映画のように平面デザイン

年間200本映画を観る地方グラフィックデザイナーが、色んなものを平面デザインでとらえてみます

キャロル 《意図がかみ合っていないポスター》

映画の点数…65点
ポスターの点数…50点

 

LGBTもの映画を扱うということ


こんにちは、ピースマイルです。


今回扱う映画は【キャロル】なのですが、一言で言えばレズビアンを題材にした映画ですね。
(もちろん一言で言えないから映画にしたり小説にしたりするんですが)


この手の映画を観る時、そして感想を考えるときって結構大変だなと思うわけです。


自分の言葉一つで誰かを傷つける可能性もあるし、十分に気をつけているつもりでも無自覚の差別心が自分の中にあるのかも知れないし。


でもそれを言い訳にしてたら自分の知見なんて広がっていかないから、極力この手の映画は観たいと思っているし、恐れずに意見はぶつけ合うべき……とかグダグダ言ってるあたりが既に言い訳くさいですな。

 

映画の構造


まずは簡単に映画のアウトラインというか構造ですが


・原作は小説であり、一部LGBT界ではバイブルでもあったとのこと
・1950年代のアメリカが舞台であること
・1950年代の映画のつくりを真似するように撮っていること


という点があります。


特に1950年代のアメリカということは大事なことで、この作品がいつ作られたのか、そしていつ読んだり観たりするのかで全くニュアンスが変わってくるということです。


言うまでもなく今よりもはるかにLGBTの方に市民権のなかった時代に作られた小説を、2015年に映画化するというならどのような工夫がされるべきなのか。


それが映画にとってのキモになってくると思います。

 

あまり工夫の感じられない脚本


残念ながら、この映画を2015年に作成したことの意義は僕はあまり感じませんでした。


ケイト・ブランシェットとルーニー・マーラが恋に落ちていく様子をとても丁寧に美しく描いているのですが、それが正直僕には古く感じられて。


あまりにも過剰に「美しく、儚く、繊細に、丁寧に」描いているような感じが苦手で。


それって結局「LGBTの人達が特別な存在である」ということを逆に引き立てているような気がしてしまったんですよ。


もちろん前述の通り、1950年代のアメリカにおいてはあまりにも許されざる恋だったのだとは思います。


それ故の禁じられた恋のスリリングさは画面から伝わってくるんですよ。


でもそれって「レ・ミゼラブル」とか「ロミオとジュリエット」を観た時の印象と近くて。


それじゃ古典的な恋愛映画の枠組みからは出られていないのではないかと思うんです。


せっかく2015年においてLGBTを題材にした映画を作るのであれば、それに見合った何か新しいものを期待するじゃないですか。


まぁ「その通り、私たちはこの映画を普遍的な恋として描きたかったのだよ」と言われたら「なるほど、そうだったんですね」としか言えないんですけども。


だとするとちょっと残念かな。

 

生々しさへの不満


それと、この映画の弱点は「生々しさの欠如」だと思っていて。


言い換えれば「お金の心配」とか「セックスの有無」とか「財産分与」とかそういう話が意図的にされていないことが良くないと思うんです。


彼女達は特にお金のことを考えずに旅をしたり一緒に住むことを話し合ったりしますが、男であれ女であれお金の話は大事でしょう。


そのへんをすっ飛ばした恋愛映画は中学生までしか楽しめないというか。


ただ浮ついているだけの二人に見えちゃって。


それと、せっかくセックスシーンを描くのであればもっと大胆にして欲しかった。


ルーニー・マーラは一応脱いでいるものの(もっとも、彼女はよくヌードになるが)、ケイトは背中だけのヌードだし、性描写も気の抜けたコーラみたいな甘ったるいものです。


別にヌードが観たいというわけではなくって、この映画には必要な描写だったと思うんですよ。


ようやく性の解放を自分に許した二人が、狂ったように愛し合うというシーンがあの場面だったはずです。


たとえケイトの身体が年齢相応の美しくは無いものだったとしても、それは映画にとってプラスだったと僕は思うんですよね。


身体が生々しくあるほどに、より恋の美しさが際立ったと思うんです。


50歳と30歳くらいの女性の恋を描くのであれば、老いという美しさと醜さから逃げてはいけなかったのではないでしょうか。


ちょっと消化不良ですね。

 

いいところ


アカデミー賞にドカドカノミネートされたくらいの本作ですから、当然いいところもたくさんありあます。


特に主演二人は「他に思い浮かばない」ほどにベストな配役だったと思います。


ケイトは「そこにいるだけ」でフェロモンが吹き荒れるように出まくってましたし、ルーニー・マーラも人形よりも人形、MattよりもMattな美しさがありました。


ルーニー・マーラに関してはドラゴンタトゥーの女の撮影後でこれですからね。


とても同じ生き物だとは思えません。


繰り返しになりますが、この映画はとにかく美しいんですよ。


この美しさに映画代を払っているといっても過言ではありません。


で、僕自身は単に「美しく描きすぎるのは違うのではないか?」と思っているだけのことです。

 

ポスターの感想


この映画のポスターはいくつかあるのですが、まずは日本でよく観られたこちらのポスター。

 

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うーーーーん、、、


悪くはないと思いますけど、これじゃ駄目だろうとも思います。


いいところは、キャロルのイメージカラーでもある赤をうまく使い、二人の女優の美しさを前面に出したという点。


この映画の売りが主演二人の美しさなのですから、潔いと言えば潔い。


でもこれでは映画の意図を反映できていないと思うんです。


こちらのバージョンのポスターだとどうでしょうか。

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構図は先ほどと似ているのに、印象がかなり違うと思います。


まず、赤を使っていないため画面が灰色っぽく暗い印象です。


さらに、かなり大胆に二人の顔をトリミングしているため「心が通じ合っていない」ことや「本当の素顔をみせていない」というようなミステリアスな印象を与えています。


こちらのポスターの方がより映画の内容に近いと言えそうです。


さらに、タイトルのフォントに注目してください。


全体的に明朝体を使ってやわらかで繊細な印象の日本語版ポスター。

 

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それに対し、本国版ではゴシック体のガッチリしたフォントを多用し「硬質で冷たい」ような印象を感じます。

 

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細かい違いのように見えて与える印象がかなり変わってくる改変です。


これもまた日本語版ポスターの方は「美しくみせようとしすぎ」な気がします。

 

そうそう、これこれ


個人的にはこのポスターが一番好きです。

 

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儚くも幸せそうなルーニー・マーラをケイトが見つめているという構図。


映画を観たら分かるのですが、ルーニーがケイトに恋をしているように見せかけて、実はケイトの方がルーニーを求めてしまっているという設定です。


こちらのポスターの方が一番映画をうまく表現していると思います。


ただまぁ、ここまで見せちゃうとネタバレみたいになっちゃうと思ったのかな。


このへんは難しいところですけど。


抑えめの彩度の中で、車の色を使ってうまくキャロルのイメージカラーを表現してるのもうまいですね。


劇中使っている車とは違う車を用意してまでこのようなポスターを作っているのは脱帽です。

 

まとめ


僕自身の感想でしかないのですが、僕はこの映画は「言うべきことをトレースできていない」、ポスターは「映画の内容を伝え切れていない」と思いました。


誰が観てもきっと面白いと思える一作だとは思うのですが、だからこそ辛口な目線で観てしまったのかも知れません。


何はともあれ美しい一作です。


観る価値は絶対にある一本ですよ。


それでは、また。


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