ロケットマン 《煌びやかさと、その裏側の孤独》
映画の点数…73点
ポスターの点数…70点
タイミングの悪さ
こんにちは、グラフィックデザイナーのピースマイルです。
今回取り上げる映画はエルトン・ジョンの半伝記的映画、【ロケットマン】です。
まず先に申し上げておきます。
僕はこの映画に「73点」という、可も無く不可も無い点数をつけていますが、理由があります。
この映画、まだ記憶に新しいボヘミアン・ラプソディと内容が似ている点が非常に多く、初めて観る映画なのに「なんかこの前観た」感がどうしても消せなかったのです。
これは映画の罪でもないし、当然エルトン・ジョンの罪でもありません。
制作期間、公開時期のことなども考えると、大部分は「意図せずとも似たような演出・脚本になってしまった」ということなのだと思います。
これはもう、完全に不幸なタイミングであったとしか言えません。
もしもこの映画を、ボヘミアン・ラプソディの前に観ていたら。
もしくは5年くらい後に観ていたら、また感想は違ったであろうと思います。
映画の内容
監督はデクスター・フレッチャーさん。
ボヘミアン・ラプソディーで監督を引き継いだ人でもあります(ボヘミアン・ラプソディーは制作途中で監督が二転三転しているのです)。
ちなみにですが、デクスターさんはロンドンにあるサッカークラブ「アーセナル」のファンなようです(Wiki情報)。
一方でエルトン・ジョンさんは「ワトフォード」という別クラブのオーナーでもあった人です。
映画の外では因縁の相手なのかも知れませんね。
ちなみに僕はアーセナルの大ファンです。
まぁ映画の内容とは一切関係ありませんが。
半分ミュージカル映画でもあるので、時系列など細かい点では史実と違う点も多いようです。
ボヘミアン・ラプソディの作りよりはむしろ「マンマ・ミーア!」とか「ラ・ラ・ランド」の作りに近いと言えるでしょう。
いわゆる「いきなり歌い出す登場人物」映画ですね。
現在72歳のエルトン・ジョンさんの、5歳〜45歳くらいまでの話がメインになってきます。
ストーリー自体は王道中の王道、主人公がヒーローになる→主人公が転落する→主人公がもう一度復活する、という話です。
ただここでの問題が先ほど挙げたボヘミアン・ラプソディとの類似点にあります。
フレディ・マーキュリーとエルトン・ジョンが同性愛であることで悩みを抱えること、スターになったことで孤独感を深めること、ドラッグに溺れること、まわりのスタッフに利用されることなど、本当によく似た状況で悩んだりするんですよね。
映画のテイストやキャラクターが違うとはいえ、ここまで似ているとどうしても意識しながら観ることをやめられませんでした。
映画の良かった点
とはいえ、もちろんこれはエルトン・ジョンのオリジナルのストーリー。
この映画の着地点の一つでもあるのは「親子という地獄からの脱出」です。
現代語で言ういわゆる「毒親」からいかにエルトンが束縛され、そして解放されるのかをかなり丁寧に描いています。
少なくとも映画の作り手はそこがエルトン・ジョンという人物にとっての最も描く的キーポイントだと思ったのでしょう。
登場する両親が実にまぁいやらしいキャラクターを演じていて。
「こんな毒親がいたら人生けっこう詰みだよな」という迫力で迫ってきます。
あの結末を思いついた時点でこの映画はひとつ勝っていたと言えるでしょう。
もちろんタロンの演技も抜群で、感情移入することを避けられないくらいに魅力的です。
歌声の素晴らしさはすでに「SING」という映画で証明済。
特に序盤の公園で歌い上げるシーンでは鳥肌がたちましたね。
役者陣はみなさんパーフェクトでした。
映画の不満点
ちょっと不親切な点が多かったのは気になりました。
特に時間の経過について。
僕はエルトン・ジョンの人生についての知識はほとんど無いのですが、劇中「今エルトンが何歳くらいで、どのくらい曲を出してて、結婚生活はどのくらい続いて」とか説明されないんですよ。
となると僕くらいの知識の観客だと「それがどのくらい深刻か」が分かりにくいんですよね。。
時間の重さが分からないと、事態の深刻度も分かりません。
そのあたりはもうちょっと観客に寄り添って作っても良かったんじゃないでしょうか。
ポスターの感想
日本版ポスターも、海外版ポスターも本質的なところは似ています。
まず海外版。
いかにもエルトン・ジョンというか、頭の中でイメージする彼のパフォーマンスといえばこんなビジュアルでしょう。
薄くなった頭髪まで含めて表現されているところにエルトンの器の大きさを感じます。
映画を観た方なら分かる通り、このビジュアルは映画の内容をさしているものではありません。
むしろ逆ですね。
表向きにはこれほど奇抜なキャラクターである彼が、どのような半生を過ごしたのか解き明かす映画ですので。
映画の内容とのギャップを意識したポスターと言えます。
衣装には羽がついていますが、劇中「浮遊する」というシーンが何度も登場するのと無関係ではないのではないでしょうか。
続いて日本語版ポスター
スタジアム公演時の衣装に替わっており、先ほどのポスターよりは地味な印象です(いや、全然地味じゃないんだけど)。
こちらのポスターの方がより、エルトン・ジョンの内側からにじみ出る人間性を歌い上げているような印象を感じます。
伝記映画としてはこちらの方がより興味をそそられるようなデザインになっていますね。
例えばボヘミアン・ラプソディやThis is Itなどもうそうなのですが、顔をあえて写さないポスターというのも効果的に使うととても広告として機能するというのが分かります。
「見せたい、からこそ隠す」というわけですね。
まぁただ花火を飛ばすのはやり過ぎというか、それラ・ラ・ランドの時もやってたよね。
キャッチコピーも工夫がないように感じます。
映画の内容とも例によっていまいち合ってないし。
まとめ
非常に不運な時期での公開となった感はあるこの映画ですが、あくまでもフラットに観るととても魅力をもった素敵な映画です。
特にミュージカルシーンは圧巻の一言。
こんなもん映画館で体感しないと損ってものです。
ライオンキングを観るんだったら、その素晴らしい音楽を作り上げた彼の人生を描いた映画を見に行くのもいいんじゃないでしょうか。
それでは、また。
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