映画のように平面デザイン

年間200本映画を観る地方グラフィックデザイナーが、色んなものを平面デザインでとらえてみます

J.エドガー 《極太で複雑で繊細な人物記》

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映画の点数…82点
ポスターの点数…85点

 

こんにちは、ピースマイルです。


恥ずかしながらJ.エドガー(以降、フーバーと表記)さんについては特に知りませんで。


とはいえ、そういう知らない人物こそ楽しみながらお勉強できるのも映画の良さですから。


楽しみながら鑑賞しようと思っていたのですが、それもなかなか難しいタイプの映画でした。


さすがイーストウッド、そして脚本のダスティン・ランス・ブラックさんと言ったところでしょうか。

ちなみに僕はダスティン・ランス・ブラックさんが脚本を務めた「MILK」という映画は生涯ベストの一本だと思っています。


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ポスターについて


まず映画ポスターについて観てみます。


このポスター自体が、映画の内容を見事に反映しているとも言えるからです。

 

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ポスターのレイアウトはシンプルです。


文字情報だけ拾うならば


レオナルド・ディカプリオ主演、イーストウッド監督、J.エドガー、世界で最もパワフルな男。


これだけですね。


サインという表記


この中でも「J.エドガー」という表記に注目します。


これだけが、自筆のサインです(実際に自筆かは知りませんが、便宜上)


つまり、「これは私のオフィシャルのものですよ」という宣言です。


実際の映画でも、フーバー自身が自分の半生を振り返りながら進行していきます。


この映画は、フーバーが語る、フーバーの物語ということです。


顔のビジュアル


ただし、単純にフーバーが語る物語を信用することは出来ません。


いわゆる「信頼できない語り部」というやつですね。


フーバーが自身のことを語る以上、フーバーが自分の事を誇張したり嘘をついたりする可能性があるわけです。


そして映画のなかでもたくさんの嘘をついていると思われる描写が残っています。


そのことをうまく表現しているのが、このディカプリオの横顔なのです。


威勢良く誰かに対して怒鳴っているような横顔のアップ。


FBI長官としての厳しい姿勢を思わせるような威厳ある顔にも見えます。


しかしそれは正面から光を当てている部分だけであって、後頭部にかけて真っ暗な影となっています。


つまり「フーバーという男には、二面性があった」ことや「表とウラでは違う顔だった」ということ、「正義と悪の二面性」を表現しているわけです。


特にこのポスターではかなり強く明暗をつけており、二面性がかなり極端であったことを示唆します。


孤独の表現


さらにもう一点ポスターから読み取れることがあります。


それは、フーバーの孤独です。


フーバーは誰かに対して怒鳴っているようですが、その相手の顔は見えません。


さらに、背景にも具体的には誰もうつっていません。


フーバーのみです。


ただし真っ暗というわけではなく、背景にぼんやりと誰かがいるようなニュアンスになっています。

 

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そのことがよりフーバーの孤独を際立たせています。


誰かに怒鳴っているように見えて、それが誰にも届いていないような孤独。


顔が威勢のいい表情なのにもかかわらず、何故か寂しさを感じる構図になっているんです。

 

 

映画の感想


上記のように、ポスターの中から映画の内容は実はかなり語られていました。


当然、僕がこのポスターを観て「このような映画に違いない」とまで読み取ったわけではありません。


そんなことが出来たらわざわざ映画を観る必要がなくなります。


映画を見終わった後に答え合わせをしながら楽しんでいるわけです。


さて、そんなフーバーの二面性に迫った映画なわけですが、ポスターからは読み取れない情報が映画の背骨になっています。


それは、フーバーが性的マイノリティ・ゲイであったという話です。


フーバーというFBI長官としてのサクセスストーリーを追いかける映画かと思いきや、それがだんだんとフーバーのセクシャリティな部分にフォーカスが当たっていきます。


つまり、映画を観ていくうちになんと実は映画自体にも二面性があるということが浮かび上がってくる仕掛けになっているわけですね。


当然、それを嫌う観客もいると思います。


政治映画を観たくて観に行ったら、後半から恋愛映画に変わっていくわけですからね。


個人的にはそのどちらも非常に楽しむことが出来たと思っています。

 

ゲイの取り扱い


ゲイ含むLGBTに対する風当たりの強さは今とは比べものにならないくらい厳しかったことでしょう。


その厳しい空気感の中で誰よりも強い人間であろうとしたフーバーは、やはり誰よりも孤独な人間だったのだと思います。


イーストウッドは、フーバーに対して「いい奴なのに可哀想」みたいな描き方はしませんでした。


むしろ意地っ張りで人の気持ちの分からぬ傲慢な男として映画で描いています。


だからこそ、その裏側にある孤独を知っている我々観客はより深い空しさを感じるわけですね。


イーストウッドのお見事な演出だと思います。

 

スーツ


この映画では、スーツというものが隠れたキーワードになっています。


やたらとスーツの話をしているフーバーやその周辺の人達。


服を着ているという状況は、他者からどう見られるのかに以上にこだわっている様子を示しています。


だからこそ、ラストのラストでのフーバーでの衣装をみて泣けてくるんですよね。


このような細かい演出こそが映画全体のクオリティをあげるんだなと感心します。

 

まとめ


というわけで、まさに極太で複雑で繊細な映画でした。


このくらい重量感のある映画もやっぱり楽しいですね。。


イーストウッドはアメリカンスナイパーを最後に重厚な映画は撮っていないようですが、もし可能であればもう一度「おもたーーーーーーーい」映画を観てみたいです。


それではまた。


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