映画のように平面デザイン

年間200本映画を観る地方グラフィックデザイナーが、色んなものを平面デザインでとらえてみます

64(ろくよん) 《豪華な素材を全部黒焦げに料理した映画》

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映画の点数…35点
ポスターの点数…25点

 

とにかく食材が豪華な映画


こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。


今回取り上げる映画は《64(ロクヨン)》です。


横山秀夫さんの原作小説のミステリー映画(一応)で、それより何より出演者の豪華絢爛さが売りの映画と言っても過言ではないでしょう。


主要なキャラ以外にもドッカンドッカン主演クラスの俳優を揃えに揃まくった作品。


撮影期間中は日本から俳優が消えたんじゃないかしらん。


料理で例えるならば、メニューは旅館の会席料理(=本格派ミステリー)食材(=俳優)は日本中から新鮮なものから高級なものまで集めてきました。


そこでさぁ料理長に任されたのは瀬々監督。


どんな仕上がりになるのかなと期待していたら。。。。


出てきたのは全部同じフライパンで黒焦げにしたような料理でした。

 

映画のアウトライン


元々原作自体がそうなのですが、この映画にはいくつかのテーマが重なりあっています。

 

  • まずはメインテーマの「昭和64年に起きた幼女誘拐殺人事件の犯人は誰なのか」という問題。

  • 次に「事件の隠蔽や不自然な人事など、警察内部のゴタゴタ」という問題。

  • そして「広報部とメディアの記者達との確執」という問題。

  • さらには「家出をして行方の知れない娘との親子関係」という問題。


これらのテーマが重なり合いながら人間ドラマを描いていく。。。


というのが目的だったのでしょう。


だとしたら、少なくとも映画ではそれがうまくいっているとはとても思えませんでしたよ。。。


このあたりがこ「食材同士が料理全体の味を引き立て合う」ということでなく「全部混ぜてフライパンで黒焦げにする」との違いなんだと思います。

 

映画の良かった点


もちろん良かった点もあります。


大前提として、4時間の映画を見続けることは出来るくらいには映画は完成しています。


本当に下手な監督ならば、そんなに長時間画面を観ることすら出来ない仕上がりになるはずですから。


そしてなんだかんだ、豪華な俳優陣を集めた一種のパーティー感というのは華やかでいいと思いますよ。


映画の魅力とつながっていたとは思いませんが、少なくとも皆さん実力のある俳優ですので観ていて飽きません。

 

映画の不満点


まず何より、「映画化できてない」気がしました。


つまり、なんか小説をそのまま読んでいるような感覚なんですよ。


登場人物達はやたらと大げさな口調で全てセリフで説明してしまいます。


「組織ぐるみでの隠蔽!!」とか「魂まで売ったつもりはありません」とか「これが県警の答えですかーーー?」みたいなセリフ。


言わないでしょ、そんなセリフを日常では。


そういう日常から離れたセリフが連続しちゃうと、どんどん画面にうつっているものが現実のものではないと分断されていっちゃうんですよね。


それってこの手のミステリーにおいては致命的なミスじゃないですか。


せっかく画面のある映画なんだから、セリフ以外の仕草や目線だけでいくらでも表現のやり方があったと思うんですよね。


何せ実力派の俳優はいくらでもいるんですからね。


映画全体を通してとにかく役者同士がワーワー言ってるシーンが無駄に多くって。


「殺人事件」と「新聞屋とのケンカ」が全く同じテンションで語られるので、何を制作者は伝えたいのか全然分からなかったです。

 

脚本に問題あり


いくら原作小説があるからとはいえ、映画の前編と後編に分けるのがうまくいっていないと思います。


前編のラストで「第二のロクヨン事件が発生した??」というのは良かったと思います。


ただそれでも、一応2時間の映画が終わるわけですから一箇所くらいはスカッとする場面は入れた方がいいんじゃないですかね。


例えば「ネチネチ言ってくる上司の不正を暴いてやっつける」とか「元刑事部としての能力が炸裂して、行き詰まっていた事件を一つ解決する」とかさ。


この映画では「新聞屋との確執が少し雪解けする」というだけですよね。


いや、そんなのこっちは全然どうでもいいから。


道を歩いていて、他人と他人がケンカしていたけどちょっと仲直りした、とか見たとしても「だから何?」としか思わないでしょう。


その仲直りの仕方も「上司の命令を無視して独断で情報を解禁する」とかいうもので。


個人的には、そんな勝手な判断を個人でしてしまう警察の方がよっぽど怖いですけどね。

 

ミステリーとしてダメ


小説だといいんですけど、やっぱりこの映画化のやり方には少し無理があったと思うんですよ。


全員顔も名前も知っているような俳優が出てくるので、出てくるタイミングやセリフの扱いなんかを見てるだけで「この人が犯人なんじゃないの」という予想がついて。


しかもそれが特に裏切られることもなくやっぱり犯人だったりしました。


どうやって犯人が分かったか、の推理をする前に犯人が予想できちゃう作りってのはどうかと思うんですけどね。


犯人のYさんが電話で「つぎの・・・信号を・・・・右に曲がれ・・・」とか指示してるシーンなんか普通に笑っちゃいましたけどね。


ただのギャグシーンにしか見えませんでした。


可哀想なYさん。


最近、損な役しかやってない気がするんだけど気のせいかしら。

 

真犯人がダメ


これかなり大事だと思うんですけど。


あのー、事件の犯人、後編にしか出てませんよね。。??


それってミステリーとしてどうなんですか?


映画を観ていると、後編から急にビッグネームな俳優さんが登場するんですよ。


それってもう、犯人以外にありえなくないですか???


僕はさすがにそんなことはありえないだろうと思ってたんですけど、まさかのそのまま犯人。


そういう意味じゃ確かに予想外の人が犯人でしたよ。


でもそれってどうなの????

 

ポスターの感想


やっぱりこういうポスターにした方がお客さんが呼び込めるからそうしてるんでしょうね。

 

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可能な限りスッキリさせているし見にくいということはないんですけど。


ただやっぱりこういうポスターって「金かけて俳優集めたっすよ〜」とか「犯人はこの中の誰かですよ〜」とかそういう意図しか見えてこなくって。


僕はやっぱりポスターの役割は「この映画、面白いですよ。絶対に見た方がいいですよ」というメッセージを届けることだと思うんですね。


それを放棄したようなポスターはどうしても好きになれないです。


キャッチコピーはシンプルだけどいいですよね。


「犯人は、まだ昭和にいる」という。


少なくとも「どんな映画なんだろう」くらいは気になりますね。

 

別案


後編に合わせたポスターのようです。

 

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うん、こっちのビジュアルはカッコイイですね。

 


何か重苦しい真実が隠されていそうなビジュアルです。


けど。。。。


ネタバレしすぎじゃないですか・・・・???


前編の時点ですでに登場していたこの電話ボックス。


その電話ボックスがこうやってポスターにされるってことは、「あの件の犯人」は。。。


ちょっと想像したら予想ついちゃうんですけど。。。


あと、こちらのキャッチコピーは0点ですね。


「映画史に残る傑作の誕生 慟哭の結末を見逃すな」


いやー、実に0点。


すがすがしいくらいですね。


あのねぇ、どんなに大きくこんなキャッチコピーを書いても、これを読んで「なんだって?歴史に残る傑作なのか?!」と思う人、いません。


傑作かどうかはこっちが決める。


自分で言わないでよそんなこと。。。

 

まとめ


なんていうんですかね。


面白くなる要素、素材はたくさんあった映画だと思いますよ。


でもここまで調理を間違えちゃうと、もはや素材の方にまで文句をつけたくなるという状況です。


素材は悪くないのに、素材が悪く見えちゃうなんて一番不幸じゃないですか。


綾野剛さんって、あんなに演技下手じゃないでしょう。


料理の仕方を間違えるとあんなに下手に見えるんですね。


一事が万事そういう映画だったように思います。


見終わったあと、悔しさすら感じた作品でした。


それでは、また。

 

 

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