分半の映像ですが音楽面ではこちらの方がうまいです)
インフレーションの最果て
キャプテンマーベルがなぜこのタイミングで参戦するのか。
これはもう観たらすぐにわかります。
つ・よ・す・ぎ・る!!!
こんだけ強かったら、彼女に対抗できるのはソーかビジョンくらいなものです。
こんなキャラが序盤から出てきていたら、アベンジャーズは5、6分で映画が終わってしまいます。
彼女の使い方は極めて限定的で、『ある程度パワーに制限をつける』という工夫をしないと彼女が暴れ出した途端に敵が全滅してしまいます(ビジョンもそんな感じでしたね)。
おそらくですが、エンドゲームをもってキャプテンマーベルは再び作品から離れるのではないでしょうか。
映画としての評価
音楽などでのケチはつけてしまいましたが、映画としてはそこそこの面白さはあったと思います。
変にフェミニズム要素を出さなかったのは大正解だったと思いますし。
キャプテンマーベルは女性としての強さではなく、本来の人間性として偉大であり強いという方向性は好印象です。
エンドゲームでどのように活躍するかも含めて、彼女の魅力を今後も楽しみにしたいと思います。
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