映画のように平面デザイン

年間200本映画を観る地方グラフィックデザイナーが、色んなものを平面デザインでとらえてみます

ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命 《観客を欺くイジワルなポスター》

ポスターの点数…80点
映画の点数…73点

 

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こんにちは。ピースマイルです。


今回は「ジャッキー」という映画を取り上げてみようと思います。


単純に映画に興味があって鑑賞したのですが、ポスターがなかなかイジワルな仕様で興味深いものがありました。


ちょっと掘り下げてみようと思います。

 

ジャッキーという人間について


僕の中のジャッキーの知識と言えば、竹細工のはしごを登ったりお酒を飲んで敵をなぎ倒したりする香港スターというイメージだったのですが。


この映画を観る限りジョン・F・ケネディのファーストレディだった事もあるようでして、人は見かけによらないなという感じです。


(ここから真面目に)この手の映画を観るときには「ちょっとお勉強したい」という気持ちも当然ありまして、JFKのことはそこそこ知ってるつもりだったんですけど奥様のことまでは全く知らないに等しかったですし。


ナタリー・ポートマンの評価が高いというのも聞いていたので観てみたのですが。。。


良い意味で予想を裏切られた作品になっておりました。

 


ジャッキー/ファーストレディ 最後の使命 [ ナタリー・ポートマン ]

映画ポスターについて


何度かこのブログ内でも書いたことではあるのですが、映画ポスターの役割は「映画の情報を伝えること」「思い出として機能すること」だと思っています。


ジャッキーの映画ポスターを観ての第一印象はどうでしょうか?


少なくとも僕はナタリー・ポートマンの佇まいと表情から「ファーストレディとして誇り高く働く姿を描いた《女性映画》」かと思いました。


ドリームやワンダーウーマンなどと同系列の「強く気高い女性」もの映画というジャンルだと感じたんですよね。


では実際の内容はというと、その手の映画とは大きく違いました。


「ポスターの内容と映画の内容が違うのであれば、それは悪いことではないのか?」と問われると、確かにその通りだと思います。


その観点から見るとこの映画ポスターは失敗です。


ですが僕は、これは意図して観客を混乱させているのではないかと思い直したのです。

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映画の構造


この映画はジャッキーの視点ではなくジャッキーの周りで起こっていることを記録的に捉えたような作りになっています。


つまりジャッキーの心情などはいまいち分かりづらく作ってあるのですが、観ていくうちにだんだんと「この女・・・・単にイヤな女なんじゃないか・・・?」と思うようになってきます。


最初のうちは「旦那さんが目の前で殺害されたのだから仕方ない」と思いながら観ていても「でも、これはいくらなんでもジャッキーの言い分はおかしいような・・・」と観客側もグラグラ混乱します。


観ていくうちに見えてくるのは、ジャッキーは「ファーストレディーとしてふるまう姿」と「ジャッキーとしての本来の自分」と、さらに「建前の自分として大きく振る舞う自分」など多層的な人物であるということが分かってきます。

 

何故シャネルのスーツでないのか


この映画内ではJFKが殺害された当日の様子をかなり長い時間を割いて観ることができます。


その間ジャッキーは、ピンクの映えるシャネルのスーツを着こなしています。


そのピンクのスーツがJFKの血で染まるまでも描いています。


なぜポスターではその印象的なピンクのスーツのジャッキーを採用しなかったのでしょうか。


実際のポスターに使われている真っ赤な衣装は、ジャッキーがテレビ撮影でホワイトハウス内部を案内する時に使用していたものです。


つまり、バリバリに「ファーストレディーとして振る舞っている」時のジャッキーということです。

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このことから分かるのは、映画ポスターで登場しているジャッキーは、完全に外面をしている状態というわけなんですね。

 

ギャップを発見していくという映画


ポスターで窺えるジャッキーと、映画の中のジャッキーは映画がすすむにつれどんどんギャップが出てきます。


夫の葬式というファーストレディー最後のイベントを勤め上げたジャッキーでしたが、それが「大統領の為なのか」「旦那の為なのか」「アメリカ国民の為なのか」それとも「自分の為なのか」


その答えは映画の最後に告白されますが、ジャッキーの本音らしい本音が出る場面というのは劇中ほとんどありません。


そもそも人間という生き物自体がほぼ全て多面性を持った生き物なわけですよね。


だとしたら、極端な例なのかも知れませんがジャッキーだってギャップのある多面的な一人の人間だったと思うのです。


「ジャッキーは本当はひどい女だった」と短絡的に映画を観ることも出来ますが、僕はこの映画を「ケネディ夫人ではなくジャッキーという一人の人間」として取り扱った優しい映画だとも思ったんですよ。

 

だからこそあのポスターだった


映画内でジャッキーはナタリー・ポートマンの迫真の演技もあり人間としての愚かさを振り乱していきます。


ですが、映画ポスターのような「外面」の部分だけは美しく理知的なケネディ夫人としての姿をパッケージしたのではないでしょうか。


映画を作った方達の、彼らなりの敬意がポスターに込められているかのようです。

 

日本語版ポスターについて

 

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日本語版ポスターは英語版に比べて文字情報も多くごちゃついた印象です。


後ろにJFKの姿を入れているのも特徴ですね。


ただ、これらの情報は必要だったと思います。


JFKならまだしも、その奥さんのことなんてほとんどの日本人は興味ないことでしょう。


ましてや日本は「安倍首相の奥さんが表に出て活動する」などということに馴染みのない国家ですから。


キャッチコピーも含め、必要最低限度の情報にまとめてあると思いました。

 

映画の感想について


前述の通りポスターの内容と映画の内容にギャップがあったので最初は戸惑いました。


観れば観るほどジャッキーのことを嫌いになりましたし(ナタリー・ポートマンは偉いですね。あそこまで徹底的にイヤらしい演技をしたら本人にとってもリスキーなのに)。


ですが映画を見終わる頃にはジャッキーという女性を好きか嫌いかは別として、一人の人間として魅力的な人だったのだろうなと思いました。


淡々と進行する映画なので途中で退屈だと感じる人も多いと思いますけど、制作側の意図を汲み取りながら鑑賞するとなかなかに見応えのある一本でした。


それでは。


【直筆サイン入り写真】 ジャッキー ファーストレディ 最後の使命 ナタリーポートマン /映画 ブロマイド オートグラフ

 

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