映画のように平面デザイン

年間200本映画を観る地方グラフィックデザイナーが、色んなものを平面デザインでとらえてみます

さくら(小説)《洪水のような心地よい衝動》

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小説の点数…95点
装丁の点数…83点

 

溺れるような小説体験


こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。


今回は映画の感想ではなく、小説のお話です。


僕自身そこまで小説を読む方ではなく、年間で10冊程度しか読みません。


それもあって、恥ずかしながら西加奈子さんの小説も今現在この《さくら》しか読んだことがないありさまです。


売れっ子さんだからか名前は聞いたことがあったのですが、正直なところ女流作家さんよりも男性作家さんの作品の方が好みなので触手が伸びなかったんですよね。


でも今回、人の推薦もあってちょっと読んでみることに。


感想を一言で言うなら、足下がぐらつくような傑作、ですね。


読み終わって一週間程度たつのですが、まだ主役3人(+2人+1匹)のことを思い浮かべる日々です。


もっと早く彼らと出会いたかったなと強く思います。


もしもこのブログを見ていて、ほんの少しでも興味を持ったらすぐに手をのばして欲しいです。
個人的には、10代とか若いうちに読むのが一番良いのではないかと思います。


もちろんオッサンでもおばさんでも、違う味わい方はあるから同じくお薦めですが。

小説のストーリー


ネタバレはしませんが、「あらすじにのっているくらい」の内容はお話します。


長谷川家の3兄弟、はじめ、薫、ミカの三人は、仲の良い両親に育まれ、そして一家のアイドル犬さくらと共に健やかに暮らしていました。


特にはじめやミカは非凡な才能や容姿にも恵まれ、まわりから羨望される魅力をもつ人物です。


でもある日、20歳になる長男はじめが命を落とすことになります。


そこから長谷川家は少しずつ狂いだしていき………

 

みたいな感じですね。


小説内で起こる大きな事件は「長男が死ぬ」というくらいであとはほとんど日常シーンの連続、特に「長男が死んでしまう20歳までの15年間くらい」を丁寧に丁寧に描くのですが、その間にほとんど事件なんて起こらないんですよ。


でも小説の冒頭で「20歳で死ぬ」ことだけは判明しているので、読み手はそれを理解した状態でページをめくることになります。


語り部は次男である薫が担っており、例えば「スポーツマンでモテモテで人気者の兄ちゃん」と語るときもあくまで「次男にはそう見えている」という構図になっています。


当たり前のことですがこのへんが映画では使えない文法なので面白いなと。


映画では画面で思い切り写ってしまうので、本当にモテてるのかカッコイイのかは観ている人には分かりますからね。

 

小説の良かった点


物語の語り部である次男・薫というのがなかなかくせ者で、彼がどこまで本当のことを喋っているのかが完全には読み取れないのが素晴らしいなと思います。


例えば「AさんはBさんが好き」というのはなんとなく薫が気付いていても、それを言葉にしたくないと感じたら話さない→読み手にそれを伝えない、というような自体がまま発生します。


特に家族に関する描写に顕著で「うちの家族がいかに素晴らしい人物達で幸せか」ということは丁寧に丁寧に説明するのに、家族が狂いだしたあとは家族のイヤな面は直接的には表現せず匂わせる程度に留めていたりします。


小説を読んでいると「ああ、なんて素敵な家族なんだ」と思わせる一方で「いやでも、実はこの家族おかしいよな」という気持ちがいったりきたりすることになります。


恋をしたり、性に悩んだりといった描写があり、それがドラマチックに描かれてはいるのですが、言ってしまえばそれも「ごく普通のこと」でしかなくて。


書いてある内容自体は本当に「絵本に出てくるような作り物のような家族」なんですよね。


そのパーフェクトさが狂っていく様子を勢いよく描くのが気持ち良かったです。

 

西加奈子さんという才能


「波のような」文章を書く方だなと思いました。


読んでいる間中、ぷかりぷかりと浮き輪にのって、リズミカルな心地よさに任せて波に乗っているよう。


いつまでもいつまでもこの波に乗って幸せな思い出を味わっていたいなと思うのですが、読んでいる間中ずーーーーっと不安を感じています。


それは、目の前に大きな時化がやってきているのが分かっていて読み進めなければならないからです。


このあと、絶対に、波ののまれてしまうと分かっているながら相変わらずぷかりぷかりとリズミカルな文体は続いていきます。


話のテーマこそ違いますが、伊坂幸太郎さんの「重力ピエロ」を思い出しました。


あちらも「兄弟の話」「このあと、絶対に良からぬことが起こることが分かっていて読み進める」という点で共通しています。


また、映画「葛城事件」のような「家族という地獄」という共通点もあるかと思います。


正直なところ、「文句のつけようがないくらい文章力が素晴らしい」という感じではないんです。


かなり若々しく瑞々しい。


それもそのはず、執筆時はまだ二十代半ばで長編二作目の小説とのこと。


もうそれを隠すこともなくというか、後半は特に衝動にまかせっきりとも思えるような文体で襲いかかってきます。


こういう若さ溢れるみたいな表現はそんなに好きなジャンルではないのですが、この小説に限っては100%それが良い方向に働いたんじゃないでしょうか。

 

装丁の感想


シンプルな線画のイラストの上に、タイトルが明朝体で、すぅっとのっています。

 

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さくらというタイトル通り、色もさくら色。


装丁を観るかぎりは「日常を描いた内容かな」と予想できますし、実際にその通りです。


ただし、線画は暗いグレーで、全体として「明るく楽しそう」な印象はありません。


ほのぼのはしているけど、楽しくはない。そんな感じ。


これは小説を読み終わるとより意図が見えてきます。


街並みはよく観るとフリーハンドで描かれています。


定規とかを使わないということですね。


フリーハンドで描くメリットは、手描きの温かさが出るとか生き生きとした印象になるとかです。


ですが今回の装丁のタッチは少し違うようです。


ほのぼのしているように見えるけれど、少し街並みが傾いているように見えます。


ましてや全く色がありません。


これは「愛すべき日常」が狂ったまま色を無くしてしまった、という風に見えてきます。


小説を読む前と後で、受ける印象が微妙に変化するというとてもいい装丁だなと思いました。


また、意図的かは分かりませんが中央の家からY字に道路が広がっており、「もしあの時別の道があったならば」というような意味にも見えますね。

 

まとめ


考えてみると当たり前なんですけど、映画と違って映像のない小説は装丁によって受けるイメージが映画よりもかなり大きいですよね。


だから小説の装丁って「ぼんやりとした」ものが多くなってしまうのだと思いますが。


でもそういうのこそグラフィックデザイナー冥利につきるよなぁというか、美しい装丁を観ると「いいなぁうらやましいなぁ」なんていつも悔しくなります。


この冬はまだ何冊か小説を読む予定があるので、気に入ったものがあったらまたアップしたいと思います。


ギブアップ。


それでは、また。

 

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